娘は父に構ってもらいたい
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──娘は父に構ってもらいたい
時が経つのも早いもので、いつの間にかクラリッサも初等部3年の新学期を迎えていた。この王立ティアマト学園ではクラス変えはなく、そのままのクラスで中等部まで登っていくことになる。なので、サンドラやウィレミナと離れることもない。
もっともジョン王太子とも切っても切れない関係になるが。
そんなクラリッサも今日は休日だ。
「パパ。遊びに行こう」
「俺はちょっと仕事が忙しい。ファビオと好きなところに行ってきなさい」
クラリッサがリーチオの書斎を覗いて告げるのに、リーチオがそう返した。
「ボス。あの野郎どもは吊るしてやらなきゃ自分の立場を理解しませんぜ。フランク王国の連中はうちのシマを乗っ取るつもりだ。貴族が背後にいるようですが、ここで舐められたらファミリーの威信に傷がつきます。断固とした鉄槌を下さねば」
今日のリーチオはベニートおじさんやピエルトなどの幹部と会議をしていた。幹部会というわけではないようだが、何やら対処しなければならない問題が持ち上がっているようである。ここ数日はずっとこんな感じだ。
「フランク王国の組織とは上手くやっていきたかったが、限界というものがあるな。しかし、そうなるとどこから魔道兵器を密輸するかだ」
「北ゲルマニア連邦なんかはいい取引先だと思いますよ。しかし、フランク王国の扱っている魔道兵器とはやはり質が異なりますね」
何やらリーチオたちが難しい話をしているのに、クラリッサはため息をついて、そっと書斎の扉を閉じて立ち去った。
「ファビオ。宝石館に行こう」
「畏まりました、お嬢様」
そして、クラリッサがファビオに告げるのに、ファビオが恭しく頭を下げた。
クラリッサはちょっと拗ねた様子で馬車に乗り、歓楽街を宝石館に向けて進んだ。
「あら。いらっしゃい、クラリッサちゃん」
「こんちわ、サファイア。ねえ、聞いてよ、聞いてよ」
宝石館ではハーフエルフの高級娼婦であるサファイアがクラリッサを出迎えた。
「どうしたの? 最近、部活にも入って調子いいんでしょう?」
「うん。学園生活は問題ない。問題は家庭にある」
クラリッサは3年生から女子アーチェリー部に入部したぞ。なんでも実戦重視だそうだ。何にアーチェリーの技術を使うつもりなのかは聞かないでおこう。
「家庭に? リーチオさんにってこと?」
「そう。パパが最近冷たい。仕事ばかりしている。構ってくれない」
ぶーっと頬を膨らませてクラリッサがそう告げた。
「そうねえ。最近はなんだか街の方も揉め事を起こす人たちがうろついていて、治安が悪くなっているからね。リーチオさんもその件で忙しいんじゃないかしら。前にいた盗品売買組織はリーチオさんが潰してくれたから助かったわ」
「それでも娘に構うべき」
クラリッサはもう数週間はリーチオに忙しいと言われて、遊びに行くのを断られ続けている。『仕事が忙しい』の一点張りで、クラリッサは構ってもらえていなかった。
「クラリッサちゃんはリーチオさんが大好きなんだね」
「そうだよ。パパが一番好き。次はパールさん。その次はベニートおじさん」
意外に上位にランクインしているベニートおじさんである。
「あれあれ? 私は?」
「サファイアも10位内にはランクインしてるよ。安心して」
サファイアがからかうように告げるのに、クラリッサがそう告げた。
「それはそうとどうしたらパパに構ってもらえるかな?」
「うーん。仕事が忙しいのはどうにもならないわ。仕事を無視してでもお店に来る人もいるけれど、そういう人は長続きしないし。クラリッサちゃんもしばらくはリーチオさんのお仕事が終わるのを待ってみたら?」
「待てない。というのにも、理由がある」
「理由って?」
「これ」
サファイアが尋ねるのにクラリッサがプリントを広げた。
「授業参観のお知らせ?」
「そう。親に学校に来てもらって、授業を見てもらうんだって」
王立ティアマト学園では初等部3年から授業参観が始まる。
日ごろの成果を保護者の方々に見てもらおうというもので、クラリッサたちの3年A組では理科の授業が見学予定の授業となっている。
「パパ。仕事忙しいから来てくれないかも……」
「それは心配になっちゃうわね」
クラリッサの心配は、ここ最近仕事が忙しくて全然相手にしてくれないリーチオが授業参観にも来てくれないのではないかということだった。
授業参観までは2週間前後。残り1週間でプリントは提出しなければならない。そのプリントに記入する保護者たちの予定を見て、学園は授業参観の日程を立てるのだ。
クラリッサとしてはこのまま仕事が忙しいモードのリーチオにプリントを渡して、授業参観には行けないと断られるのは嫌だった。何とかリーチオの時間が空いている日を見つけて、その日に授業参観が行われるように運びたかった。
「パパのお仕事っていつ頃終わるかな?」
「それは私にも分からないわねえ。この間の盗品売買組織を潰した時は2、3か月ほどだったけれど。どこかで死体が吊るされたら、開戦の合図よ」
「ふむふむ。死体が吊るされたら」
こうしてクラリッサは要らぬ知識を付けるのである。
「リーチオさんのリベラトーレ・ファミリーはまだまだこの街の王者だし、そう簡単に抗争に負けることはないと思うけれど、相手が面倒な相手だと抗争そのものは長引くかもしれないわ。けど、そこら辺の事情は流石に私たちには聞こえてこないから」
「聞き出せないかな。ピエルトさん辺りなら喋りそうじゃない?」
「ピエルトさんはこのお店には来てくれないのよ、クラリッサちゃん」
完全にクラリッサに舐められているピエルトだ。
「ベニートおじさんはそこら辺厳しいしな。絶対に教えてくれない。抗争が終わったら自慢話をしてくれるだろうけれど」
ベニートおじさんは係争中の案件についてはクラリッサにも教えてくれないぞ。だが、終わったらクラリッサに武勇伝を語って聞かせるので、クラリッサの余計な知識フォルダが膨れ上がっていくのである。
「待つしかないんじゃないかしら。ダメもとでもプリントだけは渡してみたら?」
「賭けには勝てる時しか賭けたくない」
意外に堅実なクラリッサである。
「あら、クラリッサちゃん。来ていたの?」
「パールさん。聞いてよ、パパが冷たいんだ」
階段の方からパールが姿を見せるのにクラリッサがこれまでの経緯を説明した。
「クラリッサちゃんもやっぱりリーチオさんに構ってもらえないと寂しいのね。もっと大人びているかと思っていたわ」
「私はパパが大好きだからね。私は一家を大事にするんだ」
クラリッサはリベラトーレ・ファミリーの将来を担う気満々だ。
「リーチオさんは幸せ者ね。年頃の娘さんは父親を避けるものなのに」
パールはそう告げて小さく笑った。
「パールさん。どうしたらパパに構えってもらえるかな?」
「そうね。まずは発想を転換しましょう。リーチオさんに構ってもらうのではなく、クラリッサちゃんがリーチオさんに構うの」
「ん?」
パールの答えにクラリッサが首を傾げた。
「どういうこと? 私が構うの?」
「そう。クラリッサちゃんは今はリーチオさんに構ってほしくて待っている受け身の姿勢。それを逆転させてリーチオさんが構ってくれるようにクラリッサちゃんの方から行動するの。具体的に何をすれば、リーチオさんに構ってもらえるかは分かる?」
「……分からない。仕事の邪魔はしたくないし……」
パールが尋ねるのにクラリッサが肩を落とした。
「仕事の邪魔にならないようにして、仕事のお手伝いをするの。もちろん、クラリッサちゃんにベニートさんたちのやるような仕事をするように言っているわけじゃないのよ。そうね。クラリッサちゃん、コーヒーの入れ方は知ってる?」
「ううん。知らない。コーヒーを入れるといいの?」
アルビオン王国ではどちらかというと紅茶党が多いぞ。
「コーヒーは眠気覚ましになるの。リーチオさんたちも仕事が忙しいならあまり眠れていないでしょうし、コーヒーをそっと差し出してあげたら話題の種は作れるわ。後はそこからゆっくりと拡張していくだけよ」
「なるほど」
パールの言葉にクラリッサがピコーンというように反応した。
「疲れた時は糖分も必要だね。ケーキも差し入れようか?」
「リーチオさんは甘いものはあまり好みじゃないみたいだから、チョコレートにしましょう。一口サイズでビターなもの。チョコレートにも眠気覚ましの効果があるのよ。それから興奮作用もね。慣れてない人は鼻血が出るって聞くわ」
「パパはチョコレート慣れてるかな?」
「ええ。その点は大丈夫。前にプレゼントしたことがあるから。クラリッサちゃんが3歳の時に。一緒に食べた記憶はない?」
「あんまり覚えてない……」
クラリッサはせっかくの父親との思い出を思い出せないことにちょっと悩んだ。
「大丈夫よ。思い出はこれから作っていけばいいのだから。なら、コーヒー豆とチョコレートの買い出しに行きましょうか。サファイア、留守をお願い」
「はい、パールさん」
まだ時間は昼間だ。昼間から娼館に入り浸る人間は少ない。
「コーヒー豆って木に生えるの?」
「そうよ。南方の方に生えている木の種子なの。いろいろと種類があるのよ?」
「選ぶのに迷いそう」
「せっかくだから一番いいものにしましょう」
クラリッサが尋ねるのにパールが面倒くさがらずに答える。
パールにとってもクラリッサは娘のようなものだ。パールとリベラトーレ家の付き合いは長く、リーチオの妻であるディーナが健康な時から付き合いがあり、クラリッサが生まれた時には祝いの品を送っている。
ディーナは相手が娼婦だからという理由で夫に近づけさせまいとする人間ではなかった。リーチオがどう目移りしても、最終的には自分の元に戻ってくるという自信を持った人間だった。だが、リーチオが目移りを起こす暇もなく、彼女は他界してしまった。
パールにとってもリーチオは魅力的な男性だ。できることならば、ディーナが去ってしまった後は自分を選んでほしかった。だが、リーチオはディーナが去ったのちも、ディーナとの愛の誓いを破ることはなかった。
それがパールには羨ましかった。そこまで愛されるということが。
だから、パールはクラリッサには甘い。幼くしてあれほど魅力的だった母ディーナを失ってしまったクラリッサには同情ともつかない感情を抱いていたが故に。
「さて、市場は広いわ。迷子にならないようにね、クラリッサちゃん」
「アイ、マム」
そして、クラリッサたちはリーチオのためのコーヒー豆選びのため、それからチョコレート選びのために市場に繰り出したのであった。
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本日2回目の更新です。そして、本日の更新はこれにて終了です。
たまにはほのぼのエピソードもということで、ほのぼのしたエピソードの出番です。
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