娘は夜景を最後に拝みたい
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──娘は夜景を最後に拝みたい
エンパイア・ステート・ビル。
エンパイア・ステートというのは帝国州というものを意味する。それはリバティ・シティの愛称のひとつであり、ここが文化と経済の繁栄する場所であることを意味している。その名を冠したビルがエンパイア・ステート・ビルだ。
地上から最上階まで102階の階層があり、86階には展望台から直接リバティ・シティの全景を眺めることが可能である。
「一気に86階まで」
「おいおい。急ぐな、急ぐな。まだまだ時間に余裕はある」
クラリッサがいそいそとエンパイア・ステート・ビルのエレベーターに向かうが、リーチオは懐中時計を叩いてそう返した。
今の時刻は20時。展望台が閉まる21時まではまだまだ時間がある。
「分からないよ。今日は臨時に早く閉まったりするかもしれない」
「そんなことはないだろ。そんなに急ぐと転ぶぞ」
クラリッサは動きやすいワンピースだが、靴は運動靴ではなく、エナメルのパンプスでちょっとばかりヒールがある。いつものように走り回っているとドテッとこけてしまいそうで見てられない。
「リバティ・シティの夜景は特別凄いって聞いてたし、実際ホテルから見ただけでも凄かった。これは期待せざるを得ない」
「そうだな。ロンディニウムの夜景もいいが、リバティ・シティのは派手だ」
リバティ・シティの摩天楼に一斉に明かりがともるとそれはもう幻想的な光景になる。まるで都市がひとつの生命体であるかのように思えるほどだ。
「ヘイ、86階の展望台まで」
「畏まりました」
クラリッサがエレベーターガールに告げるのに、エレベーターガールがボタンを操作する。リーチオも乗り込み、扉が閉まった。
エレベーターはぐんぐんと上昇していき、86階でチーンというベルの音とともに止まった。そしてガラガラと扉が開かれる。
「86階。展望台となります」
「ゴーゴー」
エレベーターガールが告げるのにクラリッサが展望台に飛び込んだ。
クラリッサの心配は杞憂だったようで、展望台にはまだ多くの人が残っており、まだ人を受け付けていた。
「む。観光客かな? 人が多いね」
「丁度、観光シーズンだからな。博物館も混んでただろ?」
季節は8月中旬。観光シーズンの真っただ中だ。夏のバケーションでリバティ・シティを訪れる観光客は少なくない。クラリッサたちのように旧大陸からやってきて、新大陸の発展具合を窺おうという人間もいる。
「やれやれ。混雑しているのはあまり好きじゃないけど仕方ない」
クラリッサは展望台の列に並んだ。
だが、幸いにして、混んでいてもそこまで待たされるような場所でもなく、クラリッサたちが夜景を眺める順番はすぐに巡ってきた。
「おおー……」
クラリッサは超高層ビルの展望台から見える夜景に感嘆の息をついた。
どこまでも広がる光の魔法。空高く伸びるロックフェラー・センターの頂点にも明かりがともっている。セントラルパークは街灯で夜を切り取ったように浮かび上がっており、夜の摩天楼は不気味な壁のようでもあり、同時に様々な電飾で美しく彩られたクリスマスツリーのようでもあった。
「これは凄い。ホテルから見える範囲でも凄い夜景だろうとは想像してたけど、ここまでのものとは。夜景だけでも観光地として成り立つレベルだ」
「確かにこいつは凄いな。ロンディニウムの夜景とはまたスケールが違う。これだけの夜景が持てれば、本当にそれだけで観光資源になるな」
クラリッサとリーチオは眼前に広がるリバティ・シティの夜景を暫し眺めた。
「さて、そろそろ行くか?」
「パパ。私たちもこれだけの夜景が拝めるホテルを作れるかな?」
「どうだろうな。だが、ホテルの高さは妥協しないつもりだ。リバティ・シティで実際に超高層ビルを設計した人間をホテルの設計には呼んでいる。それで、ノウハウを得たら、ロンディニウム全体の再開発を活発化させて、リバティ・シティのような摩天楼を作るってのも夢じゃないかもしれないな」
「いいね。ここのはまさに1000万ドゥカートの夜景だよ」
果てしてロンディニウムにも摩天楼がそびえる時が来るのか。
ロンディニウムは歴史のある都市なだけあって再開発はなかなか難しいと思うが、現在でも地下鉄の整備や鉄道路線の増加に伴う駅の拡張が行われている。上手くいけば、ロンディニウムの人口増加や商業需要の増大によって、有効な土地活用を行うための高層建築の需要が生まれ、ロンディニウムにも摩天楼が生まれるかもしれない。
ロンディニウムは旧大陸における政治経済の中心地だ。
ロンディニウム証券取引所はもっとも歴史ある金融機関のひとつであり、世界最大の証券取引所でもある。そのような重要な金融機関を含めた国際金融センターが位置するロンディニウムには今も需要が生まれている。
ゲルマニア地方は前線に近すぎ、フランク王国は政治的に不安定。ヒスパニア共和国は経済的に弱く、エステライヒ帝国は内部に民族の不和を抱え込み、南部は未だ統一国家が存在しない状態。
周辺国はそのような理由で候補から消えていき、旧大陸の国際金融センターは自然とロンディニウムとなる。
アルビオン王国自身も金融には力を入れており、金融・海運・重工業を国の産業基盤にしようとしていた。重工業では大陸最大の重工業地域を抱えるエステライヒ帝国や、急速に発展している北ゲルマニア連邦と競争しているが、他のふたつにおいてはアルビオン王国が絶対的な競争力を有している。
戦地からも海を隔てて、遠く離れたアルビオン王国。
ロンディニウムに摩天楼がそびえる日もそう遠くないかもしれない。
クラリッサのホテルはその摩天楼の中でもっとも際立った建物になれるかな?
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翌日、リバティ・シティ旅行最終日。
その日はロングエーカー・スクエアを中心にお土産の購入を行った。サンドラやウィレミナにはリバティ・シティならではの小物、ピエルトたちにはお菓子、パールたちにはブランド物の帽子。それらを購入して、クラリッサは最後にニーノたちの下を訪れた。
「ニーノ。旅行中は世話になったな。おかげで襲撃されるようなことはなかった」
「それはよかった。だが、どうにもエール系ギャングの動きに妙なところがあってな。出国するまでは見送らせてくれ。連中を港から締め出したといっても、捨て身になって殺しに来る奴がいないとは限らないからな」
「ああ。分かった」
それからニーノは夕食を一緒にしようと誘い、夕食までの間、クラリッサたちを屋敷に案内した。クラリッサとしても後はお土産を抱えて帰るだけなので、カジノ事業においては先輩になるかもしれないニーノから話を聞くことにした。
「ニーノおじさんはどんなゲームをするつもり?」
「有名どころはあらかた揃えておきたいな。ポーカーひとつとってもインディアン・ポーカーとかも取り入れたいところだ」
「インディアン・ポーカー?」
「インディアン・ポーカーっていうのは──」
クラリッサは西部開拓時代の中で生まれたゲームやこのリバティ・シティで生まれたゲームなど新大陸の様々なゲームを学び、几帳面にノートにメモした。帰ったらまずは闇カジノに導入して、ゲームの盛り上がり具合を探るつもりである。
「それからスロットだな。スロットは他のカジノゲームより控除率が高い。確実な収益をもたらしてくれる。もっとも設備を整備するのにかかる費用を考えると、ディーラーを雇って、他のゲームのテーブルを増やした方がいいのかもしれないが」
「スロット。どういうの?」
「ぐるぐると絵柄が3つ回る機械で、3つの絵柄が揃えば当たりってゲームだ。ルールが分からない子供でも楽しめるゲームだぞ。ただし、ちとばかりその機械が高くてな。俺のカジノでも導入したいところだが、採算がとれるのがいつのことになるやらで」
スロットマシーンは既に発明されていた。
蒸気の力で動く機械であり、蒸気で動くがために巨大で、壊れやすく、高額だった。まだ電気的なエネルギーで機械を動かそうとする試みが少ないためである。
だが、今、密かに電気式のスロットマシーンの特許が提出されていることは、ニーノもクラリッサも知らないことであった。
とは言え、その動力となる電気を生み出すにも発電機が必要になる。この世界にはまだ発電所というものが存在しない。
あのリバティ・シティの美しい夜景を彩った明かりも、魔術的なものによって生み出されている。原理は簡単。魔道式小銃と同じように明かりをともす魔術の魔法陣を鉄板に刻み込んでおき、そこに発電所の代わりに存在する魔道炉から供給される魔術を送り込むだけである。
欠点は魔法陣がどうしても縮めることができず、照明設備が大きくなってしまうこと。魔道炉を動かすための魔力の供給に当たって使用されるエーテリウムの希少性。エーテリウムは魔道式小銃などの軍の装備に欠かせないために値段は高騰している。
やはり、電力が必要だ。
この世界でもトーマス・エジソンとニコラ・テスラのような発明家たちが現れてくれるのを待つばかりである。
既に電気のエネルギーそのものは認知されている。後は運動エネルギーを電力に変換し、安全な送電網を整備することだ。それも近いうちに行われる事業のひとつとなる可能性を秘めている。投資家や軍人、インフラ事業者は誰もがエーテリウムというものに頼った生活を不安視しているのだから。
「ニーノおじさんもやっぱりカジノにホテルを併設するよね?」
「もちろんだ。なんなら、ストリップバーだってつけるぞ」
「ストリップバー?」
クラリッサが首を傾げる。
「ストリップバーっていうのはだな。女の人が──」
「ニーノ。クラリッサに要らんことを吹き込むな」
クラリッサにストリップバーは早すぎる。
「ねえ、ねえ。ストリップバーって何?」
「クラリッサ。お前にはまだ早い」
クラリッサの疑問に答えてくれる人はいなかった。
「それはともかく、ホテルは建てるぞ。砂漠の真っただ中に都市を作って、水道を引いてきて、砂漠の中にオアシスを作る。そのオアシスの中にあるホテルの最上階にはインペリアルスイートを準備して、カジノで大勝ちした客を泊める。そうやって目に見える形で成功を示せば、カジノの客たちも自分たちもと必死になるわけだ。そして──」
「大勢が多額の金額を賭ければ賭けるほど胴元は儲かるってわけだね」
「その通りだ。よく分かってるな、クラリッサちゃん」
クラリッサは闇カジノの運用実績があるのだ。
「しかし、目に見える形で成功を示すってのはいいアイディアだね。人は誰もが成功者に憧れる。それも大した努力もなく、成功することを夢見る。そういう人間はカジノにうってつけだ。運だけで成功することを夢見る。そういう人間がたっぷりとカジノにお金を注ぎ込んでくれれば、こっちは大儲け」
「全くだ。先にカジノ事業に転換するって考えたクラリッサちゃんのパパは天才だぞ」
「私もそう思う」
クラリッサはリーチオに尊敬のまなざしを向けている。
「さて、そろそろ夕食に向かうか。いいステーキを出す店を知っている。うちのシマだ。ゆっくりと食事を済ませたら、港まで送ろう。確か20時30分発の便だったな?」
「ああ。それだ。しかし、ここではエール系ギャングともめてるのか?」
「アルビオン王国が散々エール地方から搾取したせいで、エール系の移民は大勢いる。そいつらがヘロインに手を出している。アストラン共和国の犯罪組織ともつるんでいると聞く。この広大な国をヘロインから守るのは大変だぞ」
「ふうむ。こっちは島国なだけあって、港さえ確実に押さえておけばいいんだが」
「こっちも港は最優先で押さえた。だが、アストラン共和国から陸送されたらどうしようもない。不幸中の幸いか、アストラン共和国から陸送する際に、新南部のクソ差別主義者どもともめて、荷物が焼かれるらしいが」
「カオスだな」
「カオスさ。新南部を安定させるのに力を貸してくれるって案、考えておいてくれよ」
「一応はな」
ニーノが渋い顔でそう告げ、リーチオは肩をすくめた。
「さあ、食事に行こう。リバティ・シティで最高のレストランを味わってアルビオン王国に帰ってくれ。そうじゃなきゃ損してる」
ニーノはそう告げて、リーチオとクラリッサをレストランに案内した。
それからクラリッサとリーチオはニーノと食事を楽しみ、それから船に乗り込んで、ニーノたちに別れを告げた。
エール系ギャングたちは一先ずはリーチオが帰国したことに安堵に息をついた。
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