娘は演劇を楽しみたい
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──娘は演劇を楽しみたい
クラリッサたちは昼食を豪快なステーキで済ませた。クラリッサは巨大な肉をペロリと食べてしまった。この娘、食欲は旺盛なのだ。
「次はどこに行く?」
「ブロードウェイ」
「お前、演劇とか興味ないだろ」
ブロードウェイと言えば劇場の通りである。アルビオン王国の人間は誰もがアルビオン王国の演劇こそ最高の物であるというが、コロンビア合衆国の人間はブロードウェイこそ今や演劇の本場であるという。
「興味あるよ。人が死にまくる奴は大好き」
「人が死にまくるのだけが大好きの間違いだろ」
クラリッサも演劇を嗜む──と言いたいところだが、彼女の感性は偏っていた。
とにかく人が死ぬのが好き。動機とかストーリーの流れとかはうろ覚え。どれだけグロく人が死ぬのかをワクワクとして楽しむ。ホラー映画のスプラッタシーンだけ抜き出してみるかのような所業。あるいはナイーブな殺し屋さんよろしくライアン二等兵を助けに行く映画をストリーミング放送で眺めて冒頭15分におけるアメリカ兵がMG42機関銃でミンチにされるシーンをずっとループするかのごとき行い。
つまりのところ、クラリッサはそういう感性なのだ。
「人が死ぬのは楽しいよ?」
「お前の感性はどこでおかしくなったんだろうな……」
原因はいろいろあるだろう。
ベニートおじさんとかベニートおじさんとかベニートおじさんとか。
「しかし、そんなに人が死ぬまくる演劇はやってないぞ」
「あるよ。調べといた。『ピロー砦の虐殺』」
「よく見つけてくるな、そういうの……」
クラリッサは自信満々で演劇のパンフレットを取り出して見せた。
「人が死にまくるらしいから楽しみにしててね」
「全く楽しみにできない。もっとこう、人が死ぬ奴でもミステリーものとか悲劇とかを体験できるのを見ないか? 人がただ死ぬのをみてもどうしようもないだろう。人の死から何かを得られなければ虚しいだけだぞ」
「……? 人が死ぬのはそれだけで面白いし、殺し方とかが得られるよ?」
「そんないらんものを得なくてもいい」
お父さんは教養とか正しい感性とかを身に着けてほしいのだ。
「何はともあれ、今日の午後はブロードウェイね。ブロードウェイを見て回ったら、エンパイア・ステート・ビルに登ろう。そして、明日はニーノおじさんにお別れを言いに行かないとね。お世話になったし」
「お前はしっかりしているんだか、おかしいのか」
礼儀的なことはきっちりしているクラリッサであった。
「分かった。ブロードウェイだな。その演劇をやってる劇場は分かってるのか?」
「ばっちり。時間帯もオーケー」
そんなこんなでクラリッサたちはブロードウェイに向けて出発したのだった。
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一方、そのころミッドタウン・ノースと言われる区画の中、『ヘルズ・ダイナー』と呼ばれる場所にはギャングたちが集まっていた。
「ちっ。つまらねーな。リバティ・シティはほとんどヴィッツィーニ・ファミリーの連中に押さえられちまった。港も見張られているからアストランの国境を越えて運んでくるしかねえ。それだと輸送コストがかさむし、何よりアストランの連中に仲介料を払わなきゃならん。割が合わねえよ」
そう告げるのはエール系のギャングのボスだった。
この人種雑多なリバティ・シティにおいて南部人だけがマフィアやギャングを組織するわけではない。長年、アルビオン王国の圧政に苦しみ、故郷を捨てたエール系の住民たちも同じ出身地の仲間同士で相互扶助を繰り返すうちに、それを悪用する人間が現れギャングを組織した。
このエール系ギャングは薬物取引に手を出しており、当初はリバティ・シティの港湾を利用してマルセイユから精製されて運ばれてきたヘロインを売り捌いていた。だが、麻薬戦争が勃発すると港湾はヴィッツィーニ・ファミリーに押さえられ、ギャングの間で『ミッドタウン・ノースの虐殺』と呼ばれるヴィッツィーニ・ファミリーによるエール系ギャングへの攻撃が行われると、この『ヘルズ・ダイナー』は港湾から完全に切り離され、リバティ・シティの港湾は完全に利用できなくなった。
仕方なく、エール系ギャングは革命の混乱に揺れるコロンビア合衆国南部に位置するアストラン共和国の犯罪組織を頼った。
アストラン共和国から国境を越えて北上し、リバティ・シティまで輸送する。
それはリバティ・シティに直接ヘロインを密輸するよりも手間がかかる。アストラン共和国からリバティ・シティまでは4000キロを超える道のりであり、それだけの距離をヘロインを積んだ馬車で移動するだけでも大きなリスクだ。
加えて、この取引に加わったアストラン共和国の犯罪組織にも対価を支払わなければならない。リスクは増えて、利益は減った。
そのせいでエール系ギャングの行動力は低下し、今は微々たる量のヘロインですら、ヴィッツィーニ・ファミリーとの抗争で満足に売れない状況が続いていた。
面白くない。
エール系ギャングは誰もがそう思っている。リバティ・シティを含めた東海岸の主な港湾都市を制圧下に置くヴィッツィーニ・ファミリーによって、自分たちの利益が損なわれ、南部人風情にエール系が脅かされている。
コロンビア合衆国は確かに人種のるつぼであり、人種で移民を差別しない。だが、人種同士が上手くやれるかどうかまでは考えていない。
ゲルマニア系移民はゲルマニア系移民同士で、クラクス系移民はクラクス系移民同士で、南部人移民は南部人移民同士で、エール系移民はエール系移民同士で、それぞれグループを作って行動している。
移民同士の対立やヒエラルキーも存在し、貧しい南部人移民やエール系移民は同じ国民同士でも差別の対象となっていた。奴隷の身分から解放された黒人も未だに差別の対象であり、新南部ではそれがより深刻だ。
結局のところ、チャンスを求めてこの新大陸にやってきた人々も、旧大陸のしがらみに縛られているということである。本当の自由は自分で行動して勝ち取るものだ。
そうやって公民権運動が始まるのはまだ先の話。
「それが、ボス。奇妙な情報が入っていまして」
「なんだ? ヴィッツィーニ・ファミリー絡みか?」
「はい。七大ファミリーのひとつでアルビオン王国をシマにするリベラトーレ・ファミリーのボス、リーチオ・リベラトーレが昨日入国したそうです。今はこのリバティ・シティにいると。ヴィッツィーニ・ファミリーとももちろん接触したものと思われます」
「なんだと!?」
部下の報告にエール系ギャングのボスが目を見開いた。
「どういうことだ。七大ファミリーは確かに結託していたが、互いのシマを侵犯するような行為はしてこなかったはずだ」
「まさか七大ファミリーの間で抗争が……?」
リーチオとクラリッサは観光に来ただけです。
「そうか。新南部だな。ヴィッツィーニ・ファミリーも新南部を持て余していた。新南部の人種差別主義者どものせいでヴィッツィーニ・ファミリーは新南部から葉巻や煙草を密輸するのに苦労している。だから、他のファミリーの手を借りようとリーチオ・リベラトーレをこの新大陸に呼び出したわけだな!」
リーチオとクラリッサは観光に来ただけです……。
「新南部を取られると不味い。本格的にヘロインの流通が遮断される。今でもクソ人種差別主義者どものせいでやりにくくなっているというのに」
新南部の人種・宗教差別主義者たちにとっては、新南部人もエール系ギャングも同族だった。コロンビア合衆国の市民として認められない。まして、アストラン共和国のヒスパニックたちと組んでいるエール系ギャングは国に有色人種を入れていると積極的な攻撃の対象となっていた。
そこにアルビオン王国からリベラトーレ・ファミリーが進出してくれば。
カオスだ。
エール系ギャング、アストラン共和国の犯罪組織、新南部の差別主義者、マフィアの入り乱れる人外魔境と化す。抗争は日常茶飯事になり、ただでさえ分の悪いエール系ギャングは本格的に壊滅させられかねない。
「ど、どうします、ボス?」
「殺っちまったらどうですか? そうすればリベラトーレ・ファミリーも……」
部下たちが動揺しながら告げるとエール系ギャングのボスが机を叩いた。衝撃で机の上に乗せられた灰皿から密輸煙草の灰が零れ落ち、ウィスキーのグラスが倒れる。
「馬鹿を言うなよ。ここで仕掛けたら、それこそ連中の思うつぼだ。リベラトーレ・ファミリーのボスが攻撃を受けた。ならば、報復のためにここはシマの境界を乗り越えて協力しよう。そういう話に持っていかれる。それこそ、リベラトーレ・ファミリーに新南部進出の口実を与えるばかりか、リバティ・シティにおいてリベラトーレ・ファミリーが俺たちに牙を剥いてくることになりかねない」
ジロリと部下たちを見渡してエール系ギャングのボスはそう告げた。
「絶対に連中に手を出すな。口実がなければヴィッツィーニ・ファミリーも表立ってリベラトーレ・ファミリーに新南部進出を許すわけにはいかなくなる。ヴィッツィーニ・ファミリーだって新南部から得られる利益は独占したいだろうしな」
「了解です、ボス」
そう告げてエール系ギャングのボスはふうと息を吐く。
「俺たちにとっては苦しい時代になりそうだ。こうも七大ファミリーが結束しているとは。いずれエール系の大統領でも生まれれば状況は変わるんだろうが」
「夢のまた夢ですね」
これから数十年後。人類を月に送る計画を立てた大統領がエール系移民の大統領になるとは、この時は誰も思っていなかった。
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クラリッサの見ようとした劇は丁度上演されるところであった。
クラリッサたちはいいタイミングで劇場を訪れ、VIP席を確保すると、これから繰り広げられる物語に胸躍らさせた。
そして、開演。
凄まじい内容だった。
南北戦争当時のコロンビア合衆国──北軍とコロンビア連合国──南軍との戦いを描いた作品で、戦争なのでとにかく人が死ぬ。これは重要人物だな? と思ったキャラクターが次のシーンではあっさり死んでいる。それはもうコロッと死ぬ。
そして、タイトルにある通りの虐殺。
捕虜になった北軍兵士が南軍兵士が焼き殺す、撃ち殺す、叩き殺す。
舞台装置も実に凝っており、鮮血が噴き上げたり、実際に炎が噴き上げたりする。
何とも言えない憂鬱な演劇で、観劇した客たちは悲しそうな顔をしている。
「ハハッ。マジウケる」
「ウケるところじゃないだろ……」
だが、ひとりクラリッサだけはのどをひくひくさせて笑いをこらえていた。
「だって、人がバタバタ死ぬんだよ? 焼けたり、撃たれたりして。大砲のシーンも凄かったな。ドーンって砲声が響いたら敵がバタバタと倒れる。私が求めていたのはこういう劇だよ。流石はブロードウェイだな。客を掴むコツがわかってる」
「お前の言っていることでつかめる客はごく一部だからな? ブロードウェイに対する風評被害になるから、あんまりそういうこというなよ」
人がバタバタ死ぬのが売りのブロードウェイ! などという噂が流されてしまってはブロードウェイの劇場の経営者は頭を抱えるだろう。
「この素晴らしさを広めて回らなければならないという使命感が生まれたのに?」
「そんな使命感はとっとと捨ててしまえ」
要らぬ使命感を抱くクラリッサであった。
「さて、他に見たい劇はあるか?」
「ん。ないよ。それよりもそろそろ急がないとエンパイア・ステート・ビルからリバティ・シティの夜景が拝めない。エンパイア・ステート・ビルの展望台は午後9時には閉まるって話だったし」
「そうだな。そろそろ移動しないといけないな」
今日の日程の最後はエンパイア・ステート・ビルからの夜景。
それを拝めば、リバティ・シティにおいての観光は完璧だ。
……本来ならメトロポリタン美術館も拝んでおくべきなのだが。
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そして、書籍化決定です!詳細はあらすじをご覧ください!




