娘はコンクリートジャングルを探索したい
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──娘はコンクリートジャングルを探索したい
翌朝。
「クラリッサ。朝だぞ」
「むにゃ。いい夢見てたのに……」
「夢はいくら見てもむなしいだけだ」
今日のクラリッサはいつものシンプルな寝間着ではなく、薄い生地のネグリジェ姿だった。昨日、帰りに寄った店で買ったもので、気に入ったので早速着ていた。
クラリッサの発育は中等部までは平均的だったが、高等部からは成長した。胸のふくらみはそれなりの大きさになり、それでいて日々の鍛錬で引き締まった体をしている。
最近は勉強もでき、さらに実家は大金持ち、黙っていればスタイルのいい美少女のクラリッサを他の男子たちが放っておくはずもなく、クラリッサには交際の申し込みが殺到していた。
だが、ここは黙っていなければ残念なクラリッサである。
交際をこっ酷く断ったり、謎の理想像を語って聞かせたり、将来の予定年収を聞いてきたりして全く付き合う気が窺えなかった。そもそもクラリッサの好みの男性はベニートおじさんのようにワイルドで、リーチオのように稼げる人物なのだ。そんな人材がごろごろ貴族の学校にいたら大変である。
それでもクラリッサに恋する男子は多く、今でもラブレターなどをもらっていた。ついでに言えばどうやら女子にもクラリッサに興味のある生徒がいるようで、そっちの方からもラブレターなどが来ている。
だが、そういうラブレターはよくないよね! と言ってサンドラが勝手に処分するので、クラリッサを想う女子生徒の声はクラリッサに届いていない。
サンドラ。ライバルを減らしたいのは分かるが、それはずるいぞ。
「ところで、パパ。どう、このネグリジェ?」
「ちょっと寒くないか? 真夏にしか着れないぞ」
「そういうことじゃないのに」
クラリッサはぷいっと横を向いた。
「とにかく、顔を洗って着替えてきなさい。今日もいろいろと見て回るんだろう?」
「うん。今日はブロードウェイと高層ビルを楽しむよ」
クラリッサはそう告げ、トトトと支度しに向かった。
クラリッサは夏に相応しい装いで身を固めると、リーチオとともに朝食を取った。
そして、早速リバティ・シティの街並みに再び繰り出した!
午前中の予定はロックフェラー・センターに上ることである。ロックフェラー・センターは大富豪の建てた高層ビルのひとつで、この摩天楼がそびえるリバティ・シティにおいてもひときわ巨大な建物である。
クラリッサたちは馬車に乗ると、ロックフェラー・センターに向かい、そそり立つ高層ビルを眺めながらリバティ・シティの街を進んだ。
「これはアルビオン王国もうかうかしていられないね。このままじゃ、あっという間に新大陸に追い抜かれちゃうよ。ロンディニウムも積極的に資本を誘致して、高層ビルを建てていかないと。ロンディニウムがリバティ・シティのように盛り上がれば、私のホテルとカジノも儲かってうはうはだよ」
「その前にお前はオクサンフォード大学への入学を目指そうな」
クラリッサはロンディニウムの心配をするより自分の心配をするべきである。
「大学入試は任せといて。今の私は自信に満ちているよ」
「それを信頼していいものか」
この間は確かに5位内に入ったものの、調子に乗りやすいクラリッサのことである。これでもう大丈夫と勉強を放棄してしまう可能性もあった。オクサンフォード大学に入学するには一度だけ5位内にはいるのではなく、5位内をキープし続けなければならないのだ。これは相当に難しい話である。
「グレンダさんも勉強教えてくれてるし、今回はひとりで夏休みの宿題も終わりそうだし、ばっちりだよ。任せといて」
「ううむ。確かに成長したな」
以前のクラリッサならば読書感想文の本を読む時点で転んでいたところだが、今回はちゃんと本も読んでいる。それも初等部の子供が読むようなものではなく、大人が読んでいてもおかしくない歴史小説だ。
これを進歩と言わずして何と言うのだろう。
「まあ、勉強は頑張れよ。頑張って損はないからな。仮にオクサンフォード大学に入学できたとしても、大学の中ではさらに勉強だ。大学は学ぶところだから」
「うへえ」
クラリッサは大学入試のことばかり考えていて、その後のこと考えていなかったのだ。大学が勉強をする場所だというのは分かっていただろうに。
「そういえばママは大学に通ってたの?」
リーチオは以前、自分は大学に通ったことはないと言っていた。だが、ディーナはどうであったのだろうか?
「ん。あいつは士官学校の卒業生だ。軍隊の士官になるための学校だな。戦史や最近の戦術について学び、体と魔術を鍛え、そうやって士官になる」
「なにそれ。そっちの方が興味ある」
「お前を軍隊にはやらんぞ。絶対にな」
クラリッサがワクワクしだしたが、リーチオがぴしゃりと言い張った。
「そだね。軍隊はいろいろと規則がうるさそうだし。そもそも兵隊って儲からないし。私は戦史や戦術には興味があるけど、兵隊になるのはごめんだよ」
「そうだ。兵隊なんて儲からん。命の危険に対して支払われる対価が割に合わない。東部戦線に行くような奴はよほど愚かしい愛国者か、貧乏貴族、そして徴兵された人間だ。お前は女だから徴兵される心配はしなくていい」
「でも、シャロンは東部戦線で従軍したって言ってたよ?」
「あれは市民権のためだ。シャロンはもともとクラクス王国の住民だったが、クラクス王国は常に危険にさらされている。家族が無事に暮らせるようにシャロンが兄妹を連れてアルビオン王国に向かい、そこで市民権を得るために軍隊に志願した。そんなところだ」
シャロンは東部戦線で戦い、負傷したことで除隊となった。
だが、そもそもシャロンはアルビオン王国の生まれではなく、クラクス王国の生まれだった。常に魔王軍の圧力にさらされているクラクス王国から脱出するために、シャロンは名前をアルビオン風に改め、軍隊に志願して市民権を得た。
だが、傷痍軍人手当があまりにも低すぎて、怪我のせいで真っ当な職場では働けないシャロンは金に困ったためにリベラトーレ・ファミリーにおいて娼館の用心棒をすることにしたのだった。
そして、今に至る。
「シャロンも大変だったんだね」
「ああ。軍人って奴はいつの時代も大変だ」
クラリッサがしみじみと告げるのに、リーチオがそう返した。
ちなみにシャロンは夏季休暇をもらい、兄妹たちと顔を合わせている。シャロンも休暇の時はよくよくお土産を持って家に帰っているのだ。
「シャロンにもお土産を買って帰ろう」
「そうするといい」
義理堅いのはリベラトーレ家の長所である。
「お客さん。ロックフェラー・センターです」
「ありがとう」
リーチオはチップを含めた額を渡すと、巨大なビルの前に立った。
「デカいな」
「デカいね」
ロックフェラー・センターはリバティ・シティを代表する建築物のひとつだ。
「中は商業ホールになってるらしいが、買い物をするための場所じゃなさそうだな」
「適当に見て回ろう。けど、目指すのは最上階だよ」
クラリッサはそう告げて近代的な高層建築のひとつであるロックフェラー・センターに足を踏み入れた。
クラリッサたちをまず出迎えたのは、この惑星ならぬビルの支柱を支えるアトラスの像であった。この世界の古代神話にもアトラスは登場し、かつて人々はこの惑星の空はアトラスによって支えられていると思ったものだ。
今ではそんな神話もさっぱりと消え去り、この惑星は球形で太陽の周りを回っているということが周知されている。ほとんどの宗教家たちもこれを受け入れたが、一部の人間は未だに世界は平面で、惑星の周りを太陽が回っていると思っている。
それはともあれ、アトラス像にお出迎えされると、当初は予想していなかったショッピングフロアが広がっている。コロンビア合衆国の有名ブランドなどがひしめき合って、女性ものの衣類から時計に至るまで様々な品が展示されていた。
「おおー。ちょっとショッピングしていかない?」
「帰りにしないか? 荷物を掲げたまま観光というのも落ち着かんだろう」
「それもそっか」
買い物は帰り道でしよう。リバティ・シティの治安はいい方ではないので、ひったくりの被害に遭うこともあるぞ。まあ、ロンディニウムも特別治安がいいわけではないが。
「では、各フロアに何があるのか見てみよう」
「ほとんど会社のオフィスだな。用はない。だが、65階にレストランがあるみたいだぞ。それから70階に展望台だ。どうする?」
「まだお昼には早いしな……。展望台に先に行って、時間がある程度潰せたら、レストランに行ってみよう。そこまで時間が潰せなかったら、別の場所で食事」
「オーケー。そうしよう」
今回の旅行はクラリッサが企画したものだ。クラリッサの意見が第一。
「最上階はどんな眺めかな?」
「まあ、これだけ高いビルだ。それなり以上の眺めだろう」
クラリッサはワクワクしながらエレベーターに乗り込んだ。流石に階段で70階まで登るというのは苦痛である。
「何階になさいますか?」
「70階で」
エレベーターにはエレベーターガールがいた。現代では絶滅危惧種の職業だ。
エレベーターは建物の中に位置しており、エレベーターの中から外の景色は拝めない。ただただ黙々とエレベーターは上昇し続けるだけである。
「せっかく高いビルなのにこれはもったいないね。私なら半分をガラス張りにして、エレベーターからも外の光景が拝めるようにするよ。ぐいぐい上昇していく様子が、自分の目で眺められるなんて素敵でしょ?」
「高所恐怖症の人間には向かないかもしれないな」
「高所恐怖症の人はそもそも上の階で過ごそうと思わないから大丈夫」
しかし、ロイヤルスイーツは最上階に設けられる予定である。お金持ちは高所恐怖症では務まらないということだろうか。
「70階になります」
「よし。出撃」
クラリッサは勇み足でエレベーターから出た。
「おおー。これは、これは」
70階の360度の展望台からはリバティ・シティの光景が良く見渡せた。
クラリッサたちが歩いて回ったセントラルパークもはっきりと見え、その西にあるコロンビア自然史博物館も見える。セントラルパーク内にある動物園などもここからは見えた。そして、あれだけ高いと思っていたリバティ・シティの摩天楼がミニチュア模型のように地上に広がっているのは圧巻の一言だ。
そして、クラリッサたちが夕方に夜景を楽しむ予定のエンパイア・ステート・ビルもここからは見えた。高さは向こうの方が高い。
「凄い眺めだ。ここから落ちたら死ぬね」
「当たり前だろ」
いくら人狼ハーフでもこの高さから飛び降りたら死んでしまいます。
「けど、ここまで高いと足元がむずむずするね。今にもビルが崩れ落ちて落下しちゃうんじゃないかって。そうならない?」
「ならない。お前、高所恐怖症なんじゃないか?」
「まさか。私は高いところも低いところも平気だよ」
確かに高所恐怖症でなくともあまりに高い場所に立つと足がむずむずするものだ。
「この光景をサンドラたちにも見せたかったなー」
「友達を連れてくるのは難しい場所だからな」
往復で20日かかる旅にそう簡単に友達は誘えない。
「写真があればいいんだけど」
「写真は撮るのが大変だぞ」
この世界のカメラはまだまだ撮影や現像が難しいのだ。
それでも、“どこからともなく湧いた予算”でカメラを購入した新聞部は精力的にカメラを使用して取材活動を行っているのだが。
「さて、満足したか?」
「満足。けど、あんまり時間は潰れなかったね」
「昼飯は別の場所で食おう。何も高いところで食う必要はない」
「了解」
というわけで、リバティ・シティの景色を楽しんだクラリッサたちは、地上に降り、ちょっとばかり買い物をすると昼食に向かった。
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