父は娘を甘やかしたい
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──父は娘を甘やかしたい
「リーチオ・リベラトーレさんとクラリッサ・リベラトーレさんですね。初めまして。この学園の学園長を務めさせていただいているマーティン・モンタギューです。この度は本学園への入学を希望されるということで」
このマーティンという男は既にリーチオとクラリッサを見下している。
所詮は平民。何を考えて由緒正しいこの学園に入学しようと思ったのか。恐らくは平民の中でも裕福な方でステータスのために、この学園への入学を考えたのだろう。
だが、ここは大切な貴族の子女を預かる重要な場所。平民などそう簡単に入学させるわけにはいかない。ここで振り落としてやらなければなるまい。
「リーチオさんはご職業は何を?」
「金融業などを」
嘘は言っていない。高利貸しも金融業だ。
「なら、この学園への入学を希望する理由についてお聞きしても?」
「それはこの学園の長年の歴史を実績を評価してのことです。ここはアルビオン王国でも最高の学園です。教師陣も立派な方々が揃っているし、カリキュラムや設備なども非常に充実している。娘の将来を思うならばこういう──」
「制服、可愛かった。だから、入学したい」
リーチオが心にもないことを告げている最中にクラリッサがあっさりとそう告げた。
「制服が可愛いから、ですか? そういう理由であればちょっと問題がありますね」
決まりだ。この親子を学園に入れるわけにはいかない。
「分かった、分かった。まどろっこしい芝居はなしにしよう」
そして、リーチオが足を組む。
「正直、この学園も最近では寄付が減ってきていて苦労しているんだろ? 最高のものを集めるのには金がかかるからな。それに加えて貴族たちは見栄のために一定額は寄付するが、大した金額でもない。で、融資を受けることも検討している。そうだろ?」
「な、なんでそのことを……!」
リーチオ自身は数字には強くないが、リーチオの部下たちには数字に強い人間が集まっている。脱税やマネーロンダリング、高利貸しをするには経済に詳しい人間が必要なのだ。リーチオは彼らにこの王立ティアマト学園の帳簿を調べさせた。
ここ数年は赤字が続いている。貴族たちからの寄付金が減ったのだ。
「ここに500万ドゥカートがある」
リーチオはドンとテーブルの上に革袋を乗せた。
「もし、娘を入学させてくれたら、その金はあんたたちのものだ。どうする?」
「う、裏口入学をするつもりですか! この名誉ある王立ティアマト学園で!」
リーチオが悪い笑みでそう告げるのにマーティンはテーブルの上の革袋から視線が外せなかった。500万ドゥカートもあれば、赤字は一気にチャラだ。
「ここにもう500万ドゥカートある」
リーチオはさらに金貨の詰まった革袋を置く。
「娘を入学させてくれて、新入生挨拶までやらせてくれればこれはあんたのものだ」
マーティンは大金の詰まった革袋から視線が外せなかった。
「で、ですが、今年の新入生には王太子もいまして……」
マーティンが渋るのに、リーチオが新たに革袋をテーブルに乗せた。
「素直な返事が聞きたいな。なんなら豚の物まねでもいいぞ」
これぞまさしく札束で殴るという攻撃である。
「さて、どうするんだ? 了解するなら、頭を下げて見せろ。そうじゃなきゃ、あんたの学園は財政破綻だ。名誉と伝統ある学園があんたの代で潰れたらことだよな? 素直になった方がいいんじゃないのか?」
「は、はい! 喜んで受け取らせていただきます!」
とうとうマーティンは折れた。
金の魅力というものはまさに魔性のものである。
「さて、帰るぞ、クラリッサ」
「これでいいの?」
「いいんだよ。あんなに喜んでいるんだから悪いことじゃない。そして、お前もこれから学園に通えるんだから、楽しみだろう?」
「うん。楽しみ」
リーチオの言葉にクラリッサは微笑みを浮かべて頷いた。
その笑みは今は亡きディーナによく似ていた。
クラリッサはリーチオはいつも頼りになると思っている。これまでも、これからも。
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制服を作りに学園指定の服屋に行ったのは、一応の合格発表が成されてからのことだった。いくら金を積んで合格を確かなものしているとはいえ、それを知られるのは不味いのである。あくまで普通に合格したことにしなければ。
「ええ!? ボスの嬢ちゃん、王立ティアマト学園に入学するんですか!?」
「そうだよ。何か問題でもあるのか?」
クラリッサの制服の仕立てに行ってくると部下に告げた時の反応がこれである。
「だ、だって、王立ティアマト学園って言ったら貴族のボンボンが通う学校じゃないですか。そんなところにクラリッサちゃんを放り込んだら、サメの生け簀に餌を放り込むようなものですよ。きっと滅茶苦茶苛められますよ」
王立ティアマト学園が貴族ご用達の学園であることは庶民にも広く知られている。庶民には縁も所縁もない天空の城のような扱いであった。
これまで平民が入学したことがないということはないのだが、平民が無事に卒業できたという話は聞かない。大抵が貴族たちの陰湿な苛めにあって、途中で退学していくからだ。そのような危険地帯でもあるのである。
「王立ティアマト学園なんかより聖ルシファー学園なんてどうです? あそこはいい感じの雰囲気の学校で、貴族も少ないですし、いるのはボスみたいな金のある平民たちですから、クラリッサちゃんも友達が作りやすいと思いますよ」
「おい。ピエルト。いつからお前は俺の娘の教育方針に口出しするようになったんだ? お前はそれほど偉くなったのか、ええ?」
「め、め、め、滅相もありません、ボス! ただ、クラリッサちゃんが苛められるのは嫌だなあと思いまして……」
リーチオがピエルトと呼ばれた部下を睨むのに、ピエルトはすくみ上った。
「安心しろ。あいつはそう簡単に苛められるような奴じゃない。俺とディーナの娘だぞ。それなりに立派に育ててきたつもりだ。まあ、念には念をという話はあるが」
そう告げてリーチオはパチリと指を鳴らした。
「お呼びでしょうか、ボス」
現れたのは黒服のハンサムな20代前半ごろの男だった。
長身で身長は190センチほどはあり、頬には一線の深い裂傷を負っているが、それが渋さを醸し出していた。この男が街を歩けば、女性のうち10人中10人が振り返るだろう黒髪の美男子だ。その男が音もなく、リーチオの執務室に現れた。
「ファビオ。ファビオ・フィオレ。お前にはいろいろと貸しがあったな」
「ええ。それはとても。自分がここまで立派に育てたのはボスのおかげです」
リーチオがネクタイを正しながら告げるのに、ファビオと呼ばれた男は頷いた。
「いい心がけだ、ファビオ。恩を忘れない男というのは立派だ。お前にはいろいろと仕事を任せてきた。信頼しているからだ。今回も新しい仕事を頼まれてはくれないか?」
「ボスのためでしたらなんであろうと」
このファビオという男。元はスラム街で犯罪組織に頼まれて殺しをやっていた男だった。リーチオとディーナが暗黒街に殴りこんでから、リーチオを消すようにと命じられ、その命令通りにリーチオの命を狙った。
だが、失敗した。リーチオは暗殺者に気づき、そのナイフを握った手をねじ伏せた。
「俺の命を狙うとは大したガキだ。勇気があるし、面白い。俺についてくれば、いい目を見させてやるぞ。どうだ?」
最初は暗殺に失敗したことで殺されると思ったファビオだったが、リーチオは思わぬ提案をした。自分の命を狙った暗殺者を許し、自分の下で仕事をさせると告げたのだ。
「これからはひとりで暗殺を実行する必要はない。複数のチームで狙う。まずはお前を送り込んできた野郎を始末するぞ。ピエルト、支援してやれ。俺の命を狙った命知らずの首をここに持ってこい。通りに吊るしてやる」
それからファビオは立派な教育を施されて一流の暗殺者に育て上げられた。これまでのような鉄砲玉ではなく、必ず帰還することを求められるリーチオの組織にとって重要な人物になった。報酬もたっぷりと支払われ、ファビオはそれをかつてのスラム街の仲間たちに分け与え、彼らも教育を受けられるように手配した。
暗殺者であるが、彼は決して悪人とは断言できない男なのだ。
「ファビオ。既に聞いていると思うが、俺の娘のクラリッサが王立ティアマト学園に入学することになった。俺はクラリッサが貴族のボンボン程度に苛められるような軟な娘だとは思ってないが、万が一という場合もある」
やっぱり心配してるじゃんとピエルトは思ったが口には出さなかった。
「王立ティアマト学園っていう場所は大層な場所で、執事か侍女をひとり連れてきていいということになっている。お前にはその執事役として、クラリッサとともに学園に向かってもらいたい。俺のクラリッサに手を出すような野郎がいたら──」
リーチオが獰猛な表情を浮かべた。ピエルトは震えあがっている。
「骨の1、2本は教育費として支払わせてやれ」
「畏まりました、ボス」
リーチオの物騒な命令にファビオは表情を変えることなく、頷いて返した。
「結構だ。任せたぞ、ファビオ」
リーチオはそう告げて時計を見る。
「そろそろ時間だ。クラリッサの制服を受け取りにいかなにゃならん」
「それでしたら俺が取ってきますよ?」
「馬鹿か? こういうのは親が子供に与えるから意味があるんだ。ちっとは学べ」
「も、申し訳ないです、ボス!」
そう告げるとリーチオはビジネススーツ姿で部屋を出た。
「パパ。制服、楽しみだね」
「そうだな。きっとお前に似合うぞ」
部屋の外に出るとクラリッサがトトトと駆け寄ってきた。
「さあ、行くぞ。この時期は服屋も忙しいみたいだからな」
リーチオはそう告げると表に待機させておいた馬車に乗った。
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服屋は貴族ご用達の高級店だった。
そうであるが故に場違いにならないようリーチオもクラリッサもめかし込んでいる。
リーチオは最高級のファッションの国であるロマルア教皇国製のビジネススーツで、最高の職人たちの手で仕立てられたウールの生地のもの。ネクタイも同じくロマルア教皇国製の落ち着いた青色のものを几帳面に締めている。
最初、リーチオは服装にこだわるなど馬鹿らしいと思っていたが、妻のディーナが服装は相手を判断する貴重な材料になるとアドバイスし、遥々ロマルア教皇国まで出かけて、スーツを仕立てた。ディーナはこういうことに詳しく、多くのことをリーチオに教えてくれていた。今もその知識が役に立っている。
一方のクラリッサはシルクの手袋に春の陽光に似合った白いワンピースとギンガムチェックのショールを身に着けている。これもロマルア教皇国製だ。クラリッサはこういうドレスより、パンツルックの方が動きやすくて好きなのだが、どうしてそんな彼女が王立ティアマト学園の制服に興味を持ったのか謎だ。
「予約していた客だ。リーチオ・リベラトーレ。できてるか」
「はい。ミスター・リベラトーレ。お待ちしておりました」
服屋の店員は受付で笑顔でリーチオを出迎えた。
リーチオの金払いの良さとちゃんとした服装に好感を持たれたのだろう。まさかリーチオが暗黒街の顔役だなどとはまるで思っていない。
「それでは少しばかり調整いたしますので、試着室にどうぞ」
「ほら、行ってこい。楽しみだったんだろう?」
リーチオがそう告げるのにクラリッサは無言で目を光らせて頷いた。
そして、クラリッサが試着室に入ってから15分ほどが過ぎた。
「どうかな?」
クラリッサは制服姿で出てきた。
クラリッサが興味を持っただけはあって、制服は素晴らしいものだった。
赤いブレザーに白いシャツ。胸元には青いリボンがワンポイントで。これは学年ごとに色が変わるようになっている。そして、右の胸ポケットには王立ティアマト学園の紋章である盾を守り、カギと矛を握ったドラゴンのエンブレムが刻み込まれていた。
スカートはやや短めで、白と黒のチェック柄。スカートは普通のスカートとキュロットスカートが選べたが、クラリッサはキュロットスカートを選んだ。また学校指定のハイソックスは紺色で、茶色のパンプスと合わさっているとまさに学生という装いだ。
「よく似合ってるじゃないか。動きやすいか?」
「うん。少しひらひらするけど、これもいいかな。前に学園の生徒を見かけたときにあれは可愛いってずっと思ってたんだ。これで私も同じものが着れる。ありがとう、パパ」
「娘を着飾らせるのも親の務めだからかな」
クラリッサはいつものように言葉数こそ少ないものの嬉しそうにスカートをひらひらさせたり、鏡を見たりしてはしゃいている。リーチオもクラリッサの喜ぶ姿が見れて、実に満足しているところだ。ディーナに約束したようにクラリッサは大切に育ててやらなければという思いが、強く湧き起こってくる。
「サイズの調整は必要か?」
「いえ。採寸した通りでよかったようです。今、お包みしますのでお待ちを」
制服はクラリッサの体にフィットしている。父親としてはスカート丈の短さが気になるところだが、キュロットスカートなので大丈夫だろうと思うことにした。
「よし。明後日はいよいよ入学式だぞ。明日は教科書を買いに行く」
「おー」
リーチオの言葉にクラリッサがダウナーに告げるとふたりは服屋を出ていった。
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本日2回目の更新です。