娘は体育祭を張り切りたい
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──娘は体育祭を張り切りたい
いよいよ体育祭の日が訪れた!
クラリッサは張り切って家を出かけていった。
「おはよ」
「おはよー。クラリッサちゃん、今日の体調は万全?」
「ウィレミナのテーマ通り、全身全霊の準備ができてるよ」
クラリッサが登校してきたのに、ウィレミナが声をかける。
「クラリッサちゃん。いよいよ本番だね。緊張してきたよー」
「大丈夫。ちょっとミスっても愛嬌のうちだよ。無賃金だしね」
「うーん。無賃金なのはあんまり関係ないかな……」
サンドラが告げるのに、クラリッサがグッとサムズアップして返す。
クラリッサは体育祭に参加するだけでお給料が発生すると思っていたぞ。
「おはようございます、クラリッサさん」
「おはよ、フィオナ。今日はポニーテイルなんだね。その髪型もとっても可愛いよ」
「そ、そうですか? ちょっと今日は動きやすい髪型をと思いまして」
フィオナも登校してきた。
「私もポニーテイルにしておいた方がいいかな?」
「そうですわね。絡まったりするとクラリッサさんの綺麗な御髪がもったいないですし、纏めた方がよろしいかと思いますわ。私が纏めましょうか?」
「うん。頼めるかな?」
「喜んで」
クラリッサはいつもプラチナブロンドの髪をストレートに伸ばしている。あまり飾り気のない子だ。母親がいれば髪もいろいろと弄られただろうが、あいにくリーチオには娘の髪型まで気にする余裕はなかった。
「クラリッサさんの髪は本当にさらさらですわね……。絹のようですわ」
「そうかな。あまり気にしたことはなかったんだ」
くせ毛のフィオナが羨ましそうにクラリッサの髪を梳くのにクラリッサがそう告げた。あまりお洒落とか考えない子だったのだ。少なくとも少し前までは。
それがいきなりお洒落に興味を持って、制服の可愛い王立ティアマト学園に入りたがるのだから、世の中何がどうなるか分からないものである。
(クラリッサさんの髪の毛、本当にさらさらですわ……。それにいい匂い……。私もクラリッサさんと同じシャンプーとリンスを使っていますけれど、こんないい匂いはしませんわ。クラリッサさんは何を日ごろから行っておられるのでしょう?)
フィオナはドキドキしながらも、クラリッサの髪を纏めていく。フィオナはクラリッサから髪のことで褒めてもらったことでコンプレックスが解消され、自分でも髪を弄ったり、侍女にコツを聞いたりしているので、クラリッサの髪を纏めるのも手慣れた仕草だ。
「こんなところでしょうか。どうですか?」
「いいね。動きやすく感じるし、綺麗になっちゃったよ。流石は天使の君だ。君の手には魔法がかけられているのかな?」
「も、もう、クラリッサさんの素体がいいんですわ」
満更でもないフィオナだ。
「おー。クラリッサちゃんが髪型変えると新鮮だ。別人とまでは言わないけれど、かなり印象変わるね。似合ってるよ」
「そうだね。クラリッサちゃんも今度からいろいろ髪型弄ってみない?」
ウィレミナが告げるのに、サンドラもそう告げた。
「考えてみる。今はポニーテイルがお気に入りだ」
「あたしもポニテだよ。短いけどね。おそろ!」
クラリッサがくるくると回って動きやすさを確認しているのに、ウィレミナがショートヘアからぴょんと飛び出たポニーテイルを指し示す。
「クラリッサちゃんはツインテールとかも可愛そうだよね」
「そうですわね。クラリッサさんはどんな髪型も似合いそうですわ」
サンドラとフィオナが意外なところで意気投合していた。
「おはよーございますう」
そんなこんなしていたら息を切らせてヘザーが教室に駆け込んできた。
「あれま。まだ皆さん、教室にいたんですかあ? そろそろ着替えとかないと時間的に不味くないですかあ?」
「あ。本当だ。そろそろ時間だ。急ごう」
遅刻ギリギリに来たヘザーが告げるのに、クラリッサが時間を確認する。
「最初から体操着でいいんだっけ?」
「いいや。最初から応援団の衣装だよ。競技前には着替え」
サンドラが確認するのに、クラリッサが答える。意外としっかりした子だ。
「うー。あたしもちょっと緊張してきた。ちゃんとできるかな」
「ちゃんとできないと思いますので、是非ともお仕置きの準備を! 公衆の面前で鞭打ってくださいよう! それはもうビシビシと!」
ウィレミナが着替えながらそう告げるのに、ヘザーが堂々とそう告げた。
「大丈夫。落ち着いてやればちゃんとできるから。これまで練習してきたでしょ。それからお仕置きは有料サービスだよ。『ファビオの言葉責めコース』と『ファビオの拘束鞭打ちコース』のふたつがあるよ」
「クラリッサちゃん。学園で変な商売しようとするのはやめようね?」
意外とこういう特殊な性癖向けの人たちへの需要があるんじゃなかろうかと思えてきたクラリッサだが、サンドラに止められた。
「ヘザー嬢! 短パン履き忘れてますわよ! パンツが見えてしまいますわ!」
「むしろ見られたいんですよう!」
そして、この短いスカートで飛んだり跳ねたりするのに短パンを履かずに出撃しようとするヘザーをフィオナが止める。
「ええい。ちゃんと短パンを履くんだ。そういう設計の衣装なんだからな」
「抵抗するなー」
ウィレミナとクラリッサが押さえつけて、ヘザーに短パンを履かせる。
「はあはあ。これも興奮するけどどちらかというと脱がされる方が興奮するう!」
「この変態は縛り上げてここに置いていった方がいいのでは?」
「それもご褒美ですよう!」
「なら、これも有料サービスにするか……」
流石のクラリッサもヘザーを相手には苦戦するぞ。いろんな意味で。
「さて、集合時間だ。行こうか」
「おー!」
クラリッサがそう告げ、1年A組の応援団はグラウンドに向かった。
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リーチオはクラリッサから渡されたプリントに従い、決められた時間に王立ティアマト学園の正門を馬車で潜った。
「お疲れ様です、ボス!」
そして、待ち構えている強面の男たちの出迎え。
ずらりと10名程度の男たちが並んで、リーチオを出迎えていた。
「おい。お前たちは動員しなくてもいいといったはずだぞ。誰が命令した?」
「ええっと。ピエトロさんとベニートさんが……。不味かったですか?」
「不味いんだよ」
リーチオは表向きは金融業を営む、街の名士ということになっている。それがこんな堅気じゃない連中を引き連れて現れたら、その仮面が疑われてしまう。
「ピエルトもベニートも何を考えてやがる」
リーチオは時間丁度に来たことを後悔しながら、恐らくは先に来ているだろうピエルトとベニートおじさんを探す。
「あっ! ボス! こっちです、こっち!」
そして、リーチオにとっては最悪なことに実に悪目立ちする場所──観客席のもっとも目立つ場所──にピエルトがいた。強面の男たちががっちりとその場所をキープしている中で、ファビオもなんとも言えない顔で、場所取りを行っている。
「この馬鹿野郎。部下どもを体育祭に動員するなとあれだけ言っただろうが。何を聞いてた。それもこんな悪目立ちする場所に堂々と陣取らせやがって。何を考えてやがる。天国に行く前に1回死んでおきたいのか?」
「1、1回死んだらそのまま即地獄行きですよ……。それでですね。ベニートさんと話し合ったんですが、ボスは部下の動員を止めるようにと言っていたけれど、ボスの出迎えと場所取りぐらいなら大丈夫じゃないかって。だって、ボスは我らがリベラトーレ・ファミリーのボスですよ。他の貴族も使用人なら何やらを引き連れてきてますし、ボスも少しは部下を引き連れてきたってそんなに目立ちはしませんって」
「目立つんだよ。どこの誰がこんな男たちを引き連れている。ええ?」
ピエルトが必死に弁解するのに、リーチオが彼を睨み殺さんとする勢いで睨む。
確かに貴族の家庭は3、4名の使用人を引き連れているが、どこの誰も黒のスーツで統一され、いかにも『私は堅気の人間じゃあございません』という風体の男たちを引き連れてはいない。それもそんな男たちが10人近くいるのだ。
「おお。ボス、来られましたか。待っていましたよ。ばっちりでしょう」
「ベニート……。なにがばっちりなんだ?」
そんなやり取りをリーチオとピエルトがしていたら、ベニートおじさんがゆったりとご登場だ。スリーピースのスーツでビシッと決めているぞ。
「そりゃあ、ファミリーの権威を示すことですよ。今、俺たちのシマを荒らしているチンピラどもにしても、フランク王国の組織にしても、俺たちのことを虎視眈々と狙っていますからね。隙を見せるわけにかいかんのです」
ベニートおじさんはそう告げて周囲を見渡す。
「それがリベラトーレ・ファミリーのボスと娘が2名の幹部と1名の青二才だけを連れて、娘の体育祭にやってきたなんて知られたら、どうなります。『リベラトーレ・ファミリーは部下が動員できないほどに弱体化した』と思われるでしょう。そうなことがあっちゃならんのですぜ。だから、ボスのために場所取りと送迎には部下を動員しました」
ベニートおじさんの言わんことも分からんでもないので、リーチオは沈黙した。
だが、街のチンピラやフランク王国の組織が、わざわざ学校の体育祭を覗きにやってくるだろうか。『おっ。体育祭やってるじゃん。ちょっとリベラトーレ・ファミリーの様子を見てこようぜ』とか思うだろうか。
微妙なところである……。
「だが、ベニート。これじゃあ、俺たちが堅気じゃないことがばれるだろう」
「……? そのことはもう誰もが知っているのではなく?」
「マフィアの娘を貴族の学校が入学させると思うか?」
ベニートおじさんはクラリッサは名誉あるリベラトーレ・ファミリーの娘だと周知されていると思っていたぞ。
「ベニートおじさん!」
そんなとき声が響いた。
「おお。クラリッサちゃん。元気にやっているか?」
「うん。今日は来てくれたんだね。嬉しい」
やってきたのはクラリッサだ。応援団の衣装を纏ったクラリッサがベニートおじさんに向けて、トトトと駆け寄ってきたぞ。
「クラリッサちゃん。その方は親戚の人?」
「一家の人。ベニートおじさん、こっちは友達のサンドラ。それからウィレミナ、フィオナ、ヘザーだよ」
「サンドラ・ストーナーです。よろしくお願いします」
ベニートおじさんは黙ってればイケてる渋いナイスガイなので、サンドラたちも特に警戒していないぞ。まさかこのおじさんがクラリッサに馬の首作戦を授けた張本人だとは、ここにいる誰もが想像しないだろう。
「おお。クラリッサちゃんの友達か。いやあ、クラリッサちゃんは流石だな。もうこんなに友達がいるだなんて。さあ、さあ、これで美味しいものでも食べなさい」
ベニートおじさんは財布を取り出すと1万ドゥカートほどポンポン手渡していく。
「やりー! ありがと、クラリッサちゃんのおじさん!」
「いいんだよ。これからもクラリッサちゃんと仲良くしてくれな」
貧乏なウィレミナが喜ぶが、他の面々は困った反応をしている。
一応彼女たちも貴族である。それが施しを受けるというのはどうなんだろう。それも学生には結構な額である。公爵家のフィオナにとってははした金だろうが、男爵家のサンドラにとっては割と説明に困る出自のお金になってしまった。
「へえ。クラリッサちゃんたちのお友達か。クラリッサちゃん、本当にコミュ力あるよね。学校でもうこんなに友達作っちゃうなんて。お友達のみんな、これからもクラリッサちゃんと仲良くしてあげてね」
ピエルトもそう告げてお小遣いのように1万ドゥカートずつ渡していく。
「おい。友達を買収しておこうとするのはやめろ」
「ち、違いますよ、ボス! 純粋な厚意ですよ!」
リーチオが睨むのにピエルトが叫ぶ。
「ねえ、ねえ、クラリッサちゃん。あそこにいる男の人たちってクラリッサちゃんの家の使用人の人たちなのかな……?」
そこでサンドラの視線が依然として場所取りをしている強面の男たちに向けられる。
「あれも一家の人たち。あれはピエルトおじさんの部下の人かな?」
「う、うん。何かが私たちの会話で食い違っていることは分かったよ」
普通、家族に部下も何もないぞ。
「サンドラさん、サンドラさん。あれって歓楽街で……」
「使用人の人だね。うん、そうだよ」
ウィレミナが告げるのに、サンドラは現実逃避した。
「クラリッサさんのところは大所帯ですわね。それも逞しい男性ばかり」
「女の人もいるよ。もうすぐ来るんじゃないかな」
フィオナがさっぱり状況を理解せずに告げるのに、クラリッサが周囲を見渡す。
「あ。パールさん!」
「クラリッサちゃん。今日は招待してくれてありがとう」
そして、パールの登場である。
「あら。ウィレミナちゃんとサンドラちゃんだったわね。その衣装、似合っているわよ。クラリッサちゃんたちは応援団かしら?」
「そう。応援団。飛んで跳ねて、応援する。体育委員だからね。無賃金だよ」
パールが首をかしげて尋ねるのに、クラリッサが頷く。
「まあ! エルフの方ですわ! それもとてもお美しい……」
「フィオナ。こっちはパールさん。私の師匠」
フィオナが初めてのエルフを前に感動するのに、クラリッサがそう紹介した。
「始めまして、フィオナちゃん。あなたのことでクラリッサちゃんから何度か相談を受けたわ。髪質を気にしているそうね。丁寧な手入れを心がければ、どんな髪質でも美しくなれるから安心してね。その髪の毛は決して悪いものではないわ」
「あ、ありがとうございましゅ……」
コンプレックスだった髪質をクラリッサやパールに褒められて、フィオナは夢心地だった。ジョン王太子は婚約者だが、フィオナの気にしている髪については何も言ってくれない。そのこともあってフィオナはこれまではちょっと落ち込んでいたのだった。
それもこれまでの話である。最近のフィオナはクラリッサたちのおかげで自信を持っているぞ。とても美しくて、エルフであるパールにまで褒められたのだから、これからは彼女は髪の毛にコンプレックスを抱くことは少なくなるだろう。
「ああ! あそこに見えるのはドサドのイケメン執事さんではないですかあ! 応援失敗しますから、見ててくださいねえ! それから是非ともその件でお仕置きを!」
「ファビオに話があるなら私を通してもらおうか」
ヘザーがファビオを見て声を上げるのに、クラリッサが彼女の肩を掴んだ。
「それじゃあ、俺たちはボスと応援してますから頑張ってね、クラリッサちゃん」
「うん。任せといて」
ピエルトが告げるのに、クラリッサがグッとサムズアップする。
こうして、クラリッサの体育祭は始まった。
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本日1回目の更新です。




