娘は家庭教師に着飾ってもらいたい
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──娘は家庭教師に着飾ってもらいたい
「グレンダさん。今週末の日曜日の午前中、暇?」
「特に予定はないけれど、どうかしたの?」
クラリッサが蓄音機でフランク語で歌われる曲を聞きながら尋ねるのに、グレンダが首を傾げた。クラリッサはヒアリングの能力が高いということが分かっているので、音楽を利用しての教育を行っているのだ。
「紹介したい人がいるんだ。夜だと忙しいところだから、休みの日の昼に」
「いいよ。でも、いつもの格好でも大丈夫なところ?」
グレンダの家は平民の家庭で、特に裕福でもない。彼女は奨学金で聖ルシファー学園に入学し、同じく奨学金でオクサンフォード大学に通っていた。今もクラリッサの家庭教師で稼いだお金は奨学金の返済のために取っておいてある。
「うーん。そうだね。もうちょっと華やかなのがいいかも。私がグレンダさんの洋服買ってあげるから、土曜日に買い物に行こう」
「そんなのクラリッサちゃんに悪いよ」
「気にしない、気にしない。グレンダさんのおかげで成績上がってるんだから」
グレンダが断ろうとするが、クラリッサはそう言い切った。
「私がいい洋服、選んであげる。紹介したい人たちがいるのは結構格式がある場所だからね。今のままでも悪くないとは思うけど、せっかくだから着飾っていこう」
「うーん。私、クラリッサちゃんのお父さんから結構なお給料もらってるんだよ?」
「それはそれ。これはこれ。気にしないで。私がグレンダさんに洋服を買ってあげたいだけなんだから。私個人のお礼として」
「そこまでいうなら……」
グレンダの服装はそこまで酷いというものでもない。
ただ、些か古ぼけているのだ。
ロングスカートのワンピースは彼女の母が着ていたものであり、時代から遅れている。見えないところのタイツは何か所かほつれており、夏だと言うのに足も出せない。クラリッサがグレンダを着せ替えたがるのも当然だと言えるだろう。
「土曜日は10時にウィリアム4世広場に集合ね。そこからオクサンフォード・ストリートにいくよ。イースト・ビギンでも買い物はできるんだけれど、オクサンフォード・ストリートの方が品ぞろえがいいからね」
「うん。分かった。では、クラリッサちゃん。さっきの歌詞を翻訳してみようか」
「ええっと。『我らは薄い木漏れ日の中を進み──』」
生徒におごってもらうのはどうかと思いながらも仕事はきっちりやるグレンダだ。
「クラリッサちゃんはヒアリングは凄い才能を発揮するわね。才能があるよ」
「照れる」
ほめて伸ばすのも家庭教師の務めだ。
「クラリッサちゃんはフランク王国に修学旅行に行ったんでしょ? やっぱりヒアリングには問題なかった?」
「そだね。文法が分からなくても、単語が分かれば概ね分かるし。けど、テストだとやっぱり文法が必要になってくる……」
「ファイト。今日は面白いフランク王国語の絵本を持って来たからそっちを試してみよう。それとも演劇の録音レコードがいい?」
「絵本で」
そんなこんなでクラリッサの勉強は順調に進んでいる。
だが、彼女はグレンダに誰を紹介しようとしているのだろうか?
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「おはよ。グレンダさん」
「おはよう、クラリッサちゃん」
週末の土曜日。
クラリッサとグレンダはウィリアム4世広場で落ち合った。
季節は夏への移り変わりの中。既に日差しは強く、グレンダは日傘をさしている。
「じゃあ、買い物に行こうか。オクサンフォード・ストリートにはいろいろとお店があるよ。お昼もそこで済ませちゃおう」
「私、あんまりお金持ってきてないからそこそこのところでいいかしら?」
「今日は全部、私の奢りだよ」
クラリッサはそう告げ、オクサンフォード・ストリートに向けて足を進めた。
「グレンダさんはもう彼氏いる?」
「いないわねー。職についたら探そうかと思っているけれど、結婚したら仕事辞めなくちゃいけないし、迷いどころね」
この世界ではまだ産休や育休などがないため、女性が身ごもると、そのまま社会からフェードアウトしてしまうことが多い。結婚しても、育児を家庭教師などに任せて社会に戻る女性もいるが、そういう女性は決まって上流階級だ。
グレンダにはまだ返さなければならない奨学金もあるし、養わなければならない家族のこともある。グレンダの家も貧乏な家庭にありがちなことに子沢山で、将来の労働力と内需を満たしてくれること期待されながらも、今は貧しい環境にあった。
「グレンダさんも青春しないと。大学で勉強だけしているのは寂しいよ」
「そういうクラリッサちゃんは彼氏いるの?」
「むー。痛いところを突くね。けど、私はちゃんと恋愛する意志はあるよ。ただ、それに相応しい男が見つからないだけで。私の理想は高いんだ」
グレンダが苦笑いを浮かべて告げると、クラリッサはそう告げて返した。
「私も理想は高いよ。何せ、大学に行くような女性を受け入れてくれる男の人を探すのは苦労する話だから。大抵の男の人は学のある女性というのをあまり快く受け入れないものよ。女性の人権活動家とかと同類に見なされるからね」
「グレンダさんならきっといい人が見つかるよ」
この時代はまだ男社会。
女性の参政権はまだまだ制限されているし、男性がパートナーに選ぶのもほとんどの場合は家庭を家庭の中で支えてくれる女性。女性の人権活動家というのは社会主義者のように思われ、あまり快く思われていない。
確かに時代は少しずつ女性の社会進出に向けて動いている。東部戦線で男性が兵役についている限り、国内の労働力に女性を使うことは避けられないのだ。
国家のために働いているのだから、自分たちに権利を。当然のことだ。
だが、カジノ法案に反対するような貴族の保守層は女性の社会進出を快く思わず、様々なことで女性たちに制限をかけている。
グレンダも大学という最高学府に入学したものの、男性と同水準で働くことは難しいだろうし、平民の間では未だに学のある女性を家では働かない女性だと見るむきがある。女性は家で子供の面倒を見て、夫の面倒を見て、そうして過ごすものだという価値観が未だに根強いがゆえに。
だが、グレンダほどユーモアがあり、魅力的な女性ならきっと結婚相手は見つかるだろう。もしかすると、女性が働くことに理解を示す男性かもしれない。
「クラリッサちゃんは大学に行ってやりたいことはあるの?」
「ん。言ってなかったっけ? 経営学の学位を取るの」
「経営学? 起業家になるの?」
「いいや。パパからビジネスの一部を譲り受けるの」
グレンダが尋ねると、クラリッサはステップを踏みながらそう答えた。
「ビジネスの一部? そういえばお屋敷凄かったけど、クラリッサちゃんのお父さんは何の仕事をしているの?」
「金融業とか」
「あー。それでかー」
このご時世、ブルジョワ層になれるのは法曹、医者、金融業者、そして経営者と決まっている。特にフランク王国から波及したボナパルト戦争において、ギャンブル染みた投資を行い大富豪になった金融業者は有名だ。
「今度ね。ロンディニウムの新規開発地区でホテルとカジノを始めるんだ。パパは経営学の学位を取ったら、そこの経営を任せてくれるって。私、こう見えてギャンブルには強いんだよ。学園でもブックメーカーとかカジノとかやってるけど、大儲けしてる」
「クラリッサちゃんは今をエンジョイしているのね」
大学でも男子学生が4名集まればカードゲームが始まるという具合に、ギャンブルは日常茶飯事だ。グレンダもその程度の物だろうと思っていた。まさかクラリッサが500万ドゥカートという大金が動くようなギャンブルを取り仕切っているとは思ってもみない。
「グレンダさんは学校の先生になりたいんだよね?」
「うん。あこがれの職業なの。本当はあまり稼げない仕事なんだけど、子供たちに夢を与えて、その夢がかなう手助けをするっていうのは素敵かなって」
教職ははっきり言って、この時代でも儲かる職業ではない。
王立ティアマト学園や聖ルシファー学園などならば高給が保証されるだろうが、そうでない学校では支給される給料は暮らしていくだけで精いっぱいのものだ。
貴族の家庭教師などをしている方がよっぽど儲かるが、平民であるグレンダを貴族の家庭教師にするというのはあまり得策ではない。貴族には通常の勉学の他に礼儀作法を学ぶ必要もあるのだ。それに貴族の雇う家庭教師というのはある程度実績のある人物である。バイト感覚でできる仕事ではないのだ。
その点、クラリッサの家庭教師というのは変わっている。普通、クラリッサのような富裕層は貴族との取引もあることから貴族と同水準の家庭教師を求める。だが、クラリッサの父リーチオは、平民で学生のグレンダを選んだ。
それはリーチオが偏見を持たない人物であるためか、それともグレンダこそがクラリッサの家庭教師として本当に相応しいと判断したためか。いずれにせよ、グレンダはリーチオに雇われて、クラリッサの家庭教師をとんでもない報酬でやることになった。
今のうちに貯蓄しておかないと、教職を始めてからはそこまで金銭を実家に送れないだろうと考えて、グレンダはリーチオから受け取る給料を貯蓄に回している。
「学校の先生って気難しい感じがするけど、グレンダさんならいい先生になれるよ」
「ありがとう、クラリッサちゃん」
クラリッサが微笑んで告げると、グレンダが微笑み返した。
「さて、ショッピングの時間だ」
クラリッサは百貨店の前に立ってそう宣言した。
「あの、本当に買ってもらっていいの? 無理はしないでね?」
「大丈夫。私、財布は分厚いから」
クラリッサはお小遣いとして毎月100万ドゥカートを受け取っているのに加えて、闇カジノやブックメーカーでの収入が200万ドゥカートから500万ドゥカートある。それでいて、欲しいものはねだれば大抵買ってもらえるので財布は膨らむばかりだ。
「グレンダさんは大人な服装が似合うと思うんだ。私たちはまだまだお子様な格好をしているけど、グレンダさんなら大人な格好も似合うはず。というわけで、婦人服売り場を覗いてみよう。レッツゴー」
「お、おー……」
クラリッサが威勢よく告げるのに、グレンダがおずおずと続いた。
「婦人服売り場は4階だね。エレベーターでいこう」
「クラリッサちゃんはもう何度もこういう大きなお店に来たことあるの?」
「あるよ? ドレスを仕立てるなら専門の店に頼むけれど、下着とか水着とかを買うならこういうお店にする。グレンダさんは夏休みの予定ある?」
「夏休みは勉強。研究室の仕事があるの」
「それは残念。友達にもグレンダさんを紹介しようと思ったのに」
この世界の大学生は忙しいもので、所属する研究室での仕事が大学2年生からあるのだ。地球でもそうかもしれないが、大学生の夏休みは忙しいところと、暇なところで二分されるものである。
グレンダも将来よき教育者になるために教育論についての勉強を重ねている。どのような教育方法が理想的なのかを研究しているのだ。
大学は勉強するところだからね。
「夏休みも勉強……。大学は恐ろしいところだ……」
「大学はそういう場所よ。勉強をしたい人が集まるところだから」
「なんだが大学に行きたくなくなってきた」
クラリッサはもっと簡単に学位が取れると思っていたぞ。
「それでも大学は楽しい場所よ。サークル活動はあるし、好きな分野についてとことん勉強できるのは楽しいことだよ」
「むう。私もホテル経営のためを思えば頑張れるかもしれない」
「そうそう。その意気だよ」
クラリッサはホテルとカジノを経営するためなら多少の苦労はするつもりだ。
「さてと、グレンダさんは派手なのと控えめなのどっちが好き?」
「うーん。控えめなのかな。あんまり目立つのは好きじゃないんだ」
「よし。じゃあ、その方向で選ぼう」
クラリッサはそう告げて婦人服売り場に入っていた。
「これなんてどうかな? 最近流行りのノースリーブのワンピースだよ」
「ちょっと露出が多い気が──って9万ドゥカート!?」
グレンダは服そのものより服の値段にびっくりしていた。
「値段は気にしない。それじゃあ、こっちのシャツとスカートにする?」
「合計で10万ドゥカート……。けど、私のタイツ、ちょっとほころんでるから、あんまり足は出さない奴の方がいいのよね」
「タイツも買いなおそう。夏は暑いし、ソックスにしたら?」
「未婚の乙女が生足を出してもいいものなのかな?」
「そんな社会常識に縛られてたら何もできないよ」
クラリッサは押せ押せドンドンだ。
「グレンダさんはこれから教師を目指すわけだし、守るべき常識と破壊するべき慣習はしっかりとわけていかなくちゃ。これからは女性が活躍する社会だよ。生足出すことぐらい気にしない、気にしない」
「そうかな。そうね!」
というわけで、クラリッサに流されてグレンダはいろいろと購入した。
本当は明日着るための一着があればよかったのだが、クラリッサが次々にカートに放り込んでいくのを止められず、会計はすさまじいことになった。
その会計をさらりとクラリッサが済ませてしまったことは言うまでもない。
さて、明日、クラリッサは誰にグレンダを紹介するつもりなのだろうか?
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