娘は中等部2年を振り返りたい
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──娘は中等部2年を振り返りたい
クラリッサの中等部3年の生活が始まった。
生徒会も今年でお終い。正真正銘の解散だ。
だが、その前にクラリッサにやっておくべきことがあった。
「ふむ。中等部2年のときの美術の作品展示か」
クラリッサは美術室の前でそう呟いた。
「クラリッサちゃん。何作ったの? 彫刻? それとも絵画?」
「絵画。我ながらいい出来だと思うよ」
サンドラが尋ねるのに、クラリッサがそう告げて返した。
「おっ? 作品展示?」
「ウィレミナちゃん。ウィレミナちゃんも美術だったよね?」
「そうそう。自慢の一品ができたぜ」
クラリッサとサンドラが美術室の前に立っているのにウィレミナがやってきた。
「じゃあ、見せてもらっていい?」
「もち。案内するよ」
基本的に美術を選択した人間はよほど美術が好きだというものでなければ、音楽からの亡命組である。この世界では貴族が嗜むものと言ったら美術より音楽であり、美術が本当にやりたければ、美術に力を入れている聖ルシファー学園のような学校や、専門学校に通う。それか個人的な家庭教師を付けてもらって、美術について学ぶ。
というわけで、美術と言うのはごく一握りの美的センスの持ち主以外は、どんぐりの背比べというか、どんぞこ決定戦というか、見るに堪えない代物というか……。
あのダジャレ大好き生徒会長アガサ・アットウェルのような作品は期待できない。
「ウィレミナちゃんは絵画? それとも彫刻?」
「粘土!」
「粘土かー」
粘土など弄るのは初等部以来である。
「あ。これこれ。これがあたしの作品」
「……なにこれ?」
ウィレミナが指さしたのは名状しがたい何かよく分からないものだった。
ぐにゃぐにゃとした触手のようなものが4本地面に伸びていて、顔と思しきものが付いている。人間の顔のような、何か別の生き物の顔のような、不気味な顔だった。
「ブルーだよ。あたしの使い魔」
「ウィレミナちゃんはブルーに謝って」
「何故に」
その粘土の彫像はどう見てもブルーには見えないぞ、ウィレミナ。
「もうちょっとやりようがあったでしょ。これじゃアルフィだよ」
「おい。人の使い魔を失敗した作品と同列に並べるのはやめてもらおうか」
確かにウィレミナの作品はブルーをモデルにしたというよりアルフィをモデルにしたと言われた方がしっくりくる感じである。
「でも、これでも美術の成績良かったんだぜ? 個性的な作品でいいって」
「美術教師の目は節穴かな?」
個性的で処理するのにも限度がある。
「でも、まあ他の作品を見れば確かに……」
美術室は人外魔境と化していた。
何をモチーフにしたのか見当もつかない彫像。地獄をスケッチしたのかな? と思わされるようなでたらめな絵画。そんなもので美術室は埋め尽くされている。ここにアルフィが混じっていても、誰も気づかないかもしれない。
中には真面目に作られた素晴らしい作品もあるのだが、それはごく一握りで、狂気の作品の山の中に埋もれてしまっている。無念。
「こうなるとクラリッサちゃんの作品も……」
「私のはこれだよ」
クラリッサは掲示板に貼りだされている作品を指さした。
「……なにこれ?」
「農民が虐殺される絵」
クラリッサの作品は決して悪いものではなかった。
絵には躍動感があり、人々の表情は真に迫っており、ちゃんとそれは人を描いたものだと認識することができた。むしろ、人物を描いたものとしては断トツで上手い。
ただ、題材が意味不明なのだ。
絵では槍で武装した騎士たちが逃げようとしている農民を刺し殺している。鮮血が噴き出し、苦悶の表情を浮かべる農民たちの姿は悲壮感に溢れている。
だが、どうしてこんな訳の分からない絵を? と問いたくなってくる。
「凄いでしょ。先生から天才だって褒められたんだよ。将来は画家になれるとまで言われたね。我ながら多才過ぎて他の人たちに申し訳なくなってくる」
「……うん。確かに絵は凄いよね。本当にグロいもん。けど、どうしてこんな絵を?」
「農民が虐殺される絵が好きだから」
クラリッサの感性は歪んでいた。
「あの、農民が虐殺される様子に何かメッセージを?」
「ないよ? ただ、農民が虐殺される絵が好きなだけ。ウケるから」
「ウケないよ……」
クラリッサは自分の絵を見て喉をひくひくさせている。よほどおかしいらしい。
「クラリッサちゃんもウィレミナちゃんもよくこんなのでいい成績取れたね」
「こんなのとは失礼な。サンドラはどうなのさ」
「私はピアノの演奏でいい成績をもらったよ」
クラリッサがムッとするのに、サンドラがそう告げて返した。
「そうだ。せっかくだし、サンドラちゃんの演奏を聞かせてもらおう」
「うん。いいよ。かなり上手になったからね」
サンドラはそう告げると音楽室に向かった。
「ジョン王太子も音楽だったよね。どんな感じだった?」
「すっごく上手だったよ。ジョン王太子はバイオリンを演奏したけど、フィオナさんのピアノと一緒に演奏して、とっても綺麗な曲を演奏してたね」
「ほうほう」
ジョン王太子はさりげなくフィオナと共演して、距離を縮めていた。
「あたしとクラリッサちゃんもふたりで演奏すればなかなかだったんじゃない?」
「その自信はどこから湧いたの? もう前のことは忘れたの?」
ウィレミナとクラリッサは鼓膜を引きちぎらんばかりの恐ろしい演奏を披露していたぞ。だが、本人たちはそこそこよくできていたと思っているので困りものだ。
「それじゃ、演奏するから聞いててね」
「楽譜いらないの?」
「覚えてるから」
「すごい」
クラリッサはよくあの判読不能な暗号のごときオタマジャクシの群れを暗記できるものだと心底感心した。クラリッサは楽譜を見ていても、カタストロフのような曲しか演奏できなかったのに。
「行くよ」
そう告げてサンドラはピアノを演奏し始めた。
清らかなリズムが流れる。調和した音がかつての巨匠たちの描いた曲を現代に再現させ、その音はどこまでも滑らかに流れていく。全体的にゆったりとした曲でありながら、しっかりとした盛り上がりがあり、サンドラは熱を込めて演奏した。
「どう? なかなかだったでしょう」
「ぐー……」
「寝てる……」
サンドラがクラリッサたちを見ると、クラリッサとウィレミナは寝息を立てていた。
「こら! ちゃんと聞いてよ!」
「ん……。聞いてたよ。まあまあだったね」
「ふわあ。どうして音楽って眠たくなるんだろう」
クラリッサとウィレミナは音楽に関しては同レベルであった。
「じゃあ、そろそろ教室に戻ろう。昼休みもお終いだ」
「もー。今度はちゃんと聞いてね?」
サンドラが不満なままクラリッサたちは教室に戻っていった。
頑張れ、サンドラ。いつかクラリッサたちが眠らない音楽を演奏するんだ。
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クラリッサはその日は自動車で帰宅した。
確かにクラリッサの自動車は注目の的だった。
いかに貴族の子女が集う学園であったとしても、自動車が購入できるほど裕福な貴族というのは稀である。貴族の中にも裕福な貴族とそうでない貴族がおり、裕福な貴族でも自動車に手が届く貴族は──まして子供が自動車を保有できる貴族は稀だった。
「クラリッサさん。それに乗って帰られるんですの?」
「そうだよ、フィオナ。私の自動車だからね」
フィオナがやってきて尋ねるのにクラリッサがそう告げて返した。
「我が家にも自動車はあるのですが、誰も乗りませんわね。自動車と言うのは難しいもののようですから。父は乗ってみようとしているのですが、やはり自動車より乗馬の方がいいと言いますわ」
「自動車も楽しいよ。フィオナが乗ってみたら?」
「私でも乗れるでしょうか?」
「いける、いける。フィオナは頭がいいから」
フィオナが首を傾げるのにクラリッサが言い切った。
「クラリッサ嬢。学園に自動車で通学するのは校則違反だよ」
「クリスティンみたいなこというね」
そんな話をクラリッサとフィオナがしていたときにジョン王太子がやってきた。
「しかし、自動車で通学してくる生徒がいるとは学園も予想外だっただろうね」
「時代の進歩に乗り遅れないようにしないと。時代は自動車だよ」
「ふむ。王室にもどこかのメーカーから献上された自動車があった気がするが……」
クラリッサの乗っている自動車と同じメーカーである『ランカスター・モーターズ』が王室にも自動車を献上しているが、王室はほとんど関心を示していない。昔ながらの伝統的な馬車こそ最良の乗り物だと考えているのだ。
「新大陸では自動車産業が盛んになっていると聞くし、大陸でもゲルマニア地方では自動車のメーカーが次々に立ち上がっていると聞く。確かに自動車はこの世を一新しそうだね。アルビオン王国も力を入れていくべきかもしれない」
「そうそう。これからは馬車じゃなくて自動車の時代になるよ」
確かにモータリゼーションの波は新大陸から押し寄せ始めている。
「だけれど、今は自動車での通学は認められないよ、クラリッサ嬢」
「そんなことを言っていると時代に乗り遅れるよ?」
クラリッサに校則を守るつもりはさらさらない。
「お嬢様。お待たせしたであります」
「お疲れ様、シャロン。じゃあ、帰ろうか」
シャロンは中等部3年にクラリッサたちが進級するに当たって、執事としてできることを教わる講習会に出席していたぞ。まあ、特にこれと言って前年度から目新しいことはないのだが。
「それじゃあね、フィオナ、ジョン王太子。また明日」
「明日は新入生歓迎パーティーの打ち合わせがあるから必ず出席するようにね」
「聞こえなーい」
「クラリッサ嬢!」
そして、クラリッサは意気揚々と帰路についた。
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「ただいま、パパ」
「おう。お帰り。事故ったりしなかっただろうな?」
「してない、してない。安全運転だよ」
クラリッサは屋敷に帰宅するとリーチオの書斎を覗き込んだ。
「中等部2年の時に作成した美術の課題が返ってきたよ。先生は私のことを天才だって。成績、凄く良かったでしょ?」
「ああ。お前は手先が不器用だとばかり思っていたから驚いたぞ。どんなものを作ったんだ? 美術教師が褒めるくらいだから凄いものだろう」
「これ」
クラリッサは背中に隠していた農民が虐殺される絵をリーチオに見せた。
「……なんだ、それ」
「農民が虐殺される絵。ウケるでしょ?」
「…………」
クラリッサが自信満々に告げるのに、リーチオは頭を抱えた。
「確かによく描けているが、もっとこう、まともな題材にする気はなかったのか?」
「……? まともな題材だよ? 美術館にもあったでしょう?」
そうである。
クラリッサが農民が虐殺される絵に執着し始めたのは、エステライヒ帝国の美術館でそんな題材の絵を見たからである。
もっともあの絵にはちゃんとメッセージ性があり、農民たちが自由を求めて戦いを挑み、それを誇り高き騎士たちが蹂躙したという歴史を思い起こさせようとしているのだ。だから、確かに農民が虐殺されていたものの、ただ虐殺されていたのではなく、己の信じる信条のために戦って虐殺されていたのである。
対するクラリッサの絵画にはそんな要素は欠片もない。
クラリッサの絵は農民がただ虐殺されているだけであり、騎士たちが蹂躙しているだけに過ぎない。メッセージ性は皆無である。見る人によっては農民に同情したりするかもしれないが、それはクラリッサが狙ったものではない。
そんな絵で高成績を取ってきたクラリッサをリーチオが力なく見つめた。
「これからはもっと明るい絵にしなさい。農民の虐殺される絵はもうダメ」
「なんで……」
「神経を疑われるからだ」
クラリッサが戦慄するのに、リーチオがそう告げた。
「分かった……。次はアルフィの肖像画でも描くね……」
「おい、こら」
頑張れ、クラリッサ。絵の技術だけは確かにあるぞ。
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