娘は車を手に入れたい
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──娘は車を手に入れたい
「パパ。期末テスト、10位内だったよ」
「本当か? よくやったな」
クラリッサが帰宅してすぐにリーチオに報告すると、リーチオは顔をほころばせてクラリッサの頭をわしわしと撫でてやった。
「それでご褒美だけど」
「ああ。何がいい? なんでもいいぞ」
リーチオはあっても新大陸への旅行程度だろうと思っていた。
「自動車がいい」
「自動車……?」
「パパ。自動車知らないの?」
リーチオが固まり、クラリッサがそう尋ねる。
「いや。知ってる。だが、自動車か? 誰が運転するんだ? シャロンも自動車は運転できないし、俺も自動車を運転したことなんてないぞ」
「私が運転するよ」
リーチオの言葉に、クラリッサがサムズアップして返した。
「……お前、自転車も乗ったことないだろ」
「自転車は関係ない。車輪の数も違う」
この世界では自転車ももちろん開発されている。比較的安価に手に入る交通手段で、郵便配達や郊外へのツーリングなどに利用されていた。幅広い人々に提供されている自転車だったが、クラリッサは乗ったことはなかった。
「はあ。まあ、約束だ。自動車を買ってやるよ。その代わり、ちゃんと運転できるように手配してからな。確か法律で自動車を運転するには資格の取得が必要だったはずだ」
「なにそれ」
馬車を運転するのには何の資格もいらないのだが、自動車には自動車免許という資格が必要になってくるのである。
「簡単に取れると聞いている。既に自動車免許を持っている人間か、あるいは自動車メーカーの社員に同乗してもらって、自動車の交通に関する法律と運転技術を学ぶだけだ。うちのファミリーにも知り合いにも自動車を運転したことのある人間はいないから、ここは買った店で頼むしかないな」
「面倒くさい……」
「乗りたいって言ったの、お前だろ」
クラリッサはもっとお手軽に自動車に乗れると思っていたぞ。
だが、幸いなことにまだアルビオン王国には自動車免許の取得に関する年齢制限は存在しない。何才だろうと、ちゃんと技術を取得し、法律を学んだら、自動車免許を発行してもらえるのである。それだけが救いである。
「じゃあ、早速買いに行こう」
「明日な。今日はもう店が閉まってる」
クラリッサがわくわくしながら告げるのに、リーチオがそう告げて返した。
「ぶー……。プレゼントはすぐに欲しいのに」
「店が閉まってるのはどうしようもないだろ。明日の朝一番にいくから楽しみにしてなさい。明日は休みだろう?」
「うん。休み。そろそろ春休みだし、自動車の資格も取りやすいね」
期末試験が終わって、終業式を終えたら春休みだ。
そして、春休みが終われば、次は中等部3年への進級である。
クラリッサはその春休みの間に自動車の免許を取得することができるだろうか。
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翌日。
クラリッサとリーチオはロンディニウムにある自動車販売店を訪れた。
自動車はメーカーごとに販売店が違っており、ひとつの店では基本的にひとつのメーカーの自動車しか扱わない。とは言えど、今は自動車メーカーの数もそこまで多くはないので、アルビオン王国で自動車を買うとなると選択肢は限られてくる。
「『ランカスター・モーターズ』と。ここでいいか?」
「うん」
リーチオがメーカーの名前を告げて尋ねるのにクラリッサが頷いた。
「では、見てみるか」
自動車販売店はまるで貴族の屋敷のようになっていた。
ここに自動車を買いに来るのはとんでもない大富豪ばかりだということを考えれば当然の店構えなのかもしれない。彼らは最初から庶民を客だとは考えていないのだ。彼らがこの屋敷で丁重にもてなすのは、彼らが販売する地球で言うならば超高級スポーツカーを購入することのできる一部の富裕層である。
とんだ格差社会もあったものである。
「いらっしゃいませ」
そして、スーツ姿のディーラーがクラリッサたちを出迎えた。
「今日はどのようなご用件でしょうか?」
「車を買いに来た」
「それはそれは」
いい客が来たとディーラーは思った。
自動車はなかなか売れない商品だ。その値段故に富裕層しか手を出さず、生産数は少なくなり、そうであるがために値段はさらに吊り上がる。
だが、一度売れれば膨大な利益が生じる。何せ、1台1000万ドゥカートもするのだ。1台売れれば当分は働かなくてもいいぐらいだ。
この世界で自動車が安価になり、大衆に普及するには大量生産の概念が生まれなければ無理だろう。今の1台ずつ手作りの状態では、製造コストは高いまま、一般家庭に普及するとは思えない。
それはさておき、ディーラーは儲けのチャンスに笑みを浮かべた。
「それでどのような車をお探しでしょうか?」
「クラリッサ。どんなのがいい?」
ディーラーが尋ねると、リーチオがクラリッサに尋ねた。
「馬力のある奴。とにかく速い奴。それからふたり乗りの奴」
クラリッサはそう告げて展示されている自動車を眺めた。
4ドアのタイプはまだ存在しない。この世界の未熟な動力では人間4人を乗せて満足に走れる自動車は存在しないのだ。多いのがひとり乗り、そこに僅かにふたり乗りが混じる。だが、スペックはどこにも書かれていないのでディーラーに尋ねるしかない。
「あー。ふたり乗りで一番馬力がでるのはどれだ?」
「それでしたらこれですね。20馬力。競走馬のように走ります。まあ、これはガソリン車なのでガソリンを調達しなければなりませんが、当社がそれを請け負っております」
車の台数が少ないのでガソリンスタンドも存在しない。
「カッコいいね。これにしよう」
「おう。決まりだな。他のは見てみなくてもいいのか」
「大丈夫。これが一番いいよ。見た目がカッコいい」
クラリッサはそう告げてディーラーが指し示した自動車をのぞき込んだ。
「なら、決まりだ。いくらだ?」
「1200万ドゥカートとなります」
「1200万ドゥカートか。簡単に壊れないといいがな」
リーチオはそう告げるとシャロンを呼び、トランクの中から1200万ドゥカートを取り出し、ディーラーに手渡した。
「確かにいただきました。それでは契約書にサインを」
「これか。どこにサインすればいい」
「こことここにお願いします」
リーチオは指定された場所にサインする。
「それでは保証書とカギをどうぞ。これであの車のオーナーはあなた様です。運転免許の取得については既に目途がおありでしょうか?」
「ない。それで頼みたいんだが、いいか?」
「はい。うちの会社から派遣させていただきます」
「それなんだが……」
リーチオは早速運転席に乗り込んでいるクラリッサを見た。
「運転するのは俺の娘なんだが、それでもいいか?」
「はい?」
ディーラーはその日もっとも困惑した。
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念願の自動車を手に入れたぞ!
ということで、これを公道で乗り回すために免許の取得が必要になった。
「こっちがブレーキ。こっちがアクセルになります。では、シフトレバーを前に倒してください。そして、ゆっくりとアクセルを踏んで」
「オーケー」
この世界の自動車の造りは単純で前に進むか、後ろに下がるか、止まるかしかない。複雑なギアチェンジやクラッチ操作などは必要ないのだ。というか、そんな機能はまだまだ開発されてもいない。
「おお。走った」
「そこにある速度計を見てください。公道での法定速度は時速20キロまでです。それ以上の速度を出すと法律違反になります。また特定の地域では時速10キロ制限などありますので、道路標識に注意してください」
そうなのだ。
この世界の法定速度は阿呆のように低いのだ。
時速20キロときたら、全速力で走った人間が追い越せるほどである。そんな速度で走って、意味があるのだろうかと疑問に思うだろう。
しかし、この世界では未だに馬車が交通の主役であり、馬車の速度が時速10キロ程度なので、時速20キロというのはそれなりに速い。これ以上速度を出すと馬がびっくりして交通に混乱が生じてしまう。
というのもあるのだが、そもそも初期の自動車であまり速度を出すとぶっ壊れるという構造上の欠陥があるのである。ぶっ壊れた車は馬で牽引しなくてはならず、その間道路を塞いでしまうため、この速度制限が存在するのだ。
もっと自動車が普及して、馬車が姿を消し、自動車の信頼性が上がれば、法定速度も上がるだろう。だが、それはまだまだ先の話になりそうだ。
「バックするときはバックミラーで後ろを確認してください。後ろを振り返ってもいいですが、ハンドルからあまり目を離さないように」
「オーケー」
続いてクラリッサはシフトレバーを後ろに倒してバックに挑戦。
自動車はそろそろと後ろに下がっていき、所定の場所に収まる。
「よくできました。では、これから3日間公道を走ってみて実技試験とします。基本はブレーキとアクセルです。それさえ覚えいればまず間違うことはないでしょう」
「任せろ」
指導員が告げるのにクラリッサがサムズアップして返した。
その日からクラリッサは指導員を乗せて公道に乗り込んだ。
「んー。馬車とは違った感覚だ。これは面白い」
クラリッサは法定速度でロンディニウムの街並みを進んでいく。
「ストップ、ストップ。前に人がいます」
「おっと。危ない」
ちなみに自動車の数が少なすぎるので信号の数も少ない。というか、ないに等しい。歩行者は横断歩道もない通りを好き勝手に渡るために馬車も渋滞を起こしている。これが早朝の通勤ラッシュの時間帯だとさらに混乱に拍車がかかる。
「自動車専用の道路を作ればいいのに」
「自動車は数が少ないですからね」
まだ高速道路は影も形もないぞ。
「それではロンディニウムをぐるりと回ってみましょう」
「おー」
勉強はよわよわのクラリッサだが、こういうところには才能を発揮する。クラリッサはあっという間に自動車の運転方法を覚えてしまい、公道を何の支障もなく、スムーズに走り去っていく。
「燃料計に注意してください。そろそろ燃料切れです。戻りましょう」
「もう終わりか」
初期の自動車はあまり燃費が良くなく、その上ガソリンタンクも小さいために、地球で普及している自動車のように長い距離を走行することはできない。そして、ガソリンスタンドもないので、燃料切れになりそうだったら家に戻るしかない。
「はい。お疲れさまでした。後1日で実技演習も終了です」
「わー」
3日間の実技演習もいよいよ終わりが見えてきた。
それから翌日、クラリッサは再び公道を走り、事故も起こさずに帰宅すると、実技演習も合格となり、正式に免許が発行されることとなった。
新聞ではさりげなく女性初かつ最年少の自動車免許取得者として、隅に記事が載り、クラリッサの経歴を示したものが掲載された。
「パパ。これで公道で運転できるようになったよ」
「事故は起こすなよ。それからスピードを出しすぎるなよ」
「任せろ」
クラリッサがサムズアップして返したもののどこか不安なリーチオであった。
「じゃあ、明日は自動車でサンドラの家に遊びに行くね」
「気を付けろよ」
クラリッサが告げるのにリーチオはそう返したのだった。
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