娘はいじめに屈したくない
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──娘はいじめに屈したくない
事件が起きたのは新学期が始まってから2日後のことだった。
クラリッサの机の上に蛙の死体が置かれていたのだ。
「蛙。死んだ蛙」
「クラリッサちゃん。どうしたのそれ!?」
「死んだ蛙が置いてあった」
クラリッサはそう告げるとまじまじと蛙を観察する。
「毒のあるタイプの蛙ではなさそうだ。毒殺を狙ったものではないか」
「学園で毒殺が狙われたら大変だよっ!?」
クラリッサが冷静にそう告げるのにサンドラが突っ込んだ。
「しかし、どうして蛙? 何かのメッセージなのかな? お前をこの蛙のようにしてやるぜとかいう。あんまり分からないな……」
「普通にいじめじゃないかな……」
そう、ついにクラリッサに対する攻撃が始まったのだ。
攻撃を企てたのは平民ぎゃふんと言わせ隊のメンバーたちだ。まずは小手調べというように、蛙の死体を机に乗せてみた。流石のクラリッサでもいきなり自分の机に両生類の死体が乗せられていれば、この学園の掟を知ることになるだろうという考えである。
「そうか。いじめか」
クラリッサは蛙の死体の足を掴むと、それを窓の外に向けて投げ捨てた。
「リベラトーレ家のモットーは『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』だ。私を害そうというならば、それなりの覚悟はしてもらおう……」
そう告げてクラリッサはこの教室にいる面々を見渡した。
ヒヤリとした空気が教室を支配する。
(だ、大丈夫。誰がやったかなんて分からないから。あの平民もとうとうこの学園のルールを知るのよ。ここでは私たち貴族こそが本当の生徒であるということね!)
攻撃者のひとり──エイダ・アストレイは自分に言い聞かせるように心中でそう告げて、クラリッサの様子を冷ややかな目で見つめていた。
「とりあえず犯人を探し出そう。馬の首でも、親類縁者の体の一部でもないということは、犯人は組織的な行動を行っていない。組織というものがあったとしても、緩やかなものか、あるいはそこまで強力なものではない」
(な、なにそれ!? 馬の首は見たけど、親類縁者の体の一部って……。どこからそんな発想が出るの? もしかして、あの平民にとっていじめってそのレベルで行われるものなの? ちょっと怖すぎるんですけど!)
クラリッサが冷静に告げるのに、エイダは必死に動揺を押し殺していた。
「そして、蛙の体はまだ乾いていなかった。それは犯人がまだ死んだばかりの蛙を持ってこれる立場にあり、同時に蛙の死体の粘液が何かに付着するのが平気だったということになる。そういえば、この学園に蛙のいる池があったよね?」
「あったね。じゃあ、犯人はわざわざクラリッサちゃんに嫌がらせをするために蛙を殺したのかな。ちょっと可哀そう……」
「そうだね。犯人を見つけたら、他の蛙たちの慰めになるように死体は池に沈めよう」
クラリッサが推理するのに、サンドラが頷く。
(い、池に沈める……? さ、流石にただのこけおどしでしょう。平民が虚勢を張っているに違いないです。平民もとうとう追い詰められているようですね。そのままぎゃふんというといいですわ。思い知れ、平民!)
エイダは自分を落ち着かせながら、最初の時間の授業の準備を始める。
「ねえ」
そこでいきなり声がかけられた。
「な、何よ……?」
クラリッサがいつの間にかエイダの前に立っていたのだ。
「ハンカチ、貸して? どうせ、君のハンカチは蛙の粘液で汚れているから、私の机の上を拭いても大丈夫だよね? エイダ・アストレイ君?」
「な、何を言っているのよ。し、し、知らないわよ」
「なら、ハンカチ、見せられるよね?」
クラリッサがにこりと微笑んでそう告げる。
説明しよう!
クラリッサには人狼の嗅覚が備わっているので蛙の粘液から臭いをたどれば、一発で誰が犯人なのか分かるぞ。使用したハンカチを早急に処分して、手をしっかりと洗浄しなかったのが、エイダの敗因となってしまった!
「へ、平民に貸してやるものなんてないわよ! 向こうに行きなさい!」
「そうか。そういう態度を取るか」
クラリッサの表情から笑みが消えた。
「……っ!」
その冷たく、底の見えない瞳を前にエイダの背筋に冷たい汗が流れる。
『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』
親類縁者の体の一部。池に沈める。
「君、生きたまま沈みたい? それとも死んでから沈みたい?」
「わ、わ、私じゃない!」
クラリッサが小さな声で尋ね、エイダが悲鳴染みた声を上げる。
「あら? どうなさったのですか、クラリッサさん?」
そんな修羅場にちゃらんぽらん──フィオナがやってきたぞ。
「何でもないよ、天使の君。今日も君は綺麗だね。私の紹介したシャンプーとリンス、使ってくれてるみたいで嬉しいよ。髪の毛の傷みは気にならなくなってきたかな?」
「ええ。クラリッサさんの紹介してくださったもののおかげで、髪はいいコンディションに保てていますわ。けど、クラリッサさんのそのプラチナブロンドには及びませんわね。本当に艶やかで、銀色に近いですわ」
クラリッサがフィオナに対して笑顔を向けるのに、フィオナが頬を赤らめて恥ずかしそうにそう返した。
「そんなことはないよ。君の髪だって光り輝いている。本当に綺麗なゴールドブロンド。黄金の色、太陽の色、みんなを照らす色。私が月なら、君は太陽だよ。月は太陽の光を帯びて夜に輝く。全ては君のおかげだ」
「ひゃ、ひゃい!」
クラリッサがフィオナの耳元で囁くようにそう告げるのにフィオナが素っ頓狂な言葉を返した。相変わらず頭の温かい娘である。
「そ、それにしてもクラリッサさんの机、あれはどうしたんですの? 何か少し濡れているようですけれど……」
「誰かが私の机に蛙の死体を置いていてね。そのせいなんだ」
「な、なんてことを! 許せませんわ!」
フィオナは声を荒げるのに、エイダの顔色がますます悪くなる。
「とりあえず、机は拭きましょう。私のハンカチを差し上げますわ」
「いいのかな? 蛙の粘液だよ?」
「使い終わったら捨ててしまってください。ハンカチなら侍女に持ってこさせるので大丈夫ですの。それにしても許せませんわ。クラリッサさんにそんな陰湿な嫌がらせをするだなんて! 犯人が分かったら、私からも一言言ってやりますわ」
「ありがとう。本当に君は天使のように優しいね」
フィオナがプンスカとしながら自分の席に向かうのに、クラリッサはエイダの方に視線を向けて、にやりと笑った。
「命拾いしたな」
クラリッサは小声でそう告げると、自分の席に戻っていった。
(な、なんでこんなことに……。本当なら平民がぎゃふんというはずだったのに……。どちらかというと私の方がぎゃふんと言わされている!)
エイダは肩を落として、最初の授業の教科書とノートを並べたのだった。
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翌日。
「やだ。何あれ……」
「か、蛙……?」
教室が何やらざわめているのに気づいて、エイダは不審に感じながらも、教室の自分の席を見た。そして、そこで硬直した。
机の上に、椅子の上に、無数の蛙の死体が乗せられていたのだ。
その数20匹ほど。よくよく見れば、引き出しからも蛙の死体がはみ出している。
「ひっ……」
そのグロテスクな様子に思わずエイダが悲鳴を上げる。
だが、あれは自分の机だ。何がどうなっているのか確認しなければ。
そう考えて、エイダは恐る恐ると席に向かう。
そして、机の上を見てさらに戦慄することになった。
『次はないぞ』
そう、蛙の臓物で机の上に記されていた。
「どうしたの?」
そこで不意に声がかけられるのに、エイダはびくりとして背後を振り返る。
そこにはクラリッサが無表情に立っていた。
「大変だね、机。蛙の粘液でぐちょぐちょ。はい、雑巾」
クラリッサは固まっているエイダの手に雑巾を握らせる。
「……でも、気を付けた方がいいよ。毒のある蛙も混じっているかもしれないから」
クラリッサはそう告げて立ち去って行った。
「あ、あわわわ……」
ものの見事にやり返された!
そういえば相手はジョン王太子の机に馬の首を置くような相手なのだ。蛙の死体で自分の机を滅茶苦茶にするぐらい朝飯前なのだ。選んだ手段が悪かった!
「ううっ……。くそう……。何なのよ、あいつ……。毒のある蛙って何……」
エイダはその日はそのまま早退した。
机はエイダの使用人が片付けたが、毒のある蛙は見つからなかったそうだ。
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「では、ジョン王太子殿下名誉回復並びにクラリッサ・リベラトーレ対策委員会の定例会議を始めます。それぞれ席について」
そのまた翌日の放課後、使われていない理科準備室の一室で、そう声が上げられていた。声の主はフローレンス・フィールディング。伯爵家の次女であり、この『ジョン王太子殿下名誉回復及びクラリッサ・リベラトーレ対策委員会』の委員長である。
初等部1年生ながらにちょっときつい顔立ちをしているが、本人は気にしているので言わないでおいてあげよう。
「では、クラリッサ・リベラトーレについに攻撃を開始しましたが進捗は?」
フローレンスが尋ねるのに、エイダがおずおずと手を上げた。
「ダメです。あれは手を出したらダメなやつです。本当に殺されかねません」
ふるふると首を横に振ってエイダがそう告げる。
「平民の生徒ごときに何を怯えているのですか。あなたも名誉あるアルビオン王国貴族でしょう。泣き言を聞く気はありません」
「で、でも、相手は本気で報復してくるんですよ!? それもシャレにならない方法で! あんなのに迂闊に手を出してたら、本当に命を取られますよ! あれはもうこれから無視しましょう! そうしましょう!」
フローレンスが無慈悲に告げるのに、エイダが半泣きで告げた。
「一体、何があったというのですか?」
「はっ。エイダ嬢がクラリッサ・リベラトーレに対して『机の上に蛙に死体を置く』という方法で攻撃を仕掛けたところ、翌日『エイダ嬢の机が蛙の死体で埋め尽くされる』という報復を受けたようであります」
事情がよく分からないフローレンスが尋ねるのに、男子生徒のひとりがそう告げた。
「なんと幼稚な……。もっとやりようがあったのではないですか? そもそも即日に犯行がばれていることに問題があるとも思います」
「分からないんですよ! どうして私が犯人だって気づいたのか分からないんです! 確かにハンカチはそのままにしてましたけど、あれはずっとカバンに仕舞ってましたし! あの子、絶対に何かおかしいです!」
フローレンスが呆れながら告げるのに、エイダが泣きわめいてそう返した。
「泣きわめくのはおよしなさい。アルビオン王国貴族にあるまじき態度です。アルビオン王国貴族たるものどのような時でも毅然とした態度でいなければなりません」
「うう……。本当に不味い相手なんですよう……」
理解してもらえないエイダはひとり泣いた。
「ヘザー。あなたはどう思いますか?」
「私も机を蛙の死体まみれにしてもらいたいですよう」
「あなたは何を言っているの?」
フローレンスが女子生徒のひとりに声をかけるのに、ぽややんとした感じのウェーブのかかった栗毛色の髪をした少女はそう返した。
彼女はヘザー・ハワード。フローレンスと同じく伯爵家の次女で、クラリッサたちと同じクラスである。だが、いつも遅刻ギリギリに来ているために、クラリッサとエイダのやり取りなどは見ていない。後から噂で知った口だ。
「だって、凄いじゃないですかあ。朝来たら、山盛りの蛙! 机は生臭くなって、周囲からは蔑みの目で見られて、最高に興奮しますよう」
「私は蔑みの目で見られていたのかな……」
ヘザーが頬を赤らめて告げるのに、エイダが心底落ち込んだ様子でそう呟いた。
「あなたに聞いた私が馬鹿でしたね。ですが、この不名誉は払拭せねばなりません。誇り高きアルビオン王国貴族が平民にいいようにやられた、では示しがつきません。エイダ、あなたは自分の不名誉を晴らしなさい」
「え? え? 本当にそう思っていらっしゃるので?」
「思っています。アルビオン王国貴族が不名誉なままでは、その貴族を臣下に持つアルビオン王国王室の名誉が、ひいてはジョン王太子殿下の名誉が汚されるのです。それを理解したら、己の不名誉は己で晴らしなさい」
貴族という名前がついていなかったら、どこかのマフィアの話のようにも聞こえる理論である。親分のために相手のタマを取ってこいと言っているかのようだ。
「諦めましょうよ! 今度は殺されます!」
「アルビオン王国貴族はそう簡単に引きません。さあ、名誉か死かです。選びなさい」
彼女たちは初等部1年生です。
「……分かりました。やります……」
「結構。今度こそあのクラリッサ・リベラトーレに一泡吹かせてやるのです」
エイダが力なく頷くのに、フローレンスが頷いて返した。
「では、結果は近日中に」
「……はい」
エイダはとぼとぼと理科準備室から出ていった。
「さて、ヘザー」
「はい。なんですかあ?」
フローレンスがヘザーの方を向くのに、ヘザーが間延びした声で答える。
「あなたはエイダを監視しなさい。エイダが怖気づくようなことがあったり、クラリッサ・リベラトーレが実力行使に及ぼうとした場合は報告するのです。どちらも我々が把握していなければならないことです」
「了解ですよう。ところで、フローレンスは部活動は決めたんですかあ?」
「……フェンシング部です」
「本当にジョン王太子殿下が好きなんですねえ。けど、フェンシングってやっぱり突かれると痛いんですか? 痛いとしてどれくらい痛いですか? ねえ、ねえ、ねえ、どれくらい気持ちいいですかあ!?」
「あなたは気持ち悪すぎです! もっとアルビオン王国貴族らしくなさい!」
フローレンスはヘザーを一喝すると呼吸を整えた。
「あろうことかクラリッサ・リベラトーレはジョン王太子殿下の婚約者であられるフィオナ様に取り入ろうとしているとの情報もあります。このことはいずれ解決しましょう。では、今日はこれで解散です」
「この間、昼休みのドッチボールで顔面に命中したけどあれは気持ちよかったなあ」
「ヘザー」
本当にこいつに任せて大丈夫だろうかと思い始めたフローレンスであった。
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本日4回目の更新です。そして、本日の更新はこれにて終了です。
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