娘は綺麗なお姉さんたちを紹介したい
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──娘は綺麗なお姉さんたちを紹介したい
南部料理の店ではやはり総支配人自らがクラリッサたちを出迎えて、サンドラとウィレミナを絶句させた。貴族である彼女たちでも、総支配人がわざわざ挨拶に出てきて、出迎えをしてくれるようなことはあり得ないのだ。
「ここのパスタ、美味しいね」
「うんうん。総支配人が出てきたときはどうなるかと思ったけど、家庭的な味だね」
最初は総支配人の出現に絶句したサンドラたちではあるものの、料理の方は南部の家庭料理を再現したもので、素朴な味わいに満足していた。
「し、失礼はないだろうな? あのリベラトーレの御令嬢だぞ?」
「は、はい。細心の注意を払っております」
一方の店側は背筋に冷たい汗が流れる気分であった。
この店もリベラトーレ・ファミリーに金を払ってごろつきなどから身を守ってもらっている立場だ。一時期はリベラトーレ・ファミリーに借金もあり、南部を出て、このアルビオン王国に店を構えた時はリベラトーレ・ファミリーの世話になっていた。
そのリベラトーレ・ファミリーのボスであるリーチオは弱者に寛大な人物であるが、決してその時に恵んでやった貸しを忘れるような人間ではない。そして、彼は借りを返さない人間を酷く嫌っていることは誰もが知っている。
この界隈でリベラトーレ・ファミリーを敵に回すことがあれば、この店の総支配人はおろか、従業員の命まで危険にさらされることになる。そうであるがために、いきなり現れたリベラトーレ・ファミリーの御令嬢──クラリッサには細心の注意を払って接客していた。クラリッサはリーチオの溺愛する娘であることはこの界隈では知れ渡っており、獰猛な君主であるリーチオの怒りを買いたくないならば、その娘であるクラリッサには注意するべきであった。
「このピザも美味しいよ。一切れ食べてみる?」
「いいの? じゃあ、私はパスタを分けるね」
そんな震えあがった店側の事情も露知らず、クラリッサたちは女の子だけの空間で、女の子らしいやり取りを繰り広げていた。
「でもさ、この店、割と高級なお店だよね……?」
「ウィ、ウィレミナちゃん。私が必死に意識しないようにしていたことを……」
そうである。素朴な味わいと評したが、食器と言い、食材と言い、このお店はお高い感じがひしひしとしてくるのである。
「デザートは何にする?」
「もうおなか一杯で入らないかな……」
そんな店で平然とデザートまで食そうとするクラリッサにサンドラが僅かに引く。
「そう? ティラミスとかおいしそうだよ? アイスクリームとかもあるけど?」
「うっ……。あたしたちこの後売り飛ばされたりしないよね?」
「君は何を言っているの」
ウィレミナが恐る恐る尋ねるのに、クラリッサが首を傾げた。
「ええい。あたしは腹を決めたぞ。チョコレートアイスクリーム!」
「あっ! じゃあ、私もストロベリーパフェ!」
「私はレアチーズケーキにしよう」
食欲に流されて危機に目をつぶる辺りはまだまだ初等部1年生だ。
「冷たくて美味しい……。こんなに美味しいアイスクリーム食べたの初めて」
「このパフェも甘酸っぱくて美味しいよ」
そして、わいわいと盛り上がる女子たち。
「気に入ってくれた?」
「とっても! 今日はありがとう、クラリッサちゃん!」
「まだまだ予定はこれからだよ?」
「え?」
クラリッサが告げるのに、サンドラがきょとんとする。
「まだまだ午後1時。遊ぶのはこれからだよ。サンドラたちに紹介したい人たちもいるし、食べ終えたら出発しよう」
そう告げて、クラリッサはレアチーズケーキを口に運ぶ。
「一口食べる?」
「いいです……」
これは売り飛ばされるルートだ。サンドラとウィレミナの意見が一致した。
「あ、あたしたちこれから予定あるから……」
「? 今日は1日、暇だって言ってたよね?」
「きゅ、急用を思い出して!」
「大丈夫。人生は長いからまた今度でいいよ。それより食べ終えたなら次の場所に遊びに行こう。きっと気に入ってくれるよ」
クラリッサは有無を言わせぬ構えに入ったぞ。
「ど、どうしよう、サンドラちゃん?」
「ここはもう覚悟を決めるしかないよ、ウィレミナちゃん。儚い人生だった……」
「ひとりで諦めないで―!」
悟りの境地に入ったサンドラにウィレミナが叫ぶ。
「ファビオ。会計済ませといて」
「今日は店からの奢りだそうです」
「そっか。なら、ありがたく。これから贔屓にさせてもらうよ」
クラリッサたちは席を立つと総支配人たちの見送りを受けて、出発した。
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クラリッサたちはイースト・ビギンと呼ばれる地域の通りを進む。
最初は劇場や美術館などの並び、お洒落なレストランなどが並んでいた街並みが、徐々に徐々に怪しげな空気に変わっていく。
街に強面の男たちが警備する店が並び始め、きらびやかではあるが、派手で、色気の強すぎるドレスを纏った女性たちが増えていく。
「ク、クラリッサちゃん。どこに行くの……?」
「うちのシマのお店。安心して。ここら辺は全部うちのシマだし、いざとなればファビオもいるし、私もいるから。いろいろと楽しいところなんだけど、ちょっとばかり治安が悪いのが玉に瑕なんだよね、この周辺は」
治安が悪い。強面のお兄さんたちの警備。色っぽい女性の皆さん。
「サンドラさん、サンドラさん。ここってあれなのでは?」
「どこだろうねー。私には分からないやー」
言うまでもなく、ここは歓楽街の中でも花街──もっと分かりやすく言えば風俗街あるいは赤線地帯と言われる場所である。
雰囲気が怪しくなっていくのにウィレミナは戦々恐々とし、サンドラは意図的に思考停止した。これは怪しいお店に売られる流れとウィレミナたちは思っていた。
「これはリベラトーレの御令嬢。ファビオ様も。宝石館ですか?」
「うん。友達に紹介したい人がいるから」
街を進めば強面の男たちがクラリッサに頭を下げて敬意を示す。
「クラリッサちゃんや。その人たち知り合い……?」
「うちのパパのところの従業員。顔は怖いけど、怒らせなければ優しい人たちだよ」
どう見ても人を殺してそうな顔をしている強面の男を前にクラリッサがそう告げる。
「リベラトーレの御令嬢のご友人ですか?」
「あ。は、はい。友達です、友達! ずっとも!」
強面の男が声をかけるのにウィレミナが叫んだ。
「それはよかった。リベラトーレの御令嬢には同年代の友達がいないから心配してたんですよ。それに貴族だらけの王立ティアマト学園に入るって聞きましたし。きっとボスも喜んでいるでしょうね。よろしく頼みますよ」
意外なほどの腰の低さが逆に怖いとウィレミナは思った。
「案外ここの人たち、優しいのかな?」
「うん。まあ、お店の女性にちょっかいだすと、ちょっと骨とか折るけど、基本的にいい人たちだから安心していいよ」
「急激に安心できなくなった」
サンドラが告げるのに要らぬことをいうクラリッサである。
「まあ、ここら辺のお店に私たちは用はないから。こっち、こっち」
クラリッサはそう告げてサンドラたちを案内する。
「ここ。ここに入るよ」
「ここって、あの、非常に言いにくいのですが、娼館では……?」
やっぱり強面の男が警備に立っているお店は、一見すると貴族のタウンハウスのようにも見えなくもないが、立地と出入りしている女性たちの色っぽさの過剰摂取からして、どうみても子供が入っていいお店のようには見えなかった。
「違うよ。高級サロンだよ」
「ぎ、欺瞞!」
ふるふると首を横に振るクラリッサにウィレミナが告げる。
「紹介したい人がいるから入ろう」
「ここに売られるのかな……」
クラリッサが告げるのに、サンドラたちがクラリッサに続いた。
「あら、クラリッサちゃん! いらっしゃい!」
「久しぶり、サファイア」
クラリッサたちがお店に入ると美女たちがクラリッサたちを出迎えた。
「まあ、今日は彼氏連れなの、クラリッサちゃん?」
「違うよ。ウィレミナは女の子。男の子の格好してるけど」
「冗談、冗談。でも、クラリッサちゃんなら本当に彼氏連れてここに来そうだからね」
美女のひとりがそう告げるのに、クラリッサは何とも言えない表情を浮かべた。
「あっ。この人たち、ひょっとしてエルフ……?」
そこでサンドラが美女たちの耳を見てそう告げた。
美女たちの耳は僅かに笹の葉状になっており、尖っている。それはエルフの血に連なっていることの証だった。
「残念。私たちはハーフエルフ。よろしくね、クラリッサちゃんのお友達?」
「あ。は、はい」
だが、この女性たちはエルフではない。エルフと人間の間に生まれたハーフエルフである。人間よりも遥かに長命だが、純血のエルフほどに神秘的ではない。
「クラリッサちゃん。王立ティアマト学園に入学したってリーチオの旦那から聞いたけど、もう友達作れたの? あの学園、貴族ばっかりでしょう?」
「うん。サンドラとウィレミナは私の友達。他にも何人か友達いるよ」
サファイアと呼ばれたハーフエルフの女性がクラリッサの頭を撫でるのに、クラリッサはちょっとだけ自慢げにそう告げて返した。
「クラリッサちゃんのお友達なら、持てなさないとね。お茶を準備して」
「はい、サファイア嬢」
サファイアが告げるのに、他のハーフエルフの女性たちがお茶の準備を始める。
「さあ、座って、座って。遠慮しないで」
「え。あ、はい」
サンドラとウィレミナは促されるままにお店の円卓に向かった椅子に腰かけた。
「私たち、売られるわけじゃない?」
「いつ君たちを売るって言ったの。ここにいる人たちを紹介したくて連れてきただけだよ。そもそもここの従業員は6歳児なんかに務まるものじゃないから」
ウィレミナが告げるのにクラリッサがため息をつく。
「ふふっ。クラリッサちゃんが口下手なのが悪いんじゃない?」
「私は何度も否定してきたよ。彼女たちが勝手に勘違いしていただけ」
サファイアが笑うのに、クラリッサが頬を膨らませてそう告げた。
「ところで、ふたりのお名前は?」
「えっと。サンドラ・ストーナーです」
「ウィレミナ・ウォレスです!」
もう売られる心配がなくなったのかサンドラとウィレミナが元気よく返事する。
「へえ。サンドラちゃんの家はカモイズ男爵で、ウィレミナちゃんの家はダドリー男爵よね。サンドラちゃんの家のおじいちゃんはこの店の常連だったわよ?」
「おじいちゃんが!?」
サファイアが告げるのに、サンドラが目を丸くする。
「そうそう。あの時はガーネットにご執心だったかしら。まだ元気にされている?」
「最近はちょっと元気がないです。おじいちゃんもお年だから」
サンドラのおじいちゃんは60歳を超えているぞ。だが、まだストーナー家の当主だ。
「また、たまにはお店に来るように誘っておいて。ガーネットも待ってるから」
「はい! ……ガーネットさんもハーフエルフなので?」
「このお店の子はほとんどそうよ?」
ここは不老長命のハーフエルフばかり集めた娼館──高級サロンだぞ。
「パールさんは今日は留守?」
「いえ。いらっしゃるわよ。そろそろ降りてくるんじゃないかしら」
そこでクラリッサが尋ねるのにサファイアがそう告げて返す。
「何やら、賑やかにやっているようね」
「パールさん。お久しぶり」
やがて、屋敷の階段から女性が下りてきた。
他の女性たちとは異なる落ち着いた雰囲気のドレス。白いオペラグローブを身に着け、足もタイツで覆い、露出はほとんどない。そのせいか、僅かに覗いているうなじの付近がやけに色っぽく見える女性である。
そして、他のハーフエルフの女性たちよりも、その耳はより尖っている。
「サンドラ、ウィレミナ。こっちは私の人生の師であるパールさん」
「まあ、クラリッサちゃんってば大げさね」
その美しい女性をクラリッサが紹介するのに、クラリッサにパールと呼ばれた女性は僅かに微笑んで見せた。
「おふたりはクラリッサちゃんの学園でのお友達かしら?」
「は、はい。失礼な質問かもしれませんけれど、パールさんもハーフエルフで?」
パールが尋ねるのに、ウィレミナがおずおずと尋ねた。
「いいえ。私は純血のエルフよ。この界隈では少し珍しいわね」
「わあ。あたし、エルフって初めて見ました!」
パールは純血のエルフだ。この歓楽街で珍しいどころか、アルビオン王国そのもので珍しい存在である。彼らは大陸の森林の中で暮らし、滅多に人間と交わることはないと言われている。アルビオン王国でもエルフは都市部には暮らしていない。
アルビオン王国全体でエルフの集落は2か所ほど。全て合わせて40名ほどのエルフが暮らしているのみである。それほどまでにエルフは珍しい存在なのだ。
「でも、このお店ってあれですよね……? パールさんも売られてきたんですか?」
「まさか。この宝石館は高級娼婦ばかりを集めた店よ。高級娼婦というのはね。様々な会話やお茶だけでお客を満足させるのよ。むやみやたらに体を売るということはないの。そして、そのための教養を得るために子供のころから教育を受けるわ。だから、売られてきた女性には無理な仕事なのよ。それにリーチオさんはいい方だから、女性を買ってきたりはしないわ」
「ほへー。そうなんですか」
「他のお店はしらないけれどね」
「他のお店は……」
他のお店では借金のカタにあれこれされた女性もいるぞ。リーチオはいい人かもしれないが、寛大ではないのだ。もっとも、彼は女性を買い入れるよりも、現金を返してもらうことの方を重視しているのだが。
「そういえば、クラリッサちゃん。国語の成績が悪かったそうね?」
「善処はした」
「でも、悪かったんでしょう?」
パールが尋ねるのにクラリッサが露骨に視線を逸らす。
「クラリッサちゃん。認めよう。国語の成績はいまいちだったよ」
「あらあら。普段から読み聞かせてあげてるのに」
サンドラが告げ、パールが告げる。
「話の内容は分かる。けど、意味が分からない部分がある」
「読む本が偏っているのかしらねえ」
クラリッサが告げるのにパールが頬を抑える。
「ちなみに、どんな本をクラリッサちゃんは普段から読んでいるので?」
「そうねえ」
ウィレミナが尋ねるのにパールがウィレミナに耳打ちする。
「そ、それって官能小説! 子供が読んじゃダメな奴!」
「あら。知ってるの?」
「兄貴が隠してるのをちょっと……」
そこで気まずそうに視線を泳がせるウィレミナであった。
「まあ、冗談よ。クラリッサちゃんにはちゃんとためになる本を読み聞かせてるわ」
「クラリッサちゃん。週1冊の読書ノルマ、ちゃんとこなしてる?」
パールが小さく笑うのにサンドラが尋ねた。
「読んでもらってる。でも、夏休みは休みだから、ちゃんと休むよ」
「ダメだよ。日頃の読書の癖が国語力を養うんだから。しっかり読書しないと」
夏休みはバカンスに集中してて、学園の勉強のことなどどこかに忘れ去っていたクラリッサである。王立ティアマト学園では中等部に入るまでは夏休みの宿題はないのだ。
「そうよ、クラリッサちゃん。本を読む習慣を付けましょう」
「ぶっちゃけ、国語とかどうでもいいと思う。計算さえできればパパの後は継げるし」
パールが告げるのに開き直るクラリッサであった。
「あれ? クラリッサちゃんは知らないの? リーチオさんはこの界隈じゃ、文芸の素質があるって有名なのよ?」
「え?」
「金勘定だけじゃダメなのよ。それなりに教養があるところを見せないと、上流階級を相手にした商売はできないから」
そこでサファイアが告げるのにクラリッサが信じられないという顔をした。
「国語の代わりに理科じゃダメかな?」
「うーん。理系の学者さんをしている貴族の人はあまりこういうお店には来ないわね」
得意科目を告げるクラリッサにパールが苦笑いを浮かべた。
「クラリッサちゃん。国語、頑張ろう」
「国語からは逃げられないのか……」
「それから第一外国語もね」
「死ねる」
サンドラが告げるのにクラリッサがテーブルに突っ伏した。
「まあ、クラリッサちゃんが学園で上手くやっているようで安心したわ」
「まーね。社交力はここで鍛えられたし」
パールがクラリッサの頭を撫でながら告げるのにクラリッサが自慢げに返した。
「ここの人、いい人たちでしょ?」
「そうだね。クラリッサちゃんのためになる人たちで、素敵な人たちだよ」
「うんうん。クラリッサちゃんの育った環境がよく分かる」
そしてクラリッサが告げるのに、サンドラとウィレミナが頷いた。
「じゃあ、そろそろ失礼するね、パールさん。また来るよ」
「はい。またね、クラリッサちゃん。今度は勉強も見てあげるわよ?」
「ここで勉強はしたくない」
クラリッサはそう告げて、サンドラたちとともに外に出た。
「楽しかった?」
「とっても。いろいろと興味深かったよ」
「あたしも。貧乏貴族には体験できない体験だったね」
クラリッサが尋ねるのにサンドラとウィレミナがそう告げて返す。
「また遊ぼうね」
「うん。また遊ぼう!」
クラリッサたちは一先ずウィリアム4世広場まで戻ると、迎えに来ていたそれぞれの馬車で帰路に就いた。夏休みの1日はこうして終わった。
「パパ、ただいま」
「おう。友達とはどうだった?」
「楽しんでもらえたよ。劇場で喜劇を見て、レストランで食事して、宝石館でお話ししてきた。充実した1日だった」
「……気のせいか娼館の名前が聞こえた気がするんだが」
「娼館じゃないよ。高級サロンだよ」
頑張れ、リーチオさん。娘はまだまだ常識は足りないが、少しずつ成長しているぞ。
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本日3回目の更新です。




