娘は北ゲルマニア連邦を訪れたい
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──娘は北ゲルマニア連邦を訪れたい
ドーバーを出発してハンブルクまでの船旅。
クラリッサとリーチオの護衛にはシャロンがついている。もっとも元魔王軍四天王のリーチオを殺そうと思うのならば、軍隊でも動員しない限り難しいだろうが。
「船旅はいいね。海を見るのは好きだよ」
「そうか。珍しく感傷的なことをいうな」
「うん。これまで何人海に沈められたんだろうって」
「……そういう楽しみ方はやめなさい」
クラリッサがさわやかに告げるのに、リーチオが神妙な表情でそう告げた。
さて、ハンブルクまでの船旅は何の問題もなく終わり、船は北ゲルマニア連邦のハンブルク港に入港した。ここから先は北ゲルマニア連邦の領土である。
ここはリーチオたちの影響下にはないものの、リーチオたちには金がある。普通にしていれば、何かしらの不都合にぶつかることはない。そう、普通にしていれば。
「では、手荷物検査をさせていただきます」
「はい」
クラリッサの抱えてきた旅行鞄ふたつをハンブルクの税関職員が調べる。
「……? 今何か聞こえたような?」
税関職員は旅行鞄の中から奇妙な音がするのに気づいた。
税関職員は旅行鞄を開いた。
中には衣類とバスケットが収まっていた。見たところ、税関で引っかかるような品は入っていないように思われる。だが、奇妙な音がバスケットの中から響いてくるのだ。
「失礼。開けますよ」
税関職員はそう告げてバスケットを開いた。
「テケリリ」
バスケットからはアルフィがひょっこりと眼球をつき出した。
「な、なんだこれは……」
「化け物だ!」
税関職員が怯え、周りの旅行者が悲鳴を上げる。
「おい。クラリッサ。どうしてあれを連れてきた」
「アルフィがひとりで留守番するのは寂しいって」
「あれは絶対にそういうことは考えないぞ」
アルフィはバスケットからはい出し、サイケデリックな色合いに変色した。
「ほら。寂しいって」
「色が変わっただけだよな?」
アルフィは鳴いてすらいないぞ。
「これじゃあ、税関は通過できんだろ。そんな奇怪な生き物は預かりだな」
「酷い。アルフィにも音楽を楽しんでもらおうと思ったのに」
「あれの前にお前が音楽を楽しみなさい」
クラリッサがふるふると首を振るのに、リーチオがそう告げた。
「それで、これは預かりか?」
「い、いえ。我々はこのような生き物を収容するのに適切な設備を持っておりませんので。国内で逃がしたりしなければ、このまま通過できます」
リーチオが尋ね、税関職員はアルフィから距離を取ってそう告げた。
「え? それじゃ、これを北ゲルマニア連邦に入れていいのか? これを?」
「は、はい。そうしてください」
リーチオが躊躇うのに、税関職員はどうぞどうぞというように旅行鞄を押し出した。
「やったね、パパ。これでアルフィも一緒に旅行できるよ」
「……本当にこれでよかったのか?」
疑問は残ったものの、無事にアルフィも旅の仲間に加わった!
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北ゲルマニア連邦は新興国である。
かつてゲルマニアは神聖ロムルス帝国と呼ばれ、いくつもの諸邦が乱立していた。国はそんな状態の中起きた30年戦争によって疲弊し、国際的な競争力を失い、もはや神聖でも、ロムルスでも、帝国でもなくなった。
彼らの中で現状に危機感を覚えた諸邦のひとつプルーセン王国は、ゲルマニア地方の統一を目指し、諸邦を次々に吸収。それがもととなって、ゲルマニア地方の北部諸邦が纏まった北ゲルマニア連邦が形成される。
新興国ながら、ゲルマニア人の勤勉さと革新された貿易と経済システムにより、国際的な競争力は非常に高まり、今では魔王軍との戦線後方を支える重要な国家となっている。北ゲルマニア連邦がアルビオン王国でも重要視されているのはそのためだ。
まあ、クラリッサはそこら辺の歴史的な事情など、これっぽちも理解していないが。
「さて、どこに行く? 希望があるなら聞くぞ」
「フェリクスの実家」
「パーペン伯爵の家にか?」
リーチオがホテルに荷物を置いてクラリッサに告げるのにクラリッサがメモを見ながらそう告げた。メモにはフェリクスとトゥルーデの実家であるパーペン伯爵の屋敷の位置が記されている。このハンブルクからそう遠くない。
「そ。フェリクスがこの時期、実家に帰ってるんだって。よかったら遊びに来いって誘われてたから、遊びに行こうと思う」
「ふむ。誘われているなら行かないと失礼だな」
またクラリッサが勝手に暴走しているのかと思ったが、ちゃんと招待されていた。
「しかし、アポは必要だろ。いきなり貴族の屋敷に押しかけても相手してもらえんぞ」
「大丈夫。私とフェリクスの仲だから」
「どういう仲だ」
クラリッサが平然と告げるのに、リーチオが突っ込んだ。
「とにかくいきなり遊びに行っても大丈夫。遊びに行こう」
「分かった、分かった。せめて服装ぐらいはちゃんとしような」
流石に貴族の屋敷に平服で押しかけるわけにはいかない。ちゃんとした服装で行かなければならない。いくらクラリッサとフェリクスの仲であっても、訪れるのはペーター・フォン・パーペン伯爵の屋敷なのだ。
「貴族の屋敷に着ていけるような服は持ってきたか?」
「もちろん。ばっちり持ってきてるよ。こういうこともあるかと」
クラリッサはそう告げて、フォーマルなドレスを取り出した。
「ならそれを着たら、パーペン伯爵の屋敷に向かうか。本当にアポなしで大丈夫なんだろうな? 事前に知らせを入れておいた方がよかないか?」
「大丈夫。パパだってフェリクスのパパとは知り合いでしょ?」
「まあ、それはそうだが」
ペーター・フォン・パーペン伯爵とリーチオはビジネスパートナーだ。非合法の。
「なら、門前払いってことはないよ。フェリクスたちは出迎えてくれる」
「そうだといいがな」
リーチオとクラリッサはフォーマルなドレスとスーツに着替えると、シャロンが馬車を調達し、パーペン伯爵の屋敷へと向かっていった。
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パーペン伯爵の屋敷はハンブルクから馬車で2時間程度の場所にあった。
パーペン伯爵はハンブルクの生まれで、代々その周囲の領地を任されてきた。ハンブルクはプルーセン王国に吸収され、北ゲルマニア連邦のひとつの都市となった。それでもパーペン伯爵家はハンブルクの領土を保持した。
今ではプルーセン王家に仕え、外交官として働いている。
それが表の顔だ。
裏の顔は犯罪組織リベラトーレ・ファミリーと手を結び、外交特権を利用して、違法カジノをホテルで運営している犯罪者。その裏の顔を知っているのは、リベラトーレ・ファミリーだけである。プルーセン王家もその事実を知らない。
その裏のビジネスが順調なためか、パーペン伯爵の屋敷は荘厳だった。
宮殿のような屋敷。整えられた広大な庭。何台もの馬車。
「随分な屋敷だな」
「フェリクスたち、今いるかな?」
リーチオが感心するのに、クラリッサがそう告げた。
「いなければ門前払いだぞ。だから、知らせを入れた方がいいって言っただろ?」
「大丈夫だって。フェリクスはきっといるから」
クラリッサがそう告げるのに馬車がパーペン伯爵の屋敷の前で止まった。
「当屋敷にご用でしょうか?」
「ペーター・フォン・パーペン伯爵とフェリクス・フォン・パーペンの友人だ。近くに寄ったから挨拶をと思った。おふたりはいるだろうか?」
守衛が尋ねるのに、リーチオがそう尋ねた。
「いらっしゃいます。お名前は?」
「リーチオ・リベラトーレとクラリッサ・リベラトーレだ」
「少しお待ちを」
守衛は一旦屋敷に向かうと、しばらくして戻ってきた。
「お会いになられるそうです。どうぞお通りください」
守衛はそう告げて門を開いた。
「本当にアポなしで貴族に会えるもんなんだな」
「だから、言ったじゃん。フェリクスと私の仲だって。それにパパだってフェリクスのパパに会う時、わざわざアポ取るの?」
「当たり前だろ。相手は大使閣下だ。俺のような裏の人間が会うのには慎重を期さなければならない。当たり前のことだぞ?」
「そうなんだ」
リーチオが告げるのにクラリッサが考え込む。
「私がマフィアの道に進むと、サンドラやフェリクスたちに会うのにアポが必要になるのかな? 会えないってことはないよね?」
「分からんぞ。マフィアなんかと付き合いたがる人間はいないからな。友達も去っていくかもしれない。マフィアなんてならないのが一番いい」
クラリッサが尋ねるのにリーチオが脅すようにそう告げた。
「……そうやって脅そうとしても無駄。サンドラたちは今も付き合ってくれてるし」
「だから、分からんぞ。本当のマフィアってのは恐れられるものだからな」
リーチオはクラリッサには堅気の道で生きてもらいたいと思っている。
そうであるがゆえに、クラリッサに残す遺産は合法的なものにしようとしているのだ。彼が七大ファミリーの会合で言ったファミリーのビジネス合法化は、クラリッサのためを思ってのことでもあった。
今、リーチオが政治家を通じて働きかけているギャンブルの一部地域での合法化はそのための布石であり、その予定地でのホテル建設の準備なども進めている。
リーチオは自身がマフィアというものを体験して、娘にまでやらせるものではないという感想を抱いたのであった。
「パパの言うことには引っかかりません。さあ、フェリクスに会いに行こう」
「はいはい」
だが、クラリッサにその気はないのだ。
クラリッサはマフィアであるリーチオが最高にカッコいいと尊敬しているために。
「ようこそいらっしゃいました、リーチオ・リベラトーレ様、クラリッサ・リベラトーレ様。旦那様とお坊ちゃまがお待ちです。どうぞこちらに」
屋敷の中から執事と思しき人物が現れて、クラリッサたちにそう告げる。
「パーペン伯爵がいきなり訪問して迷惑してないといいけどな」
「してない、してない。私とフェリクスの仲だから」
「だから、なんだよ、その自信は」
先ほどからフェリクスとの仲を強調するクラリッサであった。
「ようこそ、リーチオ・リベラトーレさん。それにクラリッサ・リベラトーレさんも」
「お久しぶりです、パーペン伯爵閣下」
やがて通された応接間でペーター・フォン・パーペン伯爵がクラリッサたちを出迎えた。ペーター・フォン・パーペン伯爵は見事なカイゼルひげを生やしたいかにもなゲルマニア貴族で、自信に満ちた様子でクラリッサたちを見ていた。
「よう。クラリッサ」
「こんにちは、クラリッサさん!」
そして、遅れてフェリクスとトゥルーデのふたりがやってきた。
「こら。リーチオさんにもご挨拶しなさい」
「こんにちは、リーチオさん」
パーペン伯爵が叱るのに、フェリクスたちがリーチオにも挨拶する。
「この度は近くに来られたとかで。北ゲルマニア連邦で夏の休暇を?」
「ええ。そのようなところです。エステライヒ帝国まで行こうと思っています。今回は立ち寄ったのでご挨拶をと思い。ご迷惑でしたでしょうか?」
「とんでもない。クラリッサさんはうちの娘と息子とよくしてくれていますし、あなたの訪問であれば喜んで歓迎させていただきますよ」
まあ、確かに拒むことはしないだろう。パーペン伯爵はリベラトーレ・ファミリーとのビジネスで大儲けしている。そんな美味しい思いをさせてくれる組織のボスの訪問を、いきなりだからと言って拒むことはしない。
「フェリクス。夏休み、エンジョイしてる?」
「ふつーだな。お前と違って外国に行くわけじゃなくて実家に戻るだけだから。まあ、たまには実家もいいものだって思うぐらいだな」
「なら、私たちと一緒にエステライヒ帝国まで行く?」
「いけねーよ」
いきなり旅行に誘うのは無理があるぞ、クラリッサ。
「だけど、ここら辺で面白い場所なら紹介してやれるぞ。時間、あるか?」
「あるある」
フェリクスが尋ねるのにクラリッサが頷く。
「ダメよ、フェリちゃん! 女の子とふたりきりなんて許さないわ! お姉ちゃんも同行します! 不純異性交遊は絶対にダメよ!」
「……はあ」
そして、いつものようにトゥルーデがブラコンヒステリーを起こすのにフェリクスは深々とため息をついた。
「トゥルーデも一緒でいいよ。ところで面白い場所って?」
「面白いものが並ぶ市場とか、美術品を作れる工房とかな。倉庫街には倉庫を改装したカフェとかがあるぞ。食い物は海産物が多くて、美味い」
「いいね」
フェリクスが告げるのにクラリッサがサムズアップした。
「あらあら。お客様がいらっしゃったの?」
フェリクスたちがそんな話をしていたとき、妙齢の女性が姿を見せた。
「紹介しましょう。妻のパウラです。パウラ、こちらはリーチオ・リベラトーレさんとクラリッサ・リベラトーレさん。クラリッサさんはフェリクスとトゥルーデの学友だ」
「初めまして。リーチオさん、クラリッサさん。フェリクスとトゥルーデがお世話になっているそうですね。この子たちは個性的だから助かっていますわ」
パーペン伯爵がそう紹介するのに、パウラが頭を下げた。
「フェリクスには私もお世話になっています。いろいろと」
「ああ。いろいろとな」
闇カジノとか、生徒会選挙での暴挙とか、ブックメーカーとか、いろいろ。
碌なことがないな!
「それはよかったわ。フェリクスは問題児でね。前の学校では不良だったのよ」
「それは意外だ」
クラリッサはまったく意外でもなさそうに告げる。
フェリクスが不良なのは現在進行形だ。
それに加えて言えば今はお嬢様のように装っているクラリッサも不良である。少なくともクリスティン辺りはそう判定しているぞ。
「フェリクスのことをよろしくね、クラリッサさん」
「ダメよ、お母様! フェリちゃんにトゥルーデ以外の異性を近づてけては! フェリちゃんってばここ最近モテモテでハーレムを作るつもりなのよ!」
「フェリクスのことをよろしくね、クラリッサさん」
「お母様っ!?」
家族にも相手にされていないトゥルーデであった。
「……こういう個性的な子たちなので、アルビオン王国では上手くやれているようでなによりです。友達もいろいろとできたようで」
「うちの娘もかなり個性的ですので」
お父さんたちは大変だ。
「じゃあ、出かけるか?」
「おう」
フェリクスが告げるのにクラリッサがガッツポーズを決める。
「お姉ちゃんも行くわ! 支度するから待ってて!」
「姉貴はここに置いていこう」
「フェリちゃーん!」
頑張れ、トゥルーデ。いつか弟に敬愛される姉になるんだ。
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そして、書籍化決定です!詳細はあらすじをご覧ください!




