娘は父と旅行に行きたい
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──娘は父と旅行に行きたい
サファイアの助けを得て夏休みの宿題である読書感想文の作成も順調に進み、いよいよ楽しい旅行の時間がやってきた。
旅先はゲルマニア地方。
フェリクスたちの故郷である北ゲルマニア連邦から、新しい相談役であるマックスの出身地バヴェアリア王国、芸術と音楽の都ヴィーンを帝都とするエステライヒ帝国に至るまで、さまざまな地方を巡るのが今回の旅の醍醐味だ。
だが、リーチオには出掛ける前にすることがあるようだ。
「問題はフランク王国にいるマルセイユ・ギャングの存在だ」
旅行の少し前、定例の幹部会でリーチオはそう告げた。
「いつも連中が問題の根幹にいる。この間はクラリッサが襲撃された。カレーの幹部を暗殺したのも恐らくはマルセイユ・ギャングだろう」
カレー支部の離反。カレーにおけるリベラトーレ・ファミリーの幹部暗殺。修学旅行におけるクラリッサに対する襲撃。
その全ての根幹にはマルセイユ・ギャングの存在があったと考えられている。
「七大ファミリーは今も麻薬戦争を継続中だ。七大ファミリーはヤクを取引している連中を徹底的に叩く。だが、マルセイユ・ギャングは面倒な相手だ。奴らは大金で官憲を買収して、フランク王国中に縄張りを拡大している。俺たちだけじゃ相手できない」
リーチオはそう告げて幹部たちを見渡した。
「七大ファミリーがやると決めたんですぜ。徹底的にやってやりましょうや! 北ゲルマニア連邦から魔道兵器を大量に輸入して、カレーを中心に戦争を仕掛けてやるんです。連中の金庫だって無限に金が収まっているわけじゃない。戦争で浪費していけば、先に倒れるのは向こうです。こっちは確かな基盤と確かな商売がある」
ベニートおじさんはいつもの調子でそう告げる。
「マルセイユ・ギャングの資金はアナトリア帝国からのアヘン密輸の中継と薬物の精製から得られています。七大ファミリーが全てのヤクを取り扱っている犯罪組織を叩ければ、資金源は断たれるでしょうが、そうでない限り、相手の金庫は空になりません。現状、持久戦というのは悪手だ」
そして、ベニートおじさんに対して、相談役のマックスがそう告げる。
「ゲルマニア人に南部人の何が分かる! 俺たちには情熱と根気がある。やると決めたらやるんだ。不可能なことなんてねえ。自分たちがやると決めた限りは!」
「ベニートさん。流石に根性論じゃどうにもなりませんよ。相手は正直、我々より金に恵まれている。まあ、政治力に関して言えば、表立って行動できる連中じゃありませんが。何せ、ヤクの取引には政治家も貴族も、嫌な顔をしますからね」
ベニートおじさんが立腹するのにピエルトがそう宥めた。
「そうだ。政治力はこっちが上だ。アルビオン王国の貴族や政治家にも俺たちの伝手はある。ポリニャックの件でフランク王国とアルビオン王国の関係は一時冷え込んだが、今はまた交流も活発になっている。ここは金ではなく、政治力を行使するべきかもしれん」
そして、リーチオが考え込むようにそう告げる。
「マックス。フランク王国の新聞社に伝手はあるか?」
「あります。どうなさりますか?」
「政治家と貴族に喋らせて、記事を書かせたい。ヤクの取引を非難する記事だ。それからヤクの金で買収されている汚職官憲の記事もだ。民衆の支持を奪い、連中をコミュニティーの中で孤立させていきたい」
マフィアは良くも悪くも民衆の支持を得ている。彼らがいなければ給料の少ない官憲は必死になって民衆を守ろうとも思わず、治安は乱れる。マフィアはみかじめ料と引き換えにその商店の安全を保障する。
名誉でも義務でもなく、金によって保たれた平和であるが、街に本当の無法者があふれて、治安が乱れるよりも今の状況の方がマシだ。
だが、マルセイユ・ギャングはどうか?
マルセイユ・ギャングはヤクで金を手に入れ、官憲を買収して味方につけ、周辺にヤクのためならば犯罪も辞さないヤク中があふれてもなにもしない。
それならばコミュニティーにおいて彼らを孤立させることは難しくない。
民衆の支持が得られなくなれば、マルセイユ・ギャングに安息の地はなくなる。民衆は密かにマフィアにマルセイユ・ギャングの情報を売り、マフィアはその情報に基づいて、マルセイユ・ギャングの幹部を暗殺する。
そのような構造ができれば、七大ファミリーにとって非常に好都合だ。
「ファビオ。お前はまだフランク王国で活動できそうか?」
「まともな目撃者はほぼいません。活動可能です」
リーチオが尋ねるのに、ファビオはそう告げて返した。
「マルセイユ・ギャングの幹部の首を刈る。奴らから平穏を奪い取る。それが今回のことに対する報復であり、今後の麻薬戦争のための布陣だ。表立って堂々とは戦わない。そうするのは相手にとって有利だ。我々は我々にとって有利な状況で戦う」
リーチオはそう告げた。
「問題ないかと。ただ、こちらが向こうの幹部の命を狙うならば、向こうも同じようなことを試みるでしょう。身の回りの警備には気を付けてください」
「無論だ。ベニート、ピエルト。お前たちも用心しろ。お前たちも命を狙われる恐れがある。アルビオン王国にいるからといって安心はするな」
マックスがそう告げ、リーチオが注意を促す。
「俺は大丈夫ですよ。何の問題もありません」
「そういって刺されたことがあっただろう。今回は用心しろ。相手も本気になる」
ベニートおじさんが告げるのにリーチオがそう返した。
「それから俺はクラリッサと暫く旅行だ。留守の間はいつものようにベニートとピエルトに任せる。マックスと相談して行動しろ。まだこちらからは動くな。仕掛けてきても、簡単には乗るな。動くのは世論が傾いてからだ」
「ボスも気を付けてください。旅行先、ゲルマニア方面でしょう? フランク王国とは陸続きだし、例の魔王軍と繋がった犯罪組織がいるなら、ゲルマニアだって安全じゃないかもしれませんよ。まあ、ゲルマニア人は几帳面で真面目ですから、犯罪組織と関わり合いになるようなことはないかもしれませんけど」
そう告げてピエルトはマックスの方を見た。
マックスはまだリベラトーレ・ファミリーに馴染んでいない。他の幹部たちからは突如としてボスに取り上げられた新参者として快く思われていないのだ。
ドン・アルバーノの推薦であるから無下にこそしないものの、あまり信用のおける相手として見ていないことは事実であった。
「ピエルト。何か言いたいことがあるならはっきり言え。聞いてやるぞ?」
「い、いえ。なんでもございません!」
それでもリーチオはマックスを組織に組み込むつもりだ。
マックスは明らかに魔王軍について知っている。リーチオが睨む限りただのヤメ検ではなく、情報機関の関係者だと思われていた。
これから先のリベラトーレ・ファミリーのことを考えるならば、そういう人間がひとりはいた方がいい。もっともマックスがリベラトーレ・ファミリーのことを利用だけしようと考えているのならば、それ相応の返礼をするだけだ。
「世論形成が第一だ。マックスは早速新聞社にコンタクトを取れ。記者が暗殺されたらそのことを大々的に報道してやれ。民衆は簡単に食いつく」
「畏まりました、ボス」
リーチオは最後にそう命じて幹部会を終わらせた。
いよいよクラリッサとの楽しい旅行の時間だ。
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「準備はできたか、クラリッサ」
「ばっちり」
リーチオが尋ねるのに、クラリッサがサムズアップして返した。
「えらく大荷物になったな。現地でいろいろ調達するからそこまで持って行かなくていいんだぞ。荷物検査がうるさくなるしな」
「必要なものだけだよ」
リーチオはこんもりと積まれた荷物の山を見て告げる。
「よし。馬車に積み込んだらドーバーに出発だ。それからハンブルクに向かう」
「おー」
ドーバーはアルビオン王国の玄関口であり、様々な場所に旅立つ出口になっている。
クラリッサたちはそのドーバーを目指して、馬車を走らせた。
「宿題の方は順調か?」
「うん。読書感想文の方も進んでるよ。もうすぐ終わるね」
「宝石館の連中に迷惑かけてないだろうな?」
「かけてない、かけてない」
宝石館の高級娼婦たちにとってクラリッサは可愛いお客さんなのだ。
「ならいいが。他の宿題の方はどうだ?」
「数学ドリルはすぐに終わりそう。大したことない」
「お前は本当に数学だけは強いよな」
「理系はいけるよ」
マフィアとして金融業をやる以上、数学はできなくてはならないと思っているクラリッサだ。それはそれとして理系が何故できるのかは不明である。
「よし。ちゃんと勉強もしているようだし、旅行先ではいっぱい遊んでいいぞ。旅行の間は宿題のことも忘れてよろしい。ゲルマニア地方は伝統的な街並みと近代的な街並みが入り交じった楽しい場所だ。釣りだってできるぞ」
「うーん。ギャンブルは?」
「できるけど、お前はダメ」
「そんな」
ゲルマニア地方でも様々なギャンブルが行われているが、クラリッサはまだ子供なのでそういうのにかかわるのはNGである。
まあ、学園ではギャンブルの元締めをやっているので今さら感があるが。
「まあ、競馬ぐらいだったらいいけどな。だが、旅行先でわざわざ競馬ってのもむなしいだろ。競馬ならアルビオン王国が本場だ」
「それもそうだね」
リーチオが告げるのに、クラリッサが肩をすくめた。
「街並みと食事を楽しんで、エステライヒ帝国では帝都ヴィーンで演劇を見るとしよう。お前の気に入った作品があるといいな」
「人がバタバタ死ぬ奴がいい。裏切り、嫉妬、暗殺、サスペンス」
「……そういう趣味は誰に似たんだろうな」
クラリッサの趣味は偏っていた。
ディーナもリーチオもロマンチックな演劇が好きなのであったが。
やはり、ベニートおじさんが悪いところがあると思う。
「それにしても毎年音楽の成績はいまいちだったから、ここら辺で音楽についても学んでおかなければな。帝都ヴィーンは音楽の都だ。優れた音楽を聴けば、お前の音楽に関する感性も磨かれるんじゃないか」
「音楽を聴くと眠たくなるだけだよ」
「お前という奴は……」
クラリッサの音楽は相変わらず音響兵器状態だぞ。だが、ウィレミナも同志だ。
「しかし、音楽の都まで行って音楽を聴かないというのももったいない。何かしら音楽を聴くとしよう。案外お前の気に入った曲が見つかるかもしれないぞ」
「ないない」
リーチオが告げるのにクラリッサが首を横に振った。
「聞く前から決めつけるんじゃありません。お前は諦めが早すぎるぞ」
「そんなことないよ。学園内のギャンブル合法化には粘り強く頑張ったもん」
「そういうところだけだな、本当に!」
クラリッサは自分の利益になることは頑張るのだ。
「全く。どうしてそんなにギャンブルが好きなんだ?」
「儲かるから」
リーチオが尋ねるのにクラリッサがグッとサムズアップした。
「儲けるならもっとまともな仕事があるだろ。医者とか弁護士とか」
「真面目に働いて、真面目に儲けるより、ちょっと不真面目にして大儲けする方がいい。パパだってそういう稼ぎ方してるでしょ?」
「それはそうだがな。これは真似しちゃいけない大人だ」
「なんで?」
「ダメな大人だからだ」
クラリッサが首を傾げるのに、リーチオがそう告げた。
「パパはダメな大人なんかじゃないよ。世界で一番カッコいい大人だよ」
「そういってくれるのは嬉しいが、俺の真似をしても碌なことにはならん。お前は真っ当な大人になりなさい。マフィアなんかとかかわりを持つべきではない」
「うーん。そういうことにしておこう」
「おい」
頑張れ、リーチオ。クラリッサは少なくともあなたを尊敬しているぞ。
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