娘は友達と最初の夏休みを過ごしたい
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──娘は友達と最初の夏休みを過ごしたい
期末試験が終わり、楽しい楽しい夏休み。
記念すべき最初の夏休みの1日を、クラリッサはサンドラたちと過ごすことにしていた。クラリッサもなかなか多忙な娘で、夏休みは大陸各国を回って過ごしたり、海辺の別荘でリーチオと時間を過ごしたりといろいろとやることがあるのだ。
クラリッサは基本的にお金持ちのお嬢様なので、どこに行ってもVIP待遇である。リーチオのビジネスは常に右肩上がりで、快調なこともあって、今年も実に贅沢な夏休みを過ごすことができたのであった。
そんなクラリッサが友達と過ごす日が訪れた。
「行ってきます、パパ」
「おう。気を付けていって来いよ」
夏休みに入ってからリーチオもバカンスに興じたが、そろそろ仕事をしなければならない。リーチオの仕事のほとんどは合法化された商売だが、その裏で動いている汚れた資金は常に洗浄する必要があり、リーチオはそれを監督しておかなければならないのだ。
「お嬢様。もう出発なさいますか? 待ち合わせ時間にはまだ余裕がありますが」
「友達と夏休みに遊ぶなんて初めてだからね。遅刻したくないんだ」
「それでしたら馬車をすぐに準備いたします」
ファビオが告げるのに、クラリッサがワクワクした様子でそう返した。
今日のクラリッサの格好はまだまだ子供っぽい白いセーラーワンピースに、赤いスカーフを巻き、青いリボンのついたキャペリンハットを被っている。その上品な立たずまいは、良家のお嬢様であることを示唆していた。まあ、実家はマフィアなのだが。
「お嬢様。準備が整いました」
「うん。出かけようか」
やがてファビオが告げるのに、クラリッサは馬車に乗り込んだ。
向かう先はウィリアム4世広場。
アルビオン王国王都ロンディニウムに位置する公園だ。王立ティアマト学園からは幾分か距離が離れている。というのも、基本的にここは歓楽街に近いからだ。
「あ。クラリッサちゃん。早いね」
「サンドラこそ。待った?」
「ううん。さっき来たところ」
サンドラは先に到着していた。
彼女はフリルで飾られた白いワイシャツ赤いリボンタイ、そして黒いロングスカートにブレトンハットの出で立ちだ。ちょっとまだまだ子供っぽいクラリッサよりもちょっと大人びた服装かもしれない。
「ウィレミナもそろそろかな」
「あ。ウィレミナちゃんの馬車が来たよ」
クラリッサが周囲を見渡すのに、ウィレミナの馬車が広場の向こうに見えた。
「ごめん、ごめん。遅くなった?」
「いいや。時間丁度だよ」
ウィレミナは時間ギリギリにやってきた。
ウィレミナの格好は簡素な紺色のシャツに黒いパンツと簡素かつボーイッシュだ。
「ウィレミナちゃん。男の子っぽいね」
「兄貴のおさがりなんだ。あんまり着てないっていうからもらっちゃった。本当はあたしも女の子っぽい格好がしたいんだけど、普段着は姉たちも徹底的に使いまわすから回ってこなくて。やっぱり貧乏はつらいねー」
サンドラが告げるのにウィレミナが自嘲的に笑う。
ウィレミナは今日は短いポニーテイルに髪を纏めており、その外見からして男の子と間違われておかしくない格好をしている。
「じゃあ、今日は遊び倒していこう。私の奢りだから遠慮なく遊ぼうね」
クラリッサの財布は分厚いぞ。
「ク、クラリッサちゃんの奢りかー……」
「だ、大丈夫だよね。後であたしたち売られたりしないよね?」
「君たちは何を失礼なことを言ってるの?」
サンドラとウィレミナが戦慄するのに、クラリッサが頬を膨らませた。
「パパからも貴族の学校で平民に仲良くしてくれる友達は大事にしなさいって教えられているから、取って食べたりはしないよ。勉強だって手伝ってもらったんだし。今日はここら辺をぶらりと遊んで回ろう。リクエストがあれば聞くけど。何かある?」
クラリッサは基本的に友達思いだぞ。家のモットーである『受けた恩は絶対に返す。受けた害は必ず血を以てして報復する』を大事にしているからね。
「ここら辺で遊んだことないからよく分からないんだけど、劇場とかあるかな? あんまり服装とか気にしないでいい場所。流石に友達と遊ぶのにドレスコードを満たすような恰好はしてきてないから」
「いいね! この間、兄さんたちが面白い喜劇を見たって言ってたから、そういうのが見れる場所だといいな。私も劇場とか見て回りたいけど、お小遣いがちょっとで……」
サンドラとウィレミナがそれぞれそう告げる。
「ファビオ。該当する場所あるかな。私たちのシマで」
「はい、お嬢様。劇場ならばイースト・ビギンズ・シアターが我々の傘下です」
「では、そこにしよう。喜劇はやってるかな?」
「演目を変えさせてでもやらせますのでご心配なく」
「うん。任せるよ」
クラリッサとファビオが何事もないかのように話を進める。
「なんか、今いくつかやべー言葉が聞こえてはきませんでしたか、サンドラさん」
「シマってなにかな? 私には分からないや」
ウィレミナが肘でサンドラを突っつきながら告げるのに、サンドラは現実逃避した。
「劇場までは歩いていこうか。運動になるよ」
「うんうん。こうして街を歩くのもいいものだよね。あたしんち、通学も何もかも全部馬車だから学校が休みだと体が鈍っちゃうし」
クラリッサが告げるのにウィレミナが頷いた。
「そういえば、ウィレミナちゃんはクラリッサちゃんと一緒で体育の選択は戦闘科目だったね。内容はクラリッサちゃんから聞いたけど、大変じゃない?」
「あれぐらいは余裕になってきたかな。あたし、体動かすの好きだから運動はそこまで苦じゃないし。もうちょっと競技性のある運動もやってくれると嬉しいんだけどな」
「ドッチボールとか!」
「いいね、ドッチボール。あたし、顔面狙うの得意だよ!」
「……ウィレミナちゃんとは絶対にドッチボールはしない」
ウィレミナ、それは誇らしく言うことじゃないぞ。
「んー。そういえば部活、決めた?」
「まだ……。いろいろと知り合いから勧誘は受けてるんだけどね」
そこで思い出したようにクラリッサが尋ねるのに、サンドラが肩を落としてそう告げた。サンドラも貴族の伝手で学園にいろいろと知り合いはおり、その伝手で勧誘が来ているのだが、どれを選んでいいものか分かっていなかった。
「まあ、2年からでも部活には入れるから急ぐ必要はないぜ」
「でも、みんな部活、楽しそうだからなー」
「クラリッサちゃん。いろいろとお試ししてたけど、いいのなかったの?」
「目移りしてしまって決められないんだ……」
ウィレミナが尋ねるのに、クラリッサがそう返す。
「あれ? クラリッサちゃん、この間、女子クロッケー部に入ってなかった?」
「あれもお試し。楽しかったけれど、相手が弱すぎた」
「お、お試しで既にマスターしちゃうかー……」
クラリッサはいろんな部活に体験入部しては上級生を打ち負かしているぞ。ただし、体育系の部活に限る。文化系はダメダメだ。
「お嬢様方。そろそろ劇場が見えてきますよ」
「あそこだね」
ファビオが告げるのに、クラリッサが指さした。
「何をやってるかな?」
「見たいものを演じさせるよ」
「そ、そこまではしなくていいよ、うん、本当に」
ウィレミナが告げるのにクラリッサがさらりとブルジョアの凄さを見せる。
「あっ。この『悪魔の骨折り損』って最近話題だった喜劇だよ。なんでもロマンス要素もあるって。私はまだ見たことないけど。これにしない?」
「よし。それにしよう」
サンドラが告げるのにクラリッサが即決した。
「ファビオ。これにするから。お願い」
「畏まりました、お嬢様」
クラリッサが告げるのにファビオが先に劇場の中に入った。
すると、中から何名かの男性が出てくる。
「リベラトーレのお嬢様。今回はおいでいただき光栄です。どうぞ、心行くまで当劇場の劇をご鑑賞ください」
「ありがと」
「それからリーチオ様にどうかよろしくとお伝えを」
「うん」
男性は何度も頭を下げるとファビオと入れ替わるようにして、劇場の中に入った。
「ねえ。今の誰?」
「この劇場の総支配人」
「え?」
クラリッサが平然と言い放つのにウィレミナの表情が強張った。
「ここはうちのシマだから。のんびりしていって」
「う、うん。今のであんまりのんびりできなくなったかな……」
どこまで強力な実家なのだろうかとサンドラたちは心配になってきた。
それはともかく演劇の鑑賞。
劇の内容は悪魔と取引して最愛の妻を手に入れようとする男性がどったんばったん悪魔と大騒ぎを繰り広げた挙句、悪魔の力抜きで最良の妻を手に入れる話である。大雑把に要約するとそんな感じだ。別れあり、出会いあり、ロマンスありの大ボリュームである。
「面白かったー!」
劇場を出るとウィレミナがそう感想を述べる。
「ハッピーエンドでよかったよね」
「物語は常にハッピーエンドだよ。そうはいかないのが、この世の中なわけで」
「急に現実を振り返るのはやめよう、クラリッサちゃん」
クラリッサの人生観はシビアだぞ。
「しかし、悪魔の力って便利だね。私も悪魔をひとり、手元に置いておきたいな」
「ウィレミナちゃんってばー。……実質、今私たちは悪魔と契約してるんだよ?」
「……そうだった」
クラリッサの方に僅かに視線を向けて静まり返るふたりであった。
「そろそろお昼にしようか。ファビオ、ここら辺でいいお店ある?」
「南部料理を提供しているレストランがございます」
「そこにしよう。故郷の味だ」
南部料理というのは大陸から飛び出したロムルス半島の料理を出す店だ。
「ふたりは南部料理は平気?」
「南部料理ってパスタとかだよね。全然いけるよ。楽しみー!」
クラリッサが尋ねるのにウィレミナが元気よくそう返した。
「クラリッサちゃんの名前って南部風だよね。南部の出身なの?」
「ん。元々はそうらしいよ。私は南部に行ったことがないからしらないけど」
リーチオのリベラトーレ・ファミリーの幹部は南部出身者で占められている。ファビオにしても、元々は南部出身者の子孫である。
魔王軍との戦乱が続く大陸から安住の地を求めてアルビオン王国に渡る人間は少なくなく、リーチオはそれら移民を取りまとめていた。移民たちも右も左も分からぬ新天地での庇護を求めて、リーチオの下にやってくる。
リーチオ自身は特に南部出身者というわけでもなく、たまたま長期の潜伏任務の先が南部であったから、南部の事情に詳しいというだけだ。
「へー。案外、クラリッサちゃんって南部の貴族とかだったんじゃないの?」
「それはない」
クラリッサは自分の出自についてある程度把握している。
父であるリーチオが魔族であり、母であるディーナが凄腕のアークウィザードであったということ。どちらも貴族と呼べる人間ではないこと。
「私はバリバリの平民。それでも仲良くしてくれる?」
「もちろんだよ。これからもよろしくね、クラリッサちゃん」
「よろしく、クラリッサちゃん」
クラリッサが問うのにサンドラとウィレミナがそう返した。
「それじゃあ、お店に向かおうか」
クラリッサの夏休みの1日は始まったばかりだ。
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本日2回目の更新です。




