娘は修学旅行に出発したい
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──娘は修学旅行に出発したい
「準備は?」
「できています、お嬢様」
場所はリーチオの屋敷。
そのクラリッサの部屋で使用人がクラリッサの修学旅行の荷物をまとめていた。
「よし。暗器もばっちり仕込んだ」
クラリッサはスカートで隠れた太ももの部分から素早く折り畳み式ナイフを抜く。
「カーディガンはちょっと暑いし、これだけが頼りだよ」
「はあ」
折り畳み式ナイフを持ってご機嫌のクラリッサに使用人はぼんやりと頷いた。
クラリッサなら別に暗器に頼らなくても、魔術でどうにかできるのではないだろうかと使用人たちは考えている。それはもっともだ。
だが、攻撃に対するレスポンスタイムという点では、魔術よりさっと取り出して使える折り畳みナイフの方が優れている。それに魔術と違って、折り畳みナイフというのは見せるだけで威圧に繋がる。
まあ、ただ単にクラリッサが暗器が好きなだけという面もあるのだが。
この子は人が死にまくる演劇が大好きで、そういう演劇につきものの暗器にあこがれを抱いているのだ。碌なあこがれじゃないな。
「さて、準備万端。そろそろ行こうか」
クラリッサはそう告げてカバンを抱える。
「行ってきます、パパ。お土産、期待しててね」
「マジでルーヴル美術館から国宝を盗んでくるなよ」
クラリッサがリーチオにどんな土産を買ってくるのかは謎である。
「大丈夫。ちゃんと密輸業者を使うから」
「そういう問題じゃありません」
クラリッサはリベラトーレ・ファミリーの密輸業者を使って税関をすり抜ける気満々だ。こういうことを教えるのはピエルトである。『クラリッサちゃん。お土産にワインを買ったら税関でべらぼうな関税がかかるから、うちの密輸業者使うといいよ』などということをクラリッサが修学旅行に行く前に教えていた。
碌な大人がいない。
「合法的に頼むぞ。無理な買い物はしなくていいからな?」
「分かった。合法的なものにする」
渋々というようにクラリッサは頷いて返した。
「それじゃあ、いってらっしゃい。楽しんでくるんだぞ」
「うん」
クラリッサはそう告げて頷くと、旅行鞄を抱えて表に出た。
「お待ちしておりました、お嬢様。準備はよろしいですか?」
「ばっちり」
外ではファビオとシャロンが待っていた。
「お嬢様。お荷物をどうぞであります」
「うん。よろしく」
シャロンがクラリッサから旅行鞄を受け取り、馬車に積み込む。
「それでは出発なさいますか、お嬢様?」
「おー」
クラリッサは拳を突き上げると、ファビオたちとともに馬車に乗り込んだ。
さあ、今日から楽しい修学旅行だ。
……………………
……………………
「おはよ、クラリッサちゃん!」
「おはよ、ウィレミナ」
修学旅行前の最終オリエンテーションのためにクラリッサたちは体育館に集まっていた。クラリッサはウィレミナの顔を見つけると、そちらに向かっていった。
「あれ? クラリッサちゃん。シャロンさんとファビオさんのふたり?」
「うん。特別にね。やっぱり海外は危ないから」
クラリッサの荷物を抱えているシャロンとその脇にいるファビオを見て、ウィレミナは首を傾げたのだった。普通は執事とメイドはそれぞれの生徒にひとりである。
「海外が危ないってクラリッサちゃんが言うと縄張り争いを連想しちゃうなー」
「まあ、そんなところだよ」
「……マジで?」
「マジで」
ウィレミナはこれがマフィア絡みの案件だと理解したぞ。
「クラリッサちゃん。危ないことはなしで頼むぜ? せっかくの修学旅行なんだから」
「分かってる、分かってる。向こうが仕掛けて来ない限りは仕掛けないよ」
「全然安心できない」
これは一波乱ありそうだとウィレミナは諦めたのだった。
「クラリッサちゃん! おはよう!」
「おお。おはよう、サンドラ」
ウィレミナとクラリッサが話していたとき、サンドラがやってきた。
「いよいよ修学旅行だね! 楽しみにしてたよ!」
「私もだ。精一杯楽しまないとね」
サンドラはワクワクした様子でそう告げる。
「ところで、クラリッサちゃん。どうしてファビオさんが一緒なの?」
「家庭の事情」
「家庭の事情かー」
サンドラも嫌な予感がし始めてきたぞ。
「クラリッサちゃん。揉め事は最小限だよ。喧嘩を売られても買ったらダメだよ。決闘も、ギャンブルも、酒も、女もダメだからね?」
「君は私のことをなんだと思っているの?」
神妙な表情でサンドラが告げるのに、クラリッサがジト目でそう告げて返した。
「クラリッサちゃん。割とトラブルメーカーでしょ? 今回はトラブルなしでお願いします。みんなで旅行する機会なんてそうそうないんだから」
「分かっているよ。私だって楽しい修学旅行に水を差されたくない」
クラリッサは何も言わなくても分かっているというように頷く。
「生徒の皆さん。クラスごと、班ごとに分かれて集合してください」
「お。始まるよ。行こうぜ、クラリッサちゃん」
学年担当教師が告げるのに、ウィレミナが立ち上がって1年A組の集まっている場所に向かう。フィオナやジョン王太子は既に集まっている。
「今日から修学旅行です。名誉ある王立ティアマト学園の生徒として、その名誉を汚すことのないように行動してください。そして旅行者はその国の顔とも言います。王立ティアマト学園の生徒としてだけではなく、アルビオン王国を代表するものとして──」
学年担当教師の話は長く、20分ほど続いた。
「ふわあ。眠い……」
「もうちょっとだから欠伸しないで、クラリッサちゃん」
クラリッサも思わず欠伸を漏らすほどである。
「──以上です。では、皆さん。荷物を持って馬車に乗り込んでください。まずはドーバーに向かいます。それからフランク王国の玄関口カレーを目指し、船旅となります。班ごとに揃って行動してください」
話もようやく終わり、クラリッサたちは学園の用意した馬車に乗り込むことになった。普通の馬車よりも大きく、荷物を持っていても6名は乗れる。
クラリッサたちはシャロンとファビオを含めた5名でひとつの馬車に乗り、ごとごとと揺られながらドーバーを目指して学園を出発した。
王立ティアマト学園からドーバーまでは数時間の道のり。
「カレーからは鉄道でパリースィに向かうんだね」
「鉄道の旅もいいものだ」
この世界の鉄道は蒸気機関であるが、魔術による炎を燃料として動いている。石炭などより燃焼効率が良く、速度が出るために石炭による鉄道には移行していない。
「天気がいいとドーバーから対岸のカレーが見えるって話だよ」
「密輸業者には辛いね」
「密輸業者の心配をするクラリッサちゃんになんて言ったらいいか分からないよ」
リベラトーレ・ファミリーは密輸によって大きな富を築いているのだ。
「そろそろドーバーだ」
「ドーバーはうちのシマだから安心だね」
「……安心できない」
ウィレミナはリベラトーレ・ファミリーの縄張り争いの件を聞いているのだ。
「ドーバーを抜けたら、いよいよフランク王国だよ。ウィレミナちゃんはフランク王国に行ったことはある?」
「ないなー。国内旅行しか経験ない」
「私は何度かあるよ。その中の1回は不本意なものだったけど……」
サンドラはポリニャックに無理やりフランク王国に連れていかれた経験があるのだ。
「大丈夫。今回は私たちがいるから」
「ありがとう、クラリッサちゃん」
クラリッサが告げるのに、サンドラが微笑む。
そして、ここで馬車から船への乗り換えだ。
「船旅か。これも海外旅行の楽しみのひとつだよね」
「広い船だからいろいろ見て回ろう」
「おー!」
というわけでクラリッサたちは船内探検隊に。
「む。隊長、あそこにジョン王太子とフィオナさんがいます」
「船上デートだね。冷やかしに行こうか」
「いいね!」
そして、ウィレミナとクラリッサは船上で恋人の距離になってるジョン王太子とフィオナを発見し、お邪魔虫をしようかと考える。
「やめたげなよ。人の恋路を邪魔する人は馬に蹴られて死ぬんだよ?」
「なにそれ怖い。黒魔術か何か?」
「多分、そういうものだと思う」
それはただのことわざであって呪いではないぞ。
「あたしたちも海、眺めようぜ。船の上から見る海ってなかなか機会ないし」
「そだね。眺めてみよう」
クラリッサたちはわいわいと船縁を目指す。
「む。隊長、あそこにもカップルが」
「この楽しい修学旅行中に不届きな」
この修学旅行を機会に距離を縮めようと、船上のあちこちにカップルができているぞ。お相手のいないクラリッサたちは嫉妬ウーマンになるしかないのだ。
「サンドラとウィレミナは相手、いないの?」
「いないねー。クラスのほとんどの男子は売約済みかイケてないのばっかりだし。けど、男子陸上部にはカッコいい先輩がいるんだ。あの人も売約済みになってなければいいけど。けど、あたしのような貧乏貴族には振り向いてくれないだろうなー」
クラリッサが尋ねるのに、ウィレミナがそう告げて返した。
「私もお相手はいないよ。クラリッサちゃんのせいでハードル上がりすぎちゃてるし」
「何故私のせいに?」
「もー。クラリッサちゃん、そういうところだよー」
サンドラはクラリッサが颯爽と助けに来てくれたことが未だに印象的で、他の男子生徒にも同じようなものを求めてしまっているのである。
流石にあんなことができるのはクラリッサぐらいだろうが。
「クラリッサちゃんのお相手は?」
「いないよ」
「フェリクス君は?」
「ただのビジネスパートナー」
クラリッサも恋人はいないのだ。
「なら、みんなどんな恋人がほしい? 私はさっき上げた男子陸上部の先輩ね」
「うーん。いざっていう時にとっても頼りになる正義の味方みたいな人かな?」
ウィレミナが尋ねるのにサンドラがそう告げて返す。
「クラリッサちゃんは?」
「バリバリお金を稼ぐ人。ベニートおじさんみたいにワイルドでパパみたいに知的だとなおいい。まあ、そんな人どこを探してもいないと思うけれどね」
クラリッサは『へっ』と笑って肩をすくめた。
「分からないよ。将来出会うかもしれないよ」
「そうしたら間違いなく私に惚れるね。私ほどいい女もいないから」
「凄い自信だ……」
クラリッサはこれまで恋愛と呼べる恋愛をしたことがないのに強気だぞ。
「む。あれはクリスティンさんにフェリクス君では?」
「フェリクス、またちびっこ風紀委員に絡まれているの?」
そして、ウィレミナが再び目ざとく男女のカップルを発見する。
「あれは絡まれている、のかなあ」
「クリスティンさんが必死に引っ付こうとしているように見える」
ウィレミナたちの視線の先のクリスティンはフェリクスに何やら口うるさく言いながらも、徐々に、徐々に、その距離を縮めているように見えていた。
フェリクスは煩わしそうにしているが、クリスティンは距離を詰め、もう少しで腕が組める距離まで近づいていた。それにフェリクスが気づいたのか、フェリクスが何事かを告げ、クリスティンの顔が真っ赤になる。
「何話してるんだろ?」
「『お前、俺と腕を組みたいのか?』ってフェリクスが尋ねて、『そ、そういうことです!』ってクリスティンが言っている。バカップルの会話だ」
クラリッサの人狼ハーフの聴覚はクリスティンとフェリクスの会話を全て捉えていたぞ。クラリッサは集中すれば雑音があっても、かなり長距離の会話が聞き取れるのだ。
「やべー。フェリクス君とクリスティンさんって進んでるじゃん」
「でも、こういう時には大抵──」
ウィレミナが感心するのに、クラリッサが何事かを言いかけた。
「ぶー! お姉ちゃんセンサーが不純異性交遊を感知しました!」
こういう時には大抵、トゥルーデの妨害が入るのだ。
トゥルーデはなにやらクリスティンと言い合うと、クリスティンを押しのけてフェリクスと腕を組んだ。その様子を見てクリスティンが唸っている。
「フェリクスも大変だな」
「そだね。過保護な姉には苦労させられている感じ」
頑張れ、フェリクス。手ごわい姉を納得させて彼女をゲットするんだ。
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