娘は使い魔と触れ合いたい
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──娘は使い魔と触れ合いたい
「パパ。アルフィを散歩させたい」
「ダメ」
クラリッサの中等部2年の生活が始まり、数週間が過ぎた時の早朝の会話がこれである。今日は休日でクラリッサは私服に着替えていた。
「なんで……?」
「アルフィの姿を見れば分かるだろう」
アルフィは今日もサイケデリックな色合いに変色しながら、触手を蠢かせている。
「アルフィは暖かくなってきたからお外を歩きたいって」
「ダメ。近所の犬が食われたり、野良猫が食われたりしたら問題になる」
「アルフィはそんなことしないよ」
「アルフィの正体は?」
「アルフィは謎」
アルフィは依然として謎であった。
「その謎の生き物を外に連れまわすつもりか。危険だとは考えないのか」
「アルフィはいい子だから」
「謎なのにそれが分かるのか。こいつにとって近所の犬を食うことは悪いことには入らないかもしれないぞ。あるいは近所のおばさんに酸を浴びせることも」
「そんなことは……ないと思う」
クラリッサは視線を逸らした。
「でも、アルフィは今までそんなことしなかったよ?」
「今までは猫被っていたからかもしれんだろ。見た目に反して知恵はあるようだからな。隙を見て人間に反乱を起こすかもしれないぞ」
「アルフィはそんなことしないよ」
「謎なのにそれが分かるのか」
アルフィの正体が分からない限り、なんとも言いようがない。
「とにかく、庭を散歩させるのはいいが、外はダメだ。庭も十分広いだろう」
「アルフィは外に興味があるって」
「やはり何か企んでるんじゃないか、そいつ」
アルフィが外に関心があるのはどうにも怪しい。
「ねえ、パパ。お願い。外を散歩させてあげて」
「ううむ。そこまで外を散歩させたいのか?」
「させたい」
クラリッサはアルフィに外の世界を見せてあげたいのだ。
外の世界を見せた結果、アルフィがどうなるかは分からないけれど。
「なら、夜中だ。人気のない夜中にならちょっとだけ外に出していいぞ。その代わり、近所の犬や猫、子供を食べたりしないのが条件だからな?」
「やった。アルフィに楽しい外の世界を見せてくるよ」
「ほどほどにな。そいつが知恵を付けると何をするか分からないからな」
クラリッサが喜ぶのに、リーチオはそう告げたのだった。
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午後9時。
クラリッサはアルフィを連れて外に出た。
アルフィにはリード──らしきものが付けられているが、不定形なアルフィを拘束しておくには無理がある。アルフィはその気になればするりと抜け出てしまうだろう。
「お、お嬢様。その謎の生き物は本当に安全なのですね?」
「安全だよ。アルフィはいい子だから」
シャロンが恐る恐る尋ねるのに、クラリッサがそう告げて返した。
「さて、ウィリアム4世広場まで散歩しよう」
「りょ、了解であります」
クラリッサたちは屋敷を出発。
アルフィの歩く速度はなかなかに速い。ずぞぞぞというようにクラリッサの歩調に合わせて触手を蠢かせて、移動している。アルフィの眼球は周囲を見渡し、時折足を止めては『テケリリ』と鳴いている。
「ワン! ワン!」
アルフィが住宅街を進むのに、飼い犬たちが怯えたように吠える。
「テケリリ」
アルフィはずるずると柵に近づくと、触手を蠢かせた。
「きゅーん! きゅーん!」
アルフィが正体不明すぎるのか、飼い犬は怯えた声を発して逃げ去った。
「どうしたの、クッキー? 何かいたの?」
「きゅーん!」
飼い主が扉を開けてみるのに、犬は家の中に駆け込んだ。
「しゃーっ!」
犬の次は猫である。
野良猫がアルフィが歩いてくるのを見て、威嚇する声を上げた。
「アルフィ、猫だよ。可愛いね」
「テケリリ」
アルフィは猫に向けて触手を伸ばした。
「ダメだよ、アルフィ。猫を食べちゃダメ」
「テケリリ」
どうやらアルフィは猫を獲物として狙っていたようである。
「しゃーっ! しゃーっ!」
猫は威嚇しながら素早く逃げ去っていった。
「ほら、アルフィ。ウィリアム4世広場だよ。この時間帯でもちょっと人はいるね」
そう告げてクラリッサがウィリアム4世広場に入るのに、そこにたむろしていた男たちがアルフィを連れたクラリッサの方を向いた。
「お嬢ちゃん。こんな時間に──」
男たちがクラリッサを追い払おうとしたとき、アルフィが視界に入った。
「な、なんだあれ?」
「き、気持ち悪い……」
アルフィはサイケデリックな色合いに発光しながら、眼球を6つほど形成した。その正気を損なうような姿で、触手を数十本生やし、それを波打つように蠢かせた。
「化け物だ! 化け物がでたぞ!」
「ひいっ! 神様お助けえ!」
男たちは悲鳴を上げながら逃げていった。
「ぶー。アルフィを見て逃げるなんて失礼な人たちだね」
「テケリリ」
「アルフィも失礼だって思うか」
アルフィはただただサイケデリックな色合いに発光している。
「アルフィ。ここがウィリアム4世広場。いつもみんなでここに集まるんだよ」
「テケリリ」
「アルフィも一緒に集まりたいの?」
「テケリリ」
「そうか、そうか。お友達を呼びたいのか」
アルフィは何度か意味不明な鳴き声を上げると、ずぞぞぞと粘液を吐き出しつつ蠢きながら、ウィリアム4世広場に冒涜的な角度の文様を描き始めた。
「テケリリ、テケリリ、テケリリ!」
「ん?」
アルフィが何度も鳴くと、冒涜的な角度の文様が輝き始めた。
「テケリリ!」
そして、アルフィが大きく鳴くと、地面から黒い霧のようなものがあふれ始めた。
「お、お嬢様? ちょっとこれは不味いのでは?」
「アルフィはお友達を呼びたいんだって。やっぱり独りぼっちは寂しいんだよ」
「本当に呼んでも大丈夫な奴なんですか!?」
黒い霧はあふれ出し、それから稲妻が落ち始めた。
「んー。アルフィ、お友達を呼ぶのは今度にしよう。パパが怒るから」
「テケリリ」
アルフィは一鳴きすると、黒い霧も稲妻も収まった。
「ん? アルフィ、何持っているの?」
「テケリリ」
「くれるの?」
アルフィはいつの間にかなにやら不可思議なものを持っていた。
輝く結晶のような多面体。色は黒い。それが金属の箱の中に納まっていた。
「アルフィ、これはなあに?」
「テケリリ」
「ふむふむ。これでアルフィの友達が呼べるんだね」
見るからに怪しい品物をクラリッサはポケットにしまった。
「さあ、アルフィ。そろそろ帰ろう。あんまり帰りが遅いとパパが心配するからね」
「テケリリ」
クラリッサたちはウィリアム4世広場に刻まれた謎の文様を放置して屋敷に戻った。
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……………………
「パパ。今日もアルフィを散歩させていい?」
「ダメ」
そして、翌日の朝にこれである。
「どうして……?」
「昨日、化け物が出たって街の人間が騒いでいたんだよ。不定形な怪物がうろついていたって。街はその話で持ち切りで、俺たちにどうにかしてくれって陳情が来てるぞ。まさかうちの使い魔ですとは言えないし、困ってるんだぞ」
「化け物だなんて酷い。アルフィは可愛い使い魔だよ」
「絶対に可愛くない」
クラリッサが頬を膨らませて告げるのに、リーチオはそう断言した。
「それにウィリアム4世広場に謎の文様がって騒ぎもあったぞ。掃除しようとした人間がおかしなことになったって聞くし、碌でもないものをばらまくんじゃありません」
「あれはアルフィがお友達を呼ぼうとしただけだよ」
「あれを増やすつもりだったのか」
「んー。また別のお友達かもしれないね」
クラリッサはアルフィが何を呼び出そうとしていたのか知らなかったぞ。
「あれのお友達とか碌でもないから呼ぶんじゃありません。アルフィは1匹だけで手一杯だ。他の化け物が増えるなんてごめんだぞ」
「酷い。アルフィは独りぼっちで寂しいんだよ」
「あれは寂しいとかそういう感情は絶対に抱かないぞ」
「そんなことないよ。アルフィは喜怒哀楽がちゃんとあるんだよ」
アルフィは寂しいとは言っていないぞ。ただいきなり友達を呼び出そうとしただけだぞ。アルフィの感情も謎であった。
「ぶー……。なら、アルフィは何をしていいの?」
「家の庭で遊ばせなさい。それから学園に連れていくだけ」
クラリッサが口をとがらせて告げるのに、リーチオがそう告げた。
「庭はアルフィにとっては狭いよ。アルフィはもっと大きな存在なんだよ」
「んんん。あれがでかくなるのは悪夢なんだがな」
屋敷の庭はとても広い。そこに収まらなくなったら手に負えない。
「ぶー……。ぶー……。アルフィにはもっと成長してもらいたいのに」
「ダメ。絶対ダメ」
今のアルフィは子犬サイズだが、それでも周囲は危機感を覚えているぞ。
「仕方ない。じゃあ、アルフィを庭で遊ばせるね」
「隣の家の猫を食わないようにしろよ」
「アルフィはそんなことしないよ」
実際のところ、アルフィの食欲の向かう先は不明である。
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「街を騒然とさせた謎の怪物の正体に迫る!」
ロンディニウムでも有数の新聞社であるロンディニウム・タイムスが報じた。
「突如として平穏なイースト・ビギンに現れ、街を騒がせた謎の怪物の正体を我々は追った。事件が起きたのは5月XX日。賑やかな繁華街で知られるイースト・ビギンにその怪物は現れた。ここで目撃者の証言を聞いてみよう」
まず証言するのは街に暮らす老夫婦。
「夜の9時付近だったでしょうか。うちのクッキー──飼い犬です──がワンワンとやけに吠えるので外を覗いでみたんです。そしたらクッキーが家の中に駆け込んできて、酷く怯えていました。それで何が起きたのだろうと周囲を見渡したら見たんです」
ここで老夫婦は息をのんだ。
「どろりとしていて、謎の色に発光した物体です。タコのようにも見えましたが、ぎょろりとした目玉が触手の先から見えていて。それは奇妙な声で鳴くと、ずるずると音を立てて柵から離れていったんです。本当に恐ろしい光景でした」
老夫婦は今では犬を外で飼うことを止めたと言っている。
「み、み、見たんだ! 恐ろしいものだった!」
ウィリアム4世広場で夜のひと時を過ごす男性はそう告げる。
「み、見たこともないような化け物だった。奇妙な色合いに発光していて、目玉は6つあった。どこまでも不定形で、触手はタコよりも多かった。それがずるずるとやってきて、俺たちは大慌てで逃げたんだ」
男性はその後もウィリアム4世広場の様子を見ていたと語る。
「次はその怪物がウィリアム4世広場をはい回って、何かをしていたんだ。そしたらウィリアム4世広場が光り出して……」
男性は身を震わせた。
「霧が、霧が、黒い霧が立ち込め始めたんだ。それから空が曇り、稲妻が響き始め、この世の物とは思えない声が聞こえてきたんだ。今でも耳から離れない。テケリリ、テケリリ、テケリリ……。あれはあの怪物の鳴き声だったに違いない」
男性はそう告げて顔を真っ青にしていた。
「あれは大変でした」
長年ウィリアム4世広場の清掃をしている男性は語る。
「見たこともないような文様がウィリアム4世広場に描かれていて。え? そうです。酸か何かで刻んだんだと思います。ぬるぬるした痕跡も残っていました。我々はとりあえず水で流して、粘液を取り除き、石畳を磨こうという話をしたんです」
男性は同僚たちと広場の清掃を始めた。
「そしたら、同僚のひとりが突然叫びだして。この世のものとは思えない叫び声でした。『奴らがいる! 奴らが来る!』と。何度もそう繰り返していました。ワインを飲ませて、椅子に座らせて、あの文様から引き離したらようやく落ち着きました。巷で言われているように精神病院に運ばれたりはしていません」
男性は今でも何故同僚が叫び始めたのか疑問だと言っている。
「…………」
リーチオはそのロンディニウム・タイムスの夕刊を畳むとそっとごみ箱に捨てた。
頑張れ、リーチオさん。下手に外に出さなければまだ大丈夫だ。恐らく。
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