娘は座学をどうにかしたい
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──娘は座学をどうにかしたい
当然ながら王立ティアマト学園は体育と魔術の訓練しかしない学校ではない。
学校のカリキュラムには初等部では国語、第一外国語、理科、算数、地理、歴史といった見慣れた科目が並んでいる。
だが、この座学こそがクラリッサにとって最大の敵であった。
「…………」
「どーした、クラリッサちゃん。そんなに難しい顔して」
第一外国語が終わった時間、教科書をそのままにぼうっとしているクラリッサに気づいて、ウィレミナが声をかけてきた。
「……外国語、さっぱり分かんない……」
「あれま」
クラリッサが絞り出したような声で告げるのに、ウィレミナが驚いて見せた。
「その割に発音は完璧だったぽいけど?」
「喋るのは問題ない。問題は文章を作るの」
発音は完璧なクラリッサであったが文法が壊滅的であった。
過去形やら主語、述語動詞、目的語、補語の並びが全く以てよく分からない。自分たちの言語と違いすぎて、こんなの覚える必要あるのかすら思い始めているレベルだ。
「単語は覚えられている?」
「辛うじて」
今まで習った単語は覚えている。だが、それをそれぞれの役割に変えるのはまた別の話である。過去形やら何やらにしようとすると頭がこんがらがる。
「もういいじゃないか。私は外国の人とはやり取りする気ないし。やり取りするとしても『金を返しな』とか『殺してやる』とか『てめえの頭をもいで、ケツの穴に突っ込んでやる』ぐらいしかコミュニケーションとらないし」
「それはどういう状況を想定なさっているので……?」
やけにスムーズな第一外国語で粗暴極まりない言葉が出てきたのも、日ごろの付き合いのおかげだぞ。つまりはリーチオの部下たちが悪い。
リーチオの組織は海外とも取引しているのだが、他所の国との取引は荒事になりやすく、使われる言葉も挑発的なものばかりだ。こっそり取引の様子を見ているクラリッサはそういう類の外国語はよく覚えたぞ。発音もばっちりだ。
「クラリッサちゃんって座学苦手?」
「算数と理科は余裕。他はダメ」
サンドラもやってきて尋ねるのに、クラリッサがそう返した。
「私と逆だね。私は算数と理科は苦手。国語とか歴史は得意だけど」
「算数はできないと金融業の娘の名が廃る。理科は直感で分かる」
「直感かあ……」
クラリッサは難しいやり取り抜きに、直感で理科を理解しているぞ。
「国語とか分かるわけない。この著者の気持ちなんて著者を連れてきて尋問しないと分かるはずない。著者を拷問した結果を記しなさいならどうにかなるけど」
「ほとんどの国語の例文の作家さんは亡くなっているからそれは難しいかな……」
「なら、家族を尋問する」
「その尋問で答えを引き出そうという考えはやめよう、クラリッサちゃん」
クラリッサはリーチオの部下がどうやって尋問しているかも知っているぞ。
「歴史とか地理とか覚えるもんが多すぎる。昔のことを覚えてどうするの。過去ではなく、未来を見据えて動かないと。時は常に前に前にと進んでいるんだよ」
「格好良さそうなこといっても騙されないぞー」
クラリッサが胸を張って主張するのに、ウィレミナが突っ込んだ。
「勉強会、しよっか? 期末テストもあることだし」
「人は何故勉強しなければならないのだろうか……」
「学生だからだよ」
哲学的に問いかけたつもりがあっさりと言い返されたクラリッサである。
「クラリッサ嬢! 成績が芳しくないそうだね!」
クラリッサたちがそんなやり取りをしていたときに颯爽と現れた男が。
ジョン王太子である。彼は見るからなどや顔でクラリッサの前に現れた。
「芳しくないわけじゃない。やる気がしないだけ」
「ほうほう。そうかい。では、期末テストで勝負しようじゃないか!」
「何故そうなる」
ジョン王太子がここぞとばかりに告げるのに、クラリッサが心底嫌そうな顔をする。
「なんだね、なんだね? 負けそうで嫌なのかね?」
「はあ。面倒くさい」
「その対応はなんだね!」
クラリッサはただただ面倒くさいと思っているぞ。
「とにかく、期末テストで勝負だ! 今度こそは私の勝利だろう!」
ジョン王太子はそう告げると高笑いを上げながら去っていった。
「うざっ……」
「クラリッサちゃん。そう思っても口に出すのはやめようね」
思わずクラリッサが口を滑らせるのに、サンドラがそう制止する。
「ジョン王太子は第一外国語は棒読みだけど、文法の方は完璧っぽいからな」
「やっぱり勉強会した方がいいよ、クラリッサちゃん」
ジョン王太子は発音はダメダメだが、紙の上のスキルは上出来だぞ。
「やむをえまい。勉強をしよう」
クラリッサはこの王立ティアマト学園に通うの当たって、父親のリーチオに勉強をすると約束している。その約束を果たさなければならないときが訪れたのだ。
「それじゃ、今日の放課後から図書館で──」
「クラリッサさん。勉強会をしますの?」
サンドラが告げようとするのに猛烈な勢いで何者かが食いついてきた。
「フィ、フィオナ様……。どうかしました?」
「いえ。クラリッサさんが勉強会をすると聞いて飛んできただけですわ」
現れたのはちゃらんぽらん娘──もといフィオナだった。
「そう。私は勉強をしなければならない。より自分を高みへと導くために。君と同じ空気を吸える人間になるために。知性というのはそう簡単に身につくものではないが、君のためになら頑張って見せるとも。天使の君」
「ふにゃあ……」
国語の成績は悪そうでも口はよく回るクラリッサだ。
「クラリッサちゃん。掛け声はいいけど実際に勉強しようね」
「うぐ」
そして、サンドラに痛いところを突かれたクラリッサであった。
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「眠い……」
図書館で勉強会を始めて僅か15分。
既にクラリッサはうとうとし始めているぞ。
「クラリッサちゃん。起きて、起きて。まだ始めたばかりだよ」
「もうダメ。体がもたない。これ以上は稼働限界です」
「適当なこと言わないの」
クラリッサが突っ伏して告げるのにサンドラがその体を揺さぶる。
「ジョン王太子との勝負に負けちゃうよ」
「うーん。それは微妙にヤダ」
「じゃあ、勉強しようね」
クラリッサは渋々と上半身を起こして、教科書に向かう。
「覚えることが多すぎる……。もっと減らせないの?」
「これからまだまだ増えるぞー。中等部からは第二外国語も始まるからなー」
「何それ。軽く死ねる」
にこりと笑って告げるウィレミナに、クラリッサの表情がひきつった。
王立ティアマト学園は未来の政府要人を育てる学校でもあるので、外国語は必須だぞ。将来的に自国の言葉は当然として、第一外国語、第二外国語の3つの言語が喋れるようになることが求められているのだ。
「文法はまだ初歩も初歩だから、今は単語を覚えよう。単語の活用も覚えていって、文章を組み立てられるようにしよう」
「単語……。何か楽に覚える方法ないかな。手に書いておくとか」
「それはカンニングだよ、クラリッサちゃん」
勉強に近道はないぞ、クラリッサ。
「そんなに難しいかー? まだわいわいやってられるレベルの勉強だと思うけど」
「これはわいわいではなく、ばいばいしたい」
「逃げるな、逃げるな」
そっと第一外国語の教科書を閉じようとするクラリッサにウィレミナが突っ込む。
「そうだ。第一外国語の歌とか聞いたらどう? クラリッサちゃんって発音完璧だから、ヒアリングも得意でしょう。歌を聞いたら覚えられるんじゃないかな」
「うーむ。確かにそうかもしれない」
「なら、後で音楽室行こうか。蓄音機があるから」
「了解」
ということで、クラリッサの第一外国語問題は棚上げになった。
「なら、国語の勉強だね。クラリッサちゃんが苦手なところってどこ?」
「著者の気持ちを考えなさいって問題。意味が分からない」
人の心が分からないクラリッサだ。
「その設問のままの意味で考える必要はないんだよ。その著者が実際に何を考えていたかはどうでもいいの。こんな文章を書く人なら、どういうことを思うだろうと想像するのが、その問題の意味なんだから」
「こんな文章を書く人間の考え……」
サンドラのアドバイスにクラリッサが考え込む。
「俺は文豪。印税がっぽがっぽ。金も女も自由自在。俺の時代が来てるぜ」
「んんん。そういう人もいたかもしれないけれど、そういう設問じゃないんだよ」
クラリッサの発想は偏っていた。
「例えばね。この『私は春の訪れを感じて、新しい出会いの空気を嗅いだ。今日からまた新しい日々が始まる』とかいう文章からだと、著者の人は新しい人との出会いに胸を馳せている。著者の人は喜びの感情に満ちていると言えるね」
「分からないよ。締め切りギリギリで適当に書いただけかも」
「そこはひねくれなくていいんだよ」
素直に物事が受け取れないクラリッサである。
「でも、実際のところ、著者が何を考えていたかなんて分からないよね。設問文が間違っているんだよ。この著者はこの作品を通じて、何を主張しようとしているでしょうって問題ならいいと思うんだけれどさ」
「そうそう。……何か主張したいこととかあるの?」
「文章よく読めー」
問題文が変わってもクラリッサの頭の回転は変わらないぞ。
「クラリッサちゃんはとにかく本を読もう。いっぱい本を読めば、次第に文章を読み解くのにもなれていくし、教養も身につくからね」
「うう。やるべきことが多すぎる……」
「毎週1冊のペースで行こう」
「毎年1冊じゃダメ?」
「ダメ」
サンドラに教育されるクラリッサであった。
「後は歴史と地理か。歴史はブリタニア時代からのお話だね」
「1000年以上昔の話って重要?」
「この国の成り立ちに関わるお話だから」
それからクラリッサたちはひたすらに勉強を続けた。
歴史は暗記。地理も暗記。ひたすら暗記あるのみだ。
「もうダメ。脳が焼き切れる……」
勉強開始から40分あまりで再びクラリッサがタウン。
「頑張って、クラリッサちゃん。もう少しで期末テストの範囲終わるから」
「覚えられない……」
「何度も繰り返し、頭の中で唱え続けて」
「羊が1匹、羊が2匹……」
「寝ようとしないで!」
暗記がどうにも苦手なクラリッサだ。
「クラリッサちゃん。暗記は根気だぜ。根性なしには覚えられないけれど、クラリッサちゃんなら覚えられるでしょ?」
「根気……。よし、もうちょっとだけ頑張る」
ウィレミナが挑発的に告げるのにクラリッサが起き上がった。
「紀元前45年。共和制ロムルスがアルビオン島に上陸し……」
「そうそう。暗記は根気だよ、クラリッサちゃん!」
ウィレミナが教科書を読み上げ始めたクラリッサを励ます。
「私たちも勉強しないとね。私は算数の計算問題集解こう」
「あたしは理科ー」
頑張れ、クラリッサ。期末テストではジョン王太子をぎゃふんといわせるんだ。
勉強もできないとインテリなマフィアにはなれないぞ!
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本日10回目の更新です。そして、本日の更新はこれにて終了です。
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