娘は入学したい
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──娘は入学したい
“わたしのパパはえらいひとです。”
“ママは私が生まれてから2年で死んでしまいました。ママのきおくはあんまりないけど、やさしい人だったとおぼろげに覚えています。パパもママはやさしい人だったとよくよく語ってくれます”
“ママが死んでからパパはおとこでひとつで私を育ててくれました。パパはとてもお金持ちなので、私がほしいというとお洋服でもくつでもアクセサリーでもかってくれます。パパはとってもやさしい人です。”
“そして、こうして私をこの王立ティアマト学園に入学させてくれました。パパは本当に私のことを思ってくれています。パパの期待に沿えるように、私もこの学園での生活をがんばっていきたいと思います。”
“以上、新入生代表。クラリッサ・リベラトーレでした。”
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「パパ。学校に行きたい」
クラリッサが唐突なことを言うのは初めではないが、今日のは少し違っていた。
「学校? 6歳になったら家庭教師をつけてやるっていっただろう。何も学校なんて通う必要ないんだぞ。それにどうにも俺はお前が学校で上手くやっていけるという自信がない。これぐらいしかない。エンドウ豆ぐらいしかない」
「酷い。子供の可能性を潰す悪い親だよ。子供には挑戦させなきゃ成長しないんだよ」
「まーた、誰かに吹き込まれたな? ピエーロか? ベニートか?」
クラリッサの言葉に父親であるリーチオ・リベラトーレが後頭部を掻いた。
クラリッサは6歳の誕生日を目前に控えた少女である。
母譲りのプラチナブロンドに、父親譲りのガーネットのように赤い瞳。その美貌は5歳児とは思えないほどである。人形のように整った目鼻立ちをしており、肌は雪のように白い。もし、世が世ならば、モデルの仕事が舞い込んできて、上手く事が進むならば子役にだってなれただろう。それほどの美しい少女である。
一方のリーチオは健康的な褐色の肌をした身長2メートルほどのとても大柄の男性だ。
目つきは肉食獣のように鋭く、ゴールドブロンドの髪を短く纏めている。今はスーツ姿なので、強弁すればビジネスマンのようにも見えなくはない。だが、やはりどちらかと言えば、リーチオはビジネスマンというよりも傭兵やマフィアの類にしか見えない。そして、実際に彼は暗黒街の顔役だった。
非合法な魔道兵器の密輸。脱税。マネーロンダリング。ストライキ潰し。公共事業の受注の際の賄賂。そして、売春クラブの組織に非合法な傭兵と手広く商っている。
このアルビオン王国の暗黒街でリーチオの名を知らないものはいない。誰もが裏切り者には容赦なく、敵対者を徹底的に叩き潰す恐ろしい暗黒街のボスを恐れている。
そんな彼は実はマフィアより不味いものに所属していた経緯がある。
彼は魔王軍四天王のひとりだったのだ。
「学校に行きたい。行かせて? お願い?」
「なんでまた学校に行きたがるようになったんだ。お前。勉強嫌いだっただろう」
そんな父を持つクラリッサがリーチオの腕にしがみつくのに、リーチオはそう告げた。確かに数か月前までは『自分はパパみたいな大人になるから勉強しなくていい』などとのたまっていたはずである。当然、リーチオは勉強することを強制したが。
「この学園、制服がとても可愛い。だから、行きたい」
「またしょうもない理由で……。って、王立ティアマト学園かよ。ここは貴族様ご用達の学園だぞ。やめとけ、やめとけ。入っても平民は苛められるぞ」
「そういう思い込みはよくないと思う」
王立ティアマト学園とは!
将来、このリーチオたちの暮らすアルビオン王国の将来を担う人材を育成する高度な教育機関である。初等部から中等部、高等部までの三段階の過程に分かれている。教師陣は一流の教育者が揃っている。この国最高峰の教育機関だ。
将来は貴族として政治にかかわったり、軍人になってこの国を守ったり、あるいは魔術の研究者となって生活をより便利にする。そんな志を抱いた若者たちが集まる古くからの伝統と数えきれないほどの名誉ある学園なのである。
その学園にクラリッサは制服が可愛いからという理由で入ろうとしている。
貴族たちの集まる学園に平民が入れば苛めの対象になるのは目に見えている。この国はバリバリの封建社会で、貴族は絶大な権力と富を握っているのだ。
もっとも、そんじょそこらの貴族より、リーチオの方が金を持っている。その総資産は王室のそれを上回るのではないかとすら言われているほどだ。
「とは言えどな。この学園、入学テストがあるぞ。クリアできるのか?」
「九九、全部言える」
「そいつは最高に賢いな」
クラリッサが胸を張るのに、リーチオは深々とため息をついた。
「他にも剣術、魔術とかもあるぞ。ってこっちは問題ないな」
クラリッサはフィジカル最強であった人狼である父の腕力と世界最強のアークウィザードであった母の魔力を受け継いでいる。並大抵のことは軽くこなす。
「入学したい。勉強もちゃんとする。毎日休まず通う。約束する」
クラリッサは真剣な表情でリーチオを見つめる。
こうも迫られるとリーチオも断れない。クラリッサは成長するごとに母であったディーナの面影を感じさせるようになっているし、ディーナからはクラリッサには可能な限りクラリッサの好きなことをさせてあげてと頼まれているのだ。
「いいだろう。入学させてやる。だが、本当に勉強はしろよ?」
「する。必ずする」
リーチオが告げるのにクラリッサがコクコクと頷いた。
「なら、願書を出しておく。平民だからという理由では弾かれんだろうが、面談があるな。ちょうどいい。そこで確実に入学させるように手配しておくとするか」
そう告げてリーチオは悪い笑みを浮かべたのだった。
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リーチオと妻のディーナが出会ったのは、偶然だった。
ディーナは勇者パーティーの一員で、凄腕──いや、世界最強のアークウィザードだった。そんな彼女が勇者たちの進む方向とは逆の方向に進んでいたのだ。
二手に分かれた? その意味が分からない。後衛職のアークウィザードをいくら世界最強だからと言って、前衛職もつけずに放り出す勇者は何を考えている?
「おい、お前」
リーチオは思い切ってディーナに話しかけた。
その瞬間、リーチオの世界が彩られた。
月明りで照らし出されたディーナはとても美しかったのだ。
まるで細部まで計算されて作られた芸術品のようにディーナは美しかった。その美しさのあまり、リーチオは言葉が出ず、呆然と彼女を見続けていた。
「どうかしたのかしら? あなた、四天王のひとりでしょう? 殺しに来たの?」
「い、いや、そういうわけでは……」
微笑むディーナにリーチオはおずおずと告げた。
「それより聞かせてくれ。どうして勇者パーティーと別れている?」
リーチオは辛うじて当初の目的を聞き出そうとした。
「勇者にうんざりしたから」
嫌悪を込めてディーナは告げた。
「あれをしろ。これをしろ。お前たちは俺のおかげで勝ててるんだ。全て俺のおかげなんだ。俺の言うことを聞け。この繰り返し。その上、勇者だからって、私のことを襲おうとしたの。勇者に抱かれるのは名誉だって。だから、電流魔法を股間に流して、あんな勇者がいる勇者パーティーは抜けることにしたのよ」
そこまで告げてディーナは力なく微笑んだ。
「故郷に帰って教師にでもなろうと思ったの。でも、四天王のあなたに捕捉されたんじゃ終わりね。さあ、殺すなら殺して」
ディーナは抵抗する様子をまるで見せなかった。
確かに魔王軍四天王のひとりであるリーチオに捕まれば、いくらディーナが世界最強の魔術師だろうと勝ち目は薄いだろう。なにより彼女には生きていこうとする意志がない。もう死んでもいいと思っているのだ。
「俺は死にたいと思っている人間を殺してやるほどお人好しじゃない」
リーチオはそう告げた。
「俺も今の魔王にはうんざりしている。部下の進言は聞きやしない。無意味に兵力を分散させて各個撃破されているってのに、何の対策も取らない。別の重鎮がその姿勢に苦言を呈したんだが、その重鎮は処刑された。前の魔王の時代から仕えている忠臣を、あの魔王はあっさりと首を刎ね飛ばしたんだ。俺はもううんざりしてる」
リーチオも魔王に思うところがあった。
新魔王は前代魔王の死去によって4年前に即位したが、軍事的な才能は皆無であるにもかかわらず、そのことを認知しようとはしなかった。彼は独断で作戦を決め、部下たちを死地に追いやっていた。今は数に於いて魔王軍が優勢だがいつ逆転されるか分からない。そんな魔王をリーチオは尊敬できなかった。
「ふふっ。私たち似た者同士ね」
「そうみたいだな。俺も辞めちまおうかな、魔王軍」
ディーナが小さく笑うのに、リーチオはそう告げて返した。
「その後の当てはあるの?」
「腕力があればどこだろうと稼げる。それに前に人間の中に密偵に入った時、俺に似合ってそうな仕事を見つけてるんだ。そういう仕事をする」
「ちなみにどんな仕事」
「マフィアって仕事だ。腕力が強くて多少頭が回れば楽に儲けられるぞ」
リーチオは人間の社会に密偵に行った時、マフィアの活動を目撃していた。興味を持ったリーチオは試しに組織に加わって見ることで仕組みを理解した。
力、頭脳、財力のあるものがマフィアのトップになり、下っ端にあれこれ命令することや、下っ端が組織のために稼いだ金を収めることでマフィアは繁栄しているのだと。
リーチオには力はある。頭脳もある。ないのは財力だけだ。
財力は働いて稼げばいい。リーチオはマフィアとして成功するつもりだった。
「また悪い仕事を選ぶのね」
「世の中、誰かが得をすれば、誰かが損をする。そういうものだろ?」
ディーナが苦笑いを浮かべるのに、リーチオはそう告げて返した。
「気に入った、あなたのこと。とても気に入ったわ。私も一緒に連れて行って。あなたとなら上手くやれそうだから」
「いいのか? 俺は魔族だぞ?」
ディーナがそう告げるのにリーチオが困惑して返した。
「そうね、心優しい魔族さんだわ。連れて行ってはくれない?」
ディーナはそう告げて少し寂しそうな表情を浮かべた。
「構わないぜ。一緒に来てくれ。俺もひとりよりふたりの方がいい」
「なら、行きましょう」
こうして、勇者パーティー最高のアークウィザードと四天王フィジカル最強の人狼は、それぞれ勇者パーティーと魔王軍を抜けてアルビオン王国の地に居を構えた。
それからは紆余曲折あったがリーチオとディーナは2年で暗黒街を乗っ取り、莫大な富と権力を手に入れた。流石の暗黒街の人間もフィジカル最強の四天王と世界最強のアークウィザードには手も足も出なかったのである、
そして、それから半年後、リーチオとディーナは結婚式を挙げた。
それからさらに1年後、ディーナがクラリッサを出産。
だが、体の弱っていたディーナは出産後からほぼ寝たきりとなり、リーチオに『あの子のことをお願い。立派に育ててあげて』という最後の言葉を残してこの世を去った。
だから、リーチオは彼女の遺言通りに、クラリッサに何不自由ない生活をさせていた。欲しい服はなんでも買ってやったり、靴でもアクセサリーでもなんでも揃えてやった。そして、立派に育てるために勉強もきちんと行わせた。
そして、そうであるからこそクラリッサの学園に通いたいという願いも無視できないものであった。ディーナが、ただひとりの愛する妻が残した言葉なのだから、絶対にやり遂げなければならないと思っていた。
リーチオはそういうわけだから、クラリッサとともに王立ティアマト学園に向かった。スーツで身を固め、ビジネスマンに見えるように極力努力し、クラリッサとともに馬車で王立ティアマト学園の扉を叩いたのだった。
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