魔女とイライザ(2)
魔女アンジェリカに連れられてきたその日から七年が過ぎて、城の中と城の外に広がる庭だけが、イライザの生活の全てになっていた。
イライザはアンジェリカおばさんに知られてはいけない秘密を守っていた。
イライザの秘密──
それはアンジェリカおばさんの捜している『魔法猫ニケ』が城の中にいるのを隠していること。
ニケが匂いを消せることを知らないイライザは、ニケが城の中にいることがばれない様にと、ニケの匂いが消える様に城の庭に住みついた猫たちに食事を与えて、時々城の中へ招き入れた。
猫を招き入れていたイライザの前へ魔女アンジェリカが現れた。
魔女アンジェリカは猫を見ると、作り笑いを浮かべて、「イライザ。私の捜してる猫を見かけなかったかい?」とイライザに聞いた。
「いいえ、アンジェリカおばさん、猫は見ませんでした」
「ちっ、役に立たない子だね」
魔女アンジェリカは、近づいてきた猫を蹴とばしそうになり、はっと我に返ると、すばやく足をひっこめて笑顔を作った。
魔女アンジェリカは、イライザの前では魔法を使うことをやめて、アンジェリカおばさんとして振るまったほうがよいと考えていた。
「猫を城の中へ入れるんじゃないよ。私の大事なネズミたちを食べちゃうかもしれないだろ」アンジェリカの口が笑った。
「はい、アンジェリカおばさん」
イライザは猫たちを、城の中から外へと追いやった。猫が一匹外へ出ると同時に、もう一匹の見えない猫が城の中へ入っていった。
ニケだわ......イライザは心の中でいった。
イライザはアンジェリカおばさんに悟られないようにと、下を向いたままじっとしていた。
「イライザ!城の中の掃除がすむまでは、庭に出ちゃいけないよ」
「はい、アンジェリカおばさん」
イライザは顔を上げて、庭に目をやった。
はやく城の掃除を終わらせて、庭に出ていきたいとイライザは思った。
魔女アンジェリカが、昼寝の為に部屋に入るのを見届けたイライザは、ニケの後を追って急いで階段を駆けのぼった。
「遅いぞイライザ」
「ニケ」
「私の昼めしはどこにある?」
「あっ、ごめんねニケ......さっきの猫ちゃんに全部あげちゃった......」
「お前は私より、城の庭に住みついたのら猫のほうが大事なのか」
「ニケったら......あたしにはどっちも大事なの」
「ふん。どっちが大事かなんてどうでもよいわ。そんなことより三度の飯のほうが大事に決まってる」ニケはわめきちらした。
「ニケったら......機嫌をなおして。私の夕飯を分けてあげるから」
「ふん。お前の飯などいらん。あの女がお前に腹いっぱい飯を食わしてるとは思えんからな」ニケは不機嫌そうな顔でいった。
「もう、ニケったら......どうしてアンジェリカおばさんのことを悪く言うの。家が焼けてしまって......父さんも母さんも...妹も亡くなって......独りぼっちになった私を、この城に連れてきてくれたのよ。アンジェリカおばさんは私に住む所と、暖かい食事を与えてくれたわ...そんなおばさんのことを悪く言わないでね......ニケ」
「イライザ......お前は......」
「お前は本当にばかな子供だな......。両の目があるというのに何も見えとらん......」猫はそういうと、高い城の窓からヒョイと外へ飛び出した。
「ニケ!」
イライザは窓に駆け寄り、ニケの名前を呼んだ。猫の体には大きな翼が生えていて、空の上で大きな翼を羽ばたかせていた。
「ニケ気をつけて!アンジェリカおばさんに見つかっちゃうよ」
「ふん。猫はそんなヘマはしないもんさ」
ニケは広げた翼をニ、三度羽ばたかせると姿を消した。
「ニケ、ニケどこにいるの?」
イライザは窓から顔をのぞかせてニケの姿を捜した。
「ニケ?もう帰っちゃったの?」
ニケはなにも答えなかった。
いくらニケの姿を捜しても、見えるのは高い空とどこまでも続く森ばかりだと、イライザはニケを捜すのを諦めて、ぐったりとイスの上に腰かけた。
ニケは翼をたたむと、見えない姿で壁をよじ登り、そっと部屋の中へ入りこんできた。
そしてイライザのひざの上に、見えない体で飛び乗った。
イライザは思わず、声をあげそうになった。イライザは安堵のため息をつくと、ひざの上で丸まった見えないニケの体を優しくなでた。
しばらくすると、ニケもイライザも夢の中にいた。夢の中でニケは母親に毛づくろいされながら、幸せそうな顔で喉を鳴らしていた。
母親の姿は、いつのまにかイライザの顔に変っていた。
イライザは母の優しい手で、髪をなでられる夢を見ていた。母の優しい手は、いつのまにかニケの肉球に変わっていた。
ニケはふわふわした肉球を、イライザのおでこに押しつけながら、まるでステップでも踏むように右足と左足を交互に動かしていた。
短い眠りから目覚めたイライザは、優しい笑顔をニケに向けた後、はっとしてイスから立ち上がった。
「ニケ大変!まだ掃除の途中だったのに眠ってしまったわ。アンジェリカおばさんが起きてきたら、お茶をいれてあげなきゃいけないのに、ニケどうしよう」
ニケはふん、と鼻を鳴らすと「お前は、あの女のいいなりだな」といった。
「ニケったら、アンジェリカおばさんのことを悪く言わないでって、さっき言ったでしょ」
「イライザ、やっぱりお前は、ばかな子供だな。いい様にこきつかわれおって」
いうだけいうと、ニケは開け放たれた窓から飛び出してあっというまに、見えなくなった。
「ニケ──ッ、夕飯までには帰ってくるのよ」
そこへ魔女アンジェリカが、荒々しく扉を開けて入ってきた。
「イライザ!城の掃除は終わったのかい?こんな所でさぼってるんじゃないよ」
「はい......アンジェリカおばさん」
「ぼーっとしてないで、私にお茶をいれておくれ」
「はいアンジェリカおばさん」
イライザは急いで、下の階に下りて、庭に植えられた沢山のハーブの中から、アンジェリカおばさんの好きなカモミールの花を摘みとり台所へと向かった。
大好きな庭に出られるのもあって、イライザはアンジェリカおばさんに、お茶をいれてあげるのが大好きだった。
イライザがポットにお湯を注ぐと、カモミールの香りが体中を優しく包み込んできた。
イライザは大きく息を吸って、カモミールの香りを吸いこんだ。
イライザは朝から用意しておいたクッキーをお盆に乗せて、アンジェリカおばさんの待つ部屋へと向かった。片手で器用に部屋の扉を開けると、アンジェリカおばさんの部屋に入り、テーブルの上にポットとティーカップを置いた。透明なポットの中で、摘みとられたばかりのカモミールの花が揺れた。
イライザがポットを手に取り、ティーカップに注ぐと、部屋中にカモミールの香りが溢れ出した。
イライザはテーブルの上にクッキーを置いてアンジェリカおばさんを見た。
「何をしている?お前にようはないから、掃除の続きをなさい」
「は......い、アンジェリカおばさん」
イライザはアンジェリカおばさんの口から〝おいしいわ〟の一言を待っていた自分を悲しむ暇もなく、部屋から追い出された。
イライザが部屋から遠ざかったのがわかるとアンジェリカは、ティーカップを口元に運び、目を伏せるとカモミールの香りを楽しんだ。そしてカモミールを一口味わうと、目をカッと見開いて呟いた。
「イライザの入れるカモミールティーは、香りといい、極上の味わいだね。ネズミたちじゃこうはいかないもの。イライザを城に連れてきてほんとに良かったよ。この城にきた時のイライザは、まだ七歳の子供だったけど、もうすぐ十四になる......。イライザはどんどん美しくなっていく......。そして、その美しさは......いずれ私のものになる......」
魔女アンジェリカは、長い独りごとに終止符を打つかの様に、高らかな笑い声を城中に響かせた。
イライザは掃除の手をとめて、アンジェリカおばさんの笑い声を聞いていた。
「どうしてアンジェリカおばさんは、カモミールティーを飲んだ後、あんなにわらうのかしらね。ねぇニケ、ここにいるんでしょう?」
ニケは何も答えられなかった。
その頃ニケは、庭の隅にあるお気に入りの場所でお昼寝中だったから──