魔女とイライザ(1)
城の中で魔女は呪いの水晶の中に、恋する青年の姿を捜していた。
青年の笑顔は、魔女の心を幸せの光で包みこんだ。けれどその笑顔は、自分に向けられた笑顔ではないことを魔女は知っていた。
魔女の心の中で哀しみが凍りつき、氷の刃は魔女の胸を突き刺した。
魔女は胸の苦しみを終わらせる為、恋する青年の家に火をつけて、全てを焼きつくそうと考えた。
魔女が魔法の力を使って、家に火をつけようとしたその時、『猫』が警戒の声を発した。
ただならぬ猫の悲鳴を聞き、少女は家の中から庭へと出ていった。
少女の手が猫の体に触れた瞬間、家は炎に包まれた。
家が炎に包まれ、炎に飲みこまれていく所を少女は見つめていた。
少女の震える魂は、声にならない叫び声を上げ続けた。
猫は「逃げて──」と鳴き続けたが、少女には猫の必死な言葉は伝わらなかった。
炎はあっという間に、全てを焼きつくした。焼きつくされた家の跡に『魔女の印』を見つけた人たちは、あわてて目を伏せ胸で十字をきった。
月あかりの下で、焼け跡に残された『呪いの印』を、じっと見つめる少女の姿を見て、魔女は「生き残っていたのか」と呟いた。
魔女は街へいって少女へそっと背後に忍び寄り、声をかけた。
「可哀想に......独りぼっちになってしまったのね」魔女はいった。
少女は驚いて後ろを振り向いた。
「大丈夫よ私がいるから」
魔女は優しい声で囁き、優しい目で見つめた。
「あなたは誰なの?」
少女は美しい顔をした女の姿を、食い入るように見つめた。
「私はあなたの、おばさんよ。父さんから聞いてなかった?」
少女の頭の中で父さんが〝お前のおばさんだよ〟と言っている声がした。
「おばさんの名前は?」
「アンジェリカよ。よろしくね」
「私の名前は......イライザ」
魔女はイライザの手をとって立ち上がらせるとにっこりと微笑んだ。
「さぁいきましょうイライザ。私と一緒なら幸せになれるわよ」
「ありがとうアンジェリカおばさん」
少女は魔女に手をとられて、猫が警戒の声を発していることにも気づかず行ってしまった。
猫は魔法で姿を消すと、見つからない様にしながら見えない羽を必死で羽ばたかせながら、魔女の城まで飛んでいった。
猫は魔女に気づかれない様に、匂いを消す魔法を見つけていたので、易々と城まで飛んでいけた。
夕闇の中、一匹の猫が背中に生えた羽を羽ばたかせながら、城へ向かって飛んでいく姿は、誰にも気づかれなかった。
姿を現した猫はまず始めに、城の中に住みついた猫たちを手なずけた。猫たちは、魔女に従っているふりをしながら『魔法猫』のいう通りに動いた。猫は再び姿を消すと、城の庭に住みついた猫たちと一緒に城の中へ入っていった。
魔女は城の中に入りこんだ猫を見て〝フン〟と鼻をならした。
猫の姿は、完璧に消えていたので、魔女に気づかれることなく、イライザのいる場所までたどり着くことができた。
イライザは城の窓から外を覗いて、広すぎる庭に目を瞠っていた。
「なんて広い庭なの」イライザはいった。
「庭って呼ぶより、森と呼んだほうがいいくらいだわ」
イライザは窓から離れると、近くにあったイスに腰かけて、短いため息をついた。
突然、姿を現した猫と、目が合ったイライザは、短い悲鳴を上げて、イスから立ち上がった。
「猫......?いつからそこにいたの?」
「さっきだよ」猫がいった。
「......」イライザは口元を手でおさえた。
「お前があの女に連れられて城に行く所を見かけたから、追いかけてきた」
イライザは、しゃべる『魔法猫』をじっと見つめた。
「いつまで、そうやってるつもりだ。私は見せ物でも観賞用でもないぞ」
「あなたは......猫なのに、しゃべれるのね」
「そうだ。私は猫だが、『魔法猫』なので人のことばがはなせる。少しだけだがな」
イライザはしゃべる『魔法猫』を、じっと見つめた後、ぱっと顔を輝かせた。
「やっぱりだわ!あなたは、あの時の猫ちゃんね」
「今頃気づいたのか。お前はばかな子供だな」
「猫ちゃんが......私を助けてくれたの?」
「そうだ......。お前しか助けられなかったがな」
猫はそういった後、すばやい速さでイライザの体をよじ登り、肩の上に乗った。
「お前の体は小さいが、座り心地がいいな」
「きゃっ」と声を上げて、イライザは肩に飛び乗った猫の体を手でおさえた。
「大丈夫だ。私は猫だからおちたりしない」
イライザは肩に乗っかった猫を、抱きかかえて下に下ろすと、イスに座って、猫をひざの上にすわらせた。
「おひざのほうが落ち着くでしょう猫ちゃん」
猫はちょっぴり驚いた顔で、イライザを見た。
「お前がそうしたいなら、それでもいいが......私はどちらかと言うと、肩に乗ってるほうが落ち着くのだが」猫は不満そうな声でいった。
「ごめんね猫ちゃん。肩に乗られると、落ちはしないかと心配で。落ちてケガしたら大変でしょ」
「ふん。猫は(私は)そんなヘマはしないもんだ」
猫はすました顔でそう言うと、イライザのひざの上でくつろぎ始めた。
右の後ろ足で前足をつかむと、せっせと毛づくろいを始めた。
「ありがとう猫ちゃん......。私のことを助けてくれて」イライザはいった。
「......」猫は無言で毛をなめ続けた。
イライザはくつろぐ猫の姿を見ながら、うつらうつらとしてきた。
「そうだわ。あなたに名前をつけてあげなくっちゃ。ちゃんとした名前をね......」
イライザは猫の背中を優しくなでながら、浅い眠りにおちていった。
夢の中で、母さんの呼ぶ声が聞こえてきた。
......イライザ......イライザ......起きて
「イライザ!」
イライザは飛び起きて、あたりを見回した。目の前に立っていたのは、母さんではなくて恐い顔をした、アンジェリカだった。
「アンジェリカおばさん......」
イライザはあわてて猫の姿を捜した。猫の姿は見あたらなかった。イライザは安心してため息をひとつついた。
「なんだい、そのため息は?」アンジェリカがいった。
「ごめんなさいアンジェリカおばさん」
イライザはあわてて、魔女のアンジェリカに謝った。魔女アンジェリカは、部屋の匂いをかぐと、イライザの顔に自分の顔を近づけていった。
「さっきまでここに猫がいた様だね。その猫はどんな猫だった?」
魔女アンジェリカのただならぬ気配に、イライザは思わず嘘をついた。
「アンジェリカおばさん......。猫は、黒い猫でした」
それを聞いて、魔女アンジェリカの顔が、がっかりした表情に変わった。
「ちっ。さっき入りこんできた黒猫か......」
本当に猫が入っていたんだとイライザはほっと胸をなでおろした。
「アンジェリカおばさん、猫を捜しているの?」
「イライザ、お前には関係のない話だよ。だけどもし、白に茶色の混ざった猫を見かけたら、すぐ私に知らせるように。私に嘘をついたり、猫を隠したりしたらどうなるか、お前はまだ知らないだろうけど......もしそんなことをしたらどうなるか、よおく考えてみるんだね」
「わかりましたアンジェリカおばさん」
「お前が物わかりの良い娘で助かったよ。そうでなくても私は、お前を育てるのに大変なんだからね」
魔女アンジェリカは、冷やかな笑みを浮かべていった。
白に茶色の混ざった猫......そうだわ、あの子の名前は......『ニケ』にしようとイライザは思った。
「イライザ。私の捜してる猫を見かけたら、すぐに知らせるのだよ」
「はい、アンジェリカおばさん」
魔女アンジェリカが部屋から出ていくと、猫は姿を現した。
「ニケ!あなたの名前は今日からニケよ」
「ふん......」
「ニケよろしくね。私の名前はイライザ」
「イライザか...いい名前だ」ニケはいった。