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ニケ ー猫の時代ー  作者: 森島小夜
第二章
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猫の時代

 その城は、森を背にしてひっそりと建っていた。

城の窓から身を乗り出して、サファイアの名前を呼ぶイライザはもういない。

ニケも、もうどこにもいない。

サファイアが──川へ魚を捕りにいくことも、もうない。


 秋の始まりと共に、城の庭に植えられた木々が、いっせいに葉を落とし始めた。

「あら、あら。そんなにいっぺんに葉を落としたら、丸裸になっちゃうわよ」

ドナは、図書室の窓辺に寄りかかり「ふっ」とため息をついた。

木の枝から落とされた沢山の木の葉は、落ち葉となって、風にさらわれていった。

ロビンが学校へ行く為の手続きを終え、ほっとしたものの、ドナはいつになく感傷にひたっていた。

「この落ち葉と一緒に、私の淋しい気持ちも風がさらっていってくれたらいいのに......」

ドナは、ため息交じりに呟いた。


 その時、ドナの目に、バラの繁みの中からはみ出た、サファイアのふさふさした黒いしっぽがうつった。

ドナは、窓を開けて、顔を突き出すと「サファイア私よ。こっちに遊びにこない?」と呼びかけた。

サファイアからの返事はなかった。

ドナはもう一度、サファイアに呼びかけた。

「ねぇサファイア。あとで魚の干したのをあげるから、ここに来て私の話し相手になってちょうだいよ」

ドナは甘い言葉で、サファイアをバラの繁みから引きずり出そうとした。

けれど、サファイアは、ドナからの甘い誘いに耳をかさなかった。

「あらっ......どうしたのかしら?魚の干したのをあげるって言ってるのに、何の反応もないなんて......サファイア眠ってるの?」

突然、拭いた風にサファイアのしっぽが揺れた。ドナは、急におそってきた不安に背中を押される様にして階段を駆け下りていった。

「サファイア......?」

ドナは、バラの繁みの中からはみ出しているサファイアの黒いしっぽに、恐る恐る手を伸ばした。

「サファイア」

ドナは、あわてて触れた手を離した。

ドナはバラの棘で傷つけられるのもかまわずに、バラの繁みに両腕をさしこむと、眠っているであろう、サファイアの体を掴んだ。サファイアは......動こうとはしなかった。ドナは、バラの繁みの中で横たわるサファイアの体をひっぱり出した。

ドナの腕の中で、サファイアはぐったりと身をあずけていた。

ドナの目から、涙がぽろぽろこぼれ落ちて、声にならない嗚咽が漏れだした。

ドナは、サファイアの亡骸を抱きしめると、その場で跪き、声を殺して泣き始めた。


 ジュリーは、バラの繁みの前で座りこむドナを目にして、近寄った。声をかけようとして、ジュリーは言葉を飲みこんだ。

ドナの後ろ姿が、小刻みに震えているのが分かったからだ。

母親に言われていた仕事を終え、ロビンがふたりの側へやって来た。ロビンの姿を、目にしたジュリーは、そっとくちびるに人差指をあてて「話しかけちゃだめ」と合図を送った。

ロビンは強ばった視線を母親に向けると、母親の腕の中からはみ出している、ふさふさした黒いしっぽに目をとめ、思わず息を止めた。

再び息を吐き出したロビンの口から、声にならない悲しみが漏れ出して、側にいたジュリーの涙を誘った。

ジュリーは、突然大きな声で「サファイアーーーーッッ」と叫んだ。

ドナが後ろを振り向いた。

ふたりが後ろに立っていたことに、今気づいたという顔をして、目にいっぱいの涙を溜めながら「サファイアが......死んじゃった......」とドナはいった。

「......母さん。サファイアは......イライザと千年生き抜いた魔法猫なんだよ......。母さんが泣いてばかりじゃ、サファイアの魂は、空にのぼっていけないよ。サファイアの為にも、泣くのをやめて涙を拭いてよ」

ロビンはポケットの中から、白いハンカチを取り出し、母親の目から溢れだす涙を、そっと拭いさった。

ロビンの仕草に、一瞬ドキッとしたジュリーは、あわてて目をそらした。サファイアはドナの腕の中で、眠る様に死んでいた。

イライザ......

ニケ......

サファイアが死んだよ......

ジュリーは心の中で呟いた。

千年もの長きに渡って、イライザと共に生き続けた魔法猫のサファイアは、バラの繁みの中で息をひきとった。

もう、魔法猫は何処にもいない......さようならサファイア......あたし......あんたのことが大好きだったよ......ううん......今でも大好きだよサファイア......。


 ジュリーは心の中で呟いた後、ロビンの顔を盗み見た。

ロビンは母親からサファイアを受け取り、両腕にかき抱くと、空を見上げてサファイアの名前を呼んだ。

「母さん......ジュリー......はやくサファイアにお別れを言わないと、サファイアの魂が空にのぼっていってしまうよ」

ロビンは悲しい笑みを浮かべながら、ふたりに言った。


 ニケ────

サファイアの墓は、母さんの提案で、バラの繁みと繁みの間に建てられたよ。

サファイアの体は、白い灰になって......母さんは、それをバラの繁みにばらまいたんだ。その時の、母さんの顔は、とても辛そうだった。

「ねぇロビン。サファイアは......どうしてあの時、ロビンの母さんに話しかけたんだろう......」

「えっ......」

「今までずっと、内緒にしてたんでしょ......サファイアが魔法猫だってこと......」

「そうだね......母さんはきっとサファイアのこと気づいてたと思うよ。だって、ニケの子供だからね。でも、人の言葉が話せるとは思ってなかったみたいだけど」

「そうだね......。あの時、ロビンの母さんは凄く驚いてたものね。......サファイアは、自分の死が近いことを知ってたのかな......」

「たぶん......解っていたとおもうよ」

「そうよね......だから、あの時ロビンの母さんに話しかけたんだね......」

「うん。ぼくもそう思うよ」

ロビンとジュリーは、図書室の窓から庭を見下ろした。窓からはバラの繁みがよく見えた。そして、薔薇とバラの間に建てられた、サファイアの墓もよく見えた。

「ここからだと、サファイアの墓がよく見えるね」ジュリーがいった。

「うん。そうだねジュリー」

──ぼくとジュリーはしばらくの間、窓辺に佇んでいた。窓の下から、母さんの呼ぶ声が聞こえた。

「ロビン!ジュリー!ふたりともおりていらっしゃい。レモネードがはいったわよ」


 ニケ────

母さんが呼んでるから、下へ降りていかなくっちゃ。ニケ、母さんはねまた教師の仕事を始めたんだよ。予定より、だいぶ早かったけどね。母さんはまた子供たちの笑顔が見られる様になって、とても嬉しそうだよ。

ぼくとジュリーもね、今学校に通ってるんだサファイアは......ぼくたちと一緒に学校へ行きたがってたけど......サファイアは、ぼくたちが学校へ行く日を待てなかったんだ......。

それから......ニケ......君に、ちゃんとしたお別れができなくて、サファイアにちゃんとしたお別れができなくて、イライザにもちゃんとお別れができなくて、とても残念だけど......これから先もずっと、みんなは、ずっとぼくの心の中で生き続けていくんだから......ちゃんとしたお別れは、その時は......ぼくがこの世を去る時だと思うから、まだまだだ先の話だと思う。その日が来るまで、ちゃんとしたお別れはなしだね。

あ......それからねニケ。昨日ぼくたちの担任の先生が城に突然やってきて、イライザの描いた絵を置いていったんだよ。

先生の持ってきた絵には、イライザの愛した人が描かれてたんだ。どうして分かったのかって?それはね、絵の裏に、イライザが愛する人へと書いていたからだよ。

先生は、イライザの愛した青年の末裔だったんだ。ほんと、びっくりだよねニケ。

ジュリーも、凄く驚いてた。

あっニケはジュリーのこと知らないんだよね。ジュリーはとてもいい子なんだよ。

白い歯を覗かせて笑う顔が、とても可愛くって、あっ......ガールフレンドとか、そんなんじゃないからねニケ。

ジュリーはぼくの──この城の──

家族みたいなものなんだ────


 ニケ────

先生はイライザの絵を二枚持ってきてたんだ。一枚は、さっき話したと思うけど、もう一枚の絵は、イライザが父親のことを想って描いた絵だったんだ。絵の中の男の人は、まだ若くて、ぼくと同じ青い瞳をしていて、イライザの父さんとぼくの父さんはとてもよく似ていた。ふたりはなんてよく似てるんだろうって思ったら......何故か急に悲しくなって、ひとりでに涙がこぼれ落ちてきて......ぼくの側に立っていた先生が、黙ってぼくの肩を抱きしめてくれた。

そして先生は、この絵を持ってきて良かったわ。と言った後〝あなたは、この絵の男の人によく似ているわねロビン〟と言ったんだ。先生は、ぼくとイライザのことをしらないからね。後で、そのことを知った先生は、すごくびっくりしてたよ。

先生はその絵をぼくに渡したあと、母さんと少しだけ話をして〝ロビンまた明日、学校で会いましょう〟と手を振って城から出ていった。

ジュリーは先生が、城から出て行くときにばったり会って、何故かすごくあわててた、どうしてなのかは、ぼくには解らなかったけど。ジュリーは時々変になるから、気にしないことにしてるけど。

〝先生と何を話してたの?〟とか、あれこれ問いただされて、ほんとまいっちゃった。絵を届けに来ただけだと説明しても、中々納得してくれなくて......ほんとジュリーって、時々変になるから頭が痛くなりそうだよ。

もしここに......ニケがいたら......

「ふふん。お前は相変わらずばかな子供だな」って、ぼくに向かって言ったかな──────

ねぇニケ──

 


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