魔法猫のサファイアⅠ
城の二階にある図書室の窓辺に、日の光がさんさんと降り注いだ。猫のサファイアは日の光に目を細めながら、近くのテーブルで本を読むふたりの所へ、そっと近寄っていった。
突然現れたサファイアに、ジュリーは驚いて思わず声を上げた。
「サファイア!驚かさないでよ」
「ねぇねぇ何を読んでるの?」
「サファイアは、本が読めるの?」
「まさか!ぼくは猫だよ。猫は、本なんて読まないよ。母さんは読めるみたいだけど、そんなことより、ぼくはお昼寝してる方が好きだな」
「所詮、サファイアも、ただの猫ってことね」
「ぼくは魔法猫だよジュリー」
「本の一つも読めないんじゃ『魔法猫』とはいえないわね。ねぇロビン、この図書室に絵本は置いてないの?」ジュリーが聞いた。
「あるよ。ちょっと待ってて」
ロビンは椅子から立ち上がると、一分後には戻ってきてジュリーに絵本を差し出した。
「はい。これなんて、どう?」
テーブルの上に置かれた本を見て、ジュリーが歓声を上げた。
「これってマーシュラ・R・レ・ダウィンの〝空飛ぶ猫〟ね。ロビンて最高!」
ジュリーは空飛ぶ猫の絵本を、サファイアの目の前に置くと、「この本を読む様に」と言って、最初のページを開いた。
「ぼくは......母さんみたいに本は読めないよ。字が読めないんだ」
「そうね。あんたが、ただの猫だったら......それでもいいけど、あんたは最後の魔法猫なんだから、本くらい読めなくてどうするの?」
「どうもしないよジュリー。ぼくはお日様のあたる所でお昼寝できて、魚の干したのを食べれたら、それで幸せだからね」
「まったく!あんたって......宝の持ち腐れね。サファイア、あんたは『魔法猫』なのよ。さぁ、ここに来て、ここに座ってちょうだい。あたしが、本の読み方を教えてあげる」
「ジュリーって、学校の先生みたいだね」
「サファイアあんた、学校の先生がどんなことするのか知ってるの?」
「うん、知ってるよ。ロビンに教えてもらったから」
隣で本を読んでいたロビンが、僅かに肩をすくめた。
「それでロビンは何て言ったの?」
「学校の先生は、子供たちに知らないことを、沢山教えてくれる人、だって言ってたよ」
「その通りよサファイア。今日から、あんたの先生はあたしよ。あたしがあんたに、この絵本を読めるようにしてあげる!」
ロビンがもう一度、肩をすくめた。
「サファイア、始めっからいくよ。本のページをめくるからよく見ててね」
ジュリーがめくった絵本のページには、空を飛ぶ猫の姿が描かれていた。
「この絵本の猫は......ぼくと一緒だね」
サファイアの目が輝いた。
「そうよサファイア。この絵本に出てくる猫は空が飛べるの。背中にちゃんと、羽が生えてるでしょう」
「ほんとだ!猫の背中に羽が生えてる!ぼくと一緒だね」
サファイアが喜びの声を上げた。
サファイアは、一瞬にして絵本に出てくる猫たちに魅了された。ロビンは、本を読む手をとめて、顔を上げた。ジュリーが片目をつぶった。ジュリーは次々にページをめくっていった。サファイアは、その度に嬉しそうな顔をして、食い入るように本を見つめた。
サファイアが本に興味を示してる?
ジュリーって、凄いな......。
ジュリーって......人に教えることが(この場合は猫だけど)好きで、人に教える事が(この場合も猫だけど)とても上手で、なんだかぼくの母さんを見てるみたいだ──
ロビンはふたりにふっと笑顔を向けると本の続きを読み始めた。
ひとりの少女と一匹の猫は絵本を読み続けた。
しばらくすると、サファイアは目をキラキラ輝かせながら、ロビンの肩にひょいと跳び乗ってきた。
「サファイア!これじゃ本が読めないよ」
ロビンは笑いながら言った。
「ジュリー!本をロビンの前に置いてよ」
「いいわよサファイア」
肩乗り猫のサファイアは、ジュリーが空飛ぶ猫のページを開くと、流れる様な声で絵本を朗読し始めた。
ロビンは驚きのあまり、肩に乗ったサファイアを落としそうになり、あわててサファイアの体に手を添えた。ロビンの横に立ったジュリーが、次のページをめくった。サファイアは得意気にひげをピーンと伸ばしながら(まるで......ニケの様に)空飛ぶ猫の絵本を最後まで朗読した。
サファイアは「えへん」と一声鳴くと、ロビンに顔を近づけて「ねぇ、ほめてよロビン」と言いたげに、ロビンを見つめた。
「サファイア、すごいね。どうやって、こんな短い時間に字を覚えられたの?」
ロビンの言葉に、ジュリーとサファイアは顔を見合わせて吹き出した。
「ロビンてば、サファイアは『魔法猫』なのよ。魔法を使ったに決まってるでしょう」
「あはっ、そうか。そういうことか......」
「そうよ。そういうことなの。魔法猫が『魔法』を使わなくてどうすんのよ」
ロビンは改めて、ジュリーの凄さを見直した。
「ジュリーって......凄いね。サファイアもね」
「ロビン。ぼくはジュリーのついでなの?」
「そんなことないよサファイア。きみはいつでも最高だよ。もう一度空飛び猫をぼくの為に、読んでくれる?」
「うん、いいよロビン。何度でも読んであげる」サファイアは、ロビンの肩から軽やかなステップで、テーブルの上に飛び降りた。
朝の早いうちに、雨は上がり雲が素早い速さで空を流れていった。
城へ戻って来たドナは、城の入り口に立って、流れていく雲を見上げた。
「雨も上がったことだし......昼からは客が来るかしらね」ドナは誰に言うともなしに呟いた。
ロビンの為に、再び〝空飛ぶ猫〟を読み始めたサファイアの為に、ジュリーは絵本のページをめくってあげていた。
図書室に向かって近づいてくる、微かな足音に、サファイアの耳がピクリと動いた。
足音は図書室の前でやんだ。
サファイアの耳は、再びピクリと動いた。
図書室の扉が開いて、ドナが顔を覗かせた。
「にぎやかね。今素敵な声が聞こえてきたんだけど......ロビンじゃないわよね?」
ふたりと、一匹の間に、数秒の沈黙が流れた。
「ぼくじゃないよ......母さん、ぼくたちに何か用でもあるの?」ロビンが沈黙をやぶっていった。
ドナの顔が一瞬くもった。
「......よかったら、私も仲間に入れないかしら?」
「あぁ......そうなの。いいけど......ぼくたちここで本を読んでるだけだから」
「そうなんです。サファイアが本に興味がありそうなので、教えてあげてた所なんです。サファイアは、とても覚えがいいんですよ」
ドナは、ジュリーのことを不思議な顔で見た後、ロビンにウインクした。
「お邪魔だったみたいね」
「あっ、母さん。......誤解しないでね。ぼくとジュリーは本当に、ふたりして本を読んでただけだからさ......」
ジュリーが横から、ロビンの足をそっと踏みつけた。
「あっ......!」
ドナは、肩越しに笑いながら図書室をでて行った。
「ジュリー、どうしてぼくの足を踏みつけたりしたのさ」
「あんたが馬鹿だからよ。年頃の男の子と女の子がふたりっきりで、一緒の部屋にいたら......普通の親は、あんたの母さんみたいな反応をするもんよ。そんなことも分からないなんて......ロビンて、本当に子供なんだから......」
「......君だって......まだ子供じゃないか」
一瞬の間があって、ジュリーが突然、笑いだした。
「やっぱあんたって、いい子だね。いい子すぎて、すごく笑っちゃう」
ジュリーはしばらくの間笑い続けた。
「君って......時々、失礼な子になるよね」
ロビンはそう言ってから、少しだけくちびるを尖らせた。ジュリーはいつの間にかサファイアがいなくなっていることに気づき、「ねぇ、ロビン、一つ聞いてもいい?」といった。
「あんたの母さん......もしかして、サファイアのことを、何もしらないの?」
「うん......そうだよ。母さんは、サファイアのことを城に住みついている人見知りの猫だとしか思ってないから」
「ロビン。それって変よね。あんたの母さんには......イライザの目があるわけでしょう。本当にサファイアのことに、気づいてないのかな?あの目で、サファイアを見つめたら『魔法猫』だってことに気づくと思わない?」
「サファイアは......めったに人前に姿を見せない猫なんだよ。サファイアは、母さんがいる時にに姿を見せたことはほとんどないんだ。
ぼくだって二、三日姿を見かけない日もあるし......だから、母さんがサファイアの秘密に気づくことはないと思うよ」
ジュリーは、それでも納得がいかないという顔で、ロビンを見つめた。
「ジュリーが......初めてだと思うよ。サファイアが、自分から近づいて行ったのは。
ジュリーは、どこかイライザと似た所があるのかもね。サファイアにしか分からないところがさ」
「えっあたしが?あの魔女と似てる?あっ......ごめん、イライザは悪い魔女じゃなかったね......」
ロビンは少しだけ、嫌そうな顔をして俯いた。
「ねぇ、ロビン。何故お母さんに、サファイアのことを秘密にしてるの?」
「それは......とくに理由なんてないよ......ただなんとなく、そうなったんだ」
ロビンはバツの悪そうな顔でいった。
「ふぅん、なんとなく、秘密にしてたんだ」
ジュリーは、ちょっとだけ意地悪そうな声を出した。
「サファイアは......イライザの友達だったんだ。ニケが子供たちを連れて街へ行ってからも......サファイアはイライザと城に残り、ずっとふたりっきりで暮らしてきた......。サファイアはニケの最初の子供だから、サファイアはもう千年近く、生きてることになるかな......普通の猫なら、とっくにしんでるよね」
「そうね。とっくの昔に塵になってるわね......千年も生きられるなんて、なんだか羨ましい話ね」ジュリーがいった。
「そうかな......。ぼくは淋しくて、たまらないと思うな。知ってる人達がどんどん死んでく中で......自分だけが生き続けるのは、悲しすぎるよ」ロビンはいった。
「ロビンらしい考えね。でもサファイアには、千年を一緒に生きてくれるニケと、イライザがいたじゃない。もし、ロビンが──
あたしと一緒に、千年の時を生きてくれるなら、あたしは千年生き続けたいと思う......ロビンと一緒なら......千年の時もあっという間に過ぎて、ちっとも淋しくないって......そんな気がするから」
ロビンは突然の告白に顔が赤くなるのを感じた。ジュリーはあわてて両手を小さく振ると「今のは気にしないでねロビン。例えばのの話をしただけだから」といって、ジュリーも顔を赤らめた。
「うん。でも、ぼくも......ジュリーと一緒なら千年生き続けることが出来るかもしれない」
「えっ、本当に?」
「うん。ジュリーと一緒ならきっと、千年一緒にいても、退屈しないだろうから」
なんだ......そんなことかとジュリーは、心の中でロビンのおでこにとびきりのデコピンをくらわした。
そして、ロビンにニッコリ微笑んだ。




