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ニケ ー猫の時代ー  作者: 森島小夜
第二章
20/42

ニケとロビンⅠ──六年前──

 ここはかつて猫の街と呼ばれた場所

昼下がりの草むらの中で、一匹の猫が寝返りをうった


 生まれて間もない子犬が、鳴きながら猫の近くへやって来た。猫は昼寝を邪魔されたのを怒って、子犬を威嚇する様に、小さく唸った。猫は、あっちへ行けと言いたげに顔の向きを変えると、後ろ足で耳の後ろを蹴った。


 草むらの中から少年が姿を現した。猫は素早く跳び起き、少年の目を睨みつけた。

猫と少年は、お互いの目を見つめあったままで、しばらく動かずにいた。

少年の年は六歳前後で、短いズボンに、薄茶色の(色あせた)Tシャツを着ていた。

空の色を思わせる青い目と、触れたら弾力のありそうな白い肌をしていて、髪の色は、色あせたTシャツと同じ色をしていた。

少年の顔には、色あせたTシャツを物ともしない輝きがあった。

「ねぇ、この子犬にもおっぱいをあげてよ」

猫は自分の他にも誰かいるんじゃないかと思って、あたりをキョロキョロみまわしながら威嚇するのを止めなかった。

「この子のお母さんは、夕べ野良犬に殺されたんだ......」

猫は威嚇するのを止めて、少年の言葉に耳を傾けた。少年は近くで遊ぶ子猫の姿を、目で追いながらさらに話を続けた。

「その野良犬は、すぐに捕まえられて保健所に連れていかれたんだって......」

緑色をした猫の目が細められて、子犬の上に注がれた。そして、ちらっと自分の子猫の方へ視線を走らせた。

「この子は独りぼっちになってしまったんだ。もうお母さんのおっぱいが飲めないなんて可哀想だね......」

少年が目を伏せた隙に、猫は独りぼっちになった子犬を、素早く抱きよせた。

猫のおっぱいを、まさぐっている子犬を見て少年は目を輝かせた。猫はまんざらでもない顔で少年を見た。

「猫ちゃん!おっぱいをあげる気になったんだね」

猫は〝ふん〟と言いたげな顔をして、少年から目をそらした。

「猫ちゃんのおっぱいって、いくつあるの?」

「あそこで遊んでる子猫は猫ちゃんが産んだの?全部黒い猫ちゃんなんだね。君は黒猫じゃないのに、どうしてなの?」

少年のおしゃべりを、猫が遮った。

「えぇい、うるさいガキだな」

少年は驚いた拍子に、後ろにのけ反って尻もちをついた。

「今......うるさいって......言ったよね」

「うるさいガキだと言ったんだ」

()()がしゃべった!」立ち上がった少年は草むらの中で器用に、スキップを始めた。

「ネコがしゃべった!」

「ネコがしゃべった!」

「ネコがしゃべった!」

「うるさいガキだな。スキップがしたけりゃ別の場所でやってくれ」と猫がいった。

「すごいね猫ちゃん!スキップって言葉も知ってるんだね。もっといっぱいおしゃべりしてよ」

それを聞いた猫は、しゃべるのを止めてニャーーオと鳴いた。

「猫ちゃんは、いつからしゃべれるようになったの?子猫もおしゃべり出来るの?」

猫は少年の言葉を無視して、ニャーーーーオと鳴いた後、毛づくろいを始めた。

「ねぇ、もうおしゃべりはしないの?」と言って、少年は毛づくろいにいそしんでいる猫から目を離さなかった。

「ぼく、猫ちゃんがしゃべれるって、誰にも言わないから」

猫は少年の顔をチラッと見たあと、またすぐに毛づくろいの続きを始めた。

子犬は満足気な顔で、猫のそばにくつろいでいた。草むらの中から、飛び出してきた三匹の子猫が子犬に襲いかかった。子猫は遊んでいるつもりだったが驚いた子犬は、()()に助けを求めて鳴きだした。母猫が子猫の頭に、二回ほどネコパンチを繰り出した。子猫は驚いて後ずさりすると、母猫の目を見つめて〝ミャーーオ〟と鳴いた。

すると母猫も〝ニャーーオ〟と鳴き声を返して〝ついておいで〟という顔をして、子猫を見た。

「待ってよ猫ちゃん!もう帰っちゃうの?」

少年はあわてて、猫の親子の後ろを追いかけた。少年の後を、子犬が鳴きながらついてきた。少年は子犬を腕に抱きかえると、猫の親子の追跡を開始した。

猫の親子は草むらを通り抜け、レンガで覆われた門の周りを、一周すると、誰だか知らない人の裏庭に入って行き、姿を消した。

「あぁーーっ、見失っちゃったよ」

少年はがっかりした顔で、子犬を見つめ呟いた。翌日少年は、猫を捜しに、草むらにやってきた。

一時間待っても、猫は現れなかった。

二時間待っても、猫は現れなかった。

少年は猫の親子が消えた家の裏庭を、覗きにいった。庭に人がいたので、少年は「ネコの親子を飼ってませんか」と聞いてみた。

庭にいた人は「猫は嫌いだ」と答えた。


 少年はもう一度、草むらに行ってみることにした。草むらの中に猫の親子がいないかと優しくかき分けていると、後ろで猫の声がした。

「なんだ、またお前か。何を捜している?」

「猫ちゃん!」

少年は目を輝かせ、草に足をとられながら猫に近づいた。猫は少年に捕まる前に、さっと身をかわして、唸り声を上げた。

「あっ、驚かしてごめんね」少年はいった。

「ぼく猫ちゃんを捜してたんだ」

猫は「何の用だ」という顔で、少年を見た。

「ぼくは、もっと猫ちゃんと話がしたいんだ」と少年はいった。

「私は、何も話すことはない」と猫は言ってソッポを向いた。

「ぼくの名前はロビン。ロビン・フッドと同じ名前なんだよ。猫ちゃんの名前は?」

「猫に、名前なんてない」

それを聞いたロビンは、しばらく考えた後、猫を指さして「ニケ!」と叫んだ。

ロビンの大きな声に、猫が驚いて飛び上がった。

『ニケ......だと......』猫は心の中で呟いた。

「ねぇ、猫ちゃんの名前〝ニケ〟でいい?三毛猫より、一つ色が少ないからニケ」

猫はびっくりした顔でロビンを見つめた。


 猫は遠い目をして「昔──、私のことを〝ニケ〟と呼んだ少女がいた」と呟いた。

猫の見つめる視線の先には、青空が広がっていた。

「ニケ......」少年はいった。

「なんだ?」と猫がいった。

「ねぇニケ。その女の子の話を聞かせてよ。君のことをニケと呼んでた女の子の話をぼくに聞かせて」

猫は自慢のしっぽをピーンと立てながら「そうだな......気が向いたら、明日にでも話してやろう」といって、草むらの中を歩きだした。

「ニケーーッ。明日もここで待ってるからね。ここで一緒にお昼を食べよう!」


 少年は猫の後ろ姿に大きく広げた両手を、力いっぱい振り続けた。

「待っているからね、ニケ!」


──待っているからね......ニケ......──

──待っているからね......──

──ニケ......ニケ......

少年の声は、猫が『ニケ』と呼ばれていた懐かしい、あの頃を思い出させた。


 翌日──

ニケは子猫を連れて草むらにやってきた。

「この子たちの分もあるんだろうな」

「うん。いっぱいあるからね。いっぱい食べてねニケ」

ロビンは子猫の前に紙を広げると、その上に乾燥した小魚を並べた。子猫たちは、すぐにニャワニャワと鳴き声を上げながら、あっという間に食べ尽くした。母猫のニケは、子猫の満足気な顔を見て目を細めた。

「ロビン。私の魚はどうした?」

「あっちょっと待ってね。ニケのは、こっちのバスケットの中にあるから。母さんが、ぼくとニケの為に作ってくれたサンドイッチだよ。とてもおいしいんだ。さぁニケ、ぼくたちも食べよう」

ニケはサンドイッチを前にして、不満気な顔をした。

「サンドイッチは嫌い?それとも、食べたことがないの?母さんのはおいしいから食べてみてよ」

「生の......魚はないのか?」

「あっ、ごめんねニケ......母さんには友達とピクニックに行くって言ったから」

ニケはチッといった顔で、ロビンを軽く睨んだ。ロビンはバツの悪い顔をして、ニケを見た。

ニケは〝ふん〟と鼻を鳴らした後、サンドイッチの端にかぶりついた。

「ニケ。ゆっくり食べないと、喉に詰まっちゃうよ」

ニケはもう一度〝ふん〟と鼻を鳴らした。


 草むらの中で、子猫たちが遊び始めた。

ニケは、サンドイッチにかぶりつきながら時々、耳をピクリとさせた。そして、子猫たちに視線を向けた後、またサンドイッチにかぶりついた。

「ニケ。子猫はぼくが見てるから、安心して食べて。母さんに頼んで、サンドイッチの中身はサーモンにしてもらったんだよ。ねぇニケ、おいしい?」

「ふん......まぁまぁだな」

「ニケ。また一緒にお昼を食べようね」


──ニケ──

これはあなたが食べて......私、生きてる虫は食べれないの。

──ニケ──

これもあなたが食べて......私、生きてる鳥は食べれないの。

──ニケ──

私、生のお魚は食べれないの......

お前は......何も食べれないんだな......

──ニケ......いっぱい食べてね......ニケ──

──ニケ............

──(ニケ)は、サンドイッチをむさぼりながら、昔、自分のことを『ニケ』と呼んでいた少女のことを思い出していた。


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