ロビンとジュリーⅠ
ここはかつて〝猫の街〟と呼ばれた場所。
城全体を取り囲むようにして広がる庭の一角で、ロビンは額から流れる汗を手の甲で拭った。
「今の時季は、草ののびが早いのよね」
ロビンの後ろで女の子の声が聞こえた。ロビンが後ろを振り向くと、同い年くらいの女の子が立っていた。
「あたしはジュリー。ジュリー・ハウエンよ」
ジュリー・ハウエンと名のる女の子は褐色の肌に白い歯を覗かして、ロビンに手を差し出した。
「えっと、あんたの名前は?」
「ロビン......ロビン・ウェストール」
「よろしくねロビン」
ジュリーはロビンに手を差し出したままの姿勢でにっこり笑った。
「なに?」
「なにって、握手に決まってるでしょ」
「何故、握手を......」ロビンは口ごもりながらいった。
「握手するのは、ただの挨拶よ。それとあんたのことが気に入ったからってのもあるけど」
ロビンの差し出した手を、ジュリーは力強く握りしめてきた。
「力が、強いんだね。女の子にしては」
「ええそうよ。あたしはちっさい頃から、力持ちだったって母さんが...言ってた」
ジュリーは照れくさそうに笑った。変わった子だけど、悪い子じゃなさそうだなとロビンは思った。
「ロビン、草を取るのを手伝おうか?」
褐色の肌にうっすらと浮かんだ汗は、ジュリーの顔や腕の上でキラキラと輝き、リップを塗ったくちびるからは白い歯が覗いていた。
「ありがとうジュリー。でも、ここにはえてるのは草だけじゃないから」
「だいじょうぶよ。あたしこう見えても将来は庭師になる女の子だからね。草とそうじゃない植物の見分けくらいは出来るから、あなたの仕事を手伝わせて」
そういってジュリーは、再び白い歯を覗かせて笑った。
「なら......手伝ってもらおうかな。ぼくひとりじゃ徹夜しても終わりそうにないから」
「まかせてよロビン。こんな時もあるんじゃないかと思って、レモネードとサンドイッチを用意してきたんだから」
ジュリーはナップザックを足元に下ろすと、レモネードをロビンにすすめた。
ナップサックの下で、草花が苦しそうに顔を覗かせた。
「ロビン、水分補給は大事よ!喉の渇きに気づいた時はもう遅いんだからね。そんなことあんたも知ってるとは思うけど」
「うん、そうだね。ぼくにもレモネードを一杯もらえる?」
「もちろんよ。さあロビン、一気に飲みほして」
ロビンはジュリーの手からコップを受け取ると、ゆっくりと口に流しこんだ。
ロビンは喉が渇いていることに気づいた。一杯のレモネードは、ロビンの喉をうるおし、体中にしみわたっていった。
「そろそろ喉が渇く頃かなと思って」
「そうだったみたい。このレモネードよく冷えてて、とてもおいしかったよ」
「そう、よかった。あんたっていい子ね」
「うん、よく言われるよ」
ジュリーはロビンを指さして笑った。
「あんたって、意外とおもしろい!」
ジュリーはまた笑った。
「君もねジュリー」ロビンも一緒になって笑った。
「ねぇお腹すいてない?サンドイッチを食べる?」
「ありがとうジュリー。おいしそうなサンドイッチだけど、お腹は空いてないんだ」
「そう、残念だな。このサンドイッチ、近くのコンビニで買ってきたんだけど、すっごくおいしいのよ」
ジュリーはサンドイッチにかぶりつくと、マグボトルに入ったレモネードを一気に口へと流しこんだ。ジュリーは満足気な笑みを浮かべていった。
「さあ、どこから始めたらいい?」
そういってからのジュリーは、人が変わった様に熱心な顔で、草を取り始めた。
その手際のよさに、ロビンは手を休めて見入ってしまった。ジュリーの額から流れだした沢山の汗は、日の光をあびて、キラキラと輝いた。
ロビンが見つめていることに気づいたジュリーは草を取る動きをやめて微笑んだ。
ロビンの心臓は、一瞬ぶるっと震えて、ぎゅっと縮んだあと、バクバクと音を鳴らした。
ロビンは驚いて、服の上から心臓のある場所に手をあてた。
「どうかしたのロビン?顔が赤いよ」
「なんでもない......。君が熱心に草取りしてたから、つい見とれてしまって」
今度はジュリーの顔が赤くなった。
ふたりは手を動かしながら、ちらっとお互いの姿に目をやった。一瞬ロビンとジュリーの視線がぶつかった。顔を上げて、ジュリーが口を開いた。
「ロビンはどこの学校に通ってるの?」
「.........」ロビンの手がとまった。
「あたしが通ってた学校じゃ......見かけなかったけど」
「......学校へは言ったことがないんだ......」
「えっ......一度もないの?」ジュリーがききかえした。
「うん......。勉強は母さんが、教えてくれるから......」
「あんたの母さんて、学校の先生なの?」
「今は違うけど、ぼくが三歳になる頃まで......街の学校で教えてた」
「そっか。じゃあ学校へ行く必要はないね」ジュリーはすました顔でそういった。
「えっ......どうして?」
「どうしてって?あんたは学校へ行きたいの?」
「よく判らないよ......。一度も行ったことないから、学校がどんな所かも知らないし......」
「ふ~ん、あんたやっぱり学校へ行きたいんだ」
ロビンは不思議そうな顔をしてジュリーを見た。ジュリーはどうして、こんなことを言うんだろうかと言いたげな顔をして。
「君は学校が嫌いなの?」
「なんでそんなことを聞くのさ」ジュリーは不機嫌そうな声でいった。
「......なんとなく」
「あんたって勘がいいんだね」
それっきりジュリーは黙ってしまった。
ふたりのおしゃべりが、終止符をうったかの様に思えたその時、ジュリーが沈黙を破った。
「あのさ、ロビン......」
「なに?」
「あたしが庭師になりたいって言ったこと覚えてるよね」
「うん、さっき聞いたばかりだしね」
「やっぱあんたって、おもしろい子」
「なんで庭師になりたいの?」
「なんでって聞かれても......庭師になりたいと思ったから、なりたいのよ。ただそれだけ」
「ふ~ん。それで君は、毎日ここに通って来てたんだね」
「なんだ。気づいてたのね」
ジュリーは淋し気に微笑んだ。
ジュリーは立ち上がると、両手を上に上げて思いっきり背伸びをした。
「ロビンも背伸びをするといいよ。すっごく気持ちいいから」
ジュリーが振り向いていった。
「ほんと気持ちいい所だねここって。こんな素敵な庭を、無料で提供するなんて、あんたの母さん太っ腹ね!あたしなら絶対有料にして、入場料をガッポリいただいちゃうけどな」
「母さんが......」ロビンはいった。
「母さんがこの庭を、街の人達に解放しているのは......ぼくの為なんだ。ぼくが少しでも沢山の人達と出会えて、話が出来る様になったら嬉しいって......母さん言ってたから」
「そう......いいお母さんだね」
「君の話は、もう終わったの?庭師になりたいって話......」
「うん、あれでおしまい」ジュリーはいった。
「.........」ロビンは無言でジュリーを見つめた。
「ねぇロビン。草取りって疲れるね。本当いうとね、あたしもうくたくたなんだ。あんたも疲れた?」
「疲れたけど......これはぼくの仕事だから、もう少し頑張らないと」
「ふぅん。やっぱあんたっていい子だわ」
「うん。よくそう言われる」
「誰に言われたことあるの?」とジュリーがからかうようにいった。
「君と、ぼくの母さんに」
「なんだ、そうか」
「そうかって?」
「なんでもないよ。気にしないで」
ジュリーの顔は笑っていた。
ロビンはジュリーの横顔に微笑みかけると、動きを止めていた手を、せっせと動かし始めた。ジュリーも再びその場に座りこむと、草を取り除く作業にかかった。
ふたりの頭上を風が吹きぬけていった。ふたりはもうしあわせた様に手を止めると、風の吹いてきた方に顔を向けて、さわやかな空気を思いっきり吸いこんだ。