魔女とニケとイライザ
魔女は永遠の美しさを望んでいた。
永遠の若さと、美しさ。
魔女は、このふたつのものがほしかった。
魔女が思った通り、イライザは美しい娘に育っていった。
イライザの若さと美しさを、自分の物にする為に長い間魔女は、アンジェリカおばさんのフリを続けてきたが、イライザの裏切りにあって、一度は〝魔女〟であることがばれてしまってもかまわないほどの、激しい錨を覚えた。それでも魔女は、イライザに〝魔女〟だと知られることを恐れていた。
どうしてか?と聞かれても、魔女にもよくわからなかった。
それは魔女の中に初めて生まれた感情だった。どうして〝魔女〟であることを知られたくないのかと聞かれても、魔女には答えることが出来なかったのだ。
魔女はイライザが自分を騙していたことに腹を立てていた。
一度はニケとイライザの様子を、窺っていたものの、魔女の気持ちは、どうにもおさまらなかった。
長年捜し続けていた『魔法猫』を見つけた喜びよりも、魔女の心はイライザへの憎しみでいっぱいになっていた。
そして、とうとう魔女の中で、イライザへの憎しみが弾けて、アンジェリカおばさんのフリをすることが、出来なくなってしまった。
魔女はイライザを地下に呼びつけると、魔法の粉を使って眠らせた。
そして魔法で作った鳥籠の中に、イライザを閉じこめて鍵をかけた。
魔女は地下室の扉にも鍵をかけた。
魔女は地下から自分の部屋に戻ると、呪いの水晶の前に座った。
魔女が水晶に手をかざして、呪文を唱えると、ちょうどイライザが目覚めた所だった。イライザは鳥籠の中で叫んでいた。
「どれ、なんて言っているのか聞いてみようじゃないか」
そう言って、魔女は呪文を唱えた。
──......アンジェリカおばさん!アンジェリカおばさん、ここから出して!お願いアンジェリカおばさん......
──アンジェリカおばさん、ニケのことを隠していてごめんなさい。許して......アンジェリカおばさん。これからもっとお城の掃除もします、カモミールティーもいれます、クッキーも焼きます。だから......ここから出して......アンジェリカおばさん──
魔女は水晶に手をかざすのをやめて呟いた。
「おゃおゃ、随分と勝手なことを言う娘だね長い間私のことを騙しときながら......許して!のひと言ですますつもりかね」
魔女は、ネズミたちをつれて地下に下りていった。
鳥籠の中に横たわっていたイライザは、鍵を回す音を聞いて立ち上がった。
イライザの前に、魔女アンジェリカが立っていた。
「アンジェリカおばさん!」
イライザは叫んだ。
「その言い方はおよし!私はあんたのおばさんなんかじゃないよ」魔女はいった。
ネズミたちが鳥籠の周りを走り回った。
「アンジェリカおばさん......どうしてこんな酷いことをするの?ニケのことを内緒にしてたからなの?」
魔女の憎しみに満ちた目が、イライザの目を捕えた。
イライザの顔は恐怖ではりつき、恐ろしい考えが、脳裏をよぎった。
「そうだよイライザ。私はお前に言ったはずだよ。私に嘘をついたり『猫』を隠したりしたら、どうなるか、よおく考えてみるんだね......と」
イライザは魔女の冷たい言葉に、心が凍りついた。
「アンジェリカおばさん......あなたは一体誰なの?」
イライザは、真実を知るのが怖かった。
もしかして、アンジェリカおばさんは〝魔女〟なのではと......イライザは何度か思ったことがあった......。けれど、そのたびそんなはずはない。と思っていたけれど、イライザはもう自分の心を騙し続けることが出来なくなっていた。
「アンジェリカおばさん......あなたは魔女なのね」イライザの声は震えていた。
「おや、やっと気がついたのかい。お前はもっと賢い娘と思っていたが、そうじゃなかったみたいだねイライザ」
「あなたが......私の父さんと母さんを......」
「そうだよイライザ」
「あなたが私の家に火をつけたのね......」
「そうだよイライザ」
イライザの目から涙がポロポロこぼれ落ちた。
「私は魔女だからね。お前の家の地面に魔法の印をつけた後、この城の中で呪文を唱えたのさ。お前の家はあっという間に燃えつきてしまったねェ」
魔女は声高々に笑った。
イライザは泣くのをやめて叫んだ。
「やめてェーーーーーーッ」イライザの悲鳴はニケの元へも届いていた。
全てを知ってしまったイライザは、怒りと憎しみに満ちた目で魔女を睨みつけた。
「許さない......許さない......アンジェリカおばさん......あなたのことを......絶対に許さない......許さない......」
イライザの心は怒りと憎しみ、そして悲しみに支配されてしまった。
怒りと憎悪。このふたつの感情を、イライザがいだいた時────
魔女は、この時を待っていた。
イライザが怒りと憎悪の感情を同時にいだいたとき、呪文を唱えれば──
そう......イライザの美しい体と若さは私のもの......今呪文を唱えれば、私の欲しかったものが手に入る。永遠の若さと美しさが──
けれど、そのふたつを手に入れるには『魔法猫』の命が『千年の命』が魔女には必要だった。魔女は、その時を待っていた──
もうすぐ『猫』が、イライザの悲鳴を聞きつけてこの地下にやってくるはずだと。
猫はすばやい速さで、魔女の前に現れた。
「ニケーーーーッ」
イライザの声を、ネズミたちの上げた黄色い声がかき消した。
「待っていたよ私の可愛い『魔法猫』。今こそお前の千年の命が、私には必要なんだよ。その為に私は、この娘のおばさんのフリを続けてきたんだからね」
イライザが鳥籠の中で、小さな悲鳴を上げた。ニケは、しっぽを逆立て精一杯の威嚇をするとイライザの前に、小さな体で立ちはだかった。
「ニケ......ニケ......逃げて!アンジェリカおばさんは魔女だったのよ。あなたじゃかなわないから、早く逃げて!」
イライザは涙ながらに、ニケに訴えた。
「イライザ、そんなことはとうの昔に知っていた」
ニケはそう言うと、魔女に飛びかかり、鋭い爪で魔女の顔をひっかいた。
魔女が怒りに満ちた顔でニケを振りほどくと、ニケの体は宙を飛び、城の壁にぶつかって動かなくなった。
「ニケーーーーーーッ」
イライザは恐怖の入り混ざった声で、ニケの名前を叫んだ。魔女は魔法の呪文で作った縄でニケの体を縛りつけた。ニケは抵抗することも出来ずにぐったりとしていた。
魔女の顔には、ニケのたてた爪痕がくっきりと残っていた。そしてその傷口から流れ出した血が魔女の周りで動き出し、魔法の呪文を書き始めた。
「これは一体どうゆうことだ!猫め......私に何をした」
魔女は血の呪文から動けずにいた。
魔女がもがくたびに、血の呪文は魔女の体を縛りつけていった。しばらくしてニケはゆっくりと体を起こし目を開けて魔女を見た。
「おのれ!猫め!」
「お前は、私の爪がお前の顔を引き裂いた時私に呪文をかけられたのさ。お前の流した血がお前自身を滅ぼしてしまう様にとね」
「おのれよくもそんなことを......主人である私を裏切るつもりか......」
魔女は苦しい息の下でニケにいった。
「お前は元々私の主人などではない。私に......主人がいるとすれば、イライザかもしれんがな」そう言ってニケはイライザを見た。
魔女の力が弱まった為、イライザを閉じこめていた魔法の鳥籠の力もなくなり、鳥籠は消えた。
イライザはニケの元に駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
「ニケ......ニケ......ありがとう。助けてくれて......ありがとう。......ニケ......」
魔女はイライザに鋭い視線を向けた。
「おのれよくも......お前たち二人に呪いをかけてやる。千年の長きにわたる呪いを────」
魔女は苦しげな声で呪文を唱えた。イライザはその内容に驚き目を見開いた。ニケは聞こえなかったのか身じろぎひとつしなかった。
魔女の周りで、ネズミたちが叫び始めた。
魔女の唱える呪文は、魔女が息たえるまで続いた。イライザは、魔女の呪文からニケを守るため、腕に抱きかかえると扉に向かって走った。扉は重すぎて、イライザの力では動かすことができなかった。
すると、どこからともなく城の庭に住む猫達が現れて、扉を開けるのを手伝った。
魔女は最後の力を振り絞り、ニケとイライザに千年の呪いをかけた後、力尽き血の呪文の中に崩れ落ちた。
地下の扉が開いて、イライザは階段を駆け上がった。階段の上から下を見下ろすと、魔女の体は、あっという間に老いて骨になり、骨はカラカラと音を立てて、塵になり、城の外へと運ばれていった。ネズミたちの、悲しい鳴き声が城中に響きわたった。
イライザは、消えてしまった魔女の、さっきまでそこに魔女がいた場所を......食い入る様に見ていた。
我にかえったイライザは、ニケがいないことに気がついた。イライザは必死でニケの姿を捜した。
ニケの姿は......どこにもなかった。
ニケの姿は城から消えていた。
「ニケ......どこにいったの?怪我をしたままで......ニケはどこに......ニケ......」
イライザは声の限りに、ニケの名前を叫んだ。
イライザは城の窓から、身を乗り出すとニケの名前を叫び続けた。
「ニケーーッニケーーッ。どこにいったのニケーーーーッ」
「ニケーーーーッ......」
イライザの声は、森の中へ、空の彼方へと消えていった。