看病
十一月某日。
雨が上がり、急に気温が下がり始めた休日の正午の出来事だった。
「おーい、大丈夫か。」
俺は扉を二回ほどノックして妹の奥平亜希乃の部屋に、お粥と冷えピタ、薬などを持って入った。
「だいじょばない。」
「日本語おかしくなってるぞ。」
「今日、ずっと家にいてくれるの?」
「…居るよ、ちゃっちゃと薬飲んで寝ろ。」
ほら、とお粥をサイドテーブルに置いてやる。
真っ赤に紅潮した顔に、もともと大きなタレ目が少し潤んでさらにトロンした瞳が、俺を見つめる。
本当は彼女と予定があったのだが、俺は咄嗟に嘘をついた。
その瞬間、
「やったー!大毅好きー!」とベッドから起き上がり、抱きついてきた。
勢いよく行った為か、すぐにフラフラとベッドに横になり、しんどい…と呟いた。
自分で言うのも何だが、こいつは生粋のブラコンなのである。最近益々エスカレートしてきているので、一度話し合いの席を設けるべきだなと考え、ため息をついた。
「本当にアホだな。」
なんだか嘘をついた事がバカバカしくなってきたが、心配なのは事実なので、後で結衣に断りの連絡を入れておこう。
亜希乃と俺と結衣はもともと幼馴染で今も女同士仲良くやってるみたいなので、彼女も快く承諾してくれるだろう。
さて、看病と言ってもほとんどやる事がないので、俺は妹の部屋の漫画を拝借して広げる。
ベタベタの少女漫画だった。
普段は絶対読まないジャンルだが、しかたない、自分の見聞を広げるために読むのだ、暇だしな。と何故か心の中で言い訳がましい俺だった。
「ごちそうさま。」
いくらなんでも早過ぎるだろうと小鍋をのぞくと、ほとんど食べていないようだった。
軽口を叩きながらも、本当は思ったよりしんどいのかもしれない。
薬を飲ませて、布団に入った妹はすぐに眠りに落ちた。
俺はさっきのやりとりが気になっていた。
「大毅が食べさせてよ」
「高校生にもなった妹に、そんな事する兄はいねえよ。」
「…違うじゃん。」
それは小さな声だったが、確かに聞こえた。
違う?何が違う?
俺は頭の中で八割型答えが出ているものの、確信は持てないし聞こえていないふりをした。
いや、まだ幼かったし流石に覚えてないよな?
でも幼かったとはいえ確か小学校低学年の頃だ。
可能性はある。
これは両親と俺、そして結衣だけが知っている事実。
…
俺が当時小学校一年生になってすぐ、両親が離婚をした。
理由は知らない。というか記憶が曖昧なのだ。
ただ、産みの母親との記憶は思い出せる限りでも、ロクなものでは無かったのでそこら辺が理由なのであろう。
そして小学校三年生の夏休みに父が再婚をした。
それまで父は俺のことを男手一つで育ててくれた。
毎日仕事をしながら毎食分の食事を作り、掃除洗濯までこなした。俺も協力出来る事は手伝ったが、ほとんど父がやってくれた。
その上、休みの日には遊びに連れて行ってくれたりもする本当に優しい父親だ。
その大変さ、有り難みは当時幼かった俺にも十分伝わったので、父にはとにかく幸せになって欲しかった。
それが今の母と亜希乃との出会いだった。
結婚する前から結構頻繁に会っていたので、母の人柄のおかげもあり俺はすぐに心を開いた。
亜希乃は、最初は人見知りするおとなしい子だったが、徐々に心を開いてくれて、いざ家族になると言われた時にはすでに相当慕ってくれるようになっていた。
俺は、優しい母と可愛い妹ができて本当に嬉しかったのは今でも覚えているし、その思いは現在進行中だ。
つまり俺たちは血が繋がってない兄妹で、亜希乃はその事実をまだ知らないというわけだ。
俺は開いた漫画のページを捲れずに、頭の中でグルグル考えていた。
____
30分は経っただろうか。
亜希乃が目を覚ました、と同時になぜか泣き始めた。
え?
俺は焦って枕元に近いて理由を聞くが、要領を得ない答えが返ってくる。
「だいちゃん。」
「どした、あーちゃん。」
つい、懐かしさに俺も口走ってしまう。確か俺が中学校に上がるまではそんな風にお互い呼び合っていた。
「お願い、側にいて…私を嫌いにならないで。」
「だいちゃんが居なくなったら私…」
私。と少し取り乱しているような感じで、顔を手で覆い涙を流す亜希乃。
「大丈夫だって、ここに居るから。」
きっと熱のせいでうなされて悪い夢でも見ていたのだろう。
まるで子供をあやすかのように頭を撫でてやる。
そして、兄なんだから嫌いにならないということを強調して慰めた。
しかし、何かが気に障ったのかその手は振りほどかれた。
そして。
「昨日お母さんから聞いた…私達の事。」
その言葉に、俺はどきりとした。
やっぱり覚えていなかったかという気持ちと、ついに知ってしまったんだなという気持ちが交互に頭をよぎったが、すぐに冷静さを取り戻す。
ここで俺が動揺したらダメだ。
不安定な心に更に追い討ちをかけてしまう。
俺はさっき以上に優しく、丁寧に語りかけた。
可愛い妹である事は変わらない、と。
そこまで言いかけたら、起きてから優れなかった顔を更に真っ青にさせ、口元を押さえて起き上がった。
ああ吐くなと直感したのが早いか、俺が動くのが早いか、すぐに袋のかかったゴミ箱を亜希乃の口元に充てがう。
しばらく背中をさするが、恥ずかしがっているのか、なかなか吐かないのでもう一度促すと、痺れを切らしたのだろう。
よっぽど身体が辛いのか再び涙を流しながら、静かに戻した。
それを片付けに行く廊下で俺は再度考える。
どう接するのが正解だったのか。
片付け終わり携帯を見ると、結衣からの着信が二件入っていた。
「やっべ…連絡するの忘れてた。」
直ぐにかけ直すと、一回目の呼鈴で結衣は出た。
「もしもし、だいちゃん、大丈夫!?」
「ああ、連絡せずにごめんな。」
「亜希乃が熱出してさ、親いないし、ちょっと嘔吐したりで体調ヤバげだったから、バタバタしてた。」
本当にごめん。と続けて謝った。
「え!あーちゃん、大丈夫なの?私今からそっちに行こうか?」
受話器の向こうからバタバタと音が聞こえる。
多分家を出る準備をしているのだろう。
そういう奴だ。
「いや、今は落ち着いてるから大丈夫だよ。」
「ありがとう。」
「あと2時間もしたら、母さんがパートから帰ってくるから、そしたら結衣の家に行ってもいい?」
「もちろんいいけど、大丈夫?」
あーちゃん。と心配そうに結衣は言う。
「大丈夫だよ。」
「俺が看るより、母さんの方が安心だし…俺も会いたいし。」と笑う。
「そうかな。」
「え?」
「ううん、何でもない!」
「じゃあお家で待ってます。」
あーちゃんお大事に、と言い電話が切れた。
俺は亜希乃の部屋に戻り、顔を見て大丈夫そうだと確認してから再び漫画を読んで過ごした。
しばらくして母が帰宅し、今日の事を報告した。
泣いた事は余計な心配をさせてしまうと思い伏せておいた。あいつもその方がいいだろう。
「じゃあ、母さん…あとは任せてもいいかな?」
「結衣との約束すっぽかしちゃったから、今から行ってくる。」
「夕飯までには帰るから。」
「あら、そうだったの!」
「今まで看病お疲れ様、ありがとうね。」
「結衣ちゃんによろしく伝えてね。」
いってらっしゃい、と俺を見送る母。
「いってきます」
俺は愛用のマウンテンバイクに乗って結衣の家へ向かった。
…
「そっかぁ、ついにあーちゃんに伝えたんだ。」
結衣が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、俺は今日あったことを話した。
「なーんか、どう接していけばいいのか。」
「あーちゃんはどうだった?」
その話を知って何か変わった様子はあった?とやけに結衣は念を押して言う。
「まあ昨日の今日だし、正直なんとも。」
「動揺していた感じは少しあった…かな。」
「熱で気持ちがしんどくなった所為もあると思うけど。」
泣いてたし。
「だいちゃんは、今まで通りでいいんじゃないかなぁって思うよ。」
「あーちゃんにもそのうち私達みたいに、お付き合いしたいと思える相手が現れたら、またその時はいろいろ変わってくるんじゃないかなぁ。」
なんてね、と結衣は伏し目がちに言う。
なぜこのタイミングでその話になったのかは謎だったが、確かにアイツ、そういう浮ついた話一切でないんだよな。
あまり身内を褒めたくないが、女子にしては長身でスラッとしてて顔も整っているから、男子にはもちろん後輩の女子にもモテるようなやつだった。
悔しいことに。
「だいちゃんも、結構モテてるんだよー?」
知らなかった?と完璧に俺の心を読んで面白がる結衣。すげーな、ていうか怖いよ。
「話を戻すね」
「今現在、あーちゃんと仲良く過ごせてるってことは、今までお兄ちゃんとしてだいちゃんがしてきた事は決して、間違いじゃなかったって思わない?」
「あとはあーちゃんが乗り越えるのを見守ろうよ。」
必要ないかもしれないけど、私も協力するからさ。と今の僕には温かすぎる言葉を結衣はくれた。
「必要ないなんてことは、絶対ないよ。」
「ありがとう。」
「ていうかいつもありがとう」
結衣はいつもそうだ。
俺を前向きに、そして、正しい方へと導いてくれる。
「愛してる」
「私も、愛してる」
俺が今幸せなのは、こういった周りの人の気遣いや、思いやりで作られているのだろう。
そんな風に思わせてくれる人が彼女で、俺は心底良かったと思った。
…
それからくだらない話をしてたらあっという間に時間が経ち、俺は家路についた。
ただいま。とリビングに入ると、意外にも亜希乃が出迎えてくれた。
「おかえり。」
申し訳なさそうにする彼女は、まだ少し顔色が悪いような気もするが、いつも通りの顔をしていたので俺はホッとした。
そしていつもの流れからすると、まず帰宅したらこちらの有無を確認するまでもなく飛びついてくるのだが、今日はしてこなかった。
いや、して欲しい訳では決してないが…なんだか調子が狂うというか、まだ体調が悪いのかなと思っておでこに手を当てて確認すると、
「私のが移った?シスコンっぽい!」
とケラケラと笑いながら茶化してきたのだった。
それは結構意外なことだった。
自分ではそんなつもりはないが、周りからそのワードを言われることがしばしばある。
だけど、本人にそう言わたことは今の今まで、一度もなかったからだ。
…俺も何だかんだこいつに甘いのかもな。
そして、
「ありがとう、お兄ちゃん。」
と背中にポツリと言われた。
俺は驚きと、嬉しいような、少し寂しいような、そんないろいろな感情で胸がいっぱいになり、少し上擦った声で「お安い御用だよ」と言うのが精一杯だった。
今日、俺は両親と妹…そして結衣だけは何があっても絶対に幸せにすると、心に固く誓ったのだった。
これでこのシリーズは一旦おしまいです。
拙い文章でお見苦しい点など多々あったと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました。
感想、ご意見お待ちしております。
今後、結衣サイドのお話や、この三人の続きの物語を書くかも知れませんが、そのときはまた覗いて行っていただけると嬉しいです。
黒川渚