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冠と字  作者: 久志木梓
1/2

一、


 男子は二十になれば冠をつける。これを以て成人とし、この成人儀礼を冠礼(かんれい)という。諸葛恪(しょかつかく)は、諸葛の家の(みたまや)の、その建物の広間である(どう)にひかれた(むしろ)の上に座して、自分の頭に冠を戴くのを今や遅しと待ち構えていた。


令月吉日(れいげつきつじつ)

――この良き日に。


 朗々とした祝辞が、恪に降りかかる。祝辞を述べ冠を、黒布で作られた緇布冠(しぶかん)を掲げるのは、(ひん)という役割の人物である。賓は、新成人に冠を授ける重要な人物であり、新成人の父の親友から(めどぎ)によって選ばれる。恪の賓に選ばれたのが、座った恪の左に立っている、張承(ちょうしょう)である。恪はさっきから壁の木目を暇つぶしに数えていたが、賓として儀式を執り行う張承の顔や、恪や張承の背後に座している父の諸葛瑾(しょかつきん)の顔は、見て確かめることはできないが実に粛然としているのだろうと、ふと思った。二人とも真面目くさった顔をしているのだろう、似たり寄ったりの。真面目な場で心から真面目になれるというのが、諸葛瑾と張承が親友になれた大きな理由だと恪には思われた。そして成人した後、出仕した先で出会うのがそういう人種の人々ばかりであったなら、自分はつまらなくて死にたくなるだろうと胸中でため息をついた。ついでにこの儀礼全体にも、幾度目か分からないため息を想像の内についた。つまり恪は、とんでもなく退屈していたのである。


 幸いなことに、恪の心持ちには関係なく冠礼は進んでいく。張承は決まり通り、右手を後ろに、左手を前に添えるようにして冠を掲げ持ったまま、滞りなく祝辞を続けた。


「始めて元服を加う。(なんじ)の幼志を棄て、爾の成德に(したが)え。壽考(じゅこう) ()(さいわい)にし爾の景福(けいふく)(おおい)にせん」

――お前に初めて冠をかぶらせる。お前の子供の心を捨て、お前の成人としての徳に従うように。そうすれば寿命は(なが)く幸いにして、お前の(おおい)なる福は(おおい)なるものになるだろう。


張承はこう祝辞を述べ終わると座って、恪に手ずから冠を戴かせた。そして立ちあがり、衣擦れの音も(かそけ)く、離れた元の席に帰って行く。儀礼の助手をつとめる(さん)の役割の者が、恪の顎の下に手を伸ばし冠の(えい)を結んだ。これで冠礼の加冠(かかん)は、終わりである。


 冠をつけた恪は堂々と立ち上がった。立ち上がり、控えの間である(ぼう)に静々と下がる。恪が下がるその途中で、張承は礼式に則って両手を胸の前で組みあわせ、恪に(ゆう)の礼を取った。恪の想像通りの、そして恪の父の諸葛瑾によく似た、くそ真面目な顔をしていた。


 恪は房に戻り、一息つく間もなく手早く服を着替えにかかった。童子の服である采衣(さいい)を脱いで、次は成人の礼服である玄端(げんたん)を着なければならない。そして、あと二回、とうんざりした。


 加冠は終わった。最初の加冠は。加冠、つまり冠をかぶるのは、一度ばかりでない。三度ある。最初は黒い緇布冠、次に鹿の皮で作られた皮弁、最後は赤黒い爵弁と、段々上等なものをかぶっていくのである。そして冠をかぶるごとに、新成人は衣服を、やはり順々に上級のものに改め、あの祝辞とも教訓ともつかぬお言葉を聞かねばならない。先は長かった。恪は房にいるのをこれよしと、思い切りため息をついた。房に控えていた、恪の着替えを手伝う下男が渋面を作ったが、そんなことは恪にとってはどうでもいいことだった。


 冠礼は、退屈極まりない。しかし、と恪は思った。果たしてどのような(あざな)が、自分には授けられるのだろうか。そう考えれば恪の、二十になったばかりの自信に満ちあふれた胸は、いたく踊った。



二、



 冠礼で成人に与えられるのは、冠ばかりではない。(あざな)もまた、与えられる。


 字は、成人としての名である。生まれたときに親につけられた名は、(いみな)である。魂魄に直結するものとして忌み、成人にもなれば滅多に呼ぶものではないとされている。では誰それを呼ぶ際に、何と呼ぶかといえば、字で呼ぶ。字で呼ぶのは立派な大人の同輩として相手を認め、親しみと敬意を示すことであった。その字をつけるということは、新成人が大人として生まれ変わる第二の誕生でもある。


 ところで恪は、早熟な子供である。また、非常に頭がよかった。自分よりもずっと年長の大人と交わり、論を戦わせて負けることがなかった。だが恪を仲間にする風の大人たちは無論お互いを字で呼んだが、まだ成人前の恪のことは、少し困ったふりをしつつその実は侮って、ただ「子瑜(しゆ)どののご子息」とだけ呼んだ。子瑜というのは、恪の父の諸葛瑾の字である。恪はこれが、非常に気にくわなかった。


 が、それも今日までと思えば、恪は嫌な顔を公には隠して、冠礼を粛々とこなしてみせた。さらに二度、冠が変わり衣服が変わり、神妙な顔つきをして張承と(あまざけ)を酌み交わした。その度にもったいぶって述べられる祝辞も、傾聴を装って聞き流してみせた。


 そうしてやっと、字をつける儀である。賓である張承は、向かって右の階を使って堂から庭へ降りた。恪の父の諸葛瑾は張承とは反対の、左の階から庭に降りると歩き、庭にしいた筵に正座していた親戚たちの先頭に立った。張承もまた数歩、諸葛瑾と同じ距離だけ歩を進める。そこで厳かに、張承と諸葛瑾は、双方、向き直った。


 張承に続いて左の階を降りた恪は、しきたり通り階を降りたところで立ち止まり、賓と父との横顔を見ていた。字は、賓がつける。もう一瞬の後、賓は祝辞を述べ、新成人の字を、生者ばかりでなく廟の祖霊に対しても、高らかに告げるだろう。しかし賓が見ているのは、字を与える新成人本人ではなく、その父親である。冠礼の主役であるはずの恪は、まるで部外者のように横から見ているに過ぎない。


 これら全て古式に即した正式な方法であったが、恪はつまらなかった。儀式というのは、本人のためというよりは、本人の周りの人間たちのためにあるのだ、いつだってそうであると、恪はそっぽを向きたくなった。


 張承が空気を吸う音が、整然とした廟の庭の、澄んだ空気をわずかに震わす。自然、そこにいる者全員が斂容(れんよう)した。さすがの恪も、緊張に背を粟立たせた。張承には人々をそうさせるだけの威容が、確かに備わっていた。


 掃き清められたような沈黙に向かって、張承は賓として最後の祝辞を述べた。


「礼儀既に備わり、令月吉日、(あきら)かに爾の字を告ぐ。(ここ)に字する(はなは)(よろ)しく、髦士(ぼうし)(よろ)しうする(ところ)なり。之を宜しうするを(さいわい)()す。永く受けて(これ)(やす)んぜよ」

――礼儀は既に備わった。この令月吉日(よきつきよきひ)に、明らかにお前の字を告げる。ここにつける字は甚だよろしく、お前のような髦士(りっぱなわかもの)にこそよろしい。これをよく自分のものとすることこそ、幸いである。永くこの字を受け取って、この字に満足するように。


 張承はそこで一拍置いた。恪は心身が張り詰めるのを感じた。さあ、何だ、と恪は思った。俺がこれから一生呼ばれ続ける字、いや一生ばかりではない、末永く殺青に、姓と諱とともに留められる俺の字、それは何だと、前のめりに、固唾を呑んで、張承が恪の字を告げる次の一瞬を、待った。


元遜(げんそん)、と()う」


 聞いた瞬間、恪は頭が焼き切れたように真っ白になった。抑えきれなかったらしいささめきが、座っていた親族の間から聞こえてきた。父の諸葛瑾は、平然としている。元遜、この字を恪に与えた張承も、至極当然という顔をしている。恪は顰め面をするのを、厳粛な場での礼儀を守るためというよりは、この字をつけられたのを大いに気にしているということが露見しないように、つまりは自尊心を守るために、必死に我慢した。こんな字をつけられたことを気にしている、それが周りに知れ渡るなら死んだ方がましだと、恪は思った。そして、元遜、この字を与えておきながら素知らぬ顔をする張承と、共謀者である父の諸葛瑾とを、恨んだ。

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