ある東洋人の為の叙唱
まるで、死刑台の前にいるような気分だった。
鼻歌を歌っている男をちらりと見て、すぐに目を伏せた。
里見祐介は、この男―――アルバート・カーライルのことが苦手だ。
彼に襟首を捕まれ引き摺られている今も、彼から離れたくて仕方がない。
「君がまだ大学に残っていて良かったよ。探す手間が省けたからね」
アルバートが愛用のステッキを振り回しながら嗤う。ずいぶんと機嫌が良いようだ。
「ぼ、僕に、何か用なのですか?」
文字通り引き摺られている形の為、上手く息をすることができない。
アルバートは細身の身体の割に力が強い。彼が人狼だからだ。
人狼の証拠である、大きな獣耳と尻尾が揺れた。
祐介の国が外国と交流を始めてまだ10数年しか経っていない。
交流を経ったのは諸説あるが、大きな理由は異形の者達に侵略されるのを恐れたからだった。
300年前、連合国を束ねていた人間の王が、異形の者を束ねている吸血鬼王、獣人王、妖精王等と条約を結び、人間世界に異形の者達が生活するようになった。
祐介の住んでいた国では、妖怪という名の者達が条約を結ぶ前から既に土着していた。
小さな島国に住んでいた人間と妖怪では他国の人間や異形の者達は脅威でしかなく、交流を絶つ他無かったのである。
しかし、そんな状態も時代の波には逆らえなかった。
祐介は大きな外国船が海の向こうに見えたことを覚えている。それは祐介にとっての希望の光だった。
―――あの海の向こうへ行ける!
その希望を胸に周囲の反対を押し切り、半年前に帝国に足を踏み入れたのだ。
それなのに、アルバートを筆頭とする東洋人を珍しがった者達に勉学の邪魔をされ、このように昼間から引き摺りまわされている始末である。
「これを見たまえよ」
アルバートが襟首から手を放し、振り返る。
ターコイズブルーの瞳が爛々と輝き、まるで宝石の様だ。
解放された祐介は、目の前に差し出された新聞の見出しを見つめた。
≪満月の夜の悲劇! ウィンスタ―ストリートで淑女の変死体見つかる!≫
「今朝の一大ニュースだよ」
「はあ」
ウィンスタ―ストリートといえば人間族の貴族が住んでいる地区の大きな通りだ。
平民街に最も近いが、祐介には縁の無い場所である。
「殺害されたレディーは”勿論”人間族の貴族だ」
人間は弱い。
その為、異形の者は人間を狙う。
アルバートが”勿論”と強調したのは暗にそう言いたい為なのだろう。
勿論人間が人間を襲うことや、人間が異形の者を襲うこともあるだろうが、この手の変死体は異形の者が関わっていることが多い。
この国には吸血鬼や人間に好意を持っていない妖精も多い。その手の犯罪はよくある話だ。
「今日、君と弟が住んでいる部屋に行ったのだがね」
実は祐介とアルバートの弟は半年前からルームシェアをしている。
アルバートと交流があるのも、その弟が原因だった。
「いなかったのだよ」
「そりゃあ、仕事してますからね」
祐介はそう言いながら、アルバートの弟が今朝早く慌てながら家を出ていくところを目撃したのを思い出した。
アルバートの弟は刑事で、事件があればどんな時間でも現場に急行する義務がある。
すごく、すごく嫌な予感がする。
「僕はすごく暇なのだよ」
僕は暇じゃないけれど、と言いたかった。
「きっと事件現場にいるだろうから、会いに行こうと思ってね」
「それ、僕を連れて行く意味あるんですか?」
アルバートは悪戯を成功させた子供のような笑顔で言い放つ。
「君が着いて来たら、面白いことが起こりそうだからね」
逃げようとしても無駄だろう。先ほどのように無理やり連れて行かれるに決まっている。
祐介は溜息を吐くと、大人しくアルバートに着いていくことにした。
やはり、この男は苦手だ。
祐介は改めてそう思った。