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「あっはっは!それで獣人紳士にこんな時間まで振り回されていたのか!」
「はあ、まあ」
街の片隅にある寂れたパブで開かれる東洋人倶楽部に祐介が顔を出した時には、もう真夜中近くになっていた。
東洋人倶楽部は、祐介のような学生や貿易商人等が集まり雑談をするだけなのだが、帝国内で東洋人が少なく、寂しい思いをしている祐介にとっては楽しみにしている会合だった。
「それは災難だったね。でも私も是非とも知り合いになりたいものだ」
先刻、大声で笑った男――椎名誠は顎を摩りながら言った。
「君は商売相手になりそうな相手を嗅ぎ付けるのが得意だものな」
隣でパンを齧っている七海順がくすくすと笑っている。
「お二人とも揶揄わないでくださいよ。僕は本気で困っているのです」
「いやいや、気に入られるのは良いことだよ」
七海の言葉に祐介は頭がくらくらとしてしまった。何せ祐介は困っているのだ。このままでは安心して勉学に努められない。
「そうだとも。将来役に立つさ」
ワインを片手に満足気に話す椎名は、輸入品を主に扱っている商人だった。
開国に戸惑う国を尻目に着々と準備を進め、いち早く海外進出をした椎名は次の商談相手を虎視眈々と狙っているらしい。
東洋人倶楽部も彼が結成したもので、寂しさを紛らわすだけの祐介とは違い、椎名にとっては情報を集める手段となっていた。
「この国で作った縁はいつの日か役に立つさ。特に君達は半年前の件の生き残りなのだから、国に帰っても仲良くするといいさ」
「勿論だとも。まあ、ボクは事故の影響で目が見えなくなってしまったから、国に帰ってから事情を知っている人が多いと助かるしね」
七海が焦点の合わない瞳を祐介に向けた。
七海は船が難破した事故で両目に損傷を受けたようで、殆ど目が見えなくなっているそうだ、と祐介は聞いていた。
「ボクには導き妖精が付いてくれているし、完全に目が見えないわけじゃないから。この国にいる間は不便さはあまりないのだよ」
七海はそう微笑むと、自身の肩に座っている妖精を突いた。
トンボの羽が背中に付いている親指くらいの大きさの少女が微笑んでいる。
少女は道案内を得意としている妖精で、導き妖精と呼ばれている。人間と契約を交わし、目の見えない者のサポートや迷い人を導くことで生活している。
「彼女に会えただけでも、この国に来て良かったと思っているよ」
七海はそう言うとパンを千切り、妖精に与えた。
「いいねぇ、妖精使いは。私も契約するかな」
「君には無理かもね。妖精が警戒してしまうよ」
「そんなことはないさ。これだけ誠実な人間は他にいないよ!」
「どうかなぁ」
祐介は二人の会話に思わず笑ってしまった。
ここにいれば、血に染まった殺人事件も忘れられる。
東洋人倶楽部の夜は穏やかに過ぎていった。