カラスの手紙
親愛なるアークさんへ
毎日こうして手紙をやりとりするようになって、どれだけの月日が流れたのでしょう。だというのに、いまだに敬語が取れない私をどうかお許しください。普段の言葉遣いで手紙を書くのは、案外と難しいのです。私もいつか、アークさんのようにくだけた文章を書けるようになればいいのですが……。
今日は少し、重い話になってしまうかと思います。
この町についてです。
アークさんは既にご存知かとは思いますが、この町ではいまだにそちらの森――村について悪く語られています。人を襲う化け物が住んでいる、人間の子供をさらって食べる、森には危険な植物と生物があふれている……。
化け物は容易に人間を殺す、なんて根も葉もない噂すらあります。
吸血鬼、狼男、人造人間、ミイラ、赤目――そういったものを専門分野として取り扱っている学者さえいるくらいです。そのくせ、学者は『本当のこと』を理解しようとはせず、彼らの弱点ばかりを探そうとしています(吸血鬼等の言い方が悪かったらごめんなさい。他の言葉が思い浮かびませんでした)。
話が愚痴っぽくなってしまいました。
失礼な話かもしれませんが、人間があなた方を無意味に恐れた結果、森に近づかなければ、私はそれでいいとも思っています。理解されないのは悲しいことですが、森を荒らされる心配もありません。
けれど強欲な人間は、その森さえも奪おうとしています。
領土を広げるだの森にある資源がどうだの化け物は殲滅すべきだの、私にはこれっぽっちも理解できない理由が人間にはあるようです。森に生息する植物や動物を恐れているくせに、それを支配下におこうとする……。この町に長く住み着いている私でも――町の人間と仲良くしている私ですら、やはり人間の心は分かりません。人間とは、そういうものなのでしょうか。
現在、町の人間は「領土を広げたい、森にある資源が欲しい」という理由から「そこに棲みつく化け物は殺すべき」という考えに発展しているようです。できるなら、吸血鬼や狼男は『飼いならしたい』とも考えています。
それ故ここ数日、森を侵略する策が具体的に練られ、兵も召集されはじめています。
私一人ではどうすることもできない状態です。申し訳ありません。
今度そちらに向かわせようとしている人間は、前回のような素人ではなく、訓練された兵ばかりです。手練れはそこまでいないはずですが、本格的な武器(剣や銃器)がいくらか用意されています。兵の人数や銃の種類まできちんと分かればよかったのですが……お役に立てず申し訳ない気持ちでいっぱいです。
人間が森へ向かう日が分かり次第、連絡をいたします。それまでの間にできる限りの準備をしておいてください。また、私にできることがあれば遠慮せずに仰ってください。
どうか、あなた方の誰ひとり、傷つくことのありませんように。
「……んっんー」
アーク村長は読み終えた手紙を丁寧に折り、封筒へと戻した。彼の隣では、一羽のカラスが一心不乱にピーナッツをつついている。一粒、また一粒。
「今日はいつもより空腹かな? ならばこれもあげよう」
村長は机の引き出しからアーモンドを取り出し、カラスの前にある皿にざらざらと盛った。カラスが短く、けれども大きく鳴く。村長は頷き、胸ポケットから葉巻を一本出した。口にくわえ、書斎を浮遊していたヒイロキンギョに声をかける。
「失礼、火をくれるかな」
シャボン玉が吐かれ、火がつく。ジャック・オ・ランタンの頭を持つ村長は、顔にあるすべての穴から紫煙をくゆらせた。カラスのくちばしが木製の皿に当たる音だけがカツカツと響く。
つかの間の、沈黙。
やがて村長は万年筆を取り、一枚の紙に文字を書いた。さらりと一行。
「……君にお願いがあるのだが」
そうして、アーモンドをつつくカラスに声をかけた。
「それを食べ終わり、一休みしたらば、少しばかり村の中を飛んでもらえないだろうか。呼んできてほしいのはステラ、デライラ、ヒルト。それから……この手紙を、北のはずれにいる双子へ届けてくれるかな」
村長は小さな紙を、カラスの前でひらひらと振る。そこに書かれているのは、簡素な文章だった。
『回復薬となる木の実、薬草、ありったけ求む』
「――あ、ステラさん見て」
朝、店の掃除をしていたロゼが弾んだ声を出した。祭りの前日である今日、弁当屋は臨時休業の札を出している。厨房で、明日振る舞う料理の下準備をしていたステラが「なんだい」と大きな声を出した。声に負けないくらい大きな顔を、厨房から覗かせる。まとめる必要もなさそうなパンチパーマの頭には、オレンジ色のバンダナが巻かれてあった。
「ほら、窓のところ。カラスがこっち見てる」
ロゼの指さした先には、窓の外から中を窺う一羽のカラスがいた。二人の視線に気づき、ひと鳴きした後、かつかつとガラスをつつく。「あれってノック?」とロゼが首を傾げた。
「毎朝、飛んできてるカラスかな? どうしたんだろ」
「……食べ物のにおいにつられたんじゃないかい」
ステラはそう言いながらもエプロンを脱いだ。脱いだものを適当に丸め、テーブルの上に置く。それから、炒ったばかりのヒマワリの種を数粒だけ皿にうつした。
「んまま、ちょっとおやつでもあげてこようかね」
「えっ、ずるい! 私も行く!」
「……ロゼあんた、カラスが怖くないのかい」
そう言われ、ロゼはカラスへと目を移した。体長五十センチほどのハシボソカラスは、ロゼの気を引こうとしているのか、右に左にステップしている。
「カラスって怖いの?」
「死をつかさどるだの、死体の肉をあさるだの、色々と言われてるんだろ」
「でもステラさん、ヒマワリの種あげようとしてるじゃない。お肉じゃなくて」
ロゼに言われ、ステラは自分の持つ皿を見た。催促するようなカラスの声が、外から聞こえてくる。
「私もね、昔、教えてもらったの。カラスはお肉も食べるけど本当はナッツが好きなんだって、おか……」
一瞬、言いよどんだ。ステラがロゼの顔を見る。ロゼはすぐさま居住まいを正し、笑顔を作った。
「お母さんが、教えてくれた」
「……そうかい」
「うん。お母さんも、カラスにナッツあげてたよ。ヒマワリの種じゃなくて、くるみだった。くるみ五粒」
ふうん、とステラは呟いた。ロゼははにかみ、眼帯をいじる。
「くるみとはまた大盤振る舞いだね。ロゼの母親に出会えたカラスは幸せもんだ」
ステラはそう言い切ると、ヒマワリの種の入った皿をロゼに渡した。
「あたしの代わりにやってきてくれるかい」
「ステラさんは?」
「急用を思い出したのさ、しばらく留守にするよ。――そうそう、ロゼに頼みたいものがあってね。カラスにおやつをやったら、これを採ってきてくれるかい」
ステラに差し出されたメモ用紙をロゼは受け取る。そこにはいくつかのキノコの名前が書かれてあった。この森でしか採れないものばかりだ。
「これって……」
「北の森に行けばすべて揃うはずさ。あそこにゃなんでもあるからね」
ステラの言葉に、ロゼは不安げな表情を見せる。
「私、間違えて毒キノコ採らないかな?」
「採るだろうね。アジヘンゲキノコなんかは、アジヘンゲモドキとかいうそっくりなのまであるから。んまあ、私でもこのふたつは判別できないよ」
「じゃあ、ナルとヘトに聞けばわかる?」
「あの双子が同伴してくれると思うのかい。ハクシーを連れていきな」
その言葉に納得したようにロゼは頷いた。同時に、ハクシーは自分を覚えているだろうかとも思う。ハクシーはこの村一番の物知りで、けれども酷く忘れっぽいのだ。
ロゼは外に出、待ち構えていたカラスにヒマワリの種を与えはじめた。カラスは人馴れしているのか、ロゼを見ても怖気づかず、むしろ餌をねだってきた。一粒食べる度に、ロゼの顔を見上げる。
「私のことが怖くないのね。それに賢そう」
カラスは当然だと言わんばかりに大きく鳴いた。ロゼが手を差し出すと、カラスはその手のひらに頭をちょこんとのせ、目を閉じた。ロゼは指先で、カラスの頭を撫でる。
「…………ブラッキー」
試すように呼んだ。カラスは答えない。ブラッキー、ともう一度。
カラスは、答えなかった。
しばらくロゼに身体を預けていたカラスは、何かを思い出したかのように目を開けた。ロゼから離れ、何かを伝えるように鳴く。ひとつ、ふたつ。
「うん、ばいばい」
鳴き声の意味を汲み取ったロゼが言うと、カラスは羽を広げた。北――村の内部へと飛んでいく。それを見届けたロゼは、
「あ……。今日はまだ、岩の形を見てないや」
思い出して、弁当屋の隣にある岩を見た。そして、首を傾げた。
「穴が開いてる」
昨日イルカの形をしていた岩は、鳥の形に変わっていた。飛んでいるのではなく、羽を休めているような姿。カラスに似ているが、その胸には小さな穴が開いていた。穴を覗きこむと、岩の向こうで生い茂っている木々の形がはっきりとわかる。岩肌に触れてみるが、ざらりとした感触の、つまりはどこにでもある岩だった。たった一日で穴が開くとも思えない。そもそも、形を変えること自体が奇妙なのだが。
ロゼは首をひねりながらも弁当屋に戻った。ステラの姿はもうない。エプロンと、頭に巻いていたバンダナがテーブルに並べられている。
ステラに渡されたメモ用紙を確認する。アジヘンゲキノコ、オウカンシイタケ、コラゲンシメジ、クツシタマツタケ……。
「オウカンシイタケしかわかんないや」
からのバスケットを手に取り、ロゼは外に出た。ステラに貰った合鍵で施錠する。そして、メインストリートを走り出した。デライラの店の前で左に曲がり、坂道をのぼる。
走りながらも空を見上げた。快晴だ。地面はからからに乾いている。クラゲの一匹も見当たらなければ、ブレの枯れ枝を持ち歩いているひともいない。これなら雨も降らないだろう。
ロゼは安心しながら、坂道をかけた。