カボチャと金魚
ロゼが弁当屋に戻ると、客の姿があった。その後ろ姿にロゼは声をかける。
「こんにちは、村長」
村長と呼ばれた客が振り返る。振り返ったはずみに頭の位置が少しずれ、「おおっと」と言いながらもそれを支えた。ステラよりかは小さいが、人間に比べれば随分と大きな頭だ。
村のおさ、アーク村長の頭部はオレンジ色のカボチャでできている。生まれた時からそうなのか、カボチャの被り物なのかは不明だ。ただその顔は、三角にくりぬかれた両目と鼻、そして常に笑っている口のみで構成されていた。ロゼが昔、ハロウィンの時に作っていたジャック・オ・ランタンと同じく、口はすきっ歯のような形に切り取られている。
昼でも夜でもお構いなしで燕尾服を身に纏っている村長は、ロゼを見るなり破顔した。――もとより笑っているのだが。
「やーあ、ロゼ。今日の配達も順調かな?」
「もう終わったよ。……村長、傘持ってないの?」
村長の手元を確認しながらロゼが言う。村長は細身のステッキこそ持っていたが、ブレの枯れ枝はそこになかった。ロゼは窓の外を確認する。雨はまだ、降っていた。
村長は「んっんっんー」と独特の笑い声を出した。
「忘れたのではない、家で留守番してもらっているんだ」
「でも、傘がないと濡れちゃうよ」
「そうとも。だからステラと、雑談に花を咲かせていたのさ」
「ヒマワリ? こんな時期に咲いてるの? どこ?」
きょろきょろとあたりを確認するロゼに、村長は肩をすくめた。
「……失礼。大人のジョークだよ、ロゼ」
「ったく、分かりにくい言い方してるんじゃないよ。雨宿りついでに雑談してただけさ」
カウンターで腕を組んでいたステラが口を挟む。村長が、ステラに顔を向けた。
「んっんー。逆だよステラ。雨宿りついでではなく、雑談ついでに雨宿りしている。だろう?」
「どっちでも構やしないよ。相変わらず、くだらないことを考えるひとだね」
「もちろんだとも。『面白い』ものは総じて『くだらない』のだよ」
村長は声をあげて笑い、再びロゼへと視線を落とした。その拍子にまた、頭がずれる。村長は「おおっと」と言いながら片手で頭を支えた。
「ロゼ。今日も『隣の岩』を見たかな?」
「うん」
「今日の岩は、どんな形をしていた?」
イルカ、とロゼが答えると、村長は「はっはっは」と上を向いて笑った。その振動で、またもや頭がずれる。
「――イルカ。そうか、今日はイルカか」
「イルカに見えるのはおかしいの?」
「いいやロゼ。どうやら今の君は、心やすらかであるようだ。素晴らしい」
村長は燕尾服の胸ポケットから葉巻を一本取り出した。それを口元に運ぼうとして、
「禁煙だよ。吸いたきゃ外に出な」
ステラに一喝された。
「おおっと失礼。つい、くせでね」
村長とロゼが、窓の外に視線をやる。雨はいつの間にかやんでいた。クラゲも幾分、その数を減らしている。村長がロゼの肩をたたいた。
「どうかなお嬢さん。少し、私と散歩するというのは。雨できらめく美しい村と、君のために作られた小さな海を見せてあげよう。幻想的な散歩コースさ」
「え、本当? ここから海が見えるの? すごい!」
「……失礼。大人のジョークだよ、ロゼ」
「単なる水たまりだろう。足元注意って言ったらどうだい」
二人の会話を聞いていたステラが、呆れたような声を出した。
ロゼは、村長とともに店を出た。どこに行くでもなく、メインストリートを並んで歩く。村長は、杖で地面の感覚を確かめているようだ。舗装されていない道には無数の水たまりができていた。まれに杖の先でぐちゃりと音がして、その度に村長が右に左に蛇行する。
「ロゼ。近くにヒイロキンギョはいるかな?」
火のついていない葉巻を片手でもてあそびながら村長が言う。ロゼは周囲を見回した。クラゲと同じように宙を泳ぐヒイロキンギョは村のあちこちにいて、けれどもこういう時に限ってその姿はない。
「いないよ、村長」
「んっんー……。私の身長では見えなくとも、ロゼの身長なら見える場所にいるかと思ったのだが。実についていない」
村長は葉巻をすきっ歯の間にねじこみ、固定した。それを見ながらロゼが言う。
「村長その葉巻、いつものと違う?」
「おお。さすがは違いの分かる女、ロゼ。君の言う通りだ」
歯の間に差し込んだばかりの葉巻を抜き、村長は笑った。
「これは最近、人間のあいだで流行っている葉巻だそうだ。私もまだ吸ったことがないのだが、香りがいいと評判でね。さすがに、葉巻はまだ君には早いが……」
「村長、『下』におりたの?」
ロゼの声色の変化に気づいた村長は、頭をゆっくりと振った。
「いいや、ロゼ。この姿で『人間の多い町』に行くのは難しいだろう。パンプキンパイにされてしまう」
「じゃあ……」
「ただのもらいものさ」
村長は再度、葉巻を歯の間に挟んだ。それから数歩あるいたところで、「下か」と村長は呟いた。
「その言い方もおかしなものだ。空同様、地面も繋がっているのだよロゼ。たとえ海があろうとも、その下で必ず繋がっている。森であっても山であっても、世界の中心でも果てであろうとも。本来は上も下もないのさ」
「……」
「本来は上も下もない。なのに、住む場所によって優劣が決まるのもおかしなものだ」
村長はそこでロゼの表情を確認し、彼女の頭に手をのせた。
「失礼、君のことを言っているのではない。……いや、この言い方もおかしいな。君『だけ』のことをさしているのではない。結局は我々も、境界線のことは気にしている。人間が我々をこの森に追いやったのではなく、我々が人間を森の外に追いやっているのかもしれない」
「……でも、追放しないと人間はこの森――ここに住むひとたちにひどいことをするじゃない。今でもきっと、この村を狙ってる」
「ああそうだ。私は、そんな人間からこの森と住人たちを守りたい。森には、人間とあまり仲良くできない生き物が多いからね」
しかし、と村長は続けた。
「人間を悪者扱いするのは、また別の話だろう。私の最終的な願いは人間との共存だよ、ロゼ。できるなら仲良く、それが無理なら干渉しあわない。しかし『干渉しない関係』と『理解しない関係』は、これまた違う問題だ」
ロゼは眉根を寄せた。
「村長、難しい」
「そうとも。しかし、私の話が難しいのではない。世界が難しいのだ。すべてを理解するには、何千年あるいは何億年あっても足りないだろう。この世は複雑怪奇、謎だらけだ。けれども実際はとても単純、『すべてのもの』は同じ方向に動いている」
「……どこに向かってるの」
村長はロゼの顔を見て、ふうっと息を吐いた。
「生と死だ」
ロゼがますます、難しい顔をつくる。
「生きるのと死ぬのは正反対じゃない。北と南くらい正反対」
「いいやロゼ、このふたつは同じ方向だ。同じ方向ではあるが、まったくの別物なのだよ」
「……村長、難しい」
「そうとも。だからこそ、この世のすべては素晴らしいんだ」
そこまで話したところで、二人の前を赤いものが横断した。身体よりも尾ひれの方が大きい金魚だ。ゆったりと宙を泳ぐ二十センチほどの金魚に、村長が「失礼」と声をかけた。
「火をいただけるかな」
村長にそう言われた金魚は二秒ほど沈黙したのち、「ポ」という声とともにシャボン玉を吐き出した。虹色の球体はふわりふわりと村長に近づき、葉巻の先端に当たってぱちんとはじける。葉巻にぽうっと火がともった。
「助かったよ、どうもありがとう」
嬉しそうに、村長。その言葉を確認し、金魚はふわふわと泳ぎ始めた。いつものそれとは違う香りを楽しむように、村長は白い煙を吸い込む。
葉巻を吸うジャック・オ・ランタン。その姿を見て、ロゼはくすりと笑った。
「村長、目から煙が」
「……目と口は繋がっているのだよ、ロゼ」
ふうーっと息を吐きながら、村長は言った。葉巻をくわえても、煙を吸っても吐いても、その口の形が変わることはない。
「ところでロゼ。君がここに来てから三か月が経ったとのことだが、村の生活には慣れたかな?」
メインストリートの端、デライラの店の近くまできたところで村長が言った。一時間前、一枚の葉もつけていなかった巨木には、緑が目立っている。村を守っているこの木は、雨が降った時にだけ葉を見せるのだ。
この木を中心にぐるりとUターンすれば坂道があり、そこをのぼれば村長の家がある。廃墟のようなその家の様子を思い浮かべながら、ロゼは頷いた。
「毎日楽しいよ。みんな優しいし、親切だし……あっ」
「うん?」
「えっと……キバとはあんまり仲良くない、かも……」
それを聞いた村長はしばらくの間キョトンとし、彼にしては豪快に笑った。
「え、なに? 私、おかしなこと言った?」
「いいやロゼ。君は今、素晴らしいことを言ったんだ。……そうか、キバと仲が良くないか。私にはもう二度と言えない言葉かもしれない。素晴らしいよ」
ロゼが怪訝な顔をする。
「仲が悪いのが素晴らしいことなの?」
「んっんー、それは違う。その視野の狭さが愛おしいと言っているんだ。試しにステラに、同じことを言ってごらん。きっと彼女は笑い飛ばすだろう。そして言う。『若いってのはいいねえ、面倒くさくて』。んっんっんー、目に浮かぶようだ」
村長はステラの声真似をし、一人で納得する。一方のロゼは、眉間に皺を寄せたままだ。
「……えっと、面倒くさいのがいいの?」
「ステラの言う面倒くさいは、そういう意味の面倒くさいではないのだよロゼ。君の言う面倒くさいは本当に面倒くさいもので、我々の言う面倒くさいは価値のある面倒くささ、と言えば通じるかな? 考え、悩み、挑むにふさわしい面倒くささだ」
「……村長、難しい」
「そうとも。だからこそ素晴らしいのだ。その案件は、『今の君』にしか悩めないことだからね」
村長はそこで言葉を区切ると、眼前を泳いでいた青色の生物――ルリイロキンギョに声をかけた。短くなった葉巻の先端を、金魚に近づける。
「失礼、火を消してくれるかな」
金魚はぱかりと口を開き、「パ」という声とともにシャボン玉を吐き出した。ふわふわと飛行したそれが葉巻の先端に当たってはじけた瞬間、ぱしゃりと音を立てて水に変わる。そうして、葉巻と村長の足元を濡らした。村長は「助かったよ、どうもありがとう」と丁寧な口調で礼を述べた。
「……キバとのことはゆっくりでいいが、そのまま終わるべき話でもない」
濡れた葉巻をそれ専用の箱に入れながら、村長は言った。
「私からはあえて何も言わない方がいいのだろうが……ロゼとキバは本当に仲が良くないのか。その問題について考える前に、問題文を読み返すべきだろう。問題文が正しいとは限らないからね」
「そうなの?」
「ああ。まあ、答えを焦らないことだ。しかし、避け続けないように」
そろそろ弁当屋に戻ろうか、と村長が言う。ロゼは頷いた。
談笑するふたりの頭上に、一羽のカラスがいた。雨が降り止むのを待っていたらしい。細い足で器用にバスケットを掴み、口には大きめのガラス玉をくわえている。
カラスは、余計な音もたてずに飛んでゆく。
まっすぐ、まっすぐ。
村の下、人間が息する町へと向かって。