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 デライラの店を出たロゼは、村の北西へと向かった。村の端にある『のっぽの木』を目印に、森の中へと入る。そこからは、木々につけられた爪痕を道しるべに歩いた。本来ならばマーキングのために付けられた跡だが、ロゼにとっては洞穴に向かうためのちょうどいい矢印だった。

 名前も知らない木々の間を歩き続けると、やがて洞穴の前に出てくる。湿った土と緑のにおい。そして、獣のにおいが充満する場所。そこがキバの棲み処だった。

 ロゼはバスケットを抱え直し、大きく深呼吸して、


「――叫ぶなよ、うるさいから」


 キバを呼ぼうとするその前に、背後から制止された。

 ロゼはバスケットを抱えたまま慌てて振り返る。そして、視線を下に移した。赤茶色の髪に思わず微笑む。


「……キバ、また小さくなった?」

「うっせー。次にそれ言ったら噛みついてやるかんな」


 犬歯をむき出しにして、少年がロゼを睨みつける。しかし、迫力はなかった。頭にはえた狼の耳と、言葉とは裏腹にぱたぱたと振られた尻尾が、唸り声を中和してしまっている。

 狼男と聞いた時、ロゼはどんな大男なのだろうかと考えていた。狼男が巨人だという噂はなかったが、小人という想像もしがたい。しかし実際に出会ったキバは、ロゼよりも小さかった。いや、そういうと語弊があるだろう。


 彼の身体は、成長おとな退行こどもを繰り返しているのだ。


 キバの身体は、新月の夜に最も『幼く』なる。身長は百四十センチに届かず、年齢にすれば十歳ほど。精神年齢まで幼くなることはないが、獣の耳と尾のせいで、愛らしい生物には見える。声も高くなるため、他の狼に舐められるのもこの時期だ。

 その新月の夜から毎日、キバの身体は成長する。成長の速度は、一日で人間の半年分。厳密には『夜の零時ぴったり』に、半年分一気に成長するようだ。

 そうして新月の夜から二週間後には、十七歳の身体になっている。キバの実年齢をロゼは知らないが、恐らくは『十歳』ではなく『十七歳』の方に近いのだろうと考えていた。この時期のキバは精神的に安定しており、今日のようにロゼにつっかかってくることもない。

 そして十五日目。満月の夜、零時。

 ――キバは、本物の狼男に変貌する。


「そっか、もうすぐ新月なんだ」


 ロゼが思い出したように言い、キバはそっぽを向いた。満月の夜が過ぎれば、新月に向けて幼くなっていく容姿。


「この前まで私より大きかったのにね。不思議」

「用事がないなら帰れよ。今から狩りに行くとこなんだ」


 キバの声に呼応するように、十頭ほどの狼が洞穴から姿を現した。キバのそれとは違う、銀色の身体。しかし彼らはキバを仲間外れにする様子も見せず、ロゼに対しても友好的だった。


「ごめんね。今日はあなたたちの分はないの」


 ロゼはそう言いながら、バスケットをキバに向けた。


「お弁当と新しい服。服はデライラさんが」

「……頼んでねーし」

「でも要るでしょ?」


 キバの着ている服を見ながら、ロゼ。白かったのだろうシャツは汚れ、ところどころがほつれていた。汚れはもちろん、頻繁に体格が変化するのも問題だ。そのせいで洞穴には常に、子供服から成人男性用のものまで取り揃えてあった。

 服について反論できなくなったキバは、バスケットのにおいを嗅ぎ始めた。


「……俺は狼に育てられたんだぞ。肉しか食わねーってババアに言っとけ」

「でも、色んなものを食べられるようになった方がいいってステラさんが」

「知るか。トマトなんか食う必要ないだろ」


 その時、ぐおぅと何かが低く鳴いた。


「……」

「誰か唸った?」


 周囲にいる狼にロゼが確認する。狼は全員、キバの方を見た。

 ぐおぉ、ともうひと鳴き。


「……誰か唸った?」


 キバの腹を見ながらロゼが言うと、「うるせえ!」とキバが叫んだ。


「は、腹の調子が悪いだけだ! トマトなんか食うか! コウテツジツなんか知るか!」

「香りだけでそこまで分かるの」

「うっ……うっさいんだよ! さっさと帰れクソ女っ!」


 キバはロゼからバスケットをひったくり、洞穴へと全力で走り出した。その耳はせわしなく動いており、明らかに動揺しているようだった。


「……それでもバスケットは持っていくんだ」


 その場に置いていかれたロゼは苦笑する。キバに弁当を渡して良い顔をされたことはない。が、突き返されることもなかった。大抵は今日のように、ぎゃあぎゃあ喚きながらもちゃっかり受け取っていく。そして後日ここを訊ねると、洗われた弁当箱が洞穴の前に置いてあるのだ。

 村に帰ろうと踵を返すロゼの前に、一頭の狼が現れた。白銀の身体は他のどの狼よりも大きく、群れのリーダーであることがロゼにも伝わってくる。その隣にいるメスの狼が、群れのナンバー2であることも一目瞭然だった。


「アルフ」


 群れのリーダー、キバにとっては父親でもあるその狼の名前を呼ぶ。アルフはうぉん、と低く鳴いた。いつもうちの息子がすまん、とでも言いたげだ。

 連れのメス――ファルが、ちゃっちゃっと爪の音をたてながらロゼの近くにやってきた。口には、一本の枯れ枝をくわえている。


「これ、ブレの木?」


 枯れ枝を受け取ったロゼが訊ねると、ファルは小さく鳴いた。


「もうすぐ雨が降るのね?」


 狼はその鼻で、雨の匂いを感知する。あるいは仲間の遠吠えで、天気を知らされる。五キロ離れた場所にいる仲間の声でも聞こえると、以前キバが言っていた。

 ロゼは礼を言い、狼たちの頭を撫でた。目を閉じるその姿は犬のようだが、彼らが散歩をねだることはない。アルフの一声で、統率された群れは一斉に動き出した。唯一、ファルがロゼを振り返り、小さく鳴いてから姿を消した。

 狼を見送り、ロゼはふたたび森に入る。来た道を戻っていると、ぽつりと冷たいものが頬に当たった。空を仰ぐ。


「降ってきた!」


 木々で覆われていようとも、雨が完全に遮断されるわけではない。恐らくは『外』よりも弱々しい、けれども身体を濡らすには充分な雨が周囲に降り注ぐ。ロゼは、狼からもらった枯れ枝の先端を空へと向けた。

 ――この森には、雨の時にだけ現れる不思議なクラゲがいる。

 彼らは雨が降るとどこからともなく現れ、空中を浮遊する。無音でふわふわと。透明な身体のところどころに、黄色や水色の模様を浮かばせて。形はミズクラゲに似ており、直径は一メートルを超える個体がほとんどである。

 そしてそのクラゲには、奇妙な習性があった。


「よろしくね」


 枯れ枝に近づいてきた一匹のクラゲに、ロゼが声をかけた。クラゲは、ロゼの持っていた枯れ枝の先端にふわりととまる。それを傘代わりに、ロゼは歩き出した。

 雨が降ると現れるこのクラゲは、何故か枯れ枝の上にとまる。それもただの枯れ枝ではなく、『ブレ』という木の枝にしかとまらない。つるりとしたクラゲの身体は雨をよくはじき、村の住人は全員、これを傘代わりにしていた。

 クラゲの存在を初めて知った時、ロゼはその便利さに感動した。傘を忘れ、突然の雨に濡れることがない。しかしステラには「あんたね、ブレの枯れ枝を忘れたら結局ずぶ濡れになるんだよ」と一蹴された。事実その三日後、ロゼは枯れ枝を忘れ、ステラの言葉通り雨にうたれている。その時、できる限りクラゲの下を歩くよう努力してみたが、クラゲには露骨に避けられた。自由に浮遊しているくせに、枯れ枝を持っていない生き物は嫌うらしい。


「すぐにやむかな」


 空の色を確認しながらひとりごちる。クラゲは何も言わない。彼らは雨とともに現れ、雨と共に去っていく。それだけだった。クラゲがどこからやってくるのか、あるいはどこに帰るのかは、村の人間ですら知らない。

 ただ、この森でしか生息できないことは確かだった。



 ロゼが森を抜ける頃になっても、雨はまだ降っていた。


「……昔は雨が嫌いだったんだけど、今は好き。あなたのおかげね」


 頭上のクラゲに話しかけ、前方を見る。

 そこには、色とりどりの家屋で構成された村と、無数のクラゲで飾られた透明な世界があった。



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