ロゼの戦い
午前零時前。
森の中をロゼは走っていた。ヒカリキンギョのシャボン玉が少ないせいで、視界が悪い。木の根に足を取られ転びそうになるのをなんとか堪えた。
――お前、走るの遅いんだから。
キバの言葉を思い出す。確かにロゼは走るのが得意ではなかった。しかしそれは身体能力の問題ではない。『脚が重いから』だ。ロゼは自身の右脚、そこに装備していたナイフを一本抜いた。腿はもちろん、脛にもブーツにも、武器は備え付けられている。ヒルトが軽量化してくれているとはいえ、小さなロゼにとって重いことに違いはなかった。
――……大きな剣が一人、細い剣が二人。
人間の持っていた武器を思い返し、ロゼは自分のナイフを見た。先日ステラから譲り受け、ヒルトに細工をしてもらった武器。片側は普通の刃だが、もう片方はかえしのついた櫛状の刃になっている。
ヒルトからこれを渡された時、思わず「邪悪な見た目だね」と言ってしまったことをロゼは思い出した。ヒルトは「芸術的だとも思うのですが」と呟いてから、どこか寂し気に笑った。
――このナイフが邪悪なのではなく、人間の武器が邪悪なんですよ。
それも違うのかもしれない、とロゼは思う。
武器が邪悪なのではなく、それを使う心が邪悪なのだ。
――このナイフは、『復讐』のためには使わない。
足元を確認しながら、ロゼは再び走り出した。デライラたちの仕組んだトラップらしきものは見当たらない。主に北の森に仕掛けると言っていたし、東側にはあまり用意していなかったのだろう。仮にトラップを見つけられたとしても、どういう仕掛けになっているのかを詳しく聞いていなかった。戦闘はしない村人としてカウントされていたからだ。
自分がトラップを利用して、敵をはめるのは難しいだろう。ロゼは唇を噛んだ。
難しくても不可能に近くても、――守られる立場はもう嫌だ。
「おらぁ!」
サーベルを持つ中年が木陰から飛び出してきた。ロゼはあわててその攻撃を避け、体勢を崩したままで発砲する。中年の兵士がダメージを喰らった様子はない。
至近距離にも関わらず攻撃をはずしてしまったことに、ロゼはショックを受けた。
訓練と実践だとこうも違うのか。
ロゼの拳銃にこめられているのはゴム弾で、たとえ至近距離から受けたとしても死ぬことはない。ただ、当たれば相当痛いだろうとヒルトは言っていた。
――殺傷能力のない拳銃ですから、防具は狙わないでくださいね。
ヒルトがリボルバーをいじりながら言った。
――狙ったところで貫通しませんから、相手はダメージを喰らいません。むしろ跳弾して、自分に跳ね返ることの方が恐ろしい。防具で保護されていない箇所を狙ってください。
難しい注文だった。銃器の初心者にとって、一番狙いやすいのは胴体だ。ヘッドショットは狙わなくていいわよ、とデライラにも言われている。
――初心者が狙いたがるけど当たらないのが、頭なのよねえ。
中年の兵士と対峙しながらも、ロゼは周囲への警戒を怠らなかった。
残り二人は、とすべての神経を集中させる。
視界は悪かった。村の中に比べてシャボン玉の量が圧倒的に少ない。東の森には広葉樹が多く、月の光をも遮っている。密集している木々、叢。
近くで何かが光ったのを、ロゼは見逃さなかった。
「――っ!」
とっさに上半身をひねり、斬撃をかわす。攻撃してきたのは老兵だった。彼の持っていた剣は大ぶりで重く、両手でなければ扱えない。故に、斬撃と同時に違う攻撃をしてくることはまずない。中年男性に注意しながら二人と距離をとる。
……投げナイフの練習をちゃんとしておけばよかった。
ロゼは内心で悔やんでいた。デライラが最も得意とするのが投げナイフだったのだが、ロゼはそれがとてつもなく苦手だった。いくら投げても、刃先が標的に刺さらない。慣れれば便利なんだけどねえ、とデライラは苦笑した。
デライラならば今、老兵からの攻撃を避けながら中年男性にナイフを投げられていただろう。なのに自分は攻撃を避けるので精いっぱいだ。
ロゼは卑下しながら、兵士二人の武器を再確認した。中年兵士がサーベル、老兵がツーハンデッドソード。ヒルトの説明を思い出しながら、自身の手元にあるナイフを見る。狙うのなら中年の兵士。もしくは――
「うわぁぁああぁあああぁぁあああぁぁ!」
中年兵士と同じサーベルを持つ、青年。
ロゼは振り返った。青年が剣を振り上げているのが見える。だが、その光景にロゼは目を丸くした。
青年は、抜刀していなかったのだ。
「新兵なにしてる!」
ロゼと同じタイミングで気づいた老兵が叫んだ。ただの棒であるそれの攻撃をかわしたロゼは、三人の位置を確認してさがる。
「鞘の付いた刀を振り回す馬鹿がどこにいるか!」
「し、しかし彼女は……僕と話せていました。彼女はっ」
「黙れぇ!」
老兵がロゼを指さした。
「あの目を見ろ! 赤色の目を持つ人間を、お前は見たことあるのか!」
「い、いえしかし」
「赤色の目は鬼の象徴! 子供でも知っとることだ! 分かったらさっさと抜刀せんか!」
鬼に喰われたいのか、と中年男性が付け足す。
ロゼは息を吐いた。赤目の人間が前代未聞なら、拳銃を扱う鬼もまた前代未聞ではないだろうか。
けれども、怖がっているのなら。
「……私が怖いのなら早く帰ってよ」
パイルと充分距離が開いたことを確認し、ロゼは言う。
「さっきは発砲してごめんなさい。あなたたちがこのまま出て行ってくれるのなら、私ももう何もしない。お願いだから出て行って」
兵士たちが逡巡した。しかし、老兵がすぐに返事をした。
「なるほど、人語を話せるとはこういうことか。油断させるために」
老兵が笑う。ロゼは再度口を開き、けれども何も言わなかった。
自分が何を言っても、きっと届かない。
「人語を話す鬼だ。……分かったら刀を抜け、新兵」
老兵の鋭い声。それに押されたように、すらりと抜かれる剣。
ロゼは息を整えた。自分一人でこの三人を追い払わなければならない。相手は銃を使えないとはいえ、男三人だ。近距離での戦闘だと銃より剣の方が有利なのも確か。
ロゼは短く息を吸い――
「うわっ!」
青年に向かって突進した。
迷いがあるうえ怯んだ青年の反応は鈍い。残りの兵士二名がロゼに向かって剣を振った。しかし、青年が近くにいるため振り下ろす角度が決まってくる。ロゼは切っ先を見た。デライラよりもはるかに遅い攻撃。見切る。避ける。
息を吐いて、ロゼは青年の右手を確認した。こちらに向かって剣を振り上げている。――しかし、
「迷いのある剣は避けやすいって、デライラさん言ってたよ」
素人のような攻撃をたやすくかわす。力任せに振りおろした青年の剣は地面に刺さった。
ロゼはそれを、見逃さなかった。
持っていたナイフの櫛状の刃――それの凹凸を青年のサーベルにかます。そうして、
「な、やめっ……」
一切ためらわず、ナイフを持つ手首をひねった。
バキン!
どこか小気味のいい音と、二つに割れる銀色。
青年のサーベルはいとも簡単に、真っ二つに折れた。
――ソードブレイカーってやつです。
ステラから貰ったナイフ。それを改良したヒルトが愛おしそうにナイフの刃を撫でた。
――普通の刃と、櫛のようになっているところがあるでしょう。剣を折る時はこっちの櫛状の部分を使います。一般的なソードブレイカーより短くて小ぶりですが、なかなかいい素材のナイフでしたからね。サーベルくらいなら難なく破壊できるでしょう。……詳しい戦闘技術は、デライラさんに。
呆気にとられる青年と、使い物にならないサーベル。
ロゼは確かな手ごたえを感じながら、老兵たちへと目を向けた。当然、追撃してきている。中年はともかく老兵の方は、迷いも焦りもなさそうだった。ロゼが持っている武器を見た時から、先を予想できていたのだろう。
中年兵士からは距離を置き、老兵の攻撃をかわす。
反撃するなら今だ。
ところが、攻撃がはずれるやいなや老兵は剣から左手をはなした。腰にさしていた何かを引き抜く。
「――っ!」
老兵の手にあるそれが、数少ないシャボン玉の光を反射して光る。ロゼにはそれがはっきりと見えた。
投げナイフが三本。
老兵の攻撃は早く、的確だった。回避する暇を与えずそれらをロゼ目がけて投げる。小さなナイフは露出していた右の腿と、左腕をかすめた。かすめる程度で済んだのは、ロゼが瞬時に反応したからだろう。
ロゼはすぐさま兵士たちから距離をとった。血液がいくらか地面に飛ぶ。
老兵が一番強いな、とロゼは思った。痛む左腕を押さえる。服が濡れているのが分かった。
確かに強いけれど一人の武器は破壊したし、どうにか自分一人で――。
ロゼがそう考えた時だった。
「……はは」
小さな笑い声が聞こえた。ロゼはあわててその方向に顔を向ける。
そこにいたのは見知らぬ兵士だった。垂れ目が特徴的で、何故だか捨てる直前の靴のようなにおいがする。ロゼから見ても、彼は情けない顔をしていた。そしてこれまた理由は不明だが、全身が土で汚れていた。
「なんだその赤い目。なんなんだよこの森はぁ……」
垂れ目の兵士は弱々しくそう呟き、更にはおいおい泣き出した。ロゼはもちろん、仲間であるはずの他の兵士ですらその姿にぽかんとした。
しかし、泣いていた兵士はやがて笑い出した。泣きながら、笑いだした。
「もう知らねえよ、隕石でも赤目でもなんでも来いよ馬鹿野郎!」
開き直ったらしい垂れ目の兵士は勢いよく抜刀した。予期せぬ増援に、他の兵士たちも威勢を取り戻す。
ロゼは、自分の置かれた状況を再確認した。
兵士が四名。サーベル二名、ツインハンデッドソード一名、武器を破壊された兵士が一名――。
剣を折られた青年はロゼと目が合うなり、先のなくなった剣を地面に落とした。
そして、小型のナイフを取り出した。
悲しい顔をしていた。悲しい目をしていた。
青年が。もしくはロゼが。あるいは両方が。
「――……っ」
ダメだと判断した時は?
デライラの声が脳裏に響く。ダメだと判断した時は。
……左脚。
ロゼは、左腿に装備していた銃を抜いた。




