隠していたもの
ヒルトたちの目をかいくぐり、北へと進む兵士たちがいた。
かいくぐったという表現は正しくない。ヒルトたちはもとより、自分たちだけで敵のすべてを倒せるとは思っていなかった。力量が違うとは言え、物量も違う。一人で複数を相手すれば、数名取りこぼしてもおかしくないでしょうとヒルトは前もって言っていた。
相手が自分たちに向かってくれば絶対的に倒せるが、最初から『自分たちの隣を通り過ぎるつもりの人間』がいるならば、
「――深追いせず、素直に他の方々にお任せしましょうか」
ヒルトはゆったりと言い、素早く敵を切り捨てた。
奇妙な建物の前にいる、奇妙な生き物を見て、兵士たちは足を止めた。
建物はとてつもなくカラフルだった。屋根瓦は一枚一枚、色が違う。その奇抜なデザインの建物に寄りかかるようにして、一人の青年が立っていた。
「……思ったよりも多いな。しかも遅えよ」
待ちくたびれた、といった様子で青年は人間たちの前に立ちふさがった。その耳と尾を見て、兵士たちは困惑を顔に浮かべる。
この村に狼男がいる、という情報は入っていた。目の前にいるやつがそれで間違いない。
だが、『青年』だとは聞いていなかった。
「狼男はチビだと思ってたか」
見透かしたようにキバが言った。兵士たちは頷きかける。
「この前、お前らと遭遇したのが新月に近かったからな。ガキに見えただろうけど――こっちが本当の俺の姿だ、町に帰ったらちゃんと報告しとけよ!」
キバが言い切るとともに、四方から銀色の狼が飛び出した。恐れることなく、真正面から人間に襲い掛かる。一頭が足に噛みつき、その隙にもう一頭が首を狙う。
十数頭の狼、それの猛攻に兵士の一人が腰を抜かした。
「お前ら、零時までに終わらせるぞ!」
キバが狼たちに向かって叫ぶ。うぉう、と応じたのはアルフだった。
零時になればキバの姿が変わることも、彼がその姿を人前にさらしたくないことも。狼たちはそのすべてを知っていた。
キバが、剣を握る敵の拳を蹴りあげる。人間が武器を手放したところで、ファルがその腕に噛みついた。兵士が咄嗟にファルを蹴り飛ばす。きゃいん、と小さく鳴いてファルは倒れた。が、すぐに起き上がった。
他の狼たちの動きを目の端で追いながら、キバが指示を出す。
「シータ、ガンマはファルと合流! 他の奴らも手負いの仲間がいたらフォローしろ! ラムダ、『坂の上』に行こうとする敵は追わなくていい、どうせ『行き止まり』だ!」
狼たちが吠えた。結託している獣に、兵士たちがひるむ。
「か、数が多すぎます!」
「くそっ、この野犬どもめ!」
「野犬? お前ら、おべんきょーはできるくせに犬と狼の区別もつかねーのかよ!」
キバが兵士の一人を殴りながら言った。
「もしかして、狼男は一人で行動してるってイメージしてたのか? 一匹狼とか言うんだろ、そういうの。……だとしたら悲しい誤解だな」
傷ついたファルを庇うようにして、二頭の狼が近くの人間に反撃した。
「本当は、狼ってのは仲間想いなんだ。群れで行動するくらいだからな。お前らだって大好きなんだろ、義理とかにんじょーとかは。狼にだってそういうのはあるんだぜ」
二頭の狼が薙ぎ払われる。ファルがその人間へと立ち向かう。
「――俺たちは。死ぬまで誰かのために戦い続ける生き物だ」
キバは、北の森を一瞥した。
そこにいるだろう守るべき誰かを、思い浮かべながら。
ロゼは足元を見ながら、東に向かって歩いていた。
適当な場所で青色のキノコをひとつ、地面に置く。以前食べた、ベリー味のキノコだ。
振り返れば、自分の歩いた道筋にてんてんと青いしるしが見えた。前回ハクシーと来た時は気づかなかったが、発光しないはずの青色のキノコは、夜の森でもはっきりと『青』だと認識できた。黒い画用紙に、青色の絵の具をたらしているように。
ロゼは前方を確認した。藪の一部が東に向かって倒れている。獣道にしては新しく、頼りない細道だった。
まるで、子供が一人で通ったような痕跡だった。
このまま東へ進めば、川に出るはずだとロゼは思った。デライラの店の近く――ヒルトの家に行くための橋は何度も通るが、この近辺はまったくといっていいほど来たことがない。このままではパイルと一緒に自分も迷子になるだろう。ロゼは新たなキノコを地面に落とした。
さあさあと細やかな音が聞こえてきたのは、歩き始めて五分ほど経った頃だった。見ると、川が森を横断するように流れていた。月の光を反射して、光の粒がきらきらと水の表面を飾っている。この川が村を――ステラの店の裏側を流れているものと同じであることは、ロゼにもすぐに分かった。右側を見ると、丸太が橋のように渡されている。
その先に、小さな人影があった。
「パイル!」
控えめに、ロゼは叫んだ。その声に気づいたパイルが勢いよく振り返る。
「ロゼお姉ちゃん!」
パイルはロゼに近寄ろうとして、けれども丸太の前で立ちすくんだ。半透明の身体を震わせている。
向こう岸にいるパイルに、ロゼは話しかけた。
「パイル、何してるの? お母さんのそばにいなきゃだめでしょ」
「お散歩。ナルとヘトもしてた」
「あの二人は森に慣れてるんだよ。でもパイル、ここに来たことないでしょ」
「……うん」
パイルはうなだれた。反省しているらしい。ロゼは安堵の溜息をついた。
「でもよかった見つかって。ほら、こっちにおいで。一緒に帰ろ」
「……丸太、こわい」
「えっ」
ロゼは橋がわりになっているらしいそれを見た。ところどころ、皮が剥げている。確かに滑りやすそうだ。
「でも、そっちには渡れたんでしょ?」
「もう一回渡るの、こわい」
パイルが涙目で訴える。足は内股気味で、前に進む気配を見せない。
ロゼはしばし考え、
「……分かった。今から私、そっちに行くから。そのあと二人で挑戦しよう。二人だったら怖くないでしょ?」
「うん!」
元気を取り戻したパイルに苦笑しながら、ロゼは丸太の上を歩いた。大人一人がギリギリ通れる程度の幅で、二、三歩進むたびにがくりと視界がぶれる。思ったより酷いと言いながら、ロゼは丸太の表面を見た。どうやら腐りかけているようだ。
「……お姉ちゃん」
両手でバランスを取りながら丸太の上を歩くロゼに、パイルが言う。
「お母さん、怒ってた?」
「ううん、心配してたよ。パイルをずっと探してた」
「ほんと?」
「うん」
パイルはもじもじとしながら、不安げに言った。
「……人間、もう来てるんだよね? 見た?」
「ううん、全然」
パイルは人間を見たことがない。だから憧れてもいたし、同時に恐れてもいた。人間があまり、自分たちにいい印象を抱いていないことを知っていたからだ。
ロゼは岸に着地した。半透明のパイルの手が、ロゼのスカートを掴む。スカートの生地が透けている小さな手を見ながら、ロゼは彼の頭を撫でた。
「さ、早く帰ろ」
「橋、一緒に渡って」
「うん。でも横を歩くのは難しそうだから、私はパイルの後ろを歩くね。パイルがおっこちないようにちゃんと見てるから。ね?」
ロゼが言うと、パイルは頷いた。小柄なパイルが丸太によじ登るのを両手で支える。そして、
「じゃ、帰ろっか」
ロゼがそう言った時、
「――ったく新兵。てめえのせいで迷子になったんだぞ。だからあれほど列を乱すなと言ったろう」
「妙なシャボン玉のせいで銃が使えなくなって、すっかり不安になってんですよこいつ」
聞き覚えのない声と、不安定なランタンの光が届いた。
――人間だ。
パイルよりも早くそれを悟ったロゼは、彼の背を軽く押した。
「パイル、早く渡って。焦らないで、でも急いで」
「え、お姉ちゃんは?」
パイルがロゼを見る。しかし、パイルの目が真っ先にとらえたのは、木々の隙間から現れた兵士たちだった。プレートアーマーが、ランタンの光を強く反射している。
パイルがロゼの腕を引っ張った。ロゼと兵士が互いの位置を、姿を認識する。
「化け物だっ!」
先に叫んだのは人間だった。各々が武器を構える。しかし、兵士の一人が戦意を喪失したような顔をした。
「きみっ……」
ロゼを見て放心しているのは、他の誰よりも若い兵士だった。その金色の髪を、ロゼも覚えていた。数週間前、森の中で出会った青年。
――魔女だよ! 子供をさらう化け物!
「新兵、あれを知ってるのか?」
金髪の彼を見ながら、老兵が言う。「先日、女の方を森で見ました」と青年は素直に言った。
彼女は、人間です。
「人間の姿をしているだけだろう。ゴーストと仲のいい人間など、聞いたこともない」
老兵が一蹴した。青年は「まさか」と声を震わせる。彼女は町にいてもおかしくない、ごく普通の人間だった。一部が白くなっている髪と眼帯が少し奇妙だと思っただけ。キノコ狩りにきたのだと、確かに言っていた。
「そんなっ……」
にわかには信じられない、といった様子で青年はロゼを見た。ロゼもまた、青年を見ていた。しかしやがて諦めたように、ロゼはふっと息を吐いた。自分の服を握っている、パイルの手をそっと引きはがす。そうしてパイルを不安にさせないよう、なるべく優しい声を出した。
「パイル。丸太を渡ったら、青色のキノコを目印にして歩くんだよ。そうしたら、お母さんのところに帰れるから。他のキノコは見ちゃだめだからね」
「お姉ちゃんは? お姉ちゃんも一緒だよね?」
「私は……」
ロゼは兵士を見た。老兵が一人、青年が一人、中年の兵士が一人。
三人。
「ちょっと、あの人たちとお話していくから」
「やだ、一緒じゃなきゃやだっ」
「パイル、お願いだから早く行って」
「でも」
二人が話している間に、人間たちは距離を詰めてきていた。ロゼは右脚に意識を集中させる。眼帯の紐に、指をかけた。
「……お母さん、パイルのこと心配してたよ。それにパイルがちゃんと森に戻らないと、私がお母さんに怒られちゃう」
ね、と双子のようにロゼは笑った。
パイルが口をゆがめ、
人間たちがパイル目がけて走り出し、
「パイル早く!」
ロゼが叫んだ。眼帯を素早く取り、スカートを両手で引き裂く。あらわになる、細い右脚。
――せっかく作ってもらったスカートなのに、破ってもいいの?
以前ロゼがそう言った時、サイドスリットってことでいいんじゃないかしら、とデライラは笑った。
――いいのよ。いつでも何度でも、作り直してあげるから。
兵士の足元で小さく、くぐもった音が鳴った。下を見る。地面に小さな穴が開いている。兵士たちは足を止め、ロゼを見た。そして、吃驚仰天した。
彼女の右手に握られたリボルバー式の拳銃を見て。
右脚に固定された、数々の武器を見て。
あるいは、彼女の左目――闇夜に浮かぶ真っ赤な瞳を見て。
「赤目だっ……!」
老兵が言った。
ロゼはそっと、目を伏せた。




