満月の夜
ついに「その日」がやってきた。
夜の森。その空気は妙に冷えていた。湿った土の匂いと木々の香りが周囲を覆っている。
「……人間たちはもう、村の入口にまで来ているのかしら」
北の森に避難しているひとりが、ぽつりと言った。住宅地に住むゴーストだ。透明な皮膚と、それのせいで透けている内臓が特徴的な女性は、そのすべてを隠すように黒い布をすっぽりとかぶっていた。
「もしかしたら、ボゴくんが南でせきとめているかもしれないよ」
違うゴーストが何かにすがるように言う。人間たちはこの「ゴースト」も戦闘能力があるものだと思い込んでいるが、実際彼らはロゼよりも戦う術を知らなかった。人に危害を加えることはもちろん、壁をすり抜けることすらできない。
避難したものたちは、一様に空を見上げた。綺麗な満月と、薄い雲がそこにはある。しかし、それだけが頼りだった。全員でひとつの場所にかたまり、じっとしていることしかできない。たき火も使えない。
「この森……夜は本当に暗いなあ」
誰かがぽつりと言った。彼らは普段、こんな時間に北の森には入らない。夜の森を知っているのはナルとヘトくらいだ。だというのに、肝心のふたりは「散歩に行くわ」とどこかへ行ってしまっていた。
明りの少ないぼんやりとした空間で、全員が震えていた。早くこの時が終わればいいと願っていた。
早く、人間たちが町に帰ればいいのに。
早く、人間たちと和解できればいいのに。
「……イル! パイル!」
村人のひとりの声が、全員の願いを打ち消した。違うゴーストがあわてて、彼女に注意する。
「おい、大きな声を出すな!」
「いないのよ、息子がいないの!」
「なんだと?」
全員が全員、あたりを見た。パイルというのは、村人の中で最も幼い子だ。言われてみれば、確かにいない。つい先ほどまで切株に座っていたはずなのに。
「どこに行ってしまったの、パイル、パイル!」
母親は半ば叫ぶように、息子の名を呼んだ。村人のひとりが、普段から蒼白な顔色を更に白くして言う。
「まさか、人間につかまったんじゃ……」
おい、と隣の村人がその白い顔を叩いた。
「変なこと言うんじゃねえ! おら、みんなで探すぞ!」
「みんなはここにいて」
一人が、静かな声でそう言った。全員が、そちらを振り返る。
黒のジャンパースカート。真新しい編み上げブーツ。
ロゼだった。
「みんなで動いたら危険だよ。私ひとりでパイルを探すから、みんなはここにいて」
「けどよ、ロゼちゃん。それだとロゼちゃんも危ねえし」
「大丈夫、すぐに戻るから。パイルの足じゃそんなに遠くにいけないはずだから、多分まだこの近くにいるよ」
一緒にいこうとする母親を、ロゼは制止した。
「もしもパイルがここにひとりで戻ってきた時、おばさんがいなかったら不安に思うよ。大丈夫だから、私ひとりで」
ロゼは笑って、親指をたてた。普段はしないような仕草だった。
――今度こそ、私が。
ロゼは一人、獣道を戻っていく。
冷たい月には、靄のような黒い雲が重なり始めていた。
「……来ないですねえ」
ヒルトが、雲に半分隠された月を見ながら言った。
ヒルト、ステラ、デライラ、それから村長。この四名は、メインストリートの最南端、村の入り口ともいえる『形を変える岩』の近くに集まっていた。キバは違う場所で待機、ハクシーは自分の家の近辺から動こうとはしなかった。
四名のまわりを、三色のキンギョとシャボン玉がふわふわと浮遊している。「人間、遅いですねえ」と再度ヒルトが呟いた。
「もしや、ボゴが話を済ませたのでしょうか」
「ほんとにそう思ってんのかい。さっきの銃声を聞いただろ」
呆れたようにステラが言う。十分ほど前、何発もの銃声が森に響いた。南の方角から聞こえたそれは、まさに凶兆だった。
ヒルトが斜め上を見て、何かを計算するようにした。
「しかし、もうすぐ零時ですよ。零時になってしまったら、子犬君が怒るでしょう?」
「……」
満月の夜の零時から、日の出までの間。キバは人間とは異なる姿になる。
故に新月の夜同様、キバは普段ならば人前に顔を出さない。今夜もしぶしぶといった様子だったし、ステラたちとは別行動をとっているのもそのためだ。万が一、人間の到着が零時を過ぎるようなら、彼は夜通し闇に身を隠すかもしれない。
四名は黙り込んだ。嫌な沈黙が続く。
デライラが村長を見た。いつもの燕尾服に、ステッキ。ぼんやりと光るかぼちゃ頭。だが、いつも以上にかしこまって見えた。
「――ねえ、村長」
デライラが、ヒカリキンギョのシャボン玉を指先でつつきながら言った。その場の空気を軽くするような声で。
「……なにかな、デライラ」
「あの岩。村長にはなんの形に見える?」
言われた村長は、弁当屋の隣にある例の岩を見た。そしてすぐに、デライラに向き直った。
「ただの岩だよ、デライラ。雨風で削れて今にも崩れそうな、――どこにでもあるただの岩だ」
「あんら、いやだ」
デライラは口角をあげた。
「アタシも同じ意見」
その時だった。
――ざっ、ざっ。
複数の生き物の足音が、村へと近づいてきた。足音だけではない。金属のこすれるような音。何かを引きずるような音。音の主は声を潜め、何かを話している。村長たちの耳には、そのすべてが聞こえていた。
「……来ましたねえ」
ヒルトがどこまでも悠長に言った。一方、普段はふわふわと泳いでいるだけのキンギョたちが、緊張した面持ちで尾ひれの動きをとめた。
「……みんな」
村長が、静かに言った。
「頼んだよ」
――ざっ。
森と村の境界線が揺れた。
現れたのはボゴ、ではなかった。
見たこともない男だった。
森を歩くのにふさわしくない、重々しいプレートアーマーで胸と頭を保護している。手には――手紙にあったとおり、猟銃のようなものが握られていた。腰にはバスタードソードが見える。適当にのばされた髭は威圧的にも、みすぼらしくも見えた。
「構えろ!」
叫んだ男の背後から現れた兵士たちは、一斉に村長たちへ銃口を向けた。
その姿は、友好という単語からは程遠い。
しかし、
「――はじめまして。ようこそ、世界の果てへ」
村長は慇懃に挨拶をした。
「なにが『はじめまして』だ、この化け物!」
兵の一人が引き金を引こうとした。が、指揮をとっているらしい髭の男がそれを制止する。兵士たちは銃を構えたまま、村長を見据えた。「んー」と村長が溜息をつく。
「どうか、銃をおろしてもらえないだろうか。私は君たちと争うつもりはないのだ、話がしたい」
「銃か? おろしてやってもいいぞ。ただし、貴様ら全員が両手をあげたらの話だ」
髭の男が叫ぶ。「両手をあげて、両脚で踏みつぶせという意味ですか?」とヒルトが囁いた。村長が無言で、首を振った。
ヒルトの囁きなど聞こえていない人間は、横柄な態度で叫ぶ。
「この中で、リーダーは誰だ!」
「ふむ。村長ならば私だが」
「この森を我々に明け渡せ! 素直に従うのであれば、命までは取らない!」
村長は肩をすくめた。
「唐突な取引だ。もう少し筋立てて話せないものだろうか」
「取引? それは違うだろう。貴様ら化け物に拒否する権利はない。故に、分かりやすく説明する必要もない!」
男の言葉を聞いていたデライラが、ステラの服を引っ張った。
「あの子。さっきから化け物化け物言ってくれてるけど、一体どうやって化け物と人間を区別してるのかしらん。もしかすれば人間も混じってるかもしれないのに」
デライラの質問に、ステラは巨大な頭を傾げた。
「さあねえ。見た目じゃないのかい?」
「あんら、ひどい」
デライラはカラフルな髪を手ですきながら、口を尖らせた。
髭の男の話は続く。
「この森は、本来我々のものだったのだ! そこにお前らが勝手に棲みついただけだろう!」
「んっんー。棲みついたというのは認めるが、ここが誰かのものだった覚えはない。今だって、私のものではないのだよ。この森の所有者はずーっと空白だ。これからもね」
「話の通じないやつめ……。貴様らは素直にここから退却すればいいのだ! この森は我々人間が所持、利用する!」
「それは……イエスと言えないな」
村長が、ステッキでこつこつと地面をついた。
「この森には、君達と共生できない生き物が多いのだ。君達は己の欲望のため、なんでもかんでも搾取しようとするだろう。結果、どれだけの生物が滅んできたと思う。……確かにこの森は魅力的だ。だからこそ、人間をここに近づけたくはない」
「貴様っ」
「ここで私が退けば、君達は我々『化け物』を虐げ、嬲るのだろう。それこそその銃で。あるいは剣で。そうした後で、有益なものを根こそぎ持っていくのだろう。過去がそうだったからね、疑ってしまうのだ。……そして『そういったこと』は絶対に避けたい」
こつん。村長のステッキの動きが止まった。
「君達がもしも、銃をおろして冷静に話をしてくれるのならば。私は喜んで、屋敷に招待するだろう。お茶も菓子も用意してね。……私の望みは、殴り合いではなく話し合いだ。ご理解いただけないだろうか」
「――そうして我々が油断したすきに、襲って殺すつもりか」
村長が、ふっと視線をあげる。
髭の男が、薄暗がりでも分かるほどに顔を赤くしていた。
「銃をおろしたなら、お前らは次の瞬間に我々をバラバラに引き裂くのだろう。そういったことは避けたいね。我々の言葉が理解できるか? パンプキンヘッド」
「……少々つつきすぎたか。私は本当に交渉が下手だな。村長としてあるまじきことだ」
村長が大仰に溜息をついた。髭の男は勝ち誇った顔で言う。
「お前らも少しは自覚しているのだろう。この話、お前たちに拒否する権利はないのだ。お前たちがどうして、村の手前で我々を待ち伏せしていたのかは知っている」
「……というと?」
「南の銃声を聞いたからだろう!」
村長ら四名は顔を見合わせた。「何も言いませんよ」とヒルト。
髭の男は声を張り上げた。
「気づいているのだろう! 南方にいたお前らの仲間がやられたことを! これ以上話をこじらせようとしたところで、事態は悪化する一方だぞ!」
がちゃがちゃと、四方から銃を向ける音がした。村長が、一歩前に出る。
「……南にいた彼を、どうした」
「どうしただと!? そんなことも分からないのか!」
髭の男は大袈裟に笑いながら、背後にいた兵士に合図した。兵士三名が、何かを引きずりながらも前に出る。
「想像力のないお前ら化け物には、見せしめが必要なのだろう!」
藪が音を立てる。兵士が何かを乱暴に引きずってくる。
引きずっていた『モノ』が村長たちにも見える位置まで来ると、兵士はゴミを捨てるように手を放した。
どちゃり、と気味の悪い音を立て、何かが地面に倒れこむ。
「刮目しろ!」
髭の男は笑顔のままで叫ぶ。そうして、地に伏す何かに片足をのせた。
「これが、お前たちの未来だ」
男の足の下にあるのは、身体中に穴が開き、血にまみれたボゴの身体だった。




