本音
その日はよく晴れていた。
町の中央に、住民が集まっていた。眉間に皺をよせ、しかし興味津々といった様子で。どこか楽しそうに。
ロゼは、路地裏からその様子を見ていた。すっかり汚れた顔と服を隠すように。
魔女が来た、と誰かが言った。皆が声の方向を見た。ロゼもまた、同じ方を向いた。
魔女は、酷い姿をしていた。
捕まった時と変わらないその服は、ロゼと同様に汚れていた。しかし、ロゼのように黒く薄汚れているのではなく、汚らわしい茶色に染まっていた。
血だ、とロゼは思った。
服を着たまま水を被ったのか、茶色の染みはぼんやりと滲んでいる。上着はところどころ破れており、深くえぐれている手首や、皮膚の裂けた背中が覗いていた。
魔女が磔にされると、ロゼのいる場所からでも彼女の顔がよく見えた。左半面が潰されている。彼女の左目が、どこにあるのかも分からない。ロゼは、自身の左目に手を当てた。指先に眼帯があたる。自分のせいだ、とロゼは思った。
――私のせいで、左目を潰された。
火あぶりの刑だ、と叫ぶ声が聞こえた。磔にされた魔女の足元に、火がつけられる。まるでたき火を囲むように、町人たちが集まった。火あぶりだ、火あぶりだ、火あぶりだ――。
魔女の顔が苦痛に歪み、ロゼは両手で口をおさえる。嗅いだことのない異臭に、半歩後ずさった。
その時。
魔女が、ロゼに気づいた。
彼女は確かに、ロゼの方を見ていた。火に焼かれながらも、生きている右目でロゼの顔を見ていた。苦しいのか、愛おしいのか、ゆっくりと目を細める。
魔女は。
火あぶりにされたその時、子供の名前を、呼ばなかった。
「……自分で逃げ出しといて、離れたくなかったなんて言える立場じゃないよね」
ぽつりとロゼが言う。ヒカリキンギョはいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
キバは黙り込んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。
「なあ。お前の母親と手紙のやりとりをしてた相手ってのはもしかして」
「村長だよ」
ロゼが言う。キバの耳がわずかに動いた。
「……村長だよ」
ロゼは同じ言葉を繰り返し、目を伏せた。キバは再度、口を閉じる。
ロゼの母親が助けたカラスは、村長の親友だった。
村長とロゼの母親が、手紙のやりとりをしていた。
村長がロゼの母親に「この森でのみ採れる薬草」を渡した。
ロゼの母親は村長にもらった薬草で、特効薬を作った。
そのために、ロゼの母親は殺された。
「……私、ひどいの」
ロゼは膝に口元をうずめて呟いた。
「私はこの村のひとたちが好き。本当だよ。村長のことも大好きだし、尊敬してる。でも」
唇を噛む。前を見る。震える声で、言い切る。
「この村と、この森と関わらなければお母さんは死ななかったのにって、私ずっと思ってる……!」
ロゼは今度こそ、顔をすべて隠した。キバはそれを横目で確認し、居住まいを正す。
「私、みんなに助けてもらって、仲良くしてもらって、なのに心の底では『お母さんが死んだのはこの森のせいだ』なんて思ってるんだ。そんなのずるいしひどいよ、私、みんなに甘えといて、私、」
「……なんでお前らってそういう難しいこと考えるんだ?」
キバが、ロゼの言葉を遮った。ロゼは鼻をすすりながらも顔を上げる。キバと、目が合った。
「村長もしょっちゅう難しいこと言ってるけど、お前も大概だな。酷いだのずるいだの、そういうテツガクみたいな話はよく分かんねーよ。けど、話を聞く限り特にお前が酷いとは思わなかった。俺、頭よくねーんだ。『誰にでも優しい人』が『本当に優しい』のかどうかも分かんねー」
「でも私……」
「自分を責めるのって簡単だな」
キバは、冷たく言い切った。
「自分でも他人でも。責めるのは簡単なのに、守るのは難しいな」
ロゼは、今度こそ黙り込んだ。キバは続ける。
「その話で、誰が間違ってるとか悪いとか知らねえよ。そーゆーのは村長にでも聞いてくれ。でも、お前ってそんなに酷い奴なのか? さっきの話で、おかしいと思うところはなかったけどな」
「……」
「母親を置いて逃げたって言ったら人聞き悪いけど、自分を守ろうとするのは普通のことだろ。そういう過去があるならこの村を恨むのもおかしくねーし、好きになりきれないのもおかしくねー。町の人間を嫌うのもおかしくねーよ。それともお前って何? 神様にでもなりたいのか? 世の中の奴ら全員もれなく心の底から好きになるつもりか?」
「それは……」
「やめとけやめとけ。お前ってふっつーの人間だから。どこにでもいるふつーの人間だから。神様になろうとするだけ無駄無駄! これからも嫌いな奴はいっぱい出てくるぞ、生きてる限りな!」
キバはわざとらしく大声で笑った。空を見上げ、遠吠えでもするように。
ロゼが口を尖らせた。
「……キバ、ひどい」
「そーだよ、俺は優しくねーよ。俺含め、この村のやつら全員そうだ」
「え?」
「村のやつらが、お前の『気持ち』にまったく気づいてないと思ってたのか?」
ロゼは目を丸くする。キバは鼻を鳴らした。
「細かい話は知らなくとも、お前がなんか無理して笑ってることとか、なんか悩んでることとか、見てりゃ分かるっつーの。ハクシーは、気づいてもすぐ忘れるかもしんねーけど」
「……そんな」
「誰もそんなこと言ってなかったろ。だってみんな、お前のことが好きだからな」
ロゼが、更に目を丸くする。キバは「あっ」と顔を赤くした。
「みんな、だぞ。俺の話じゃねえぞ。俺がお前のこと好きとかそういうの言ってんじゃねえし、そこ絶対間違うなよ! お前馬鹿だからすぐ間違えそうだけど違うからな!」
「う、うん……」
困惑しながらもロゼが頷くと、キバは大きく息を吐いた。仕切り直し、といった表情でロゼを見据える。
「――お前がスッキリするには、他の場所にいた方がいいのかもしれない。お前の将来を考えるなら、人間と生活した方がいいのかもしれない。みんなそれに気づいてるけど、お前がこの村を出ていくことをすすめないだろう。俺らって酷いから。自分らのことしか考えてねーから」
「……」
「俺らはお前に、ここにいてほしいんだよ。お前が自分のことをひどいって思ってても、ずるいって思っててもな。俺らは、お前のことが好きなんだ」
お前は? とキバは問いかけた。
「お前は、この村にいたいのか? 本当は、この村を出たいのか? 出る『べき』とかそういうのじゃなくて、お前の希望はどっちなんだよ」
「……」
「ここにいたいのなら、いていいんだ。お前が最低なやろーでもな。お前が世界中の奴らから嫌われても、世界中の誰より自分のことを嫌ってても、俺らは多分、死ぬまでお前を庇うし守るだろう。好きになるって多分、そーゆーことだ」
キバは眉を下げて笑った。ロゼは笑わない。両手で顔を隠したまま、肩を震わせている。右目を隠す指の隙間から、しずくが零れては落ちた。
それを見たキバは目を伏せ、溜息をついた。十歳の身体とは不似合いな、複雑な表情で。
「……お前ってどうしていつも、新月の夜に泣くんだ?」
ロゼがほんの少し、両手から顔を離した。唇を尖らせたキバが、言いにくそうに続ける。
「お前が初めてこの村に来た時も、新月だったろ。お前、ずっと泣いててさ。今日もそうだし。なんで月のない日に限って泣くんだよ」
「……新月の夜に泣いちゃダメなの?」
「だって俺、新月の日はチビだから――」
そこまで言って、キバは口を閉じた。しまった、と顔に書いてある。ロゼは首を傾げた。
「チビだから……なに?」
「いや、あの、だからな、その……」
「なに」
「新月の日は俺、お前よりチビになるから」
「うん」
キバはロゼの顔を確認し、再度地面に目を落とした。自分とロゼの中間付近を見ながら、小さな声で呟く。
「チビだから、――……抱きしめてやったりとか、できねーだろ」
シャボン玉のひとつが、ぱちんとはじけた。強く光り、消えてなくなる。
ロゼは呆けた表情で、キバを見ている。キバは耳を伏せたり立てたりしながら、せわしなく視線をさまよわせた。狼の耳は赤くならないようだが、頬は紅潮している。シャボン玉の淡い光でも分かるくらいにはっきりと。
キバが勢いよく口を開こうとした。しかしそれよりも早く、ロゼが言葉を発した。
「抱きしめてよ」
喋った拍子に、涙が一粒落ちた。キバは中途半端に口を開いたまま、凝り固まる。
「……抱きしめてよ」
「だっ……。だ、だって俺、お前よりチビだし……。今、お前と身長差が何センチあると思って」
「知らないよどうでもいいもん」
「どうでもよくねーだろ! こんな、こんなガキみてーな恰好で抱きしめたりとかそんな」
「そんなの関係ないでしょ馬鹿じゃないの!?」
キバが再度、動かなくなる。ロゼは頬を拭った。
「……身長とか関係ないもん」
ロゼが鼻をすする。拭ったばかりの頬に涙が伝った。
「でも、『今のキバ』じゃないとやだ」
言い終えるなり、本格的に泣きだした。キバは言葉を詰まらせたまま、困惑した表情でロゼを見つめる。しかしやがて、きょろきょろと周囲を見回した。藪に誰もいないことを確認し、意を決したように両手を広げる。
「……ん!」
ロゼが、キバを見る。耳はせわしなく動き、尻尾は左右に振られている。
ロゼが逡巡していると、キバは両腕をさらにピンと伸ばした。
「ん!」
「……えっと?」
「ここに飛び込んで来いってことだよ見て分かんねーのかよ!」
「分かんないよ! 言ってよ! ていうか抱き寄せてよ!」
「は!? んなことするわけねーだろ! お前がいきなり抱きついてきて『しゃーないな胸貸してやるよ』ってやるんだよ! だ、抱き寄せ……とか恥ずかしくてできるわけねーだろ察しろよ!」
「そんなの察せないもん! もう馬鹿知らない!」
「おまっ、さっきからバカバカって――」
キバの肩に、何かがとん、と当たった。
ロゼだった。
キバの幼い顔が、緊張のせいで一気に引き攣る。それは、今にも泣き出しそうな表情だった。傍から見ればロゼが、泣いているキバを抱きしめているようにも見える。
キバの肩に額を当てたまま、ロゼは何も言わなかった。ただ、細い指でキバのシャツを引っぱる。察してよ、と言わんばかりの仕草で。
「お、おま、来るときは来るって言えよ……」
キバが、文句を言いながらもロゼの背中さする。
ロゼの背中も、キバの指も声も、酷く震えていた。
ロゼがようやく落ち着いてきたころ、ヒカリキンギョが二人の元に戻ってきた。キンギョは「ぷ、ぷ」と光るシャボン玉を吐きながら、キバを見下ろすようにする。調子はどうだ、と言いたげだ。
それを見るや否や、キバはロゼを引きはがした。
ロゼは真っ赤になった鼻をこすりながら息を吐いた。口惜しそうに、寂しそうに。
「……おま、おまえさ」
キバが視線を定めずに言う。
「あの、あれだな、……いい匂いするんだなケーキみたいな甘い感じの。女だもんなお前も一応な」
「え? ……あ」
ロゼが、スカートのポケットを漁った。シンプルながらもかわいくラッピングされた小包。
「それって私じゃなくて、ステラさんのクッキーじゃない?」
「へ!? あ、ああそうだ、そうに決まってるなお前がいい匂いするとかおかしいもんな!」
「……これ、一緒に食べる?」
「ん!? あ、ああそうだな腹減ったし食ってやるよ!」
キバが早口で答える。ロゼは笑いながら、小包を開いた。
それはとても甘く、幸せな香りがした。




