プロローグ「翼の少女と救世主」
極々普通の一般人。
特別な才能なんて以ての外。勉学も、運動も、友人の数ですら普通。特に特徴も無く、だからといって影が薄いわけでもない。
一宮綾人を表すならば、『平凡』という言葉がぴったりだった。
「――ああ、今日も平和だなぁ」
零れ落ちる一言に幸せを感じて、日々を生きる。そしてそれが本人にとっての幸せそのものである。
――ただ一つ。少しだけ周りと違うところがあるとするならば。
周りも親も、彼自身ですら気付かない。些細な、些細な願い。
『生きたい』
『生き苦しい』
『このまま死ぬくらいなら……』
『――ただ、生きたい』
それは暁の神と黄昏の神だけが知る願い。
その願いを持つ者は、彼に限らず数多の『死人』は、神によって導かれる。
決して交わることのない、暁と黄昏の時が交差する時、彼らは『救世主』として――。
☆
今日は絶好の日向ぼっこ日和だ。
さらりと風に揺れる白い髪を編み込み、腰から生えた小さな純白の翼を広げ、ピンクがかった赤い瞳をキラキラと輝かせ、少女――ララターニャ・スプタルイズはそう思った。
☆
世界は平和である。
勇者の住む聖都市アクアファニス。水の加護を受けしこの都市は、知を司る人族が住まう。
魔王の住む魔炎都市ブレイズフォリア。炎の加護を受けしこの都市は、力を司る魔族が住まう。
そして大天使の住む天空都市ゼファーフィルズ。風の加護を受けしこの都市は、心を司る天族が住まう。
三つの都市はそれぞれを理解し、認め、共存しあっていた。
その三角形のように存在する聖都市と魔炎都市と天空都市の、丁度真ん中に位置するのがサイザントの街。
近くには宝石のように光り輝く湖と、動物がすくすくと育つ食物豊富な森があり、平和を絵に描いたような穏やかさを持つ。
そんな街の中。
「今日はいいお天気だもんね。お洗濯してから出掛けよう」
洗濯籠を両手で抱え持って、少女――ララターニャ・スプタルイズは庭に出る。
小さな一階建ての家には、今年十四歳になるこの娘しか住んで居ないのだが、心配には及ばない。
「ああ、ララターニャ。今朝焼けたばかりのパン、今売りに出すから寄ってくれよ」
「はい、もちろんです!」
「ララ、おはよう!」
「おはよう、シュード!」
この街は人の行き来が多い。ここは三都市の中心であるから、種族間の壁もない。
何より、だ。
「ララ、ただいま!」
「ようララ。今帰ったぞ」
「うん、おかえり勇者さま、魔王さま」
――勇者と魔王が、週三で会いに来るのである。
☆
街の外れ。大空を仰ぐ大草原を前に、三人はベンチに腰掛けながら日向ぼっこ。
「セラは昨日来たばかりだよね?」
「ええ。ララの欲しがっていた本が手に入ったから」
「わ、もしかして『聖樹の楽園と一翼のドラゴン』? 嬉しいなぁ! でも、また来てもらっちゃってごめんね……?」
「いいのよ。ララの為なんだから」
セイラ・ファナータ。二十一歳。愛称はセラ。
きらびやかな金髪を編み込み、ポニーテールにまとめ、ニットセーターとショートパンツという軽装に身を包んでいる。その姿は凛としていて、大人の雰囲気を醸し出している。
普段は聖騎士として鎧を身にまとった勇者であり、膨大な光の魔力と聖なる力、更にアクアファニスの水の加護を一番に受けている。
そんなセラも、街に帰ってくるときは軽装だ。大剣一つあればそこらの魔族には負けない。さすが勇者と言うべきか。
「それより私はアランさんが心配だわ」
「何でだよ」
「だって魔王でしょう? 一国の王がこんな頻繁に来ていいのかしら」
「だいじょぶ、仕事なら今日の分もう終わってるし」
セラは完全に呆れているようだったが、ララは素直にすごいと思う。
アルカネスト・サーストン。二十二歳。愛称はアラン。
額に生えた深紅の角は瞳と同じ色をしている。赤みがかった流麗な黒髪は、後ろで三つ編みにまとめている。
彼の服装もまた軽装で、黒のTシャツにズボンという身軽さ。
人と魔族のハーフだが、邪険に扱われることなく実力のみで王へと上り詰めた世界最強の魔導士とでも言うべき存在だ。――ちなみに本人曰く、『気が付いたら魔王になってた』そう。
その身に膨大な闇の魔力と魔法に関する知識量、更にブレイズフォリアの炎の加護を受けている現役魔王だ。
そしてこの白髪赤眼の少女こそが、ララターニャ・スプタルイズ。
勇者と魔王の幼馴染みであり、誰もが憧れる大天使の称号を得た聖マラティミア・スプタルイズを母に持つ、落ちこぼれの娘である。
知識、魔力、心のどれにおいても平凡であり、それが悩み。
ただ少し、運が良いのか環境には恵まれている。
「今日は二人とも、泊まっていくの?」
ララは笑顔で問いかけた。
しかしセラは悲しそうな顔をする。
「ごめんなさい、今日は午後から会議があって」
「それじゃ、すぐに帰らないとだよ? わざわざ来てくれたのに……」
「本当。こんな日に会議を入れた参謀官あとで斬るわ」
「そ、それは……」
苦笑いを浮かべ、ララは次にアランに顔を向ける。
「俺は泊まってく! ……と言いたいところなんだけど、来る途中に連絡入っちゃって」
「なぁに?」
「東のランティアから魔女の気配がするんだとよ。部隊を組んで偵察しに行かなきゃならんでな」
「魔女、ねぇ……」
難しい顔の二人。
――最初に述べた通り、世界は平和である。
三都市が集い、協力し、全ては平和に包まれている。
しかし否、どの世界にもあるように、平和な世界には必ず裏に悪が潜む。
平和とは、小さな悪事であれば平和で覆い隠せるもの。
だから、魔女はまだ、平和の内で悪事を繰り返す。
いずれ大きな脅威になると言われているそれは、三都市によって潰されようとはしているのだ。
「今回も早急な対処が必要だ。早急であればあるほどこの世界は壊れない」
「そうね。緊急瞬間移動システム、私持ってるけれど、要ります?」
「あー、そうだな。借りるわ」
「じゃあ二人とも、来たばかりなのにすぐ帰っちゃうのかぁ……」
しゅん、とララは顔を悲しそうに歪める。感情に合わせて動く翼も項垂れ加減だ。
慌てて二人は両手を横に振り、弁論を繰り返し始めた。
「大丈夫よ、明日は来れるから! ね!?」
「俺だっていつでも帰ってこれるし! な!?」
冷や汗を浮かべながらご機嫌取り。
偉大なる勇者と魔王が、村人Aごときにこの始末である。
ララは段々それが可笑しくなって、ぷっと吹き出した。
「あはは、二人とも、真剣すぎだよ!」
「ら、ララ……?」
「それにね、そんなにしょっちゅう来られても困るの。心配なんだよ? お仕事はちゃんとしなきゃ」
「それは問題ないよ。終わったあとに来てるから」
しれっと言う二人に対して、そうじゃなくて、とララは少しだけ頬を膨らませ、怒るフリをする。
それから勢いよく立って、ピン、と人差し指を立てた。
「勇者さまも魔王さまもお国のシンボルみたいなものなんだから。立場、ちゃんと分かってるの?」
「ご、ごめん……」
「わたしに会いに来るのも嬉しいけど、今度はわたしが会いに行けるようになりたいの」
微笑んで、大人二人を諭す少女の様はまるで母親のようだった。
でも、とまだ言い訳気味のセラに口を閉じさせ、問答無用で問いかける。
「わかった?」
「はぁい」
渋々了承。
ララは『まあいっか』と呟いて、二人に微笑みかける。
「心配してくれるのも嬉しいの。でも、わたしももう十四歳だから、いつまでも二人に頼ってられないんだよ」
「ララ……」
「今度はね、強くなって二人の役に立ってみせるから」
「あ、アランさん……!」
いつの間に取り出したのか、セラはハンカチを片手に鼻声でアランの袖を引っ張った。
アランはと言えば、こちらもハンカチを取り出して目を覆っている。
傍から見れば少女相手にベンチの上で座りながら泣きじゃくる大人が二人。かなり可笑しな光景である。
「ああ、セラ。言いたいことは分かる」
「ララが……! ララが……!」
「成長したんだな……!!」
「もう! 二人とも大袈裟だよぉ!」
頬を膨らませて帰りを促す。
遠目から見る村人にとっては日常茶飯事だが、それでもララにとってはすごく恥ずかしい。
第一この幼馴染み達は昔から過保護過ぎだ。
何処に行くにも同伴し、武器は危ないからと避けさせ、魔法でさえ初級しか許してもらえなかった。
帰って帰って! とベンチから立ち上がらせ背中を押す。
「はは、押すなって!」
「ララ、次に帰ってくる時もまた何か買ってくるわね」
「分かったから早く! もう、帰らないと時間無いんだよ?」
「ん、それじゃな」
「ええ。アランさんも」
荷物を持って互いに正反対の方向へ。
ララはその背中を見ながら、よし、と気合を入れる。
完全に二人が見えなくなった辺りから、行動開始だ。
村人から貰った小枝――初心者用の杖を取り出して、ララは村から離れた小高い丘を目指す。
「あの二人がいると過保護過ぎて魔法の練習さえできないもんね」
ふんす、とララは両手を拳にして気合を入れる。
二人に隠れて練習をするのが、ここ最近の日課である。
本来ならば師匠となる人を付けるべきなのだが、セラの専門は剣に魔力を纏わせ属性強化を行う補助魔法。アランはと言えば既にチート級の素手である為、参考にすらならない。
最も一般的な杖魔法は簡単な呪文くらいなら村人が教えてくれたのだが、初級過ぎて大天使を目指すララにとってはまだまだ物足りない。
一先ずは練習あるのみである。
ララは杖先を真っ直ぐ目の前に向けて、ぽつりぽつりと言葉を落としていく。
「『わたしは求め、あなたは求められる』」
ふわり、と白銀の毛先が舞った。服の端が風に乗って揺らぐ。
「『風は剣になり、その剣先はわたしの為に』」
ララの周りを舞う風は、徐々に勢いを増していき、形を作っていく。
「『――ヴィントシュヴェーアト』」
刹那、真っ白であり真っ黒である光が輝いた。
ある意味では神々しく、ある意味では禍々しい。
矛盾したその光は剣となった風と同時に現れて、人を吐き出した。
「――!? あ、あぶない!!」
ララが驚愕の瞳で叫ぶも、既に魔法はコントロール下を離れ、ただ決められたルートを進むのみだった。
☆
朝のような、昼のような、夕暮れのような、夜のような。
瞼の裏に映る景色は色鮮やかで、星が瞬いたり、太陽が照りつけたりしている。
一宮綾人はそれをただ、『美しい』と思った。
暁と黄昏の間を歩む度、自分は死んだのかな、とか、ここが天国なのかな、とか思う。が、次第にそれもどうでも良くなって、ただ心地よい風景と気分を楽しもうと思った。
そんな時だった。
ぶわっと勢いよく風が吹いて、少女の声が微かに聞こえたのは。
視界の端に映る白い糸が、暁と黄昏の光を反射して――
――そこで目が覚めた。
「――は?」
「あ、よかった。気が付いた」
心配したような焦りと、ほっとしたような安心感を顔に混ぜ合わせて貼り付けている少女が目と鼻の先にいる。
少女は楽人が完全に目を覚ましたことを確認すると、顔を離した。
「わたしの魔法に掠ったんだよ。よかった、無事で」
「?」
まるで言っていることが理解できない。
そもそも彼女をよく見れば、外国人的な感じもするが、腰についた小さな翼が違和感しか与えてくれない。
「ああ、そっか。えっと、ちゃんと習ったんだよ。セラがくれた教材に書いてあったはずなの。――救世主さまと会った時の対処法」
「――はぁ?」
救世主? 自分が?
この少女は少し頭がおかしいのか。そう思わざるを得なくて、綾人は今自分が多分変な顔をしていることを自覚していた。
少女は近くの棚から本を取り出してきて、パラパラと捲っている。
その間、自分がベッドに居ることを理解して、体を起こした。
きょろきょろと周りを見る。
落ち着いた雰囲気の木製の家は温かみがあって大変居心地がいい。
昼の太陽が室内を照らして、起きたばかりだというのについ眠くなってしまう。
「あ、あった! ええと、そっか。自分の名前だ!」
パタパタと少女が戻ってきて、綾人にずいっと顔を近づける。
綾人自身、正直女子とあまり話したことが無いので思わず後ずさる。
「ララターニャ・スプタルイズです。ララでいいよ。よろしくね、救世主さま!」
にこりと満面の笑みを浮かべる少女――ララを前に、綾人はここがどこだとか、自分が置かれている状況とか、その他諸々を置いて、ただ赤面するばかりであった。
数多の『死人』は、心も体も健康そのものであった。
周りの環境などでさえ至って平凡。世界に不満などあるわけが無い。
ただ無意識下に生き苦しく感じていて、笑顔の裏に誰も知ることのないSOSを出している。
『助けて』
願いは誰にも気付かれずに生涯を終えるはずだった。
暁の神と黄昏の神は、それを一つ一つ拾い集めた。
――そして決して交わることのない、暁と黄昏の時が交差する時。
彼らは『救世主』として生き返る。