第7話 「速さの理由」
「おかしい、おかしい、あの速度はおかしいって!?」
ゴブリンを単独で瞬殺してすぐ、レオーネに詰め寄られてしまった。彼女の顔が作り物ではないということが分かっているだけに、女性との交際経験がない俺には心臓に悪い。
「レオーネさん、顔が近いです……」
「そんなことは今どうでもいいでしょ」
いやいや、どうでも良くはないでしょ。俺とあなたはバイト先では先輩と後輩、それを除けば良くて友人。距離感は大切だと思うんですが。
「何であんなに速く動けるわけ? OLO始めたのあたし達より後なんでしょ? もしかして課金、課金勢なの? 今まで貯めたバイト代を突っ込んじゃったバカなの?」
確かに世の中には金の力を使う人間はいる。今この世界に存在しているプレイヤーの中にも使用金額を考えなければ、課金を行ってスキル熟練度の上昇率を上げている者などはそれなりにいるはずだろう。
だがしかし、俺は課金は一切行っていない。
出費があるのが月額の使用量くらいだ。他の者より遅れて始めたので、常に最前線に立っていたいという強い想いはない。今は自分なりのペースで遊んでいければそれでいいと思っている。
「そんなことは一切していない」
「じゃあどうして? ユッキーからツルギが運動が得意的な話は聞いたことないけど」
それは、俺がデスゲーム生還者だから。
このように言えたのならあっさりと解決する問題だが、簡単に教えてもいい過去ではない。俺がデスゲーム生還者だと知っているのは家族と九条家、それに政府の人間と病院の関係者くらいのものだ。
IWO内での殺人の罪は刑務所にいる天宮千影が全ての罪を被っている。ただ……彼女が仮想世界での死=現実での死というルールを作らなければ起こりえなかったことではあるが、あの世界では人殺しを楽しむ集団が存在していた。
プレイヤー同士での殺し合いがあったこと広まれば、プレイヤーやその家族間での訴訟が続発する恐れがある。それは避けたいというのが国の考えであり、プレイヤーの現実での情報は一切公開されていないのが現状だ。故に迂闊な真似はできない。
「えっとレオーネ、それはほら……ツルギくんは昔からゲームやってて上手だったし、ここは現実と違って運動能力だけで決まる世界でもないからじゃないかな?」
「ユキ、そこははっきりと言ってやれ。それは俺が……ゲームしか取り柄の奴だって」
「そこは天才とかじゃないの!?」
何をそんなに驚いているのだろうか。
俺の反応速度はどちらかといえば後天的なものだろうし、何よりここで天才なんて口にしたら嫌な奴だと思われる。
それに冷静に自分のことを見つめてみると、他人より優れてるのはゲームくらいしかないように思えるわけで……あながち言っていることは間違いないはず。
「今のだとツルギくんには良いところがないみたいだよ。ツルギくんには良いところたくさんあるんだからポジティブに、ね。例えば……ほら、バイトに無遅刻無欠席!」
「無遅刻無欠席って……特別な理由がないなら社会的に常識じゃないのか?」
「そ、そういう常識を持ってない人とか世の中にはいるの!」
せっかくフォローしてくれようとしたのに、俺がダメにするような発言をしてしまったせいか、ユキの顔はみるみる不機嫌なものに変わっていく。
ここは素直に謝るべきだろうか。
そう思った直後、ユキの口からはどんどん文句が飛び出してくる。最初は流れに合っていたのだが、徐々に大学で絡んでくる男子の話などに変わっていく。楽しい大学生活を送っていると思っていたが、それなりに苦労があるようだ。
俺を気に掛ける必要はないから自分の好きなことしていいんだぞ、なんて言おうものなら怒られるだろう。このように言える理由は、リハビリをしていた頃に似たようなことを一度言ってしまった経験があるからだ。
そのため俺に出来ることは、愚痴を聞いたりしてやることくらいだろう。両親や小父さん達の愚痴を聞いたりすることがあるので、今更ユキの愚痴を聞くくらい何ともない。愚痴から相談事に発展してしまうと少々困りそうではあるが……。
「ユッキー、その話には今度付き合ってあげるから落ち着いて。そんな大声出してるとモンスターが一気に来ちゃうから」
「う、うん……ごめん」
「別に謝らなくていいよ。あたし達友達でしょ? ツルギのことははっきりとしなかったけど、まあ何でもいいわ。頼りになる存在だってことには変わりはないし」
こういうところがレオーネの長所であり、魅力的な部分なのだろう。人をからかうところがなければ、より一層良い女になりそうなのだが……。
――まあ誰だって欠点のようなところはあるものだ。そういうことにしておこう……聞いていないだけで彼氏がいるかもしれないし、もしそうだったら俺やユキよりもランク的なものが上だろうから。
気を取り直して俺達は洞窟の最奥を目指して歩き始めた。
最奥で待ち受けているのがゴブリンの親玉なだけに、奥に進めば進むほど洞窟内はゴブリン達で溢れる。2、3体ではなく5、6体纏まって出現したりしている。
レオーネは一撃で複数に大ダメージを与えられるが、範囲攻撃はMPの消費が激しい。またユキの攻撃は矢の本数分しか行えないため、これだけの数が出現するとなるとふたりでクリアするのは不安だと言っていたのも頷ける。
そのため、可能な限り攻撃を最小限に留めようとレオーネが範囲攻撃で全体のHPを削る。弱った敵を俺とユキが殲滅するという流れに自然となっていった。
感覚的に最奥付近まで来ていると思い始めた頃、5体のゴブリンと戦闘になる。同じような戦闘を何度も繰り返してきたため、ほぼダメージを負うことなく戦闘は終了する。しかし、ある問題も発生しつつある。
「あぁもう、モンスター湧きすぎ。モブの討伐クエストじゃないのよ……おかげでMPポーションなくなっちゃったじゃない」
そう、まだ俺達の装備では通常攻撃だけで敵を圧倒できない。そのためアーツを使うことになる。アーツを使うにはMPが必要であるため、思っていた以上に戦闘回数が多くなってしまったことで不足し始めたのだ。
「レオーネは範囲系のアーツを使ってるから消費が多いもんね。私の持ってる分を渡そうか?」
「うーん、それは助かるけど……結構奥まで来てるだろうし、アーツの発動回数でいえばツルギのほうが多かったわよね。ツルギに渡した方がいいんじゃない?」
「俺なら大丈夫だ。MPポーションはまだ何本か残ってるし、基本《バッシュ》しか使ってないからMP消費は激しくないからな。お前がもらっとけ」
そう言ったものの、手元に残っているMPポーションは残り2本。これまでの流れから考えると、ボス戦前で使い切ってしまう可能性はある。
とはいえ……レオーネの種族は獣人であるため、人間である俺やエルフであるユキよりMPが少ない。
また今回のクエストは、ボスの他に取り巻きも出現するらしいので、レオーネがアーツを使えるか使えないかで成功率が大きく変わってくる。自分のMPよりも彼女のMPを優先させるべきだろう。
周囲への警戒とこれまで溜まった精神的な疲労、万全の状態でボス戦に挑めるか分からない不安から、必然的に俺達の足取りは重くなっている。
消費したアイテムを考えると引き返したくはないが、死んでしまうと所持金やアイテム、スキルなどの熟練度がペナルティとして減少してしまう。
最悪……引き返すのも手だろう。
そのような考えが脳裏を過ぎりもしたが、結果的に言うと俺達は無事に最奥の大部屋の前まで辿り着いた。
「多分ここよね?」
「部屋の広さとか歩いた距離からしてもそんな感じがするかな」
「入ってみれば分かるさ……とも言いたいところだが、一度戻って体勢を立て直すのもありだぞ?」
俺には今日これといった予定はないし、誘ってきたふたりもそれは同じだろう。時間帯もまだ正午前であるため、街に戻って再びここを訪れることは充分に可能だ。
「確かにそれもありだけど……今回以上に大変な道のりになるかもしれないし、戻ってる時に死ぬ可能性もあるじゃない。あたしとしてはこのまま進みたいわ」
「まあそれも一理あるな。ユキはどう思う?」
「え、私? うーん……私は元々手伝うつもりで来てるわけだから、レオーネの意思を尊重する」
ということは、俺が反対したところで2対1になる。ならば進むほかにあるまい。
「そうか、なら行くか」
「撤退を提案した割りにあっさり認めてくれるんだ」
「俺も今日は手伝いで来ているし、そもそも念のために提案しただけだからな」
「そっか……ツルギ、頼りにしてるよ」
笑顔で言ってくれるのはこちらも嬉しく思うが、背中を叩くのはやめてほしい。仮想世界だから衝撃くらいで済んだが、現実なら赤くなっててもおかしくない勢いだったし。
「よし、ふたりとも気合入れて行こうか」
意識を切り替えたレオーネを見て、俺とユキの気も引き締まる。
大部屋に足を引き締めると、部屋の中央部にポリゴンが集まっていき徐々に人のような形へと変わる。現れたのはこれまで相手したゴブリンよりも一回り大きく、山賊が身に着けていそうな部分的な防具を纏った亜人。両手でしっかりと肉厚の刃を持った斧を抱えている。確か《ホブゴブリン・ザ・ハルバード》なんて名前だったような……まあそのへんは今はどうでもいいだろう。
ボスを守るように曲刀を手にしたゴブリンが2体出現する。しかし、防具の類はこれといって身に着けていない。強さ的にはここまでの道のりで相手をしたものと大差はないように思える。
「ツルギにユッキー、あたしがボスの相手しとくから取り巻き任せていい?」
「分かった」
「うん、出来るだけ即行で片付けるよ」
流れるような動きでユキが矢を放ち、俺はその直後に地面を蹴る。
放たれた矢は吸い込まれるように取り巻きの太ももを射抜き動きを一瞬止める。わずかな時間でも動きが止まれば、それは絶好の攻撃チャンスに他ならない。俺は首を断ち切る勢いで《バッシュ》を放った。目の前の亜人が悲鳴を漏らしたのは言うまでもない。
「ウガガァッ!」
「行くよ!」
雄叫びと気合が聞こえたかと思うと、巨大な得物が交わって火花を散らす。両手武器同士の衝突は片手武器と比べると、やはり迫力がある。
レオーネとボスゴブリンは互いに武器を弾かれて無防備な状態になっている。だが俺は取り巻きの相手をしているし、ユキはもう1体の取り巻きの注意を引いている。現状で俺が為すべきことは、迅速に目の前の敵ともう1体を葬ることだ。
「せあッ!」
硬直時間の終了と共に初撃の位置の反対側目掛けて再度《バッシュ》を放つ。腹部に敵の曲刀が迫っており、今にも刺さりそうではあるが気にはしない。少しのダメージでは動きは止まらない。今は多少のダメージを受けようと殲滅を優先させるべきだ。
予想通り敵の曲刀が先に届き腹部に違和感を感じた。視界の左上に映っているHPバーが減少していく。直後、今度はこちらの刃が敵の首筋を捉える。
クリティカルヒットしたのか派手なエフェクトが発生し、敵は吹き飛ぶように転がりながら不意に静止し消滅した。
チラリと自分のHPを確認する。多少減少しているが、敵のアーツがクリティカルにでもならなければ即死することはあるまい。
それにレオーネのことを考えると回復している時間が惜しい。いくら敵の相殺しているとはいえ、ボスの攻撃力は取り巻きと比べると格段に違う。彼女は重量系の防具を着けているわけでもないため、どうしてもダメージが通過してしまうのだ。
「ユキ、お前はレオーネのサポートに回れ。そいつは俺がやる」
「分かった」
俺はユキに迫りつつあった取り巻きの目の前に躍り出て、とっさに振り下ろされた曲刀を愛剣で受ける。弾けた火花が敵の顔を一瞬だけ鮮明にした。
半ば強引に押し返して距離を取ると、敵の視線や体の動きを集中して観察する。まさに襲い掛かるという瞬間に1歩早く俺は地面を蹴った。空中で隙のある胸部目掛けて《バッシュ》を放って迎撃。体勢を崩して地面に伏した敵に、硬直時間が終了とする同時に追撃を加えて無へと返す。
こちらにも注意を払っていたのか、すぐさまユキの声が届いた。
「ツルギくん、前に出られる?」
「ああ」
「じゃあお願い、レオーネはいったん下がって」
レオーネのHPゲージは黄色に変化していないが、俺以上に減っているのは間違いない。あと2回ほど攻撃を弾けば、確実に黄色に変化するだろう。戦えないわけではないが、仲間がいるのだから頼るべきだ。
それを彼女も分かっているようで、振り下ろされる戦斧を思いっきり強打して俺が割り込める隙間を作った。俺はすかさず飛び込んで注意を引くために一撃入れた。
「ウガ……」
低い唸り声を上げる亜人は、さすがボスだけあって取り巻きとは別格の圧力だ。作られたものだと分かっていても、腰が抜けてしまったりするプレイヤーがいてもおかしくない。
――まあ……俺には物足りないが。
装備やスキル構成は壁役には向いていないとはいえ、常に最前線に立ち続けていれば経験することはある。それに一度意識を向けることができれば、攻撃を避け続けることで維持することは可能だ。
ボスゴブリンの攻撃を最小限の動きで回避しつつ通常攻撃を加えていく。自身の攻撃は当たらず、一方的に攻撃を受けているせいか、敵の顔はどんどん険しくなっていく。
「HP満タン、ツルギ!」
今から戻るというニュアンスの言葉が聞こえたかと思うと、風切り音が聞こえボスゴブリンの顔面が爆ぜた。魔法をメインで使っているメンツはいないため、おそらくユキが火矢を使ったのだろう。俺は強く地面を踏み切り、敵の横を抜けるように《バッシュ》を一撃入れて離脱する。
「せぇぇっの!」
怯んでいる敵にレオーネの最上段からの一撃が炸裂する。使用したのは、上手くいけば防御力を低下させるアーツ《クラッシュ》だろう。重量級武器だけあって、俺の《バッシュ》よりも格段にHPを削り取る。
大ダメージによって敵にはさらに怯みが発生し、ユキが容赦なく的確な援護射撃を叩き込む。そこに俺が《バッシュ》で追撃を掛け、硬直が解けたレオーネが再び強烈な一撃を入れるため、戦況は一方的なものへと変化する。
とはいえ、敵にもボスとしての意地があるのか範囲技の構えを取った。俺とレオーネだけでも吹き飛ばそうという魂胆なのだろう。
だが敵の残りHPはごくわずか。頭部または首にアーツを叩き込めば削れ切れる、と判断した俺は臆することなく攻撃へと転じる。
唸りを上げ始める戦斧。煌く刃。
刹那の差で先に届いたこちらの一撃がスキル補正も相まって敵のHPを削りきる。剣が振り切られたのと同時に断末魔の悲鳴が響き渡り、残響している間にボスゴブリンは爆散した。