第4話 「新人は外国人?」
「……眠い」
知っている人間は知っていることだが、俺こと剣崎恭也は寝起きが悪い。
故に意識を取り戻しても活動するまでに時間が掛かる。だからといってバイトに遅刻するのはプライドが許さない。
なので俺は午前10時から入る場合は、一度8時頃に起きてから1時間ほど寝直し、そこから準備をして出発し、遅くとも9時50分には仕事が出来る状態にしている。
いや本当にバイト先が近いって素晴らしいね。雇ってくれた雪那の両親には心から感謝しているよ。
故にバイトを始めてから遅刻や早退は一度たりともしていない。加えてこの2年間平日はほぼ毎日入っていたし、オーナー達との関係上色々と良くしてもらっていたので仕事はほぼできる。
また最近俺より先輩だった人がやめてしまい、同じ頃に入っていた人達も就職やら目標にしていた金額が溜まったからやりたいことに専念する……、といったような理由ですでに辞めたり、今月一杯で辞める人がいる。
そのため、必然的に俺がチーフ的なポジションにされつつある。
まあ頼りにされないよりは頼られるほうが嬉しいし、残っているバイトは俺より年下がほとんど。先輩として仕事を教えたり、アドバイスをしたりするのも務めだろう。
そう意気込んでいるものの、正直な希望としては早急に人員補充をしてもらいたいところだ。暇な時は暇だが、新刊や新作の発売日は一度に来客する可能性があるだけに忙しい時があるから。
「でも確か……今日は雪那が居るらしいからバイトの数は少なめかな」
新刊や新作の発売日でもないし、経験から予想するにそこまでバタバタする1日にはならないだろう。
徐々に平常運転に移行していく頭で考えながら、最近アニメ化したVRMMOを題材にした大人気ライトノベル《想いを刃に乗せて》のOPを聞きながらグレイセスに向かう。
近年VRMMOを題材にしたライトノベルは数多く出版されるようになってきているのだが、個人的にこの作品はその中でも郡を抜いていると思う。
デスゲームを題材にしているのだが、登場人物の心境や戦闘の描写が実にリアルなのだ。まるで実際にデスゲームを経験したことがあるのではないか、と思えるほどに……。
「……まあどうでもいいか」
あのゲームから生還した誰かが書いている可能性はある。だがVRMMOをやり込んだ人間や想像力豊かな人間が書いている可能性も充分にある。
そもそも、俺達読み手側は自身が面白いと感じるから買うのだ。熱狂的なファンならば、作者の握手会イベントでもあれば足を運ぶのだろうが、あいにく俺は読むだけで満足してしまうほうだ。今後のその人物が出す本は買うだろうが、作者自身に興味を示す可能性は低いだろう。
そうこうしているうちにグレイセスに到着し、音楽を聴くのをやめて裏口から中へと入る。
いつも使っているロッカーのある更衣室に行くには事務所を通る必要があり、そこにはオーナー達を始めとした今日一緒に働くスタッフが居るはずだ。事務所のドアの前まで来た俺は軽くノックして、返事が返ってくるとゆっくりとドアノブを回す。
「おはようございます」
「もう、恭也くん遅い」
雪那の言葉が気になって時間を確認してみたものの遅刻はしていない。それは彼女の両親が笑顔で挨拶をしてくれたから間違いないはずだ。
ちなみに雪那の両親を一言で表すなら、父親である卓也さんは気前の良いマッチョ。母親である撫子さんは大和撫子としか言いようがない。言わなくても分かるだろうが、雪那は母親似である。
「恭ちゃん、機嫌悪くするなよ」
「そうね。この子は早く恭ちゃんに会いたかっただけだから」
「――っ、そういうんじゃないから!」
雪那は顔を真っ赤にしながら次々と大声を上げる。必死な彼女に比べて小父さん達は笑顔を浮かべている。
同情しないわけでもないが、雪那と一緒に働く日は毎度のように似たようなやりとりが行われている。ここで迂闊に俺が入ると余計に面倒なことになりかねないので、一段落するまで無言を貫いたほうが賢明だろう。いや、時間を無駄にしないために荷物を置きに行ったほうが……。
そんなことを考えつつ、時間はまだあるので九条家を見守っていると、不意に女性更衣室のドアが開いた。突然の物音に驚きはしたが、今日のメンバーは俺と九条家だけではないので、ドアが開いたこと自体はおかしなことではない。
しかし、俺は思わず意識を惹きつけられてしまった。
現れた女性の髪はやや長めの金色で、瞳は澄んだ青色。肌は雪のように白く、パッと見た感じはすらりとしているが出ているところはしっかり出ている。雪那の美しさを月だとするならば、きっと目の前に居る彼女は太陽になる。
――これは……どう見てもコスプレとかじゃなくて本物の外国人だよな。
田んぼや畑に囲まれた田舎に住んでいるわけでもないため、外国人を見る機会はそれなりにある。だがしかし、これまでに一緒に働いた経験はない。
制服を着ているということは新しく入ったバイトなのだろう。小父さん達の英語力は最終学歴中卒の俺と大差はないはずであり、面接は彼らが行っているはずなので日本語は話せるはずだ。
だがふたりの性格を考えると、雪那がそれなりに英語を話せたはずなので、彼女にフォローさせれば大丈夫だろうと考えて採用しても何ら不思議ではない。
「えっと……ユキナ、待ってたほうがいい?」
「え、あっ、ごめんレオナ!」
雪那は慌ててレオナという女性に駆け寄ると、俺のほうに連れてきた。
人見知りするほうではないのだが、外国人と話した経験は乏しいだけに思わず後退ってしまう。
「こら恭也くん、逃げないの」
「いや、別に逃げてるわけじゃ……それで誰?」
「えっと……この子は私と同じ大学に通ってる友達で名前はレオナ・ガルシア。今日からうちで働くことになったんだ。レオナ、彼は」
「ユキナのボーイフレンドのキョウヤでしょ?」
分かってるって。
と言わんばかりの顔をする彼女に雪那は否定の言葉を口にするが、華麗にスルーされてしまう。親だけでなく友人にまでこのような扱いをされてしまうのは可哀想な幼馴染である。
「はじめまして、あたしはレオナ・ガルシア。君のことはユキナから色々と聞いてるわ。これからよろしくね」
握手を求めてくるあたりフレンドリーな人物のようだ。それにこれだけ流暢に日本語を話せるということは、日本に来てから何年も経っているのか、はたまた元々日本で育ったのだろう。まあこちらとしては助かるので何でもいいのだが。
俺は内心安堵しつつ、差し出されていた手を握りながら口を開いた。
「ああ、よろしくガルシアさん……」
「レオナでいいよ。堅苦しいのは得意じゃないし、これから一緒に働くわけなんだから」
彼女の言うことは分かりもするが、俺は生粋の日本人でクラスのムードメーカー的な存在でもなかったので、いきなり名前で呼ぶのはハードルが高い。
「できるだけ善処はするよ……あと雪那から何を聞いているのかは知らないけど、ボーイフレンドが男友達以外の意味なら否定させてもらうから」
「あはは、聞いてたとおりクールだね。OK、あまりからかうとユキナの機嫌が悪くなるからこのへんでやめておくわ」
引き際をきちんと分かっているあたり、雪那の友人というのは本当で、かなり親しくしている間柄のように思える。
――いや、そうでないならここでバイトするように勧めたりしないか。
いつまでもこのまま話しているわけにもいかないため、俺は一言断って更衣室に入る。自分のロッカーに荷物を置いて制服に着替えて事務所に戻ると、平常運転に戻った雪那が話しかけてきた。バツの悪そうな顔をしているが何かあったのだろうか。
「恭也くん、悪いんだけどレオナに付いてゲームコーナーの仕事教えてくれないかな? 漫画コーナーのバイトの子、弟さんが熱出したんだけど親御さんが今いないらしくて。あとで来るとは言ってたんだけど」
「分かった」
忙しくなる要素もないし、最悪来なくてもどうにかなるだろう。
ただそうなると、きちんと仕事を教えられるかどうか怪しくもなるが……まあ1日で全てを教える必要もないし、あれだけ日本語が話せるなら俺も困りはしない。何とかなるはずだ。
「あぁ……ひとつ確認なんだが、彼女はゲームとかするのか?」
「レオナのこと? うん、してるよ。VRMMOは特に」
「そうか」
ゲームをやっている人間ならば知識的なものは、それなりに持っているだろう。俺が教えるのは、仕事内容くらいで良いということか。
そう思っていると、雪那が小父さん達と話していたレオナをこちらに呼ぶ。きちんと小父さん達に断りを入れてから来るあたり、常識的な部分も問題ないらしい。
「レオナ、さっきも言ったけど最初は恭也くんに教えてもらってね。最近じゃチーフ的な立場になってきてるし、分からないこととか困ったことがあればどんどん頼ってね」
「分かったわ。ご指導よろしくお願いします、先輩!」
「先輩はよしてくれ。年齢的にはそう変わらないんだろ?」
「まあね」
後輩的な態度からすぐさま対等なものに戻すあたり、軽いというかノリが良いというか……。まあ浮かべる笑顔だけで言えば、俺よりも客受けはいいだろうから仕事を覚えてくれれば雪那に負けない看板娘になる気もする。
「あっ、そういえば……ユキナから聞いたけど、キョウヤもOLO始めたんだって?」
「つい先日だけどな」
「その割りに凄く強いらしいじゃん。その話をユキナが延々とするから、おかげであたしの休み時間潰れたんだからね」
「レオナ、確かに話はしたけど休み時間丸々は潰してないでしょ。話を誇張しないで!」
再び顔を真っ赤にした雪那がレオナに向かっていくが、遺伝子的なものかレオナのほうが筋力が上のようで彼女はあっさりと押さえ込まれてしまった。
仲が良いのは分かるが、じゃれあうなら別の場所でやってもらいものだ。ふたりとも胸部の主張が強いだけに、ふとしたことで意識が持っていかれそうになるし。
「あはは、本当にユキナはキョウヤが好きだよね」
「――もう、だからそういうんじゃないから! 私と恭也くんは幼馴染、それ以上でもそれ以下でもないの!」
「うわぁ……その発言はひどくない?」
レオナが視線を向けてくるが、雪那が言っていることは紛れもない事実だ。それに近くに小父さん達が居るだけに迂闊な発言をすれば面倒な展開になる。雪那の言葉を肯定することしか俺にはできなかった。
「ふーん、幼馴染だからてっきりどっちかが片思いくらいしてると思ってたんだけどな」
「その情報はどこから仕入れたのかな?」
「え? それはアニメとか漫画とか」
「二次元を三次元に持ってきちゃダメだから!」
このふたり……大学でもこんなやりとりをしてるんじゃないだろうな。もしそうなら、容姿も相まってかなり有名人になっていそうだ。フリーターの俺からすればどうでもいいことでもあるのだが。
「もう、何でレオナはそうなのかな。いいレオナ……」
今にも説教が始まろうとした瞬間、すかさずレオナはストップと言いながら俺の背後に隠れた。
あのさ、俺のこと盾にするのはやめてほしいんだけど。雪那さんが本気で怒ると本当に怖いし、何よりこれは君と雪那のケンカでしょ。関係ない俺を巻き込まないでください。
「バイト前にお説教なんかされたらやる気下がっちゃうよ。それにあたしの担当はキョウヤなんでしょ? なのでユキナからのは受け付けません」
「……恭也くん今すぐ退いて。その大きな子供に色々とお話しするから」
「やば!? これは結構本気で怒ってる。キョウヤ、ヘルプ!」
「無理」
俺の返事にレオナは絶望的な表情を浮かべるが、ここで味方をすると俺まで雪那に怒られてしまう。
そもそも、ふざけたレオナが悪い。今回のことを教訓にして、今後は時と場合を考えて行動するがいいさ。
と思った直後、レオナは首根っこを掴まれて雪那に引き摺られていく。先ほどはレオナに軍配が上がっていたはずだが、いやはや怒りが生み出すパワーというものは恐ろしいものだ。筋力差は変わっていないが、怒れる雪那にレオナが萎縮してしまった可能性もあるが。
最後まで助けを求めるレオナを見ているととある歌が脳裏に流れたのだが、俺はその場に立ったまま姿が見えなくなるまで見送った。
「……さて、今日も働きますか」