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第2話 「新たな世界へ」

「……也くん……恭也くんってば」


 誰かに呼ばれているかと思うのと同時に、かすかに体を揺すられていることに気が付く。

 寝起きが良いほうではないので寝直したいのは山々なのだが、寝ている人間を起こすからには何かしら理由があるのだろう。

 俺はゆっくりと重たいまぶたを上げて、未だに元気に名前を呼んでいる人物を視界に映す。

 安産型と呼ばれそうなヒップ、服の上からでも分かるくびれのある腰、主張の激しい胸……と下から順に視線を上げていく。最終的に見えたのは綺麗な黒髪とやや怒りの感情が見える整った顔だった。


「……何だ雪那か」


 一瞬脳裏に今日はバイトの日であり寝過ごしてしまったのだろうか……、のような考えが過ぎるが、俺は平日はほぼ毎日入っている。加えて、今日は休日で他のバイト達でシフトが組まれているはずだ。

 また雪那と何かしらゲームをやるという約束以外はした覚えがない。つまり、俺にはすぐに起きる理由はないのだ。

 そのように考えた俺は、眠気に身を委ねて再び意識を手放そうとする。

 しかし、そんなことを我が幼馴染は許してくれるはずもなく、先ほどよりも怒気を含んだ声で話しかけてくる。温厚なほうだけに本気で怒らせると怖いし厄介なので、仕方なく俺は目元を擦りながら上体を起こした。


「やっと起きてくれた」

「起こしてくれって頼んだ覚えはないぞ……で、いったい何の用なんだ?」


 よくも叩き起こしてくれたな。

 という気持ちを込めて放った問いかけを雪那は気にした素振りも見せず笑顔を浮かべると、「はいこれ」と言いながら俺に大小ふたつの箱を渡してきた。


「……これは」


 大きい箱のほうは、安全性を重視しつつも軽量化に成功した第2世代型VR専用ハード《セフデス》だった。独特な名前のようにも思えるが、もしかするとセーフデバイスの略だったりするかもしれない。

 第1世代型である《トラベルギア》は、多くの人間の命が消えてしまったあの一件がきっかけで、すでに姿を消してしまっているため、現在ではこちらが主流となっている。IWOの生還者達の分も政府が回収したので、今手元に持っている人間はいないはずだ。

 VR技術を用いたハードやソフトが作られるようになってそれなりに時間が経つ。なので販売されている価格もお手ごろなものになってきてはいるが、それでもハードとなれば数万はする。

 小さい箱はオンリーライフ・オンラインのパッケージ版のようだ。最近の人気ソフトのひとつだけあって、諭吉さんを出してもあまり返ってこない値段である。


「えっと……どういうこと?」

「私からのプレゼントだよ」


 なるほど、プレゼントか……素直に喜べない。

 何故ならば、俺はフリーターとはいえここ2年ほどバイトをしている。お金の大切さや重みというものを人並みには理解しているつもりだ。

 また働いている場所が場所だけに今渡されているものの値段まで分かってしまっている。庶民的な金銭感覚を持つ俺には、無邪気に笑って受け取れるものではない。


「ま、待て雪那……これは貰えない」

「え、何で?」

「何でって……はいそうですかって貰える品物でもないだろ」


 とはいえ、雪那に返したところで扱いに困るだろう。すでに彼女はセフデスもALOも持っているのだから。となると、俺が出来る選択は限られてくる。


「あぁいや、やっぱりこれは貰う。その代わり、買うのに使った代金を渡すから教えてくれ」

「いいよお金なんて。プレゼントだって言ったでしょ」

「だけど……」

「いいって言ってるでしょ。私が勝手にしたことなんだし、今後何かやりたいことができるかもしれないでしょ。そのときに必要になるかもしれないんだから取っておいて」


 優しげな口調ではあるが、これは俺が何を言っても聞いてはくれないだろう。雪那には昔から何気に頑固な一面があるのだ。

 何かするにしてもやるものは自分で選ぶと言ったはずだが……まあ大きな出費をせずに人気作をプレイできると考えれば文句は沸いてこない。申し訳なさや罪悪感のようなものはあるが、それをいつまでも抱いていては雪那にも失礼だろう。


「ありがとな」

「お礼とかもいいよ。繰り返しになるけど、私が勝手にしたことなんだし」

「そうか……なら」


 俺はふたつの箱を大切に抱え、ラノベやノートパソコンが置いてある机に移動する。そこの空いたスペースにそれらを置くと、元居た場所に戻って横になった。血圧の関係もあって朝は苦手なのだ。


「恭也くん、何でまた横になってるのかな?」

「あと5分、いや3分だけ……」

「うん?」

「はい、すいませんでした。起きます、起きますからその笑顔やめてもらっていいですか」


 はたから見たら絶対俺は雪那の尻に敷かれていると言われるだろう。けれど、幼馴染の俺が言うのも何だが彼女は良い体をしている。彼女の尻に敷かれるのはありではなかろうか……、などと適当なことを考えられるくらいには意識がはっきりしてきただけに起きることにしよう。

 大きなあくびをしながら部屋を出た俺は、雪那にシャキッとしないと階段から落ちるかもしれないと注意されながら階段を下りていく。

 体の線が細いのは昔からだが、リハビリと今も継続している筋トレで筋肉量は前よりもある。よほど意識を別のことに向けていない限り、慣れ親しんだ家の階段を踏み外したりはしない。

 何事もなくリビングに辿り着くと、俺はキッチンに足を運んで眠気覚ましにコーヒーを作る。

 とはいえ、豆を挽いて作ったりはしない。インスタントのものにクリープと砂糖を入れて作る簡単なものだ。俺は少し猫舌なので氷を入れてアイスにして飲むことにしている。


「目は覚めた?」

「まあ……ひとつ聞いていいか?」

「うん」

「じゃあ遠慮なく……それは何だ?」


 テーブルの上には、ハサミで切るのは難しいと思われる厚さの紙の束が置かれている。普段俺が座っている席の目の前に。

 パッと見ただけでもかなりの文字数がありそうなものだが……向かい側の席に座っている雪那の顔を見た限り、ほぼ間違いなく彼女は俺にこの紙束を読めと促している。


「簡単に言えば、OLOの基礎知識を私なりにまとめたものかな」

「……読まないとダメか?」

「別に読まなくてもいいよ。ただ……知識があるのとないの、どっちが恭也くんはいいかな?」


 そんなのは言うまでもなく、知識があったほうが良いに決まっている。仕事先で扱っているものだけに世界観くらいは分かっているが、今俺にある知識は表面的なものばかり。突っ込んだものは何ひとつとしてないのだから。

 そう自分に言い聞かせながらテーブルにカップを置き、膨大な情報が書かれている雪那印のOLOレポートとでも言うべき束を手に取る。

 ……さすがは販売側の娘というべきか。ここには要らないはずのキャッチコピー的なものまでご丁寧に書かれている。

 現役大学生なのだから、こんなものを作る暇があるなら課題をしろ。

 そのように言いたいところではあるが、九条雪那という女は小学生の頃から文武両道を体現してきた人物である。きっと出された課題はきちんとやっているに違いない。

 まあ昔はゲームなんかしないで勉強や運動したら、と言っていた雪那がこんなものを作るようになったあたり、時間が経てば人は変わるものだと実感する。

 アイスコーヒーをちびちびと飲みながら読み進めていると、ある程度の知識は得たと思ったのか雪那が話しかけてくる。


「どんなキャラにするのか決まった?」

「んーそうだな……」


 OLOのキャラメイクは大きく分けて名前、種族、スキルを決めることになる。

 容姿に関しては精神的なものから基本は現実の自分に種族の特徴が加わったものが自動的に形成される。

 だが仮想世界くらい現実の自分とは違う……云わば理想の自分になりたいという考えもあるわけで、時間さえ掛ければ別人になることも可能になっている。男が女になること、またその逆も可能だ。もちろん何かしら自分に異常が出ても自己責任だが。


「漠然とはな……全ての種族が選べるわけでもないし」


 選べる種族は基本的に人間、エルフ、獣人、ドワーフ、魚人の5つ。

 このゲームはスキル制のみでレベルが存在していないので、確認できる数値的なものはスキルの熟練度や装備の性能くらいである。だが筋力や敏捷といったステータスは処理に必要なデータであるはずなので、隠しステータスとして存在はしているはずだ。

 そうでなければ、種族を複数にする意味がコスプレ的な要素しかなくなってしまう。まあ可能性としてはゼロではないのだろうが。

 ちなみに俺が全てを種族からは選べないと言ったのは、OLOには通常版以外にプレミア限定版が存在しているからだ。こちらには上記の種族に加えて、竜人、機械人、人魚という3種族も選べるらしい。


「限定版は初回分しか作られてないし、見つけたとしても高すぎて買えません」

「あのな、別にそれを買ってほしかったなんて言ってない」


 グレイセスでもプレミア限定版は扱っていたのが、値段も通常版に比べると馬鹿げたほど高く設定されていた。最初は仕入れられた数個さえ売れないのではないかとも思ったりもした。

 結果的に言えば、一瞬にして売れてしまったわけだが。

 今でも売れ残ったごく一部は、高額で取引されているという噂があったりする。大学生である雪那に買えと言える奴は精神がおかしいに違いない。

 一通り目を通した俺は紙束をテーブルに置きながら反対の手で目元を押さえた。なかなかの文字数だっただけに地味に疲れてしまった。


「お疲れ様。何か分かりにくかったことあった?」

「いや……分かりやすい文章だったよ。作家になれるんじゃないかって思うくらいに」

「馬鹿なこと言わないの。簡単に作家になれるわけないでしょ」


 冗談のつもりで言ったのに真面目な返事である。まあ真面目だったのは言葉だけで、雪那の声は笑っていたのだが。

 残っていたアイスコーヒーを飲み干した俺は、空になったカップをキッチンに持っていく。


「さてと……これといった予定もないし、せっかく貰ったんだからプレイしますかね」

「うん、それがいいよ。……キャラ作るのに時間掛かる?」

「さあな」

「もう……まあ私もログインしてから始まりの街に戻るのに時間が要るし、ゆっくりしていいよ。けどログインしたらその場から動かないこと。いい?」

「ん、了解」


 淡々とした返事だったせいか雪那は疑いの眼差しを向け、ため息を吐いたかと思うと、どこからともなくメモ帳を取り出して何か書き始めた。


「はいこれ、私のアバターID。これを使ってフレンド登録すれば私の居場所が分かるから」

「……これって人に簡単に見せていいものなのか?」

「良くはないよ。ユーザーアカウントとは別だし、離れていてもフレンド登録できるようにあるものだけど、自分の知らない人に知られると厄介なことになるかもしれないし。勝手に人に教えたりしたら怒るからね」

「言うわけないだろ」


 自分に近しい人間が嫌な目に遭うのは俺も嫌だし、何より悪質な行為は過去に何度も経験したり耳にしてきたのだから。

 OLOでは対人戦闘はある程度認められていることだろうし。だが嫌がらせとしか思えないような特定の人物だけを狙うPKの類は別だ。ヒーローぶるつもりはないので知らない人間は別だが、雪那がそのような目に遭わせる奴がいれば許しはしない。


「じゃあ、また後でな」

「うん」


 自分の家に帰る雪那を玄関先まで見送り、俺は自分の部屋に戻る。箱に入ったままだったハードとソフトを取り出して準備し、ベッドに横になる。

 過去の記憶が刺激を与えているのか、少し鼓動が強まる。

 これは恐怖の類というよりは興奮から来ているものだろう。もしかすると、自分で気が付いていなかっただけで、俺はずっと今日という日を待ちわびていたのかもしれない。

 ゲームを起動させるキーワードを口にすると、真っ暗だった目の前の画面に光が次々と弾ける。

 一際強い光が弾けたかと思うと、螺旋状に巡る光の中を進んで行き、現実とは異なる世界に俺の意識は導かれて行った。



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