第1話 「俺はフリーター」
俺――剣崎恭也は今年で21歳になるフリーターだ。
今は幼馴染の家が経営している店《グレイセス》で雇ってもらっている。幼馴染は現役の大学生なので昼間は店を手伝うことができない日が多い。なので基本的に俺は毎日のようにバイトをしている。
これは余談になるが、この店は地元ではそれなりに大きなホビーショップであるため、それなりに自給は高い。
バイトを始めてから今年で2年目になる。
昔から付き合いがあるので正社員にならないか、という話も過去にはあったのが保留にしてもらっている。年齢的に何かやりたいことが見つかるかもしれないし、正社員になると幼馴染と結婚して跡を継いでくれという話になりかねないからだ。
「……俺にあいつは勿体無いよな」
幼馴染の名前は九条雪那。艶やかな長い黒髪の持ち主で、豊満なバストを持った人物である。小学校の頃から多くの男子に告白されてきたことから、美少女であると言えるだろう。まあ俺の知る彼女の学生時代は中学校までなのだが……。
本当なら俺も雪那と同じ高校に通うはずだった。
けれど高校の入学式まであと1週間ほどとなった日に事件は起きた。
その日は、俺と同年代ですでに世間から評価されていた若き天才が開発したVRMMORPG《アイディールワールド・オンライン》――通称IWOの正式サービスがスタートする日だった。
以前雑誌で開発者のことが取り上げられたことがあり、俺はその人物が同年代であると知って尊敬の念を抱いた。もしかするとファンと呼べるものになっていたかもしれない。
また俺は昔からゲーム好きだった。運良く初回生産分を購入することが出来たこともあって、もちろんサービス開始と同時にログインした。
だが、これが悪夢の始まりだった。
ログインして数時間後、俺はログアウトできないことに気が付いた。
初日だから何かしら問題が発生したのか、なんて呑気に考えてしまったことを覚えている。
だが直後、空の色彩がなくなったかと思うと、次元が裂けるように空が大きく割れたのだ。
そこに映し出されたのは、感情が感じられない少女《天宮千影》。現実にも等しいクオリティを持つ大規模な仮想空間を、若干15歳で作り上げることに成功した天才である。
次の瞬間、無だった彼女の顔に狂気的な笑みが浮かんだ。
俺を含めた全プレイヤーに告げられたのは、まずログアウト不可の理由。
次にログアウトするための条件、そして……HPの全損が現実の死に直結しているというデスゲームの開幕だった。
この後、彼女は高笑いしながら姿を消していった。この時の声は、実に愉快そうで残酷な響きを持っていた。
「……あの日からもう5年になるのか」
常に死と隣り合わせだったデスゲームをクリアするのに要した時間は約3年。いくつもの辛い出来事や悲しい出来事があった。
現実に戻ってきてからもそれなりに大変な日々が続いた。
3年も寝たきり状態だったのだから筋力は言うまでもなく落ちていた。今では普通に働けるほどまでに回復しているが、月に何度かジムに通っている。
働くために体力は維持しないといけないし、何よりリハビリの日々を思い出すと筋力を落としたくないと思えるからだ。
加えて、俺は定期的に病院で健診を受けている。
俺の健康状態はこれといって問題ないのだが、あの世界から現実に戻れた人間の中には、精神に異常をきたしてしまった者が居るのだ。まあデスゲームなんてものを経験したのだから、帰還した人間が健診を受けさせられるのも仕方がないだろう。
当時学生だった年代の子供は政府の計らいで作られた学校に無償で通えたのだが、俺はこの店で働けることもあってその学校には通わなかった。
異常な経験をした人間を集めておきたいように思えたのも理由だが、身近な人に3年も心配や迷惑を掛けてしまっただけに早く働いて何かしら返したいと思ったのが最大の理由だ。
「……確かこれ、在庫残り少なかったな」
俺が手にしているのは、《オンリーライフ・オンライン》。通称OLOと呼ばれているゲームだ。
このゲームは最近発売された最新のVRMMOであり、うちの店でも飛ぶように売れている大人気ソフトである。
過去にデスゲームなんてものが起きてしまったわけだが、人間は優れた技術を求めるものだ。それ故に偏見を持っている人間もいるが、今でもVRMMOはゲームのジャンルとして残り続けている。
あのゲーム以降に発売されたハードとソフトの安全性も充分に確認されており、スキルのバグなどはあれログアウトできないといった状態になったことは一度としてない。そのため、あの事件の関係者を除けば多くの人間が興味を示すのも当然だと言える。
「こーら、手が止まってるぞ」
近くから聞こえた覚えのある声に振り返ってみると、そこには春らしい服を着ている雪那が腰に手を当てて立っていた。ふと腕時計で時間を確認してみると、いつもならば大学で勉強している時間だった。
「今日はずいぶんと早いな。サボリか?」
「あのね恭也くん、私がそんなことする人間に見える?」
ムスッとした顔も可愛いと思えるだけに、さぞ大学でもモテていることだろう。まあ雪那の人を見る目は確かなので悪い男に引っかかったりすることはないだろうが。
それにしても、どうして雪那は男を作らないのだろう。
俺のことが……、という可能性もありはするだろう。だが俺と雪那の関係は昔と変わらず幼馴染の域を出ない。会話の雰囲気だって昔と変わっていないだろう。こっちの世界に戻ってきた時は泣かれたし、リハビリしている時期は色々と世話になりはしたが。
「見えないはしない……けど可能性はゼロじゃない」
「もう、何でそういう言い方するかな。そんなんだからいつまで経っても彼女が出来ないんだよ」
「うるさい」
最終学歴が中卒で幼馴染の家が経営している店でバイトしている俺に、大学に通っているお前ほど出会いがあるわけないだろ。
そもそも、俺のような存在が彼女なんてものを作っていいのだろうか。
俺はあの世界で何人もの命を助けることが出来なかったし、見捨ててしまった。時には自分の意思で刈り取ったことさえある。
たとえ仮想世界の話であっても、あの世界での時間は俺が生きた時間に他ならない。
俺にとってはもうひとつの現実であり、あの世界での俺も今の俺を形作る確かなものだ。故にあの世界で過ごした日々を忘れることはできないし、忘れてはいけないのだろう。
それに……俺は1歩間違えれば死んでいた。
千影との最終決戦、俺は彼女と相打ちする形でゲームを終幕に導いた。正直に言えば、あのときは仲間達の想いに応えるため、悲しい連鎖を断ち切るために俺は《死》を覚悟していた。
――けれど、俺は生き残った。
だからふと考えてしまうことがある。生き残ったことには何か意味があるのか、と。
それはきっと千影も同じなのだろう。
あいつは本当ならクリアされた場合は死ぬはずだった。崩壊していく世界の中で、わずかばかりだが会話することが出来たので間違いない。
デスゲームなんてものを行った人物ではあるが、俺はそこまで千影のことを恨んではいない。いや、恨めないというほうが正しいだろうか。
最終決戦前に告げられた大人達への不満。もうひとつの現実を求めたであろう俺達へ投げられた言葉。
そして、何より最後に見た千影の笑顔は、狂気的なものは一切存在しておらず、輝いて見えるほど綺麗だった。あれがきっと本当の彼女なのだ。利益を追求する大人達に囲まれていなければ、あの一件も起きなかったのかもしれない。
現在千影は、刑務所に服役している。起こしてしまった事が事だけに一生出てくることはないと聞いている。
もしも彼女が出てくるとすれば……それはきっと、悪夢が再来してしまった時だ。
「……ん?」
不意に両頬に温かいものが触れ、顔ごと向きを変えられた。目の前に雪那の顔があることから、どうやら彼女に半ば強引に意識を向けさせられたらしい。
雪那に対して強烈な想いを抱いているわけではないが、彼女は《美人》というカテゴリに入っている存在だ。異性として意識していないはずがない。このようなことをされると俺も反応に困ってしまうのだが……。
「えっと……」
「ダメだよ暗い顔しちゃ。今の恭也くんはうちの店員なんだから」
暗い顔をしているのなら慰めてくれてもいいだろうに。経営者の娘だけあって厳しいものだ。なんて思ったりはしない。
雪那は俺がデスゲームを経験したことを知っている。
具体的にどのようなことがあったのかは話してはいないが、辛いことや悲しいことがあったとは察してくれているはずだ。
だからあの世界のことを聞いてきたりはしないし、それに関わることを直接言葉に出そうとはしない。その優しさに俺はいつも助けられている。リハビリしてきた頃は口にしていたが、今では感謝の言葉は恥ずかしくて言えないのだが。
けど一方で、俺は雪那に対して後ろめたさがある。
あの世界での出来事は、進んで人に話すようなことではない。話したところで笑顔にさせるようなことは難しいだろう。
言えば幻滅させてしまうこともある。嫌われてしまうようなことだってある。俺はそれが怖い。だけど、俺にとって雪那は大切な人だ。俺の本質に関わる部分を見せないでおくのは卑怯なんじゃないのか。そんな思いから後ろめたい気分になってしまうのだ。
「悪かったよ……けど、そういうならお前も手伝うか自分の部屋に行ってほしいんだが。こうして話してると仕事ができないし」
「そこは謝るだけでいいの」
「はいはい」
「はいは1回」
お前は俺の母親か。それともクラスの委員長か先生か……このふたつはないか。だって俺は今は学生じゃなくてフリーターだし。
自分の家とバイト先を行ったり来たりするだけの毎日。触れ合うのは自分の家族と雪那、彼女の家族、それと店に来る客だけ。新鮮味なんてない代わり映えのしない日々だ。
だがあの世界を生き抜いたからこそ感じる。こういう日々がいかに幸せであるかを。今の生活を大切にしたい。そう強く思う。
しかし、それで本当にいいのかとも考えてしまう。
来店した客がきっかけで何かしらやりたいことが見つかる可能性はゼロじゃない。けれど、2年も働いていれば来る客が大体固定なのは理解できる。新しい出会いというものはないに等しい。
何かしらやればいいのだろうが……あいにく過去にやっていたことなんてゲームや漫画、ラノベを読むことくらい。こっちに戻ってきてからはリハビリとバイト。やりたいことが見つかっていないのだから、必然的に趣味はないと言える。
「帰ったら何するかな……」
「ほほう……まだまだバイトは終わらないし、オーナーの娘の前でよくそんなことが言えるね恭也くん」
「別に今のくらいいいだろ」
平日の昼間だからゲームコーナーにはそこまで客はいないし、俺はお前の親に雇ってもらっているのであってお前に雇ってもらってるわけじゃないんだから。
これを口にすると温厚な雪那さんでも機嫌が悪くなるので胸の内に留めておくが。雪那さんが怒ると凄く怖い笑顔浮かべるから怖いの何の……まあ本当に怒ったら別の反応するんだけど。
「実際に家に帰ってもすることがなくて暇なんだから」
「それは…………なら私と買い物でも行く?」
「遠慮する」
間髪入れず返事をしてしまったせいか、雪那の表情が険しくなる。
世の中の男からは「デートの誘いなんだよ。行けよ、というか爆発しろ!」といった反応をされてしまうかもしれないが、よく考えてみてほしい。
過去の経験から言って、雪那の買い物はそれなりに長い。無駄遣いするほうではないが、買うときは買う奴だ。また今は暇ではあるが、これから忙しくなる可能性は充分にあるわけで、休日ならまだしもバイトが終わった後で行きたくはない。
何より……そういうことをすると彼女のご両親が絡んでくる。
これは昔からあったことなのだが、年齢的に結婚ができるだけに昔以上に現実味のある話をされてしまうだけに実に面倒臭い。
「いくら幼馴染が相手だからって、女の子の誘いを即行で断るのは良くないと思うんだけど?」
「仕事してる最中に誘ってくるのも悪いと思うんですが?」
「何でそういう返しするかな。恭也くんのバカ」
バカって言った方がバカなんです。
などと返したら本当にバカだと思われてしまう。というか、中卒の俺と現役大学生の雪那では学力に大きな差がある。知識的に言えば俺のほうがバカである。
加えて、ここで何かしら言うとさらに雪那の機嫌が悪くなる。それを経験から悟った俺は、在庫の確認を黙々と続ける。
会話がいったん終わってしまった以上、きっと雪那は荷物を置いたり着替えたりするためにこの場から去るはず。と思ったのだが、それはあっさりと外れてしまう。再度雪那が俺に話しかけてきたのだ。
「あのさ恭也くん」
「ん?」
「その……こういうこと言うと気分を悪くしちゃうかもしれないんだけど」
普段は割りと直球で言ってくるだけに、今のような言い回しをされると怖いのだが。こちらの顔色を窺うような素振りをしているだけに、いったい俺は何を言われてしまうのだろうか。
「過去にあんなことがあったわけだけど……。もしも……もしもだけど、またゲームがやりたいって思ってるならしていいんだからね。恭也くんが昔からゲーム好きなのは知ってるし、ここで働いてくれてるってことは嫌いになったわけじゃないんでしょ? 今のは安全性が世間的にも認められてるし……私達のこと気にすることはないというか」
一瞬何を言っているのだろう、と思ったのだが、確かに俺はあの世界から帰ってきてから今日まで、家ではVRMMOどころか、ゲームに触れていない。
雪那の言ったように昔から好きだったし、嫌いになったわけでもない。確かに彼女達のことを気にして遠ざけていた時期はある。
しかし、単純にやりたいという気力を持っていなかったのが最大の理由だ。
3年にも及ぶ命懸けの戦いを行えば、燃え尽きてしまうのはおかしいことではないはず。とはいえ、自分達を気にしてやっていないと思われるのは気が引けるというか、申し訳なさを感じてしまう。
「あのな雪那、それはただ単にやる気がなかっただけなんだが」
「それならいいけど……ごめんね、昔大変なことがあったのに」
「いや別にいいさ。けどまぁ、今まで触れるような発言はなかっただけに少し驚きはしたかな」
「本当ごめん……ただ、恭也くんを見てると時々不安になるんだ。具体的には言えないけど、どこかしら何かが欠けてるような気がして……またいなくなっちゃうんじゃないかって」
俺に欠けているもの。
それは確かに存在していると思う。言葉にするなら生きる気力なのかもしれない。
あの世界で戦っていた頃の俺には、生きたいという強い想いがあった。
生きて帰って家族や雪那達に会いたいと心から思っていたし、死が間近にあっただけに生への執着があったのだろう。けれど、こっちの世界に戻る際にあのときあった熱量は置いてきてしまったのだろうか。
あの世界で必要だったものは、現実で生きていくには必要がないものかもしれない。でも……多分それは俺らしいことを証明するようなもので、それがないから雪那は俺に何か欠けていると感じているのだろう。
可能性としては低いだろうが、もしも……もしもこの先、千影の模倣犯などが現れて再び悪夢が始まったとしたら……。
おそらく政府の人間も最初は自力で解決しようとするだろうが、無理だと分かれば刑務所にいる千影の力を借りてもおかしくない。彼女は間違いなく天才だ。彼女が力を貸せば事件は解決するかもしれないし、ログアウトは不可能でも新規にログインすることだけ可能になるかもしれない。
そうなったら……政府の人間は過去の生還者の力を借りようとするのではないだろうか。本当にそうなったら、俺は……。
「いなくなったりしないさ。大体俺の行動範囲は、ここと自分の家くらいだぞ」
「実際はそうだけど……心配はするよ」
「その割りにゲームを進めるんだな」
「それは……私もやってるから安全なのは分かってるし、今の恭也くんは見てて何だか辛いから」
こういう言葉をきっと世の中では殺し文句と言うのだろう。
再び悪夢が起きた時、自分に何が出来て何をしようと思うのかは分からない。けれど、戦う道を選ぶ可能性がある以上……ブランクがある状態ではいるのは不味い気がする。
「……分かったよ。他に思いつくものがなかったら何かやってみる」
「本当!? じゃあ一緒にOLOしよう!」
「あの……近いんだけど。それにそこは好きなものを選ばせてくれないかな」