第六話 楽園を持つもの。楽園を望むもの 後編
普通の応接室だな。圭介はそう思った。片平が学園と呼んだから、学校のようなのを想像していたのだが。ここまでの内観も、学園的な雰囲気は一切ない。館のようなものをそのまま改装して使っているような、そんな作りだ。
現時刻は午前五時。堂島家の騒動から一時間ほどしか立っていない。片平は責任者を呼んでくると言って、部屋を出たのが三十分前。その間に、今夜起こったことについて考えていた。
(一つ、納得しなければならない事がある。それは……超能力の存在だ。あんな力を持つ人間がいるなんて信じがたいが、確かに存在していて、家を滅茶苦茶にした。そして、登場した時の様子からあの片平と呼ばれる男も恐らくは超能力者。それもホワイトとか言う奴らが恐れるくらい強力な。最初に出会った佐々木とかいう変な奴もそうらしい。佐々木は『先生』と言っていた。『学園』。なにか関係がある? 他にもわんさかそういう奴がいるのか? そして、ホワイト――)
拳をグッと握りこむ。おぼろげな感覚の中、怒りが胸の中で燃え上がる。
(あいつが事故を引き起こした張本人! その上わざと俺を、俺だけを『生かしておいた』だと……ッ! ならば……ならば俺はあいつを!!)
事故の光景が思い起こされた。失った記憶は最悪の瞬間に蘇り、そして殺意となってホワイトを貫いたはずだった。
(俺は、あいつをどうしようとした……?)
殺意。あの燃え上がるような黒い感覚。あれが殺意なのかと愕然とする。もしあの時ホワイトが何らかの方法で攻撃を無力化しなかったら、容易に肉と骨を砕いていただろう。この身体はそんな黒い意思ですら簡単に実現してしまうのだ。自分が思ったままに、そして気まぐれに……
トントントン、とドアがノックされた。その瞬間思考は中断された。
「失礼。君が堂島圭介、堂島宗次郎博士のお孫さんか。私は勅使河原だ。この学園の学園長、と言ったところかな。あまり呼ばれないが、本部長や室長などとも呼ばれていたな。気軽に学園長と呼んでもらいたい」
長くて白いアゴ髭をしごきながら、眠そうな面持ちで長身の老人が気さくに話しかけてきた。年の割にフサフサしているな、というのが圭介の第一印象だった。片平も勅使河原と一緒に入室している。
勅使河原は圭介の向かい側のソファーに腰掛けると、一本いいかな? という確認のあとにタバコに火を付けた。
ふぅ、と煙を吐き出し、「さて、何から話したものか」と思案する。
「できることなら、全てが知りたい、です。爺ちゃん、宗次郎博士とあのホワイトとかいう連中のこと。ここのこと、全部を」
「フゥム……儂らはその全ての回答は持っておらんのじゃ。じゃが我々のことをまず話させてもらおうかな。君は超能力、サイキッカーというのをご存知かな」
「……ええ、勿論です」
さっきまでのことを思い浮かべる。竜巻や木や爆発を自在に操る、人を超えた力を持つ人間たち。
「この『学園』はじゃな、その超能力者が、超能力あるいはそれに準ずる事件に対抗するために集められた組織なのじゃよ。いやいや、冗談ではない。君も見て感じたはずじゃ。そして確信してもいる。超能力者は実在すると。君を助けたこの片平先生、そしてここまで連れてきた佐々木先生も同じじゃ。ワシは違うがの。対抗組織ではあるが、学園らしく授業も開講しておる。一般常識の他に、己の能力の制御の手助け、能力を持った上での心がけなどじゃ」
そしてもうひと吐き煙を吹かす。
「この場所についてはおおよその理解は得られたかな? まあ不明な点はおいおい自分の目で見るのがよろしかろうな。では君の家を襲った奴らについてじゃが。奴らは……そうじゃな、邪悪な超能力集団、というのが一番分かりやすい表現か。持って生まれた特異体質故に、社会から弾かれ歪み、己たちの理想のみに殉ずる狂信者たち。奴らの名は秘密結社『七支聖奠』!」
「秘密結社、しちしせいてん……」
「そうじゃ。その名を、その存在を掴むために三人のエージェントが亡くなっている。奴らの力はもはやどれだけのものなのか想像もつかん。そのうえ今回の事で宗次郎博士とその弟子の相葉椿女史も敵の手に落ちてしまった」
「爺ちゃんと椿さんは無事、でしょうか」
「これは確信を持って答えよう。まず間違いなく無事じゃ。奴らは君を欲するのと同じくらい、博士を欲していた。それこそホワイトが直接来るほどに」
二人は無事。その言葉は単なる気休めでしか無かったが、少しは気が楽になれた。
「あのホワイトというのは何者なんです?」
ずっと気になっていたことだった。祖父とあのホワイトの口ぶり。まるで昔に付き合いがあったかのようなものだった。なのに見た目は自分の兄ほどに若々しい。若く英気に満ちあふれていた。宗次郎と知り合いというには違和感があった。
「奴は……七支聖奠の幹部じゃ。作戦実行部隊の隊長でな、かつて幾度と無く儂らとやりあっている。報告にあったホワイトの取り巻きは、奴の腹心たちじゃ。どれも力の強い能力者で、一筋縄ではいかない相手じゃ。ホワイトと博士の関係は……まだ調査中じゃ。すまんの」
片平が補足で付け加える。
「おおよその見当は付いているんだ。かつて超能力を研究していた研究所の居所を掴んでいて、既に打ち捨てられているが、まだ資料が残っていると目されている。そこへ調査に行けば何か分かるかもしれない」
「博士が超能力の研究をしていたことは聞いたことがあったかな。圭介君」
勅使河原が聞く。聞いたことはなかったが、昨夜のことで薄々気づいてはいた。
「いえ……初耳です」
「博士はいち早く超能力に気づかれた者の一人じゃった。儂が学園を立ち上げた時には既に研究から手を引いておったが……それでも学園の者達の検査からなにまでを受け持ってくれた。儂ら風に言えば保健室の先生かの。そのおかげもあって、能力を安定して制御する理論も確率出来たのじゃ。そういえば特に片平先生に――当時は生徒じゃったが――執心されていたようじゃ」
「何故か嫌われていたみたいですけどね。だから事前に連絡が来た時は驚きましたよ。学園長にではなく、私に直接来たものですから」
「じゃが、それによって最悪の結末を……先延ばしにすることが出来た」
勅使河原はそういいながら三本目のタバコに火を付ける。一息だけ吸って、あとは手の中だ。くるくると弄んでいる。どうやら癖のようだ。
「ホワイトは、発電炉とか量子なんちゃらとか言ってましたけど。それについてはなにか知っていることは?」
「それは……全ての核心じゃな。それは博士の理論の中にあったものじゃ。『無尽発電炉』と『量子演算機』。この二つは無限エネルギー発生装置で、発電炉がエネルギーを作り出し、演算機はそれを制御する。二つで一つの装置。しかし、あまりに途方も無いゆえに、博士自信も空論として笑って語っておったわ。しかし、それは一つのきっかけで実現を遂げてしまった」
圭介は今更聞いたことを後悔していた。多分、いやきっとよくない事を告げられる。そう予感したからだ。
勅使河原は続ける。
「博士のご家族の不幸。そして、ただ一人生き残った君。ああ見えて宗次郎博士は非常に慈しみ深い性格をしておる。家族のためならば。博士はただそれだけで夢想を現実へと引きずり出した。圭介君。君を生かすためだったのじゃ。生きていれば、望みはあると考えたのじゃ」
指に挟んだタバコの灰が一欠片、灰皿に落ちる。
一呼吸の間。長い長い一呼吸の後、勅使河原はゆっくりと告げた。
「圭介君の身体そのものが、無尽発電炉ジンライであり、それを制御する量子演算機ヤシロなのじゃよ」
◆
学園内であてがわれた部屋の真ん中で、圭介は座っていた。ベッドもソファーも、机も本棚もあるし、カーテンだってある。充実した部屋なのだろうが、圭介にとっては無味乾燥のものにしか感じられない。
手には数枚の紙が収められていた。
『これが片平先生に送られてきた手紙の全てじゃ。宗次郎博士がしたこと。圭介君のこと。ホワイトに居所を察知されたことが記されておる。これを君に授けよう。自分で読んできちんと判断し、知ってほしい』
勅使河原と片平から渡された祖父宗次郎の手紙。そこには苦渋と後悔が記されていた。
家族を失ったこと。生き残った圭介一人しか救えなかったこと。生かすために、守るために無尽発電炉が必要だったこと。淡々としたものだが、そこからにじみ出てくる辛さが伝わってくる。
「爺ちゃん……」
無限のエネルギーを生み出す無尽発電炉。それが圭介の身体を構成している。血液のように全身に行き渡り循環し、そうすることでまたエネルギーが発生する。血液。そう、もはや血液と呼んでいいほどに、彼の身体の一部となっている。
発電炉ジンライは義体の筋電位結合を司り、宗次郎が提唱している『人体に近い機械』を最も近い形で実現させている。肉体を失った圭介に、少しでも元の身体に近いようにとの想いで搭載したのだった。
(疲れた……今はただ何も考えずに休みたい)
昨夜の事、そして自分の体と宗次郎の事。起きた事柄が大きすぎて、脳が疲れてしまった。早急に休む必要がある。
(これからは、暗闇の中で休まなきゃいけないのか)
スーパーコンピュータのオモイカネで、擬似睡眠を体験していた今までと違って、これからは全くの無の中で休まなければならなかった。早く慣れなければいけない。
(弱音なんて、吐いていられないからな……)
翌日。と言っても既に夕方なのだが。圭介の部屋に片平が呼び出しに訪れていた。ここに来た時と同じように、片平の後ろをついていく。
応接間では既に勅使河原が待っていた。タバコはまだ一本目をくゆらせている。
「よく眠れたかな? 儂はもうぐっすりじゃ」
「ええ、おかげさまで」
「君の体重に耐えられる材質で作ったベッドだったんじゃが、どうじゃったかな」
「……すいません。今の自分には横たわって寝る必要がないんです。お気持ちはありがたいんですが」
「そうか。それは気が付かなかったの」
少し残念そうにする。直ぐに気を取り直して本題に入った。
「長くなるとあれじゃから、早速じゃが君の意思を確認しておきたい。儂らは堂島宗次郎博士の頼みもあって、君をこの学園に迎え入れたいと思っておる。無論君の賛成あればの話じゃが」
うすうすそうなるんじゃないかと思っていた。ここに来た時から。いや、手紙を見た時から。いや……恐らくこの身体になった時から。もう、普通の生活には戻れないと感じていた。
圭介の心はもう決まっている。
「俺には成さなきゃいけないことがあります。帰る家も失くし、家族もいない。残った爺ちゃんたちも目の前で攫われてしまった……。あなたたちはホワイトと敵対していると言っていました。なら、俺の返事は一つだけです。爺ちゃんと椿さんを取り戻したい」
「……それは儂らも同じじゃ。喜んで堂島圭介、君を迎え入れよう。ようこそ、超人のための学園へ。歓迎する」
手を差し出して、二人は握手を交わした。
こうして圭介は、大きな後ろ盾を得るに至った。
圭介は思った。やつに報復する力が欲しいと。この学園なら、それを得ることができるかもしれないと。
燃える復讐心の側で、もう一つ大きな心が圭介に語りかける。殺人は魂の罪だ。家族の復讐を果たした時、お前の心は晴れるのか? 全てを忘れられるのか? と。
その問に、圭介はまだ答えられなかった。