第三話 かくして目的は達成せり 中編
「何のために目立つなと言っておったのか忘れたのか、え? 老人の言葉はクソと同じとでも言うか。目立つだけならまだいい。見ろ! お前が全力で走ったおかげで道がえぐれて滅茶苦茶だ! 庭の大穴も奇異の視線の的だ」
あれから一時間以上こうして怒られている。椿と圭介は、椿は研究室の一角にある畳の上で正座し、圭介はその隣の床で正座させられていた。
椿は申し訳無さそうにうなだれているが、圭介は昔から近所に迷惑かけて、今更そう怒るのかよと納得いかない。
「椿がいながらまったく。幸いご近所さんは、またいつもの事かと流してくれたから良かったものの……」
流石に落ち着いてきたか疲れたか、言葉に勢いがなくなってきている。
緑茶をすすって一息つかせる。
「これは予め言っておかなかったワシのせいでもあるが、今のお前はワシの研究で生み出されたアンドロイドという事になっている。当然じゃろ。あまり言いたくないが家族は皆亡くし、近くにいるのは助手の相葉椿だけ。そこで新たに人が増えれば怪しむのは必定。なのにお前は自分から『安全』という『自由』を手放したのじゃぞ! これからはそう簡単に外出できなくなった。椿かワシの同伴でなければすぐに警察から連絡が来るじゃろう。最悪どちらかが逮捕される」
「な、そ、そんな!」
「普段のお前ならそうそう無茶なことはしないと思っておったのだが……やはりお前も堂島の血が流れておるのだな。未知の何かを試さずには居れない血が」
「違う! そんなんじゃない!」
「黙らっしゃい! 言い訳など聞かんッ!」
「あの、博士。実は圭介くんには理由があったんです……」
椿がおずおずと手を上げて主張してくる。宗次郎はそんな椿をジロリと一瞥した。その一瞥には黙っておれという無言の圧力があったが、それに挫けずに椿は続ける。
「実は! その、庭にですね、私達の知らない人が勝手に入ってて、こそこそ何かをしていたんです。それを見つけた圭介くんが捕まえようとして……」
宗次郎の右眉がハッキリと持ち上がった。彼の予想外の出来事に遭遇した時の癖だった。
そのままの表情で、
「なんじゃと」
「た、確かです。最初は博士が庭に出ているかと思ったんですが、圭介くんが確認すると全く知らない人物で……圭介くんは顔も見ています!」
「確かか?」
「……中年の男で多分三〇台後半。目つきがやたら鋭かった。なにか探るようにウロウロして中を覗いてたから泥棒かと思って。ちゃんと映像に残ってる。出そうか?」
近くの端末に首筋に格納されてるコネクタを差し込んで操作していく。モニターに圭介の視点の映像が映し出された。丁度庭に着地する直前で、上から見下ろすように顔を捉えている。
帽子にジャケットという出で立ちで、油断なく圭介を睨みつけている。それでも驚きも半分あるのか、狼狽の色も見て取れた。
圭介の言うとおり中年なのか、わずかにシワが刻まれている。顔が縦に長く馬面で鼻にピアスをしていた。チンピラのような出で立ちだが、やはり目が特徴的だった。突発的な事に見舞われていてもなお眼光鋭く圭介を睨みつける目。冷徹な何かを感じる、ゾッとするような目つきだ。
「こいつが家の周りにいたというのか。間違いないな?」
モニターを見ながら質問してくるその声は震えていた。その震えを隠そうとしていたが、圭介にはまるわかりだ。
確かに不審者は恐ろしい。しかしここまで怯える程だろうか。ましてや海千山千の超天才科学者堂島宗次郎だ。怖いものなど何もない。はずだ。
「映像の通りだ。間違いない。俺の勢いにビビったのか、すぐに裏口の方に駆けて行って車で逃げ出したが。仲間がいるのかどうかは分からなかったよ」
宗次郎はすぐには答えない。ため息をひとつついて椅子に腰掛けた。その姿はなぜか弱々しく、いつもより小さく見えた。歳相応の姿というか、なんというからしくない。
たっぷり時間を掛けてから宗次郎は言葉を発した。
「……圭介。お前はワシが良いと言うまで今後の外出は一切禁止じゃ。理由は聞くな。よいか、絶対じゃぞ」
「な、なんなんだよ突然……」
「よいな?」
有無を言わせないとはこの事だろうか。特に声を荒らげたわけでもなく、強く言い放ったわけでもない。なのにその言葉のもつ強制力は凄まじく、圭介にそれ以上反抗する気を失わせてしまった。
「椿もだ」
「は、はいっ」
奇妙な侵入者。この男に何かあるのだろうか。普段の宗次郎からは考えられないほどの取り乱し様だった。
その日はそれ以上何も無かった。ただ、宗次郎は例の男が映しだされたモニターの前でずっと動かずにいる。時折り思い出したかのように何かを呟いていた。無意識の内に漏れだしているかのような弱々しさで。
――奴が来る。
そう何度も呟いた。
◆
最初のうちは監禁だ横暴だと憤っていた。圭介の記憶にあるかぎり、自分がやったことよりももっと深刻で危ないことなんて今まで何度も起こっていたのだ。それなのにあの程度で行動の自由をいきなり奪われるとは納得がいかない。
圭介ほどじゃないが椿も同様のようだ。圭介の行動にそれ程まずいところがあったとは思っておらず、確かに目立つようなこともしたし、公共物を傷つけるようなこともした。それでも家を守る為の行動だったと理解しているし、実際不審人物であったことから宗次郎の決定には不服がある。
そう二人は納得出来ずに、憤懣やるかたないという様子で過ごしていた。
昨日までは。
一日前――
謹慎中に新たに覚えた遊びを圭介は行っていた。自分とコンピュータを直結させて操作を行い、家の周りにある防犯カメラを覗きこむ、というものだ。
あまり趣味の良い遊びではなかったが、他人の私生活を覗くような事はしていないし大丈夫だろう、という意識のもとで遊びを続けている。
そしてその日も今までと同じようにコンピュータへと繋ぎ、外の世界を覗き見しようとしていた。
カメラの位置は家の前の道路に数箇所、公園に数箇所と様々なところに設置されている。目立たず、かと言って完全に隠さずに、絶妙な位置感覚で設置されている。無用な反感を買わないための工夫らしい。それを自分の目のように自在に動かして、道行く人々を観察するのが圭介の遊び方だ。
遊んでいる内にに妙な既視感があることに気づいた。
「あの公園のベンチに座ってるおっちゃん。服装は違うけど、昨日の人と同じ人か?」
圭介が動かすカメラがとらえたのは、公園のベンチに座って新聞を読んでいる男だった。メガネを掛けており、至って普通の顔立ちをしている。恐らくサラリーマンがサボっているのだろう。
圭介自身、なぜそう思ったのかは分からない。直感でそう思っただけだ。
この公園は牛和鹿公園と言って、ウォーカーやピクニックに訪れる人が絶えない。ベンチに座って新聞を読む。そんな人は大勢いる。
「日課かな。でもなんか気味が悪いな……」
昨日と同じ人が同じ場所に座っている。見つけてしまったのはこっちなのに、随分な言い草だと、言葉にしてみて思う。
その時閃くものがあった。
「他にもそういう人が居るかもしれないな。ちょっとやってみようか」
ベンチの男のように、日課でこの周囲にいる人を探してみようと思ったのだ。幸いデータには残っているし、補助脳の助けがあれば照会もすぐに行える。
早速自分の機能のスペックを総動員して、この無駄極まる遊びに使ってみた。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。顔や背格好の比較に加えて、圭介自身が見比べながら、その照会遊びは夕方まで続いた。
結果は。
「家の近くだけで七人か。結構いるもんだなぁ。もっと範囲を広げれば増えるかな。まあ流石に飽きてきたからやらないけど」
ディスプレイに、家を中心としたこの近辺の地図が表示されている。その中で同一人物と思われる者が赤い点として点滅している。
公園の北と南に一人づつ。家に伸びる道路沿いのカフェテリアに一人。裏通りに二人。家の前を二人。という結果となった。
同じ時間、同じ場所に出没する人物たちだけを対象に照会をしている。該当者は多かったが、特に頻度の高い者が挙げられている。
「それでも……なんだろう。すごく奇妙だ。この七人だけ完璧に毎日同じことをしている。他にも何人か同じ場所に居る人はいたけど、毎日いるのはこの七人だけだ。毎日、決まった時間、決まった場所、決まったタイミングで現れている。そしてきっかり三時間でいなくなる。そうすると他の場所の人物が現れて、またきっかり三時間……」
偶然の一致だろうか。これだけの偶然が複数人を巻き込んで起こるだろうか。圭介には分からなかった。だが、ただひたすらに不気味だった。
ディスプレイに映し出された地図を眺める。七人。不気味な七人……
ぼんやりと地図を見ていた時、はっと何かに気づいた。
「監視……している、のか? うちを……」
地図にある赤い点は、丁度堂島家を囲むように存在していた。
慌てて七人の画像データを呼び起こす。
時間と日照角度から計算してそれぞれの人物の向いている方向を割り出す。
そして……
「やっぱりだ。やっぱりこっちを見ている……。七人全員が……こっちを!」
何者かが堂島家を監視している。まるで現実感が無かった。そんなものはテレビや漫画の世界でしかなく、突き付けられた事実を前に困惑するしかない。
混乱する頭のなかにいくつかの言葉が浮かぶ。警察、公安、犯罪、違法、事件、監視、マーク。
警察!
(警察。そう警察だ。私服警官かなにかなんだきっと。家はもともと騒動が絶えなかったし、この前の俺のせいでそういう監視が付いていたって不思議じゃない。もしかしたら気づいていないだけで、今までだってそうされていたのかも。はは、忘れがちだけどうちって特殊なんだよな)
自分でも無理があるとは思っている。それでも、そう思わないととても不安になってしまう。こんな時にはコーヒーとか紅茶とかを飲んで、心をちゃんと落ち着かせたかった。まあ、もう飲めないのだが。
しばし時をおいて落ち着くのを待つ。すると、今度は一転して逆に楽しくなってきた。刺激的な何かを受けて、圭介は非日常感を味わった。こんな経験滅多にない、と。そして、この発見を誰かと共有したいと思った。が、椿しかいない。圭介は椿が食事を終えて、一段落つくのを待ってから彼女の部屋へと訪れた。
「椿さーん、今大丈夫ですか?」
器用に指でトントンとノックしてみせる。力の加減は特に練習を重ねていて、今では折り紙もできるようになっている。まだ紙飛行機程度までだが。
「大丈夫ですよ。どうかしました?」
「実は――」
圭介は椿に事の経緯を説明した。ただし、例の遊びについてはぼかしているが。
「家の周りに同じ人間が……? ただの偶然じゃないんですか?」
「最初はそう思ったんですけどね。過去の記録と照らし合わせて調べたら、その七人だけ全く同じだったんですよ」
「警察の張り込み。そんなのは博士からも聞いていませんね。それに今まで警察が介入したきたことだって無かったですし」
「え……?」
「今回の圭介くんのことみたいに、突発的なこと以外では毎回警察や消防署に届け出を出してから実験していましたから。だから秘密裏に監視がつく、ということは無いはずなんです」
あくまでも腑に落ちないという様子の椿に対して、圭介は届け出を出していた、という事実に驚いていた。
「爺ちゃんたち、意外とそういうところはちゃんとしてたんだ……」
「ふふ。そうでもしないとすぐに社会から弾かれますからね。ここみたいな普通の立地に住むことなんで出来ませんよ」
「知らなかった……」
「だからこそ不可解なんです。圭介くんが利用したというカメラは、もともと警察と市が連携して、防犯用として設置しているんです。これは私達同様、ご近所さんだって知っています。圭介くんだって知っていたから使ったんですよね」
「…………はい」
徐々に椿の目が据わって来た。冷徹な科学者の顔になる。
「でもあのカメラは普段意識していないと、分からないように隠れてるじゃないですか。よくよく見てみればわかりますけど、そうじゃないと……」
そこまで言って圭介は言葉に詰まる。
椿は圭介の目をじっと見つめる。まるで何も言わなくても、その先の言葉がわかるとでも言わんばかりだ。
二人の間に沈黙が流れる。が、椿がすぐに沈黙を破った。
「組織的に行動する警察が、自分たちで設置しているカメラを分からないはずがありません。その上、私服で隠れています。貼りこみをするのに記録に残るカメラの前というのも不自然です。これはつまり――」
「つまり、相手は警官じゃない。と?」
椿の言葉を圭介が引き継いだ。微々たるものだが声が震えているように感じる。
ただ、と椿。
「結論を出すには私達はあまりにも素人です。警察の張り込みのセオリーなんてわかりませんし。ですけど、今まで良好な関係を築いてきたのに、こういったことをされるのは不自然。というのはあります。道路のタイルの破損だって、既に謝罪と弁償を行って和解していますし」
「じゃ、じゃあ誰だって言うんです。警察じゃなければ。どこの誰が――」
「わかりません。ただ言えることは、正体不明の何者かが、この堂島家を監視している……という事実だけです」