第二十五話 忘れ得ぬ炎の記憶 ②
目の前のサイボーグは片膝をついたままその動きを停止した。身体の排熱処理は行われているのか少量の煙が立ち上っている。
動く気配はない。
「今頃尽きない夢を見ているのだろうな、堂島圭介」
全身白尽くめの男、ホワイトが笑う。
圭介が動きを止めたのはこの男の力によるものだった。能力「夢幻」。有り体に言えば夢と幻を操る能力で、ホワイトはそれを使ってあらゆる障害を排除してきた。相手が生き物であるならば、彼の戒めから逃れる術はない。その力はもはや現実世界にまで影響を及ぼす程になっているのだ。
「貴様を誘惑するのには骨が折れたぞ。さすがは堂島博士といったところか。擬似脳を使って私の能力に対抗するとはな」
どこからともなく鋼線ワイヤーが現れ、ひとりでに圭介を縛り上げていく。複雑に関節などを縛る、独特の方法だ。
「あとは学園のアカシックレコードユーザーだけか。PK1め……」
◆
あれから二月が過ぎた。
夏休みも半ばを過ぎ、外の暑さに耐えかねて家でゴロゴロする毎日を送っていた。
空調は絶えず動き続け、圭介の体温を適切に保つ。暇を持て余した圭介は友達とLINEで会話して遊んでいる。
そんな日々を過ごしていたのだが、日に日に違和感が強くなっていくことに圭介は気付いていた。喉の奥に刺さった小骨は、徐々にその存在の主張を大きくしていき、今ではまったく無視が出来ない。
(あの日からだ。あの日、研究所のほうでロボットを見てから。ずっと頭のなかから離れない……)
人型の機械。今もなお、父と祖父が心血を注いで取り組んでいる夢の機械。その運用のために開発されたという人型は、まだあそこにあるのだろうか。圭介はいつも気になって仕方がなかった。
あの日から一度もあの人型の機械は見ていない。なのに心が惹かれていく。自分の中の、なにか足りないものを埋めてくれる。そんな予感がしているのだ。
しかし、同時に近づいてはならない禁忌のものだとも感じている。あれはきっと、自分にとってよくないものだと、無意識の部分が強く訴えかけてくるのだ。
LINEをやりながらベッドの上で寝返りをうつ。
何かが違う。何かが間違っている。だけど、それを正してはいけない。知ってはいけない。矛盾が圭介の心にさざなみを立てる。
こうしてダラダラと、鬱屈を溜めながら日々を過ごしていたのだ。
翌朝。いつものように遅れた朝食を取りながらテレビを見ていると、研究所の方から大きな音が聞こえてきた。それは何かが爆発したような音であり、家全体を震わせるほどの大きさだった。いや、実際に何かが爆発したのだろう。窓の外から研究所の方を見ると、壁に大きな穴が開いていて、そこから黒い煙がもうもうと立ち込めていた。
家中の警報機が鳴り響くと、圭介は何が起こったのか分からなかったが、とにかく慌てて外にでると研究所の方に向かった。手には消火器を持っている。
「父さん! 爺ちゃん!」
破壊された壁から、中に向かって声をかける。中の様子は黒い煙によって閉ざされていて、二人が無事かどうかも分からなかった。
もう一度声をかけようとしたが、もう一度爆発が起こり、それに巻き込まれて勢い良く後ろへ吹き飛ばされてしまった。
したたかに背を打ち転がって、ようやく止まる。
「い、いったい何が……あっ!?」
煙の中からなにか大きなものが出てきた。二メートル強はあるかという巨躯であり、その大きな両手に一つづつ何かをぶら下げている。それを庭に投げ出すと、それがなんなのか分かった。
火に焼かれたのか黒い炭となった二人の人間だった。見る影もないが、圭介は直感で理解する。父と祖父だと。
全てが圭介の理解を超えていた。目の前に突きつけられた現実に、胃がひっくり返って口からこみ上げる。
「ゲェッ……! うっ、な、なんなんだ。何が起こったんだよ……!」
「い、いったいこれはどういうことなの!」
「母さん!」
騒ぎを聞きつけたのか、母が庭先にやってきて絶句する。
人型のそれは、声に反応して右手の掌を母に向けた。何をするのか分からなかったが、何が起こるのかは理解できた。殺すつもりだ!
「逃げろぉーーーッ!!」
人型の掌に白い光球が膨れ上がった瞬間に、圭介はまだ手に持っていた消火器をその腕に叩きつけた。衝撃で僅かに照準が狂う。光球はそのまま母の隣を過ぎ去って、家に着弾して爆炎を上げた。
「ああぁーーーー!」
爆風が母を吹き飛ばし、衝撃が圭介の体勢を再び崩す。凄まじいエネルギーだ。
地面に叩きつけられた母は気絶したのかピクリとも動かない。圭介はすぐに立ち上がると、母から遠ざけようと消火器を投げつけて気を引こうとした。
どうやら上手くいったのか、人型は圭介に目標を定めたようだ。圭介に向かって両手を突き出す。
「!!?」
同じように二つの光球が発生すると、バズーカのように発射されて障害物を根こそぎ破壊する。圭介はその前に駆け出して、光球と爆発範囲から逃げ出した。
道路を必死に駆け出す。さっきの爆発で何人かの人は路上に出ていて、見物しようと集まってきていた。
「ダメだ! みんな逃げて! 危険だッ!」
言うが遅いか、三度発射された光球は向かい側の喫茶店に吸い込まれ、付近の人を巻き込んで爆発した。炎と衝撃が物を、人を破壊すると、辺りは一気に悲鳴と恐怖が渦巻く阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
なおも攻撃は止まらない。それどころかだんだん数も早さも破壊力も増し、それは無差別に撒き散らされていく。一瞬にして町は炎と黒煙に巻かれて行く。
しかしあくまで目標は圭介なのか、常に圭介に向かって進行していくのだ。
そうこうしている内に警察が到着する。あまりの惨状に声も出ない様子だ。
「ダメです、逃げてください! あれは、あれは止められない!」
「なに、君は堂島博士の――」
言い終わらない内にパトカーの爆発に巻き込まれ、炎がその姿をかき消した。
「あ、あああ、ああああああああ……」
圭介は立っていられなくなり、地面に膝をつく。混乱した頭ではもう何も考えられない。ただ、こうなったのは自分のせいだと、胸の中がそれでいっぱいになる。
後悔と謝罪と。
炎と黒煙の向こうから、無機質な輝きを持って人型がゆっくりと歩を進めてくる。逃げることは出来なかった。膝が萎え、育児が萎え走るに走れない。目を閉じて死を待った。
唐突に始まった殺戮。何かが原因で暴走でもしたのだろうか。もはやそんな事はどうでもいいことだが。
しかし、いつまでも最期の時は訪れなかった。
それどころか火の熱も、煙の臭いも、人の悲鳴も掻き消えていた。
奇妙に思ってゆっくりと目を開く。そこには驚くべき光景が広がっていた。いや、正確には何も広がってはいなかった。
何も無いのだ。ただ白い空間が地平線いっぱいまで広がっているだけの空間。そこに自分とさっきまで暴れていた人型と、そしてもう一人。どこかで見たことのある少女が立っていた。
驚きで心臓が脈打つなか、少女が口を開いた。
「それがあなたの原風景なのね」
白いワンピースに白いサンダル。黒髪を背中まで伸ばした美少女だ。その少女がもの悲しげに語りかけている。
「家族と、安らぎと、日常と、友達と。あなたが望んだ高校二年生の生活。失われた時間の回帰。でもあなたはそれを許さなかった。認められなかった……。あなたは自分で夢の空間を打ち壊した。それがどれだけ悲しいことか、私にはわかる……」
「君は……何を。それにそいつの近くにいてはいけない! そいつは暴走しているんだ、離れて!」
「いいえ」
少女は首を振った。
「それは違うわ。この機械もあなた。あなたの一部なの」
「なにを言って……」
「ここは意識と無意識の狭間の世界。死者の通り道。あなたはここへ一度来ているはず」
「君は誰だ」
「あいつの攻撃を受けたあなたはあるプログラムを自らの脳に施したわ。それは記憶の分断。あなたは『彼』になる前の記憶を。彼は『彼』になった後の記憶を、それぞれ受け継いでいるの。あなたは彼であり、彼はあなた」
「ここは、どこだ」
「それでもあいつの能力は段違いに強かった。どんどん心と脳を蝕まれていって、この彼はセーフティとしての機能を停止せざるを得なくなった。だからあなたの揺り籠の中で傷を癒やし、戦いの時まで眠っていた」
「答えろッ! ここはどこで、あんたは何者で、そいつはいったいなんなんだ!」
怒りの声を上げて牙を向く。
わけがわからないことだらけだった。日常を謳歌していたら突然機械が暴走して、家族を、町を、人々を殺戮していき、挙句の果てにこんなわけの分からない場所に来てしまった。圭介のキャパシティが限界を迎えようとしていた時に、この少女の出現だ。少女のいうことは何一つ理解できない。むしろ言葉を話しているのかどうかさえ怪しかった。音の羅列にしか聞こえなかった。
少女は怒声を浴びせても動じることはなく、また淡々と語っていく。
「それはあなたが周りを拒否しているだけ。だから理解できない。でも時間がないの。あいつはすぐに計画の最終段階に移行するわ。そうなってしまってはもう誰も助からない。過ぎた力は暴走し、世界を焼きつくしてしまう」
「…………」
「あの世界はあなたと、あいつの力で生み出された幻。あなたを捉え続け、永遠に束縛する檻。現実から遠ざけ、夢幻の世界で朽ち果てさせる力。彼は自らの意志で家族を葬り、町を破壊し、その戒めを解こうとしたの。そして、あとはあなただけ」
「俺も、殺すっていうのか……」
「違う。ただ、元に戻るだけ」
「俺とそのガラクタが同じ人物だっただって? 冗談じゃない。俺は人間で、そいつは機械だ」
「そこまで言うなら。手を出して、私の手を握って」
「何をする気だ」
「黙って言うことを聞いて」
少女の言葉には不思議と力があり抗えない。白い空間の中、圭介は少女の手をそっと握った。
白い空間は歪み、空になにか映像のようなものを映しだした。
映像はある場面を映した。ぺしゃんこに潰されてひっくり返った車の中でもがく自分がいた。やがて誰かに火を付けられて燃え、苦しむ。
次は研究所を映した。二人の人間が白衣を着こみ、損傷の激しい黒焦げの死体に向かって何やら作業をしていた。隣には見覚えのある機械の身体があった。白衣の二人は遺体から脳を取り出すと、培養槽に移していく。
「や、やめろ……」
次の場面は先程の人型の機械が、相葉椿と共に動く訓練をしている様子が映し出された。何度も膝が崩れても諦めないのか、挑戦を続けていく。
――頑張って。圭介くん。
映像の中の椿は、機械に向かってそう言った。
そこで映像は消え、元の白い空間に戻った。
「これがあなたの真実」
「そんな、そんな事って……」
「あとは、あなたの勇気に頼るしかない。私は信じているわ」
全てが突然に起こったことだ。この町の惨劇も、少女の出現も、人型の機械もこの場所も。だけど、心の何処かで「違う」と思っていた。今ある日常は自分の居場所じゃないと。
「ほ、本当にそいつは、俺……なのか?」
「そう」
「俺は、俺がいた場所は全部夢で、幻だったのか?」
「そう」
「ここが実は夢で、本当はまだベッドの中にいるかもしれない。でも……違う、んだな……?」
少女は少し溜めてから「そう」と、肯定した。
「は、ハハハ……。人並みの生活が夢まぼろしで、そんな漫画みたいな血生臭い世界が、俺の本当の世界か。どうかしてる、まったくどうかしてるよ……でも、それももう終わるのか」
機械の彼がゆっくりと一歩、こちらへ踏み出してくる。圭介も一歩前へ踏み出した。
互いの心が光り、共振して融け合う。やがて光は一つとなって、白い空間を上に、上に登っていった。
「あの忘れ得ぬ炎の記憶。それが堂島圭介を、堂島圭介足らしめている。それを忘れないで。あなたはあなただから――」




