第一話 機械転生 (改稿版) ☆
あの事件から約一年が過ぎた。堂島一家全員が事故で亡くなられてから。そして、堂島圭介くんただ一人生き残ってから……
私、相葉椿と圭介くんの祖父である堂島宗次郎博士は必死の覚悟で圭介くんを救おうとしてきた。それまでの知識と技術を総動員して死の淵に居る、いや、死の向こう側にいる圭介くんの蘇生を試みていた。
圭介くんから唯一無事だった脳を摘出し、機械の身体と連結させるという方法でだ。
脳の摘出は完璧だった。はずだ。義体だって博士の生涯を賭けて作られたものだ。人のようにシャープで、人よりも強靭である。
脳との適合措置も上手く行っている。拒絶反応は今のところ見られない。そのはずなのに、まだ圭介くんは目覚めない。
私達は脳波と同じ波形を脳に直接送ることで、圭介くんの目覚めを言葉通り『呼びかけ』ている。数十回に及ぶ呼びかけも、今のところ目立った反応を見せていない。
本当に効果があるのか。いや、そもそもやっぱり生きてはいなかったのではと、そう思えてならない。私達がしていることは無駄だったと。
だけど、堂島宗次郎博士は諦めていない。今の私にはそれだけが心の支えだ。
『呼びかけ』から三十分。今回も反応がないまま終わりそうだ。
「…………」
博士はモニターをジッと凝視している。わずかでも反応がないか見逃さないように。
博士はこの一年で相当老け込んだようにみえる。もともと御歳七十を数えていたが、持ち前の元気さと気丈さ、あと白髪の中に少し混じる黒髪が、歳より若く見せていた。今はそれらの面影はない。常に疲れたような表情をし、髪も髭も真っ白になっている。前よりも背筋が丸まっているようだ。
でも、それらを気にしている暇はない。それは私も同じだ。
「反応、ありません」
なるべく疲れが声に出ないように告げる。
博士が深い息を吐き出した。ため息ではない。まるで止めていた息を吐き出すようだった。
今日もダメだったかという失望に暮れる中、初めての、そして待望の反応が起こった。
「ココハ……?」
それは脳波での反応ではなかった。もっと確実で物質的な反応。
人口音声の無機質で小さな声が部屋の中で、いや、頭のなかで稲妻の如く反響する。
博士が激しい音を立ててキーボードを入力していく。切っていた外部補助脳の機能を全てアクティブにしていった。目覚めたばかりの彼には、生身から機械へ変わった時の差に耐えられないだろうと想定し、予め補助機能を持った人工頭脳を用意していたのだ。これからのやりとりは、全て補助脳を介して行われる。
「圭介、圭介か?」
「ソノ声ハ、爺チャン?」
「そうだ……そうだ……! よく、よく頑張ったな……っ」
博士は圭介くんの身体にすがりついて、泣いた。
圭介くんが復活してから一週間。これからが本当の戦いだと思い知らされた。
本格的に行われる脳と義体とのリンク。生身の肉体の時は違う違和感を、なるべく少なくするための作業だ。圭介くんはまだ本調子じゃないので、活動できる時間は限られており、一日のほとんどを寝て過ごしている。
また、自分に起きたこと、家族に起きたことの説明が難しかった。とりあえず博士と話し合い、まだ話すべきではないと決まったが、だんだん意識がハッキリしていくにつれ、これから隠し通すこともできなくなっていくだろう。
ただ、朗報というか誤算というか。事件前後の記憶が欠落していることが分かった。ただ漠然と事故に会い、自分だけが生き残ってしまった、と言う程度にしか覚えていないそうだ。恐らく凄惨な事件だったために、ショックで忘却してしまったのだろうということだ。
一月が過ぎた頃、圭介くんのリハビリが始まった。今までとは全く違う感覚になれるためのものから、指先などの末端から始まり、徐々に足や腕などの大きな部分に移る簡単なものだ。だがそれは思ったりよりも難航していた。
まず、身体から送られてくる異質な情報に脳が耐えられなかったのだ。情報酔いといえばいいのだろうか。目まぐるしく送られてくる異質な情報に脳の処理が追いつかず、一向に進む気配を見せなかった。補助脳を使っているのにこれでは先に進むことは出来ないと、博士は三日前から圭介くんに姿を見せていない。その間、私の主導のもとリハビリが行われている。
と言っても、大したことはしていない。まずは情報になれる為に少しずつ動かす、または感覚を絞って行うだけだ。何事も慣れるのが手っ取り早い。慣れてしまえばこの情報酔いも大幅に軽減できるだろう。
「アノ、爺チャンは?」
「ごめんなさい。まだ自分の研究室に篭っているみたいなんです。圭介くんの情報酔いを何とかするって息巻いていたので、そのうち顔を出しますよ」
「ソうデスか」
「それよりも凄いわよ圭介くん。喋るのと指先を動かす並列動作がもう出来てるわ。気分は悪くなっていない?」
「少シ。デモ、まだ大丈夫デス」
「そう。圭介くんの努力の賜物ね! これからも少しづつでいいから頑張りましょうね」
「ハイ」
翌日になってようやく博士は私達の前に姿を表した。
「ワハハハハハ! 一からプログラムを組み直してやったわッ! 情報処理、速度、精度その他もろもろが以前の十倍じゃあ!」
どうやら四日間徹夜したようで、服も髭も髪もよれよれになっていた。テンションも妙に高揚していて、珍しく高らかに笑っている。以前の博士に戻ったようだった。
「さて、今からアップデートを行うが……つばきぃ……」
「は、はい!」
「後は任せる。ワシは……寝る――」
端末を手渡したら、フラフラとした足取りで仮眠室へ歩いて行った。するとすぐに盛大ないびきが聞こえてきた。よほど根を詰めてプログラミングしていたのだろう。以前の十倍の処理能力の向上をわずか数日でやってのけるとは、本当に同じ人間なのかと疑いたくなる。だが、それも今はありがたい。
私は圭介くんに今日のリハビリは終わりと告げ、早速補助脳のアップデート作業に入った。これで大分良くなればいいんだけど……
瞬く間に二ヶ月が経過する。
圭介くんの努力のかいあってか、既に起き上がることができるほどまで回復出来た。今は歩くための準備の、足を動かし、バランスを取るための訓練をしている。
新しくなった補助脳の効果は抜群で、圭介くんにかかる負担は大きく軽減されているようだ。加えて自分の身体にも慣れつつある。
このままいけば近いうちに元通りに動けるようになるだろう。だがまだ問題は残っている。
簡単な話だ。それは見た目にある。
今の圭介くんは機械ということを全く隠していないのだ。これでは社会復帰は難しい。鋼色にひかり、関節が剥きだしだ。顔にはツインアイと、威圧感を放つ口が付けられている。
これは仕方のない事だが、体格だって以前よりも大きくなっている。縦幅も横幅も二回りほど大きい。
体格はともかく見た目のことに関しては、
「当然考えている。その為の準備も既に終えておるわ。お前は心配せんで、リハビリに付き合っておれ」
とのことだった。圭介くんは不満なようだったが、取り敢えずリハビリを続けることが先だと自分を納得させていた。
更に時間が過ぎる。
圭介くんは既に歩行訓練に移っている。彼のリハビリに付き合っていると、二本の足で立ち、歩くことの難しさを実感させられる。
「グ……あっ!」
力の入れ具合を失敗したのか、足元がグラつき壁にもたれかかった。
「大丈夫? 休みましょうか?」
「イエ。まだ続けマス」
足底の感覚、足首の固さ、膝と腰のバランス、腰と背筋の連動具合、肩から頭の位置。全てに気を配っていなければならない。当然そういった補助も出来ているはずなのだが、いかんせん生身の時の癖が残っているためか難しい。
だけど、前よりは断然良くなっている。歩行距離も五メートルから八メートルまで増えたし、連続して練習できる時間も日に日に長くなってきている。
それに最初にあった情報酔もほとんどなく、身体の並列行動を可能にしている。
血の滲むような努力はそれから半年後に実を結ぶ。
もうその頃には喋ることもこなれてきていた。
「行きます」
「五十メートル歩行テスト、始めてください」
白線の上をズレずに進みきる訓練で、五十メートルのタイムを測っている。
前に比べて危なっかしさをあまり感じさせずに、一歩一歩キチンと地面を踏みしめて進んでいる。速度、力の具合、バランス、正確さの全てを総動員して行うこの訓練。圭介くんは順調に歩を進めていく。
タップリ五分を掛けて渡り切ると、
「よし、線からぶれていない! 合格じゃ!」
誰よりも早く飛び上がって博士が喜びを見せた。
圭介くんは緊張したのか、器用にその場に崩れ落ちてみせた。その人間臭い動作を見て、リハビリは成功したんだと、私は実感した。
「疲れた。少し休みたい……」
「お疲れ様。これでテストは全部終了ですよ。おめでとう圭介くん」
「ありがとう椿さん」
「オホンッ」
博士が一つ咳払いをする。
「さて、見事リハビリをやり遂げ、その身体を自在に動かすことができるようになったな。おめでとう圭介」
「爺ちゃんのおかげだよ」
「いや、お前の努力あってのことじゃ。さて、喜ばしい気分に水を差すようで心苦しいが、ひとつ話がある」
「な、なんだよ。脅かさないでくれ」
「あー、いい話と悪い話があるんじゃが、どっちを先に聞きたい」
「縁起が悪いな。あんまり聞きたくないが。じゃあいい話から聞かせてくれ。少しでもこの気分のままいたいから」
「わかった」
もう一つオホンと咳払いをし、居住まいを正してから、
「かねてから約束していた人工皮膚と顔が完成した。機械むき出しの見た目から、より人に近い姿になることができる」
圭介はリハビリを終えたらちゃんとした見ためにしてくれと、宗次郎に頼んでいたのだ。
鏡を見ることは少ないが、見る度に映る姿が自分ではないことにショックを受ける。自分自身を揺さぶられるような感覚に陥っていた。自分自身がわからなくなってしまうのだ。
もはや自分の寄る辺が何にあるのか見失う前に、『人の顔』が欲しかった。
「約束の話か。この数ヶ月辛かったからホッとする。それで悪い話は?」
「悪い話というのはその顔についてのことなのじゃ」
「どういうこと?」
合成音声ではおよそ感情というものを感じさせない。なのに今の一言にハッキリと戸惑いを感じられたのは、長く一緒にいたからなのだろうか。それとも漂う雰囲気のせいか。
「よいか、心して聞くのじゃ。お前が今から一年半も前に事故にあったことはお前自身よく分かっておるじゃろう」
「ああ」
「実はその時お前は……死んでいるのじゃ」
「――――!」
すっくと立ち上がる。
体格だけなら大柄の格闘家にも負けない立ち姿は、それだけで威圧感を周りに与える。
「だ、だけど、俺はここにいる。『生きて』いる。冗談はよせ」
小柄な年寄りに一歩踏み出して問い詰める格好を取る。
無機質なツインアイが戸惑いで濡れているように光った。
「そういう意味ではない。書類上の、と言う意味でだ。つまりお前は公的には死者であるということだ。何がいいたいか分かるか?」
「いや――いや、わからない。わかりたくない!」
「はっきり言おう。もう元の顔には戻れないということじゃ。お前の顔は全国区で流れた。それも痛ましく、人々の記憶に残るような。そんな中で今のお前の大きな身体で、時間が経ったとはいえ同じ顔の人間が闊歩していたらどうなると思う。お前は無用な注目を浴びてしまうんじゃぞ」
「…………」
沈黙が痛い。さっきまでの喜ばしい空気は微塵も残っていなかった。
元の顔に戻れない。それは今の『顔無し』状態とどう違うというのだろうか。非常に酷な宣告だった。伝える方も、伝えられる方も。
「名前は安心しろ。そのままで大丈夫じゃ。顔も、お前の意見を尊重しよう。だからそう気を落とさんでくれ」
圭介くんは静かにその場を離れていった。
博士が告げた事は想像以上に彼の心を傷つけたのかもしれない。だけど、それ以外に何が出来たというのだろうか。
彼は『死者』だ。そして、これからは同姓同名の『別人』として生きていかなくてはならない。身体も偽物、見た目も偽物。これからは偽物の、仮初めの人生を歩んでいかなければならない。
だけど、彼はどうしようもないほどに生きていて、揺るがしようがないほどに『堂島圭介』なのだ。
全てが仮であったとしても、真実は変わらない。彼は彼だ。
こうして堂島圭介は死の向こう側から生還した。何もかもを犠牲にして。
同時に、生者において亡者の如き影が動き出す。
生還者である堂島圭介を中心に。
記憶が告げる。それこそがお前が征くべき道なのだと。