第十五話 MOMENT ATTACKER 前編 ◎
学園の真上に影を落とす巨大な物体。そこから投下されていく鬼の怪物。侵攻する超能力者たち。
敵の数は際限なく湧いて来ており、倒しても次から次へと投入されていく。
侵略者の名は『七支聖奠』と言った。学園と敵対する、悪しき超能力者が組織する秘密結社である。
戦いは熾烈を極めていた。超能力者の質や数は、学園も劣ることなく存在しているが、いかんせん鬼人がいることの差が大きい。奴らは生半可な攻撃では倒すことは出来ず、すぐに復活してきてしまう。そして敵超能力者は鬼人を守るように動いており、そう簡単にはいかないようになっている。
飛空艇は不気味に上空を漂っており、戦力の投下以外は沈黙している。
そんな中、咲良は運ばれてくるけが人の治療に追われていた。
彼女たちがいる場所は学園校舎の中心部にある。どの位置でけが人が出てもすぐに運び込める上に、地下への逃げ道が近く、守るに適しているからという理由だった。
病室は各部屋から集められたベッドが使われており、それでも足りなくて床に毛布を敷いて横たえている有り様だ。
痛み止めを打ち、血止め薬をふりかけ、包帯を巻き治癒者たちの手伝いを続けている。ここが咲良の戦場だった。
(八木さん、森さん、無事でいてね……。アサギ、圭介、どこいっちゃったの……?)
七支聖奠と交戦状態に入ってから、学園は混乱の中に落とされていた。予想以上の敵の数に押され、保有している戦力では抑えきるのが精一杯な状況になっているのだ。
その結果、運ばれてくるけが人の数は増え、そしてその傷の深さはどんどん増していくばかり。さっきも治療が間に合わずに一人亡くなってしまった。
校舎が揺れる。そしてまたけが人が運ばれ、治療が終わると戦いへ赴いてゆく。
(こんな、こんなことがあっていいの……。こんな、酷いことが……)
「咲良さん、ガーゼの交換をお願い! こっちはまだ掛かりそうなの!」
「はい、わかりました!」
治療者の一人が咲良に指示を出す。当の本人は怪我の患部に手をかざし続けている。『聖霊手』、それが治療者たちが持つ癒しの能力。癒しの発揮には極度の集中を必要とするが、代わりに効果は絶大で、余程の深手じゃない限り骨折、裂傷、火傷とありとあらゆる怪我を治癒することが出来る。痛み止めや包帯などは、それまでの時間稼ぎなのだが、この状況ではストックも足りるかどうか。
学園に存在する治療者は全部で四人と少ない。そのうち三人がこの場所に駆り出されている。最後の一人は教師であり、最前線で戦う者たちを支援しているという。
咲良がガーゼを取り替えようと、けが人が寝かされている簡易ベッドの脇に立つ。ガーゼを剥がすと、血でじゅくじゅくとした患部が顕になった。それと同時に痛みのせいか、けが人がうめき声を上げる。咲良は手早く洗浄し、新しいガーゼをあてがってい、包帯を巻き付ける。
痛みと熱で朦朧としているのか、けが人はうわ言のように言葉を繰り返していた。
「学園……は。戦、況はどうなってる? 守らなきゃ……俺たちの、みんなの場所を……」
忸怩たる思いで咲良はこの光景を見つめ続けていた。知らず知らずの内に、拳に力が入ってゆく。
痛みと熱であえぐけが人に新しくタオルを額に当てると、熱が少しは収まったのか、うわ言は止まった。
彼は咲良より若い青年だ。肩口を鬼人の爪で引き裂かれたのか、戦闘服ごと切り裂いた幾つもの跡が生々しい。
(私は、これを止めるために学園に来たというのに……っ!)
その時、部屋の外で悲鳴が上がった。悲鳴は長く、長く続いたが、それは途端にぷっつりと途絶えてしまった。途絶えると同時に壁が大きな音を立てて崩れ去る。
鬼人たちが来たのだ。部屋の前を守っていた者たちの亡骸ぶら下げたまま、赤く血走った大きな目で病室の中を見回してゆく。鬼人たちの隙間から廊下が見えたが、廊下の壁が破られそこから外が見えている。防衛を突破されたのだ。
室内で待機していた警備班たちが即座に応戦する。中に入りかけていた数匹を外に押し出し、それぞれの能力で鬼人たちと渡り合っていく。が、圧倒的な数を前にあっという間に敗北してしまった。
警備班の一人が左半身をこそぎ落とされて、咲良の足元に投げ出された。血が飛び散り、どこからともなく悲鳴が上がる。
鬼人は抵抗者がいなくなったと理解すると、僅かに口角を釣り上げたように見えた。食事の時間だと言わんばかりに舌なめずりを繰り返し、ジリジリと中へ侵入してくる。治療者たちはその誇り故か、けが人たちの盾となるように前へでる。が、咲良はそれを押しのけて更に一歩前に踏み出した。
咲良は考える前に行動していた。あろうことか鬼人たちの前に立ち塞がったのだ。
能力が使えず、ただの無力な人間だというのにだ。彼女の心はマグマのように燃えたぎり、思考はショート寸前で目の前がチカチカと怒りで点滅する。カッと見開かれた瞳からは、炎が吹き出さん勢いで怒りが宿っている。
彼女はあらん限りの感情を振り絞り、激しく怒っていたのだ。そしてそれは、ある一点に集約され、解き放たれる。
――能力があろうとなかろうと。この暴虐は絶対に許さない……! 打と意地を持って……私は、ただ打つ。ただ打つ。ただ打つッ!
「ただ、討つッ!!」
世界が静止する。いや、実際に止まったわけではない。主観的にそう思っただけだ。静寂に包まれ、全てが手に取るようにわかる。相手の動きも、呼吸も、脈拍も、全てが。
ゆっくり、ゆっくりと敵に迫っていく。そうだ、地面を蹴ったのだ。だから近づいている。
咲良は奇妙な空間の中で躊躇わず、そして渾身の一撃を込めた拳打を放った。拳を突き出すと、拳の前に白い空気の塊が出来上がった。それは徐々に壁となって突きの動きを阻害する。だがそれでも構わずに力任せに振りぬくと、白い空気の壁を突き破り、パンッという乾いた音を立てて霧散した。
咲良はその瞬間理解した。たった今、音速を超えたのだと。
そして世界は元へと戻る。
音速を超えた際に生じるソニックウェーブは、まるで意志を持っているかのように敵へと迫り爆裂していく。瓦礫が粉微塵になり、残っている廊下の壁も粉砕されてゆく。
十体以上いた鬼人たちは跡形もなく地面へ転がり、ピクリとも動かない。
「能力が、戻った……そして、進化、した?」
能力の余波か、突き出した右手の袖の部分が千切れ飛んでしまっている。だが、そんな事は咲良にとってはどうでもいいことだった。今の彼女は、流れ行く清水のようなとても清々しい気分だったからだ。
何が自分に起きたのか分からなかったが、一つ確かなことは能力が戻ったということだ。ということはやるべきことは一つ。咲良は崩れた瓦礫を跨いで、部屋の外へ立った。
無防備となったこの場所を守る盾となることだ。
崩れた先からこちらに迫ってくる鬼人たちを難なく打ち据えて吠える。完全復活だ。
「ここを通りたかったら、私を踏み越えて行きなさい。出来るものならね!」
「あら、威勢のいい奴がいたものね」
咲良の死角から、鋭い響きを持った女の声が発せられた。
その方向に瞬時に反応すると、咲良はサッと身構えた。
そして思わず、「誰!?」と投げかけた。我ながら無様だと思うが、とっさの事に聞いてしまったのだ。
だが声は、思いがけず返事を返してきた。それも尊大に。
「このバイオレットを知らないですって? ふっ。意外とお前たちの情報収集力は無能のようね」
戦場において、あまりにも場違いな女がそこにいた。生地が薄く、スリットが腰まで入り、その豊満な胸を強調するかのようなドレスに身を包んでいた。腰まで伸びた髪は艶やかな輝きを放ち、彼女の美しさに拍車をかける。絶世の美女が咲良の目の前に立ち塞がったのである。
美しいが、漂う雰囲気には危険なトゲがあり、咲良は今以上に警戒を露わにした。ただならぬ様子に油断は許されない。
そんな咲良を尻目に、まるで世間話でもするかのように彼女は語りかけてきた。
「まあいいわ。私は人を探してるの。そこのお前答えなさい、佐々木はどこ? どこにいる」
(佐々木? 誰のこと?)
「なあにとぼけた面してるのよ。お前たちの諜報員佐々木のことよ。私は気が短いの。あと十秒で答えないと」
咲良の背後にいる、治療者の一人が不自然にねじれて粉々に千切れ飛ぶ。水の入った袋を捻じり潰したかのように、治療者の中身が辺りに撒き散らされる。悲鳴すら上がらなかった。躊躇いもなかった。バイオレットと名乗る女は、眉すら動かさずにいとも容易く人を殺してみせたのだ。
後ろから喉を引きつかせる音が聞こえてきた。咲良は背後すら見ない。見れなかった。そんな隙は見せられなかったし、きっと見れば心が折れると思ったからだ。
一瞬で理解した。相手は今まで相手にした誰よりも強いと。
「お前もこうするわ。答えなさい。佐々木は、どこ?」
だが。
それでも。
咲良は退かない。
「佐々木先生ね、それなら」
無名の拳。その奥義。意識の間隙を突く。
咲良の覚悟は完了していた。
バイオレットまでの距離には障害物となる瓦礫は一切ない。さっき放ったソニックウェーブのせいだ。だから、彼女は禁忌としていた殺人の一手を迷いなく振るうことが出来る。
攻撃は音を置き去りにした。確実。そう、確実だ。例え何らかの力で避けられても、この衝撃波までは避けることは出来ない。そこまで踏んでの攻撃だった。
「バカね。強いものに強いものをぶつけるなんて」
「な、なに……!」
「私の能力は『螺旋』。太極を描くのよ」
攻撃は間髪というところで届くことはなかった。衝撃波はバイオレットの髪をたなびかせるだけしか出来ず、全く通用しなかった。
(一体、どうやって!?)
バイオレットに避けられて、脇をかすめる咲良は一旦距離を取ろうと、地面を踏みしめ飛ぼうとした。しかし、足元に奇妙な力場が出来上がっていた。それは小さく渦を巻いており、足から地面に伝える力を分散してしまった。これでは飛ぶどころか、その場に転倒してしまう。
咲良の顔にシルクのような白く美しい手が伸びる。手の平には無数の螺旋が激しく絡み合っていて、ミキサーのように顔をズタズタにしようと猛っていた。
体を捻って拳で地面を打つと、斜め上の方向へ飛び上がり、崩れた瓦礫の上へ着地する。
「チッ。すばしっこいやつね」
(……そうだ、思い出した。この女は報告にあったホワイトの直属の部下だ。もっと速く気付いていれば。いや、気付いたところできっと変わらない。それ程までに強い!)
「佐々木の事も知らない。私に不意打ちをかける。これは死刑に値するわ。でも、死ぬのはお前じゃない。お前が守ろうとしていた者たちよ」
「な、やめ!」
「逃げたお前の負けよ。死んでも死にきれないくらい……後悔しなさい」
バイオレットの頭が跳ね上がった。次いで体がくの字に折れ曲がり、最後は地面を無様に転がって行く。
突然の事だった。咲良は一体目の前の出来事が何なのか理解できずにいた。目を見開いて、痛みで呻いているバイオレットを見つめているだけだ。
「やア。片平先生のとこの咲良さん。ご機嫌いかがかな。っと、驚いているところすまないが、私は非力なのでね、君の豪腕をお借りしたいのだが……よろしいかな?」
恰幅の良い和服姿をした中年の男が、咲良の傍らにいつの間にか立っていた。小さな口ひげを指でつまんで撫で付けている。
彼こそが諜報班と情報班を統括する教師、佐々木 正隆その人だった。




