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  外伝の章  森 ゆすらの思い出



 あの時は雪が降っていた。はずだ。あまり覚えていない。

 ただ、骨に染み入る寒さと冷たさは覚えている。

 泣きながら逃げ場所を求めて走っていた。子供の足で大したところに行けるはずがないのに。でもとにかく逃げたかった。どこか知らない場所に行きたかった。


 その少し前に、私は初めて能力を発現させた。ほんの些細な行き違いで、ほんの些細な口論で、私は友達の腕を切り飛ばした。

 斬られた腕から血が迸り、友達は声もなく崩れ落ちる。友達の叫び声、先生たちの怒号。恐ろしい物を見るかのような怯えた目。

 私の体に友達の鮮血が降り注ぐ。生暖かく、そして生臭い。鉄さびた臭い。

 目の前で起きたことが信じられなかった。何が起こったのか分からなかった。ただ、何をしたのかは分かっていた。これは私がしたことなんだって。

 だから逃げた。荷物も靴もそのままで、私は学校を飛び出した。


 道行く人々が、血みどろの私を見て次々と振り返っていく。中には呼び止めて事情を聞いてくる人もいた。それはただの親切だったのだけど、その時の私は動転していたのか、その人を突っぱねて再び駈け出した。

 遠くのほうでサイレンが聞こえてくる。頭の中に血塗れの友達の姿がフラッシュバックする。私は更に足を早めた。もっと遠くへ行かなくては。

 血で濡れた上着は既に捨てていて、ブラウスだけだ。公園の水道で顔の血を洗い流す。既に夕暮れになっていた。

 公園の土管遊具の中に、ゴミかごに捨ててあった新聞紙を拾って体に巻きつけ暖を取る。

 大変なことをしてしまったと、そればかりが心の中を占める。もう学校にも行けないし、家にもきっと戻れないって。

 混乱する頭とは裏腹に、疲労を訴えていた体はすぐに眠りにつく。そして次に目覚めた時は夜明け前だった。

 昨日のことが全部夢ならば。しかし目覚めた場所は公園の土管の中であったし、この凍てつくような寒さは本物だった。

 私は再び逃げ出した。どこへ行こうとしていたのか分からない。逃げなきゃいけない理由もない。でも逃げなければいけない。そう思った。


 この寒空の下、薄着のまま、そして飲まず食わずで体力を維持することなど出来ない。

 逃走から三日目。道に倒れて気絶していた私を、警察が保護した。

 次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。


 完全な個室なのか、他にベッドは見当たらなかった。部屋の戸は閉められていて、外から母と誰か知らない男の人の会話が聞こえてきた。

 そしてどこかに移動していくのか、声はだんだん遠ざかっていった。病院特有の静けさが逆に私の心をかき乱す。ここにいてはいけいない。早く行かなくては。

 ベッドから降りようとすると、右腕がベッドに括りつけられて居ることに気付いた。遊びはあるが結び方はきつく、材質もゴワゴワして硬い。

 今になって思えば、逃げ出すのを防ぐための処置だったのかとも思えるが、当時の私は裏切られた気持ちでいっぱいだった。紐が手錠に思えてきて、あんな事件を起こす私はなにか恐ろしい怪物、そういったなにかのように扱われているのだと、そう思った。

 届く範囲でボックスを探っていくが、当然何もない。私は何度も紐を引っ張って、切れろ、切れろと念じた。すると、紐はベットごと真っ二つに切断され、ついに私は自由となった。

 おそらく母が持ってきたのであろう着替えの入ったバッグを小脇に抱えると、紐を切断した要領で壁も切り裂いた。そして病院のスリッパのまま、私は再び寒空の下へ飛び出した。


 それ以後、私は能力を扱うことを覚え、それを使って生活することを覚えた。

 要は使いようだ。大抵のものは切ることが出来た。あとは見つからずにそれを実行するだけ。そういう非行を行ったことはなかったが、どうやら私と相性がいいらしい。すぐにやり方のコツを覚えた。

 事件を起こしてから半年間。地元からは随分と離れた場所に来ていた。橋の下にある死角に適当に雨風を凌げる場所をつくり、そこを拠点として活動していた。

 この半年間、ずっと気になっていたことがある。私が切ってしまった友達のことだ。無事ではないだろうが、生きているのかどうかが気になっていた。だからラジオはすぐに手に入れてニュースに聞き入ったし、捨てられた新聞や、電気屋のテレビを見に行ったりと、情報を漏らず拾おうとしていた。

 だけど、一度足りとも思い当たるニュースが報道されたことがない。

 私は焦れた。何が起こっているのかと。あんな大事件を隠ぺいすることなんて出来ないはずだと。でも、地元へ確認しに行く気はなかった。得体のしれない何かが動いていると勘付いたからだ。なにか大きな力がこの事件を闇に葬ろうとしている。

 その何かの正体がわからない。だから私は近づかなかった。それにそろそろ、このねぐらを離れようと思っていたところだ。もっと遠くへ、誰も知らない場所へいこう。


 次の街に移ってからしばらくして、私は相変わらずの根無し草だった。能力にも大分慣れてきて、色んな使い方ができるようになったが、依然として能力に対する不信感と不安感が抜けない。多分、あの事件がトラウマになっているんだと思う。能力を使うと決まって軽く熱を出したし、悪夢を見る。

 だけどやめるわけにはいかない。自分が生きて、生活するためにこの能力は必要だ。最近はガラス越しに目標の物体を切れるようになってきた。今までは小さなスーパーでしか盗めなかったが、これからはもっと大きいところに入れるようになるだろう。

 私の中で罪悪感と万能感と諦めが入り混じったかのような、ごちゃまぜな感情が湧き上がる。こんな事をしていてはいけない。しかし、これはしかたのない事だと自分を言い聞かせる。僅かな葛藤が胸の内でせめぎ合う。けれど、それを見ないふりをして、生きるために、自分のために能力を使って行った。

 逃亡生活から一年。あの時と同じように、身が凍える寒さの冬。運命を変える出来事が起こった。



 二人の男と、一人の少女が私の前へやって来たのだ。一人は若いというには、若すぎる細めの男。もう一人はくたびれた印象のある中年だった。少女は二人の影に隠れ、垂れた前髪からこちらを伺っている。

「森、ゆすらくんだね」中年の方が私の名前を呼んだ。そのとき、空き家をかってにアジトとして利用していた私は、畳の上に自前の毛布と暖房器具で暖を取っていた真っ最中だった。

 私はとうとう来たかと思った。だから温めていたインスタントスープを、鍋ごと投げつけて、能力で壁を切り裂いて即座に逃げ出した。

 警察とは思えなかった。ましてや刑事ですらないだろう。ガキ二人連れで来る警察なんてどこを探したっていやしない。それにこの家は誰も住んでいないことになっている。その上私の名前を呼んだということは、ここに私が居るのを初めから知っていて訪れたということだ。一体どうやって……?

 私をその場から逃げさせた要因はもう一つある。それは三人が揃って土足だったということだ。つまり――



「なんか訓練でも受けてんの?」



 逃走経路を走る私に、並走する形で若い方の男が追い付いてきた。

 私は心の中で舌打ちした。逃げるのを読まれていた。いや、それだけじゃない。この対応の早さは『私の能力を知っている』上での早さだ。これはいよいよ、あの時感じた不安が的中しそうだ。



「一応俺らは君のほ……ごぉっ!?」



 威嚇のつもりで能力を発動させる。狙ったのは靴だ。裸足で夜の冬道を走るのは辛いだろう。

 しかし、能力は別の力によってそらされてしまった。パンッという小さな破裂音とともに、私の能力が打ち負けた。


 ――私と同じ力を持つものがいる!?

 

 特別な力。心の何処かで私だけのものと思っていた。だからこの事実は思いの外私に衝撃を与えた。

 頭の中で目まぐるしく思考が回転していく。怖かった。超能力を持つ私以外の誰かが、私を狙ってやって来たのだ。きっと、あの子を殺してしまったから追ってきたんだ。そう思った。

 この一年間、心が休まることなどなかった。実際特別な力があったとしても、だいそれたことなど出来やしない。人の目を避け、怯えて日々を暮らす。表面上では慣れた風な様子でいたが、自分の知らない所でそれがストレスとなって溜まっていたのだろう。

 追い詰められたことによって思考は暴走していく。妄想の渦に沈んでいく私は、自分にで決めた禁忌を破ってしまった。

 それは生き物を対象に能力を振るうこと。私を追ってくる人間たちに、殺傷力の高い私の能力を発動させたことだ。


 対象は無差別だった。なるべく細かく、そして広範囲に。より鋭く、より深く。明確な殺意を持って能力を全力で使う。それは私の半径二十メートルにも及んだ。

 若い男以外は範囲外だが、これなら確実に一人を減らせる。

 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込むと、私は能力を発動させた。

 斬撃は暴風、竜巻のように荒れ狂い、路地の塀や電柱を細切れにしていく。遠くの方で誰かが叫んだ。でももう遅い。脱出なんて出来るはずがない。



「思い切ったことするよなぁ」



 その声は耳元から聞こえてきた。熱い吐息が耳をくすぐる。

 どういうことか若い男は生きていて、しかも私と密着していたのだ。体が触れ合い、体温が伝わってくる。私は男の肩に手を当てて突っぱねようとするが遅かった。ガッチリと抱きすくめられ、身動きが取れない。

 男は耳元でなおもささやく。



「細かいことは出来ないけど、出力の調整くらいは出来るんだ。ま、ちょっと痛いかもしれないけど、そこは我慢してくれ」



 その言葉を最後に、衝撃が体中を駆け抜けて行き、私の意識は途切れてしまった。

 暗い中に、誰かの温もりを残しながら。






 前にもこんな事があったな、と思いながら私は目覚めた。病院、ではなさそうだった。

 体を起こすと、少し頭が傷んだ。あれからどれくらい経ったんだろう。左腕の袖をまくり上げて、腕時計をみる。が、腕には何も付いていなかった。



「目が覚めたか?」



 突然声をかけられてドキッとしてしまった。声は部屋の隅のほうからで、そこにはあの若い男がパイプ椅子に座っていた。

 私は飛び上がって殴りかかった。反射的な防衛行動だったと思う。能力の事はすっかり頭から抜け落ちていて、今思うと馬鹿なことをしたと恥ずかしい。

 若い男は私の力一杯のパンチをなんなく受け流すと、そのままどうやったのかわからない早さで、次の瞬間に私は地面に組み伏せられていた。



「お、落ち着いてくれ。俺たちゃなにもしねえよ」



 胸を圧迫され、右腕を極められ痛みで呼吸が出来ない。頭に登った熱が、急速に冷めていくのがわかった。

 苦しそうな私を感じたのか、若い男は徐々に縛めを緩めていった。



「えーっと、その、今のは不可抗力というか……規定、というか。い、痛かった?」



 地べたにのびる私を助け起こしながら、申し訳無さそうに言ってきた。嫌味の一つでも言ってやろうかと思ったが、やめておいた。

 男は私の手をとって、ベッドに座らせた。



「あー、俺は八木健太。よろしく」



 彼はとりあえずと言った形で自己紹介してきた。無視を決め込むと、沈黙に耐えられなかったのか、聞いてもいないのに色々なことをしゃべりだした。

 要約するとこうだ。


 男――健太は私と同じく超能力者だという。そして今いる場所は、その超能力者を守るための場所、らしい。学校のようなもので、ここで共同して生活していくのだという。どうやら私もこれからその仲間入りをする、ということが決定しているらしい。

 ここには二つの顔があり、一つは超能力者の保護と教育。そしてもう一つが、私のようなはぐれ超能力者に対するカウンター、というのだ。

 そこまで聞いて、私はどうしても友達のことが聞きたかった。私のことを知っているふうだったし、それなら私がしたことも知っていると思ったからだ。でも、なんとなくこの目の前のアホ面には聞く気になれなかった。安っぽいプライドというやつだ。

 無視を続けること数十分。あの中年の方の男が、同じく少女を伴って部屋にやってきた。

 健太はやってきた二人に挨拶をして、小声で耳打ちする。それが終わると「わかった」と言って、中年の男は部屋にある椅子に腰掛けた。



「私の名前は片平。この学園で教師として在籍している。多分、君は聞きたいことがいっぱいあることだろう。私の方はそれに答える準備がある。さて、何が聞きたいかな?」



 子供をなだめるような柔らかい口調だ。なんとなく胡散臭くて、先の健太とは違った意味で相手にしたくない。

 だんまりを続けていると、片平の方からアクションを起こしてきた。



「じゃあ私の方から説明しようか。ええと、君が何者なのかわかるかい? 君は有り体に言えば超能力者と呼ばれる人間なんだ。そして、君が能力に驚いたように、超能力者が居ることは世間一般には知られていない。超能力者は社会に対して秘匿されている。それには様々な理由があるんだが、まあ一番の理由は『人と違う』という点かな。人種差別とかがあるが、これに限ってはそのような小さな違いとは根底を別にしている問題なんだ」



 片平は言った。人を超えた力、人智を超えた力というのは必ず混乱を生み出し、恐れを生み出す。やがて恐れが妬みに変わり、最後には恨みに変わる。持っているものと持っていないものの軋轢というのは、現代社会にだってある。そこに埋めようがない差異が現れてしまっては、その影響は計り知れない。魔女狩りのようなものが起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。全く予想ができないという。

 正直どうでも良かったが、言いたいことは理解できた。



「で、本題はここからなんだが……事後承諾というかなんというか、今回のはイレギュラーでね。本来ならちゃんとした説明を本人とご家族の両方にしてから、学園に行くことになっている。だから、君が目を覚ましてから親御さんを交えての話し合いになるはずだったんだが。実は先方のほうが拒否されてね、承諾書にサインだけして君の身柄を学園で預かることになったんだ」



 片平は言いにくそうにしていた。だけど、特に何も思わなかった。こうなることは予想していたし、今更あの人たちのもとで暮らしたいとも思っていなかった。むしろ会わなくてよかったとすら思える。

 全く反応しない私を見て、やっちまったかというような表情を片平は作った。対して私の方は、現状を把握したら気持ちは多少楽になっていた。片平の背後で少女がオロオロしている姿に微笑ましさを覚えるくらいには、リラックスできていた。

 だから、私は勇気を持って、質問することが出来た。



「――あの子は」


「ん?」


「私が傷つけた友達……陽子は無事なの?」


「ああ。あのあとすぐに病院に搬送されたよ。今回は学園が動くに足る案件だったから、治療班を即座に派遣して腕は元通りにさせてもらった。ただ、多くの人が目撃しているため、君に関する記憶は改竄している。すまない」


「そ、っか。無事なんだ……」



 なぜだか涙があふれた。悲しいわけでもないのに、涙が止まらない。涙とともに、私の中にあった何かが流れ落ちていくのを感じた。それがなんなのか分からなかったが、泣き終わった時にこれまでにないくらい気分は晴々としていた。

 この一年、ずっと心に刺さっていた。私がしたことがこれで無になるわけではない。それでも、彼女が無事で心底ほっとした。なぜか救われたような気さえしてくる。

 思う存分泣くと、私はこの学園に入ることを決めた。一瞬で態度を変えた私に三人共面食らっていたが、片平はすぐに「ようこそ」と返してくれた。

 それから、ここ『学園』が私の新たな居場所になった。




 長く語るのは私の趣味じゃないからいろいろ端折ったけど、いいでしょ?

 学園に入ってから? そんなの……アサちゃんか、けんくんに聞いてよ。まあ、一言だけいうなら、それなりに楽しかったよ。思い出もいっぱい出来たし。

 ……ドラマティックとか知らないわよ。普通はそんなもんよ。むしろどうやったら物語に富んだ入学方法があるっていうの。新聞記事にしたいのはいいけど、人の思い出をあっさりとか言わないで。

 きみだってそうでしょ。行く宛もなくてとか、スカウトされたから、とか。……ね。そういうものよ。


 それじゃあね、これからさくちゃんの相手しなきゃだから。

 次はけんくんにでも取材してみたら。彼、教室の最古参だからね。私の知らないこといっぱい知ってるよ。

 うん。そういうことで。バイバイ。




 



 久しぶりに昔のこと思い出しちゃったな。あの時のことは今でも夢に見るから、あまり思い出したくなかったけど。まあいいか。

 今度陽子と飲みに行こう。たまには昔話に花を咲かせたいしね。




 おわり



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