第十一話 百鬼夜行 後編 ◎
灰色の世界は瞬く間もなく終わりを告げた。
三人は開けた場所に現れた。周りには幾つものガラスで出来た円柱形の物が置かれており、なにかの液体が詰まっていた。
圭介は腕の中で力なくもたれこんでいるアサギをしっかりと抱きしめ、辺りを警戒した。またさっきの化け物が現れないとも限らない。
「とりあえず異界からは脱出出来たよ。安心は出来ないけど、少しリラックスした方がいい」
森がポーチからチョコレートを一欠口に放り込みながら言った。
ひとまず何事もなさそうだなと判断すると、壁に寄りかからせるようにアサギを床にそっとおろした。
「今の……あの異界も、最後のやつも一体何だったんです?」
「あれも超能力の一つ。『異界送り』って言ってね、別の世界に飛ばす能力らしい」
今度は水筒を取り出して一口飲む。次にアサギの口まで持って行って、ゆっくり口に含ませた。
衰弱しているのか、アサギは少しずつ運ばれる水を飲んでいく。飲み終えると、森は手巾を取り出してアサギの汗を拭き取っていった。
「異界にはああいった人智を超えた生き物が存在してて、異界に放り込まれたやつは喰い殺される。異界の主である『王』か、能力を行使している張本人をやっつければ異界は解かれるんだけど……。今回はあれだけ戦っても王は出てこなかった。相当深い異界に送られたってこと、だと思う」
「じゃあ……どうやって出てきたんです。あれが、アサギさんの能力なんですか」
「そうだよ。ま、詳しいことはここを出てからね。まだ異界送りの主を見つけてない。ということはまだ危機は去っていない、むしろこれからが本当の始まりだよ」
森は耳元の小型無線機を弄くるが、未だにうんともすんとも反応がない。肝心なときにいつもこれだ、と憤っている。
圭介は胸元のライトで近くの円柱を照らしてみた。等間隔で並べられたこの物体に、嫌な予感を覚えたのだ。
円柱をガラス越しに覗きこむが、中はよく見えなかった。これでは何が入っているのかもわからない。ただ時折気泡が動くだけだ。
「森さん。これって……」
「なんだろうね。すごく怪しいけど……。切ってみる?」
「不味くないですか?」
「大丈夫でしょ」
そう言って指を弾くと、液体の入った円柱形が縦に両断された。
緑色の液体が一気に飛び散り、その全てが流れだすと……
「ビンゴ」
「写真の怪物!」
中から出てきた物体は床に投げ出され、その巨体を露わにした。
中に入っていたのはブリーフィングで見た角つきの怪物だった。身体はゴワゴワとした体毛で覆われ、身体は通常の人間の三倍近いほど大きい。筋肉が盛り上がり、手には剣のような爪が生えている。額の角と合わせて、まるで鬼を思わせた。
円柱形の容器はこの鬼を調整、維持する装置だったのだ。
「薄々この場の雰囲気から察してたけど、いきなり当たりを引くなんて」
部屋の中は広く、数十以上いや一〇〇近くはあるだろう。その全てが怪物なのだ。
「けいくん、この場合一気に全部破壊したほうがいいかな」
「やりましょう。こんなものあっていいはずがない」
――それは困る。折角集めた素材たちなんだ。優しくしてやってくれ。
男の声が部屋の中にこだまする。あちこちに反響してどこか出どころか掴めない。声は若く、子供のような高さがある。
突然の事にアサギを囲んで二人は辺りを警戒する。アサギはまだ動けないのかぐったりしていた。それでもなんとか顔を上げて目を光らせている。
声はなおも続く。
――どうやら残りは帰還できなかったようだな。残念だよ、お披露目は多ければ多いほうがいいのに。ま、俺はどっちでもいいんだけどね。
男の声が愉快そうに弾む。
どうやら咲良と八木も圭介たち同様異界に送られているようだった。
「二人を、どうしたって……」
「けいくん落ち着いて。二人は絶対戻ってくる。八木が付いてるから」
――食いつくのはそこかよ。もっと自分たちの心配をしたらどうだ? これから祭りが始まるっていうのに。
男の言葉に反応するように、全ての円柱形の装置が起動し始めた。中の液体が排出され、空っぽになると前面の蓋が開いていく。
はき出された鬼たちは、生まれたての子鹿のようにガクガクと覚束ない様子で、地べたを這いずりまわっている。あまりの事に反応が追いつかないまま、このおぞましい光景を見続けていた。
森は破壊した装置から出てきた最初の鬼の首を、四度の攻撃で切り落とすと、高らかに宣言した。
「例え元人間だろうと、私は容赦しない。躊躇いなく斬る。無論お前たちもだ、七支聖奠」
――俺を斬るって? 止めておけって。そもそも俺はお前たちに近づかない。相手はその『鬼人』がしてくれる。お前の切断能力でも一筋縄ではいかないぜ。ま、俺はせいぜい見物させてもらうよ。頑張りな。
鬼人と呼ばれた怪物たちが一斉に咆哮を上げる。建物を揺るがす大声だ。その声を皮切りに、四つん這いで震える四肢で無理やり動き始めた。
不格好で、吊り下げられた糸人形のような不気味さで、頭上を埋め尽くす。
「けいくん、アサちゃんを護ってッ!!」
森が余裕なく叫ぶ。既に広範囲に渡って飛びかかる鬼人たちを撃墜していくが、落としても落としても再び襲い来る。何より耐久力が異常だった。厚い筋肉と脂肪に加え、生半可な攻撃を跳ね返す剛体毛が厄介だった。森の全力の攻撃を何度もすることで、ようやく毛の薄い首を落とせるほどの強靭さだ。
森の能力が通じない。これは今まであった三人のバランスを容易く崩してしまった。アサギを抱えて逃げまわる圭介も、既に囲まれていて逃げ出せそうにない。
ただ光明はある。鬼人たちの機動力が極端に低いことだ。まだ成長しきっていないのか、突然の起動で対応できていないだけなのかわからないが、無理やり這いずることと、飛び上がって襲ってくるだけだ。単調であり、正しく動ければ迎撃することは出来る。倒すことは出来ないが時間は稼ぐことができ、アサギの回復を待てる。
飛びかかる鬼人の下顎に的確に拳を突き当てて、圭介はアサギを護る。
(きっとアサギさんが回復すれば、せめて五分に持っていけるはずだ。それまで、それまで……!)
圭介は敵の昏倒を狙って頭部を狙うが、発達した筋肉と頑丈な骨格のためか、まだ効果が現れていない。
アサギを護りながらの戦い。ついさっき経験したことだが、今度は森のフォローはない。圭介だけがアサギを護る唯一の盾なのだ。圭介はそのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、迫る鬼人を打ち落とす。
異形とはいえ、人型で元人間を殴るというのは気分がいいものではない。肉を骨を内蔵を打つ感触。実際にはない感覚だが、逆にないからこそ不快感が際立つ。しかし怪物たちはそれにも構わず殺到してくる。不快感を堪えながら、無心となって反撃していく。
(心なしか地上からの攻勢が激しくなった気がする)
上を警戒するよりも、地上からの攻撃を警戒するほうが増えたような気がしてくる。
いや、違う。
(こいつら……成長している!? 立ち上がり始めているんだ!)
数に揉まれて分かりづらいが、既に何人かは立って行動している。そいつらは動きが早く、反撃のリズムを僅かに狂わせてくるのだ。
最初は無我夢中で分からなかったが、今ハッキリとわかった。やつらが成長していると。
鬼人たちから逃げるために大きく動いたため、森との距離も離れてしまっている。敵の群れの中チラリと見えたが、あちらにも既に立ち上がった者が何人かいた。
(決め手が……ないッ! このままだと、このままだとまずいことになる!)
無尽蔵の体力と能力すら届かない打たれ強さ。そして闘争心だけ引き出したかのような行動力。恐るべき兵器だと圭介は恐怖する。
「うわああああぁぁぁぁぁぁッ!!」
圭介は思わず声を上げてしまった。何度も何度も立ち向かってくる恐怖。時間が経てば成長し、更なる脅威となる怪物。
しかし逃げることは出来ない。腕の中で憔悴する守るべき者が居る限り、圭介に逃走と敗北は許されない。
ぎりぎりの精神の中、小さな声が圭介に届いた。
「圭介くん。安心、して。みんなが、来るよ」
声はアサギのものだった。青ざめていた顔には赤身が指しており、力がみなぎっている。
圭介はその言葉を理解するよりも早く、部屋の真ん中に稲妻が迸った。稲妻は空間を幾つにも切り裂いていき、近くにいた鬼人たちを打ち倒した。
雷光は徐々に収まっていくと、稲妻の落ちた後に二人の人間が現れていた。
「友の導き辿り着き、現れい出るは男八木。あっ! 見~参! とうっ!」
珍妙な前口上で登場した八木健太と、目に怒りを燃えさせる五十嵐咲良が飛び出してきた。
二人は鬼人の群れに飛び込むと、あっという間に蹴散らし始める。八木はふざけた態度とは裏腹に、その攻撃には容赦がない。皮膚を焼き、肉を焦がす極大の稲妻を操り敵に切り込んでいく。対して咲良は圭介と戦った時のようにm必要最低限の動作で的確に相手を打ち抜いていく。全く敵を寄せ付けなかった。
八木と咲良という強力な味方を得た森は、元気を取り戻し、縦横無尽に刃を走らせる。八木の雷撃で筋肉を麻痺させて動きを止め、それを森が攻撃していく。咲良は八木と森を守るように動きまわり、近づく鬼人たちを投げ飛ばしていく。見事な連携だった。
鬼人たちのほとんどは三人に引きつけられており、彼女たちに任せておけば大丈夫そうだった。
「咲良、八木さん!」
「二人は、まだ異界で彷徨ってて。呼びこむ力は無かったけど、異界の王までの最短距離、を、今までナビゲートしてた、の」
アサギは圭介の懐からゆっくり降りる。そして圭介を振り返り、ニッコリと笑った。
「護ってくれてありがとう。今度は、私が護ってあげる、ね」
目の前に完全体となった二足歩行の鬼人が襲い来る。アサギはそれに一瞥をくれると、たったそれだけで鬼人の動きを止めてしまった。そして、みるみるうちに両手両足がねじ上げられ、乾いた音をたてて関節を外してしまった。
周りの鬼人を無力化すると、アサギは次の一手を打った。
「今から、あの声の主を、こちらの世界に呼び戻すね。圭介くんは、出てきたらすぐに、やっつけてね」
「出来るのか?」
「うんっ」
そう言うと、部屋の隅に手をかざして、ぎゅっと拳を握ってその拳を引っ張った。虚空にあるものを引き寄せるような動作と共に、人間が引きずり出されてきた。
「いまっ!」
アサギの声に弾かれるように圭介は飛び込んだ。姿を完全に確認できる前に、圭介の拳は目前の人間の鳩尾に突き刺さる。
しかし。
「と、止められた!?」
圭介の一撃は左手で止められており、そこからびくとも動かない。
そこでようやく敵の姿を確認できた。まるでヒーローのような鎧に身を包み、頭部はすっぽりと仮面で覆われている。二つの大きな赤い目が圭介を見つめていた。流線型を基調とした白いボディ。腰のベルトには銃と見られるものを下げている。
圭介は拳を取られたまま「誰だ」と聞いた。目の前の男はそれに答えず、圭介の胸へ右拳の突きを放つ。圭介は防御しようと残った手で受けるが、防御の上から衝撃が伝わり、後ろへ吹き飛ばされて壁にたたきつけられてしまった。
なおも追いすがって攻撃を加えようとする男に、アサギは力を送り込む。必殺の力を込められた攻撃は、発動直前で急な方向転換をした男に避けられてしまった。
男は標的をアサギに変更したようだ。白磁のような手が鋭く伸ばされ、アサギを削ごうと振り回される。それをギリギリで回避して、今度は敵の攻撃に合わせて砲撃のように力を撃ちだした。
突き出される手刀ごと敵の胴体を狙った不可視の砲弾。避けられるはずはなかった。機も絶妙であったし、速度も威力も十分だった。だが、しかし。あろうことか、またも直前で回避されてしまった。まるで真横に引っ張られるように不自然な態勢で避け方だった。さらに避けた態勢のまま腰のホルスターから銃を引き抜き、アサギに向かって発砲した。弾丸は赤い閃光のように光り、尾を引いてアサギに迫る。
アサギはとっさの事に能力での防御が間に合わず、身体を捻って避けようとするが、左肩と右腰部に着弾してしまった。衝撃がアサギを打ちのめし、小さな悲鳴とともに地面へ倒れ伏す。少し遅れて舞い散った血が辺りに撒き散らされた。
アサギを護ろうと飛び出しかけていた圭介にも、白銀の銃口を向ける。
「ちくしょうっ!」
踏み出しかけた右膝に閃光がぶち当たる。着弾の衝撃で態勢が崩され、倒れかかったところをトンボを切って着地する。そのまま追撃の銃撃をかわすために地面を転がり、円柱形の装置の影へ逃げ延びた。
男は小さく舌打ちをすると、銃を腰のホルスターへと戻した。
「おいおい、情けなくないか? 女の子に守られてさぁ。銃か? 銃が怖いのか。ほら仕舞ってやったぞ。どうした、これで互角だ。かかってこないのか? お前が戦う意志を見せないと、この女の子をズタズタに引き裂くぞ。あの鬼人どもに命令してやってもいいかもな」
圭介は男の意図がつかめなかった。あの様子だとまるで遊んでいるかのようだ。それに、どうやら鬼人たちを操作しているのもあいつらしい。圭介は影からアサギを見る。撃たれたところから血が流れ出していて、血溜まりができつつある。急いで止血しないと死んでしまうだろう。
「折角お前に会いに来たんだ、もっと楽しませてくれよ。なあ、オイッ!」
(ここでこうしていたってダメだ! 急いでアサギさんを回収して止血しないと!)
圭介は装置の影から飛び出した。男に向かって体当たりのように突っ込んでいく。
眼前の男は狂喜乱舞して、圭介の攻撃を受けようと身構えた。この速度の圭介を止めるというのだから、相当な自信家のようだ。
(勘違いするなよ。お前の相手が優先じゃあないんだ!)
圭介はかつて佐々木を出し抜いた時のように、男の目の前で急停止する。踏み込んだ右足が地面を踏み砕き、身体がやや沈み込む。そしてその踏み込みの勢いを利用して、アサギのいる左側へ飛び込んだ。圭介は滑るようにアサギの傍らに降り立ち、アサギを抱き寄せようとする。
が。その時鋭い衝撃が圭介を貫いた。
「考えが甘いんだよ!」
いつの間にか圭介の背後にいた男は、渾身の蹴りで薙ぎつけ、圭介の巨体をまるでボールのように弾きだした。
体をねじってなんとか着地する圭介。一方その心中は穏やかではなかった。
(まただ。あいつの動きが不可解過ぎる。どういう動きをしているのかわからない! アサギさんも救えなかった。くそっ、くそッ!)
一瞬森たちの方を見る。三人の連携でなんとか戦えているが、数の多さとそのタフネスに押され気味だ。男の発言から、恐らく意図的に彼女たちを集中攻撃するようにさせているのだろう。これでは助けも期待できそうにない。むしろ早く助けに行かなければ危ういだろう。
焦りが圭介を突き動かす。仲間たちの命は大げさに言っても危うい状況にある。特にアサギは圭介にしか助けることは出来ない。その焦りが戦いの決着を早めさせた。
咲良の教えを無視した力任せの踏み込み。一直線に男へ向かう。男も今度こそはと構えに入った。両者が激突する。
銃弾のような機械的で真っ直ぐな突きが男の喉へと伸びてゆく。空気を割り、爆発にも似た音を立てて拳が放たれる。人体を容易く抹殺するであろう、手加減一切なしの必殺の一撃だった。出せば必ず殺す必殺の拳。殺意なき殺人拳だ。誰にも避けられず、受けられない。そのつもりだった。
男の行動は更に素早かった。迫る拳の懐に入り込むことでやり過ごし、圭介の勢いを利用したカウンターを炸裂させたのだ。男の渾身の肘打ちが圭介の右胸に突き刺さり、衝撃が背中から突き抜ける。衝撃は全身に広がり、圭介の表面装甲をバラバラに引き裂いていった。
一瞬の決着。その一瞬で圭介の機能は完全に停止し、ただの機械の塊としてその場に崩れ落ちた。
そして男は仮面の奥で密かに笑った。




