第十話 百鬼夜行 中編 ◎
旧シラカバ精神病院。三方を山に囲まれた大鳥町の奥の方にある病院だ。
病院の敷地は封鎖されており、有刺鉄線が張り巡らされている。立入禁止の文字が汚れて見難い。
輸送車は事前に話が通してあったバス会社の協力の下、会社の倉庫に隠させてもらっている。病院までは一キロの地点にあり、丁度良い距離だ。
病院は森の真横にあるのか、既に草木に侵食されつつある。圭介たちはその生い茂る草木に潜んで観察する。
「情報班によると人の出入りがあったっていう話っすが……どう見ても廃墟にしか見えないっすね。どう思う?」
「いないならいないでいいよ、楽だし。私たちの任務は逆らうやつをぶっ倒す事だから、そんな些細な事気にする必要ない」
「森さんはブレないっすね。じゃあ咲良ちゃん、俺たちは予定通り第二病棟の方から行くっすよ」
「了解。それじゃあまたあとでね」
八木と咲良は素早く奥にある第二病棟へ移動していった。
残った森チームは、それを確認してから素早く正面玄関の自動ドアへ近づいてく。
ドアのガラス越しから中を伺うが目立った変化はない。それどころか明かり一つなく、まともに中は見えなかった。
「中で何が起こるか分からないから気をつけてね」
森が小声で忠告しながら、自動ドアの前で手をふった。すると跡形もなく粉々に切断され、音を立てる事もなく飛び散った。
「さ、これでいいよね」
森が一足先に病院へと足を踏み入れると、アサギと圭介もその後に続いた。
常夜灯もなく、外からの月明かりと、服の胸元に付けられた小型ライトの明かりだけが頼りだ。ライトで周りを照らしてみるが中は埃っぽく、人が立ち入った形跡はなかった。
「ここの前にも廃病院に入ってるんだけど、その時もこんな感じだったな」
エントランスホールの真ん中に立つ森が、何の気なしに呟いた。
「どういうことです?」と圭介が聞くと「何かが隠されている気がするってだけ」と返した。
森の言葉を受けて圭介も慎重に周りを見回してみる。なにか変なところがないか探してみようとしたのだ。しかし、見える範囲では特に変わったところはなかった。
ホールから移動し、床下に表示されてる簡易の案内にそって地下を目指す。
病院内はまるで当時そのままの姿で風化しているようで、埃以外は整然としている。そこに引っかかりを感じながらも地下への階段を降りていった。
元々は精神病院だったのを改装したからか、地下は上階よりも若干新しかった。地下には手術室と資材室が設けてある。
「地下に手術室か。なんかきな臭いですね、森さん」
「精神病院から変わるときにここになったらしい。けど普通そういう事をするかな。アサちゃんはどう思う?」
二人の後ろに一歩遅れて付いて来るアサギに、森は意見を求めた。周りを警戒していたアサギは突然の呼び掛けにややビクついた。
「え! あ、その……別棟を建てたりする、と思います。それに……」
「それに?」
「ここ、ボロボロなのに綺麗過ぎ、ませんか?」
アサギの指摘に森も圭介も周りを改めて見るが、劣化と埃でどう見ても綺麗とは言い難い。圭介はアサギの言いたいことが分からなかったが、森は彼女の言いたいことが分かったようだった。
森は額に手を当てて、
「アサちゃんは冷静だね。ついちょっと前、同じような廃墟に入ってたのに見逃すなんて。私もけんくんの仲間入りかな」
「えっと、どういうことですか?」
「長い間廃墟だったのにまるで荒らされた様子がない。入り口すぐのイスはともかく、カウンターの備品一つに至るまで整頓されていた。こういうところは大抵不良たちのたまり場になるのが相場と決まっているのに」
思えば何から何まで『当時そのまま』を思わせるほど綺麗なままだった。ただ経年による劣化と積もった埃に目を奪われ、思い込んでしまったのだ。
しかし、それだけではちょっと変なことだけに過ぎない。立入禁止で有刺鉄線で封鎖されているのを、わざわざ破ってまで進入するかというと微妙な線だ。
だが、森は素早く判断を下した。最初の情報との齟齬、現在ある違和感。それらは彼女に結論を出させるに十分なものだった。
「アサちゃん、多分私たちは罠にハメられたよ。無線が通じなくなってる」
森に言われて気づいた。この病院の敷地に入ってから片平の指示が全くなかった事に。
「恐らく私たちは異界送りにされた。つまり、現在敵のど真ん中にいて、既に攻撃を受けている」
異界送り。圭介には聞きなれない言葉だったが、超能力ということ、現在既に危機にいることが分かれば十分だ。
経験を積んだ森とアサギは冷静で、すぐに次の算段を整えていた。
「私の好きなことは、小生意気な奴の横っ面をひっぱたくこと。これから異界送りを仕掛けている超能力者をとっちめに行くよ。構えてッ!」
戦いは瞬時に始まった。廊下の壁や床、天井から音もなく何かがせり出してくる。
それは幽鬼のように青白く、顔には三つの目と耳まで裂けた口があった。粘膜で濡れており、鋭い爪のある手を鉤にして襲い来る。
森とアサギは即座に飛び退いて三つ目の幽鬼たちの囲いを突破するが、一瞬遅かった圭介は囲まれてしまった。中空にいる圭介に無数の鋭い爪が伸びる。
逃れられないと悟った圭介は片足を伸ばして地面につき、それを軸に身体を捻って独鈷のように回転した。そのまま襲い来る幽鬼たちに圭介の豪腕が炸裂する。拳は幽鬼の体を打ち砕いき、淡い光子を飛び散らせて消え失せていく。囲みが弱まると、圭介は一目散に森たちのところまで後退した。
「凄いね。まるで咲良ちゃんみたい」
森の脇を通り過ぎると、待ってましたと言うタイミングで森の能力が開放される。
無形の剣刃は眼前の敵を無差別に切り刻み、上下左右の壁も切り崩されていく。数秒もすると幽鬼は霞みのように跡形もなく消え去っていた。
あまりの事に怯える圭介。
「い、今の何なんですか? おれ、もしかして人間を……?」
「いくらなんでもそれは違うよ。あれはこの異界の住人。ここに迷い込んだものを喰い殺す幽霊みたいなもの。人に近い見た目をしているけど人間じゃない。そもそも生物でもない」
森は圭介とアサギの無事を確認すると「今の騒ぎでもっと集まってくるから先を急ごう」と、地下を駈け出した。
異界は突如として牙を向き始める。頭のなかに叩き込んだはずの見取り図も早々に役に立たなくなり、おまけに幽鬼の襲撃付きだ。地下は迷路のように入り組んでおり、登ったり降りたりを繰り返している。
圭介は進む事に増える幽鬼の攻撃に、何故か生き物の腹の中に居るようだと思った。自分たちは異物でそれを排除するような、そういう妄想だ。
「これじゃあ制圧どころじゃないね」
十二回目となる幽鬼たちの攻勢をしのぎ、最後の一人を両断したところで森がボヤいた。
確かに当初の目的が達成できる状況ではない。終わりのない迷路、尽きない怪物。森の能力のおかげで危ういことは少ないが、それでも消耗しないことはないだろう。長引けば長引くほど任務達成どころか、生還すら危うくなってくる。
「さーて、そろそろ時間稼ぎもいいところかな。どう、アサちゃん」
「もう、少しです」
「そっか。じゃあ動き回るのもここまでだね。けいくん、これからアサちゃんがこの状況を変えてくれるんだけど、すっごく集中するから動けなくなる。だから私たちでこの場を死守するよ。おーけー?」
「お、おーけーです!」
「良い返事だ。じゃあフォワードは私がやるから、けいくんはアサちゃんを抱いて逃げまわってね。ディフェンダーよろしく」
「抱く……抱く!? ってなんです!?」
「動けないアサちゃんを抱えて逃げろってこと。来るぞ!」
爪が床を叩く音が廊下の奥から無数に聞こえてくる。三つの目を光らせ、ケダモノのように地面を這いつくばる異界の住人たち。口からヨダレを垂れるままにし、知性の欠片も無いようにみえる怪物は、一直線に森たちに殺到した。
森の能力が烈風のように力強く、そしてぞんざいに幽鬼たちを叩く。圭介は森に言われた通りにアサギを抱え込み、森が撃ち漏らした幽鬼たちから逃げ回った。
森はピッタリと圭介に付き、どう動き回っても必ず側に立つ。天井から来るものも、床から這い出してくるものも、その全てに反応して斬滅していく。能力のたった一振りで無数の幽鬼が塵になるのを見て、咲良が『凄い』と言っていたことを身にしみて理解できた。森の能力は正確無比で、あれだけ大雑把に敵を切り刻んでいくのに、動き回っている圭介たちにはかすりもしない。それどころか、圭介の死角にいたものを切り落とすという離れ業をしてのけたのだ。戦いの年季の違いを思い知った気分だ。
防衛戦開始から十分が経とうとしている。圭介の腕の中にいるアサギは既に目を閉じており、今起こっている戦闘の事などまるでお構いなしというようだ。
(そういえば彼女の能力っていったいなんなんだろう……)
森はアサギがこの状況を変えてくれると言っていた。それはきっとアサギの能力の事なのだろう。森は無造作に能力を行使しているが、アサギは集中しなければならない、という違いがある。咲良もそういうことは無かった。
森の大立ち回りで敵どころか周囲にある全てがズタボロの残骸へと変わっていく。それでも幽鬼の進撃は止まらず、多勢に無勢。流石の森もやや押され気味か、撃ち漏らす数も多くなってきた。
面倒になったのか一際大きな気合を発すると、視界に居る幽鬼たちが一斉に粉微塵と化した。幽鬼たちの残骸が儚く輝き虚空を漂って消える。これで少しは時間が稼げるはずだ。
「ふぅ~。これはいつもよりも念入りに『落とされた』かもね。ここまでやってまだ『王』が出てこないなんて。アサちゃんに頼んどいてよかった」
「大丈夫ですか!?」
「それなりに。でもこの調子だとちょっと面倒かも。……あーあ、もう休憩終わりか。早いんだよ、もうっ。アサちゃん早く頼むよ」
引いた潮が打ち返すように、再び幽鬼が波濤のごとく押し寄せてくる。その数に圭介は気圧されるが、森は真っ向から立ち向かい反撃する。
戦いの素人である圭介にも分かった。このままでは数に押し負けてしまうと。腕の中のアサギを見る。彼女の眉間は寄せられており、額は汗ばんでいる。本当に大丈夫なのか。このまま彼女を信頼してもいいのか。圭介は不安に駆られた。しかしあの森が信じている以上、自分も信じていなければならない。アサギを護ることが圭介の役目だ。森の信頼も裏切るわけにも行かない。
その時、アサギの目がカッと見開かれた。薄暗闇の中にあってアサギの瞳は星のような輝きを持っていた。体を起こして圭介の腕の中から飛び出すと両手を天高く掲げ、そのままなにかを掴むように手を握り、思い切り振り下ろした。
「アサギさん!!」
圭介の庇護から離れた無防備なアサギを、幽鬼が背後から襲う。それを間一髪のところで掴み上げて投げ捨てる。新たに群がって来るのを迎撃して、アサギを守った。
そして圭介がアサギを抱きとめると、変化は起こった。
まるで本のページのように空間が『一枚』めくれ上がったのだ。本来無いはずの空間の隙間が三人の前に現れる。隙間の中は暗いのに明るく、渦巻いているのに停滞している。そこは色のない灰色の世界。普通の人間は来てはならない、見てはならない場所だと、圭介はそう本能で悟った。
そして隙間から漏れだしてきた力の奔流が三人を包み込み、一息に隙間へと引きずり込んでいった。三人を飲み込むとページは閉じられ、また何事もなかったかのように元通りへと戻ってく。
幽鬼たちは三人が消えた痕跡を求めて騒ぎ出す。しかし、既にこの世界から完全に消え去っており、醜い怪物が彼らのもとにたどり着く事は二度となかった。




