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プロローグ 本当の始まり


 ――――


 ――




 どれだけ時間が経ったのか。

 意識を取り戻すと全身が熱く痛み、前髪は何かに濡れ張り付いている。



(ど、どうなった? 暗い、み、みんなは……)



 どうやらまだ夜は明けていないらしい。辺りはまだ暗く、全く明かりがない。

 ボンヤリとする頭で直前の事を思い出していた。突然飛び出してきた『何か』を避けようと父さんがハンドルを切った。それで……恐らく山の斜面から落ちたんだろう。

 何がどうなったのか、車は一回転しており逆さまになっている。車の中も内側にいながら凹んでいるのが分かる。

 外に出ようと身体を動かすが全く動かない。下半身が前の座席の残骸に挟まれているのだ。



(身体が、動かない。母さん、隣にいる母さんはどうなった。兄さん、父さんは……)



 目もだいぶ慣れてきたのか徐々に見えるようになってくると、衝撃の光景が目前に広がっていた。



「ああ、あ、父さ、ん……にい……!」



 喉がかすれて悲鳴すら出ない。いや、それ以前に喉の筋肉がひきつき、まともに喋ることが出来ない。呼吸が浅く早くなる。指先が痺れ、視界が明滅を繰り返す。心臓が痛いほど脈打ち、耳の奥でドクドクと血の流れる音が響いた。

 運転席と助手席の二人がいたところに鈍色の塊が貫いており、そこには赤黒い血がべっとりと着いていた。

 ふと気づく。自分の頭部がなにに濡れているのかと。それは恐らく二人の血だ。潰された圧によって噴出した二人の血なのだと。



「――――――――――!!」



 声にならない悲鳴。喉の奥に血の味が滲んだが、それでも悲鳴は続いた。信じられなかった、信じたくなかった。すべてをかき消し無かったことにするかのように、声なき悲鳴は止まらなかった。

 一体なにが間違った。一体どうしてこうなった。久しぶりに帰省し、初の家族旅行にでかけた、ただそれだけのことなのになぜ、どうして……



「うっ……」



 隣で呻き声がする。母さんだ、母さんは生きているのだ。俺は痛む身体を無理して動かし、隣に手を伸ばす。



「あ、あなた……圭介、淳也……無事なの……? 目、目が痛いの。な、何も見えないのよぉ……」



 目を怪我しているらしい。幸い声から察するに、目以外ではそれほど大きな傷を負ってはいないようだ。ほっとして声をかけようとするが、喉から出てくるのはただかすれた音ばかり。さっきので完全に喉を潰してしまったらしい。



(声が出なくても……)



 そう考えた俺は、ゆらゆらと探る母の手を優しく握る。触った瞬間に一瞬ビクついたが、すぐに俺の手とわかったのか握り返してきた。



「けい、すけ? 圭介、無事なのね……!」



 ぎゅっ、ぎゅっと返事のつもりで二回握る。戸惑いを見せたものの、その意図にすぐに気づいた。



「良かった! あなた声が出せないのね? 怪我をしたの? 大丈夫?」



 今度は一回。



「怪我をしているのね。お母さんも目が痛くて何も見えないの。他は身体がちょっと打撲したような感じに痛いくらい」



 母さんはほとんど軽傷らしい。目の痛みが気になるが、一応無事のようだ。

 母さんの目が見えていなくて少しホッとする。不幸中の幸いと言えばいいのだろうか。歓迎したくはないが。

 もし目の前の光景を見てしまったら……今の状況でそれは避けたかった。自分はともかくこの状況に耐えられなくなるかも知れないから。



「お兄ちゃんとお父さんは、わかる? 声が聞こえないのだけれど」



 一回。わからない、と。



「そう、気絶してるのかしら……あら?」



 突然スンスンと臭いを嗅ぎ始める母さん。



「この臭い……何かしら。鼻にツンとくる臭い。どこかで嗅いだことのある……」



 自分も母さんにならって臭いを嗅いでみる。すると確かになにかの臭いがする。以前、それもつい最近どこかで嗅いだことのある強い匂いだ。そこでハッと気付く。

 ガソリンだ。この臭いはガソリンだ。ガソリンが車から漏れ出ているのだ!

 その動揺が手から伝わったのだろう、ほぼ同時に同じ結論に辿り着いたようだった。



「が、ガソリンだわ! ガソリンが漏れているんだわ!」



 ざりっ!

 車の外で、何かが砂利を踏む音が聞こえてきた。

 動物か? いや動物はこんな音は立てない。平らなものの間で砂利がこすれる独特な音だ。それは人間の靴底でしか発生しない。

 では誰か。こんなところにいる人間とは誰か?



「そ、そこの人! 助けてください! 事故にあってしまって身動きが取れないんです!」



 母さんが外の何者かに助けを求める。が、なおもゆっくりとした、一定の歩調でこちらに近づいてくる。

 嫌な予感が頭のなかを駆け巡る。そいつを近づけてはいけない。そいつを呼んではいけない。そう自分の中の何かが警鐘を鳴らしている。

 ざりっ!

 足音は車のすぐ近くまできて止まった。そこからなんのアクションもない。まるでこちらをじっくりと観察するような、そんな気がしてくる。

 流石の母さんも、なにか異様なことに感づいたのか、既に助けを求めるのはやめている。そして再び辺りは静寂に包まれた。


 自分の呼吸、母さんの呼吸。そして誰かの呼吸すらも聞こえてくるようだ。

 誰かは母さんの窓側に居るらしい。歪んだドアの隙間からわずかばかりに靴が見える。黒い、真っ黒い靴だ。靴の大きさから推測すると恐らく男性だろう。山道には不向きな革靴を履いているが、奇妙なことに泥などの汚れは全く付いていなかった。

 固唾を呑んで様子をうかがっていると、カチンッという音の後にシュボッ! という音が続いた。そして真っ暗闇の中でほのかな明かりがドアの隙間から入り込んできた。ジッポライターだ。ライターに火を灯した音だったのだ。



「な、なにをするの……や、やめて……」



 母が事態を悟り懇願するが男は黙っている。今までと変わらずただそこに突っ立っているだけだ。風で火がなでられるのか、差し込んでくる明かりもゆらゆらと揺らめいている。

 俺は嫌なことに、この男の意図が分かった。人の生死を握ってなぶっているのだ。恐怖を与え、絶対的上位に居ることを言外に示しているのだ。

 だが、たとえそれが分かっても二人にはどうすることも出来ない。ただこれから訪れる結末を受け入れるしかない。



「……ふっ」



 静寂の中にあってようやく分かるほどの小さな笑み。それだけで、たったそれだけで俺と母さんは抗えようもない絶望へと叩き落とされた。

 ジッポライターは火を付けたまま地面に落ち、地面に垂れ流されたガソリンに一瞬にして着火する。ボウッ! という音とともに車がすぐに火だるまと化した。



「あああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁッ! け、圭介ぇッ!!」



 揺らめく火炎の明かりの中、母さんが絶叫する。母さんは必死に助かろうとドアを押し、叩き開けようとするが、全く開く気配を見せない。俺の足は挟まれて潰されているし、動ける母はドアを開けられない。どうしようもなかった。

 


「なんで、こんなことになっちゃったんだろうね……ただ、久しぶりに家族が揃って、みんなで楽しみたかっただけなのに……」



 血が混じった涙を母が流す。そしてそっと隣にいる圭介を抱きしめた。強く、優しく包み込む。まるで炎から少しでも護ろうとしているように。



「ごめんね……ごめん、圭介……私が呼び戻した、ばっかりに。ごめんね……」



 ――せめて、少しでも炎の痛苦が和らぎますように。



 直後、世界からすべての感覚が消え失せた。そして、暗転。

 車は爆発し、爆音を山間にこだまさせる。黒煙が天を衝き、空へと昇って行った。





 これが俺の。堂島圭介の本当の始まり。



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